finalventの日記

2008-11-17

偽科学発見テスト

 【偽科学批判者の科学的資質を問うための、偽科学発見テスト】

 ウィキペディアの以下の項目に含まれている引用部分は、極めて偽科学的説明である可能性が高い。科学的説明の逸脱とその理由を説明しなさい。

 ⇒脚気 - Wikipedia

江戸時代江戸では、富裕層のあいだで玄米に替えて精米された白米を食べる習慣が普及し、将軍をはじめ富商など裕福な階層に患者が多かった。江戸時代末期には一般庶民も発症し、江戸患いと呼ばれた。大正時代以降、ビタミンB1を含まない精米された白米が普及し、副食を十分に摂らなかったことで非常に多くの患者を出し、結核と並んで二大国民病とまで言われた。

高木は海軍において西洋式の食事を摂る士官脚気が少なく、日本式の米を主食とし副食の貧しい下士卒(兵曹および兵。のちの下士官兵)に多いことから、栄養に問題があると考え、明治17年(1884年)軍艦筑波に、この前年別の軍艦が行なった遠洋練習航海と食生活以外は全く同じ内容で遠洋練習航海を行なわせる試験案を上策し、それが採用され、結果として西洋食の艦において脚気患者が出なかった。このことから栄養障害説を確信したとされる。下士官兵にはパン食は極めて不評であったので、西洋食(パン食)から、同じ麦を食材とした麦飯に海軍の食料は変更された。これによって、海軍における脚気は根絶された。

 

私のエントリに偽科学批判ぽい言説を投げかけたがゆえに回答を期待してる人のリスト:順次更新

 回答をいただけたらリンクを付けておきます。言うまでもないけど、皮肉じゃなくて、なるほどっていう回答を求めていますよ。

  id:takanorikido

既回答

  id:dlit解答してみる - 思索の海

 ご回答ありがとう。明晰なお答えでした。

 全体としては主食を白米にすることと脚気にかかることとの直接の強い因果関係が容易に想定できるように書き過ぎている、ってところなんでしょうか。

 ええ、要点はそこにあります。科学とは基本的に因果関係の説明であり、これがこの記述ではとても「直接の強い因果関係」で書かれています。そして、「直接の強い因果関係」は科学的な説明とみなされがちです。しかし、この記述には、その割に、それを支える科学的な説明はなく、しかも、ビタミンB1の欠乏が誘導されている点で、私はこれは間違った、科学的説明であると考え、例題としました。

 話はもうすこしあるにはあるのですが、もし機会があったら書きましょう。

 余談ですが、コメント欄での、lets_skepticさんとの対話を通して、「ニセ科学」の問題領域がなんとなく以前よりわかったように思えました。もしそれが前もってわかっていたら、この問い掛けはしなかったかと思います。その点で、お手数をかけて申し訳なく思います。

参考

 最初にいうと、私がざっとぐぐった感じでは、この問題を解くための、ネット上の情報がめっからなかった。その意味ではネットの限界指摘にもなるといいなとは思う。追記:探すとあるにはあった。

 それはそれとして、科学的説明とはなにかの参考になるリンク。

 ⇒第8章 科学理論と科学的説明

ぶくまレス

 ⇒はてなブックマーク - 偽科学発見テスト - finalventの日記

2008年11月18日 rspub わからない。偽科学というのではなく、偽科学的説明、なんですよね?結果として患者が出なかったり、根絶されたり、というのはわかりやすすぎる結果という点でそれっぽいけど、それが事実なら仕方ないし。。

 偽科学と偽科学的説明の際にはちょっと難しいけど、とりあえず、このウィキペディアの説明に含まれている偽学的な思考はどこかという問題に捉えて下さい。

 個別にいうと、これって、何の「結果として」なのか、因果関係あたりがポイント。

2008年11月18日 kuroiotona 例題としては大変興味深い。でも、科学ではなく論理的思考の問題だと思うんだ。

 論理的思考に加えて、この問題には、さらに背景があります。その他の仮説、その妥当性の評価。統計の検討など。

2008年11月18日 mihrdat /(全面書直)山下政三の本読んだ。wikipedia記事の分量考えればあげつらうほどでもないじゃん(一つの類例はミリカンかな)。研究史のこの手の行過ぎは普通。少くとも「偽科学」は明らかに大げさ。知識自慢したいだけ?

