大阪市北区のJR大阪駅前から車で3キロも引きずられ、堺市の会社員、鈴木源太郎さん(30)が死亡する事件が発生してから、21日で1カ月。今月16日には、大阪府富田林市で新聞配達の少年が8キロ引きずられる事件も起きるなど、道交法改正で厳罰化が進んでいるにもかかわらず、悪質ひき逃げ事件が後を絶たない。関係者からは、さらなる対策を求める声が上がっている。【久木田照子、鳴海崇、田中博子】
「酒を飲んでおり、詐欺事件の執行猶予中だったので逃げた」。北区の事件を起こした吉田圭吾容疑者(22)は供述した。しかも、酒気帯び運転などで免許取り消し処分中だった。
富田林市の事件の市川保容疑者(41)も「何かにぶつかったのは分かったが、飲酒運転だったので必死で逃げ帰った。(どう逃げたのかは)よく覚えていない」と供述。今年6月に酒気帯び運転で30日間の免許停止処分を受け、事件直前も中華料理店やスナックではしご酒をしていた。
飲酒運転は、ひき逃げ事件の大きな原因になっている。警察庁によると、今年1~6月にひき逃げ事件で検挙された2377件でも、逃走理由のトップは「飲酒運転」(15・3%)だった。
実は、ひき逃げ事件の発生件数自体は減少している。警察庁によると、かつては増え続けていたが、昨年は1万5474件で、前年より2892件減少。昨年9月施行の改正道交法による厳罰化が広く知られたことが要因の一つとされる。
改正は、福岡市で06年8月、飲酒運転の車に追突されたRV(レジャー用多目的車)の幼児3人が死亡した事故がきっかけ。ひき逃げに対しては罰則の上限が「懲役5年または罰金50万円」から「懲役10年または罰金100万円」に引き上げられた。酒酔い運転も「懲役3年または罰金50万円」が「懲役5年または罰金100万円」になった。
しかし、処罰を避けようと逃走し、さらに重大な結果を引き起こすケースは後を絶たない。捜査当局は「数十メートルの引きずりを伴うひき逃げはよくある」と説明し、今回のようなキロ単位で引きずる事件も過去に発生していると指摘する。
引きずり事件だけをまとめた統計はないが、90年から昨年までの18年間で、少なくとも7道府県で8件が発生している。最も長かったのは長野県(01年)と北海道(05年)の事件で、ともに距離は約6キロに達する。長野県塩尻市で発生したケースでは、会社員の男が雪の降る夜、市道でうずくまっていた女性(当時86歳)を車ではねて逃走。女性は服が車底に引っかかり、巻き込まれたまま引きずられ死亡した。厳罰化でも悪質なケースを抑制できないのが実情だ。
東京工業大の影山任佐教授(犯罪精神病理学)は「交通事故は運転者にとっては予想外の展開でパニックになる。飲酒運転だと判断も鈍り、とりあえず逃げるという短絡反応が強くなるのでは」とみる。影山教授は改正道交法の効果を認めながらも、「人命救助をすれば公判で情状酌量が考慮されるなどの仕掛けの方が大事だ」と話す。元大阪府警交通部幹部も「容疑者は飲酒や無免許のほか、薬物中毒や暴力団関係者の場合もある。厳罰化だけで効果があるかは疑問」と語る。
ひき逃げを減らすにはどうしたらいいのか。
飲酒運転根絶を訴えるNPO法人「MADD JAPAN」の飯田和代代表(65)は「飲酒運転をなくせばひき逃げもかなり減るはず」と指摘する。欧米では違反者に対し、酒気を検知すれば車のエンジンがかからない装置「アルコール・インターロック」の取り付けを義務付ける動きが広がっている。日本では導入が進んでおらず、飯田さんは「飲酒した状態で物理的に運転できないよう、環境を整えるべきだ」と訴える。
さらなる厳罰化を求める声もある。「飲酒・ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会」の佐藤悦子共同代表(57)は「07年の道交法改正後も危険運転致死傷罪の適用の有無で刑罰の重さに格差がある。飲酒運転で事故を起こしても、逃げて酒気を消して飲酒がばれなかった場合の方が罪が軽くなるという法の抜け道がある限り、ひき逃げはなくならない」と話す。
新潟青陵大学の碓井真史教授(社会心理学)は「駐車違反や酒気帯びには厳罰化が有効だが、冷静さが失われるひき逃げには効果は薄いかもしれない」と説明する。「『ひき逃げはひどい』という意識を共有することが命を優先することにつながる」と話した。
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◆近年の主な長距離引きずり事件
<90年 4月>神戸市の市道で寝ていた男性(20)が乗用車に約1キロ引きずられ死亡。逮捕された男(40)は「酒を飲んでいた」と供述
<91年 1月>奈良市で男性(28)が約1.2キロ引きずられて死亡
<95年12月>北海道上磯町(現北斗市)で男(55)が女性(72)を乗用車ではね、約4キロ引きずって逃走。女性は死亡
<97年11月>宇都宮市で男(36)が酒気帯び状態でライトバンを運転、オートバイ事故で倒れていた男性(19)を約1.6キロ引きずって死亡させる
<01年 2月>長野県塩尻市で男(50)が道路にうずくまっていた女性(86)をワゴン車ではね、約6キロ引きずって逃走。女性は死亡
<03年 2月>大阪府茨木市で女性(47)が男(26)の車に約1.6キロ引きずられて死亡。男は「無免許で盗難車を運転していたので逃げた」と供述
<05年11月>札幌市で、女(46)が男性(50)を車で約6キロ引きずる。男性は死亡
<07年 2月>千葉県流山市で男性(32)がトラックに約1.6キロ先まで引きずられて死亡。運転手の男(37)は「パニックになり逃げた」と供述
※1キロ以上引きずられた事案。職業、年齢は当時で、状況や供述は発生段階の警察発表による
毎日新聞 2008年11月22日 東京朝刊