(筑摩書房・1890円)
一見して挑発的なタイトルだが、それを裏付けるだけの論旨を盛った、奥行きのある、説得力に富んだ本である。筋の通った展開が知的興奮を誘う。
巻頭は、アメリカ合衆国アイオワ州に各国の作家が集まって開かれた創作プログラムの体験談。これが今の世界の言語状況の見取り図になっている。何語で書くかを選ばなければならない作家が多いのだ。
日本文学の場合、作家たちには日本語で書くことを選ぶという意識はない。日本には豊かな近代文学の伝統があり、充分な数の読者がおり、大きなマーケットがある。それが幸運な偶然によって成立したことを、水村は本書の四章「日本語という〈国語〉の誕生」と五章「日本近代文学の奇跡」で立証する。
まず、日本は中国という大きな文明の近くにあって、しかも近すぎなかった。漢字を用いながら仮名を発明して文化の自立性を保った。だから古代以来、優れた独自の文学を育(はぐく)んでくることができた。
次に、十九世紀に列強の植民地になることを免れた。これは当時の日本人の努力もあったけれど、その時期にクリミア戦争、南北戦争、普仏戦争と列強同士が争ったのが日本にとっては幸運だったと水村は言う。
なぜ、植民地にならなかったことが文学の隆盛に結びつくか? 「国語」というものが構築できたからだ。
ぼくはわざと順序を変えて本書を途中から紹介してきた。本当に大事なのは三章「地球のあちこちで〈外の言葉〉で書いていた人々」という部分である。この言語論は言葉の働きをダイナミックに解き明かし、もやもやとしたものを整理し、きっちり意味づけてくれる。言語に関する本はいろいろ読んできたが、こんな明快な論には初めて出会った。
水村は言語を機能によって三つに分ける。
まずはある地域で日常使われている「現地語」。その土地の人々の母語の体系。いずれ文字を獲得するとしても、基本は話し言葉だ。
それとは別に、聖典など普遍的な叡智(えいち)を伝える、文字による「普遍語」がある。ヨーロッパの人々は古典文学や聖書を読むためにギリシャ語とラテン語を習った。それによってヨーロッパは叡智を共有した。
それを読む人々とて日常は「現地語」で暮らしていたのだから、彼らは二重言語者だった。現地語生活をおくる者が叡智への欲求に目覚めれば、二重言語者にならざるを得ない(それを、彼らは普遍語の図書館に入り浸った、と水村は表現する)。やがてグーテンベルグの印刷革命が起こり、普遍語の書物がヨーロッパ全体に普及する。
翻訳という知的営為を通じて、現地語と普遍語の間に橋が架けられ、話し言葉でしかなかった現地語が書き言葉として整備される。小国が乱立していた地域がある程度まで統一され、域内の言語が一つにまとまり、国民国家が成立する。そこで、普遍語で書かれた内容が現地語でも書き得るようになった時、「国語」が生まれる。出版文化はもちろんそれを後押ししただろう。
要は大きな文化圏と小さな文化圏の間で言葉を介した行き来があり、それを担った二重言語者がおり、彼らの活動が歴史に大きな力を及ぼしてきたということだ。なぜならば「国語」は「国家」を強化するから。
この先で水村は実に目覚ましい小説論を展開する。国語がなければ小説は書けないのだ。近代日本文学の傑作の数々は日本語が国語として整備されたからこそ生まれた。
これは水村に啓発されたぼくの考えだが、国語とは、一方で生活感のある現地語に根を張り、他方で人類全体の普遍空域に葉を広げる大樹の太い幹である。文学は個人の心に始まって宇宙の真理に至る。だからこそ国語を必要とする。
翻って現況。かつてはラテン語や漢文(文章語としての中国語)、アラビア語などが普遍語だったが、十九世紀の大英帝国の繁栄を二十世紀にアメリカが受け継いで、今では英語が普遍語の地位にある。インターネットはそれを推進している。
しかもこれらの国々で英語は現地語であって国語でしかも普遍語でもあるという三重の役割を担っている。ここには圧倒的な非対称がある。英語で書かれた小説は各国語に訳されるが、その逆はまこと少ない。文学としての価値を問う前にそういう流れができてしまっている。
世界中の本を書く人々が、広く読者を得ようと思うなら英語で書くのが近道と思う。実際、ここ二十年ほどの英語文学の繁栄は旧植民地出身の若い作家たちに依(よ)るところが大きい。その背景には英語でしか読まない各国の二重言語者がいる。
では日本は大丈夫か? 近代文学を成立させた好条件は安泰か?
ぼくはこの本の内容を正確に伝えただろうか? 難解ではないし要約は可能なはずだが、しかし内容が広く深いので、この書評では紹介し切れない。最後の章には英語教育論という大テーマもある。
精読に値する一冊である。
毎日新聞 2008年11月23日 東京朝刊