 このあたりから難しい領域に入ってくるわけなんだけどね。まあ、「少くとも「偽科学」は明らかに大げさ。知識自慢したいだけ?」というのは、甘んじて受ける部分はあるかな。というか、たしかにそういう面もあるとは思う。

2008年11月20日 shokou5 科学, 科学哲学 科学は論理的営みであると同時に技術的営みでもある。実験して論文を書いて査読されて…というネットワークの中に根付く技術知がかなりある。単独の言説だけから科学か否かを問うことは「究極的には」不可能。

 いえ、科学的言説は、特定の方法論がもたらす、市民社会における一つの妥当な合意が目的となるから、究極を問う必要はなし。

2008年11月21日 complex_cat science, logic 切られ役のWikiの引用が論考を展開する上で,適正な材料であるように感じないのです。噛ませ犬かあるいは,相撲の土俵に,「同じ裸だから」競泳のアスリートを引っ張り上げて叩いたような感がするのですが。

 まだ第二段階の議論を展開していないせいもあります。

2008年11月21日 nanahusi まず出題者がどういう意図を持って出題しているか推測して、その後に出題者がどういう風に「偽科学」という言葉を捉えているか推理する。なんか論理思考を試すってより国語の問題を解いている気分になった。

 まず単純にこれは科学的記述じゃないなということがわかることが第一段階で、そのレベルで、これは間違っているということになります。

 

とらばレス

 ⇒Interdisciplinary: テストだそうです

たとえば、finalventさんは、ゲーム脳血液型性格判断が何故ニセ科学と言われているか、押さえておいでなのかな。

 レベル低すぎ。

 ゲーム脳は、定義とローカリゼーションに失敗している。血液型性格判断は心理学的(統計学的)に否定されている。以上。

 で。

そうじゃ無くて、ニセ科学に関する知識の無さをどうにかすれば? じゃないかと。

 いやそうじゃ無くてと言いたいわけです。つまり、「ニセ科学に関する知識」を丸暗記して教条的に対応している人たちに科学的な考え方の資質はありますかのテスト。

 ある言説がニセ科学的であるかどうかを個人で頑張って判断する必要は無い。解らなきゃ訊けばいいんだし。

 これも同じこと。教条主義に陥るだけ。宗教と同じなる。つまり、まったく偽科学批判にならないということ。

ある言説がニセ科学的であるかどうかというのは、様々な資料を検討して行われるものだから、どう答えるべきか判然としない。

 いえ、様々な資料を検討してごらんなさいというのがこのテスト。

 補助線的擬制の疑問。

  ・腸内造血説が偽科学である理由はなにか?

  ・結核を社会的に克服したといえる水準まで抑えたのはペニシリンか?

 次。

 ⇒現代の知識で過去の行動を判断する愚 :: Archives

 基本的にその言い分が当てはまるなら千島学説もおK。

 なお、ここに書かれているのは歴史文書ではなく現代の見解。

 そして。

 脚気が、食物摂取におけるビタミンB1欠乏以外の理由で起きるかどうかについては、私も知識が無いのでわからない。何か、代謝異常を起こすような病気があれば、脚気を発症することがあっても不思議ではないが……。しかし、当時問題になっていた、広く国民の間で発症していた脚気の原因は、ほとんどがビタミンB1欠乏によるものであったと考えられるので、まれに発症する別原因による脚気があったとしても、この文脈において考慮する必要はない。

 この程度。

 なお、「スキャンダルの科学史」には、史実としての記述として、高木が、「脚気は栄養のバランスの問題」であると考えるに至った理由として、監獄食と海軍食の比較からだと書かれている。が、これも、史実をどう確認するかという問題であり、擬似科学の問題ではない。

 偽科学は非科学的な思考・方法論の帰結であって、同質。

 また、同じことを繰り返すけど、「史実をどう確認するかという問題」ならエジプトミイラは復活しますな。

もし、高木の推論の仕方や試験への持って行き方が、今の知識を基準とした場合に何か問題があるものであったとしても(同じことを今実行したら擬似科学と呼ばれるものであったとしても)、それは当時の実験医学の水準の限界によるものであり、現代の科学の知識を元にして批判すべき対象ではない。

 占星術の解明は23世紀を待てとか。

 次。

 ⇒わかってないのに「わかってしまった」人 - Skepticism is beautiful

現在行われているニセ科学批判*3において、もっとも端的な「ニセ科学」の定義は以下のようなものになる。

 

   科学を装っている*4

   科学ではない

 

これを批判するのが「ニセ科学批判」であり、それ以上でもそれ以下でもない*5。

 これは単純にわからない。

 科学における間違いは、間違いとわかるまで(正確に言えば社会に妥当な水準でその真理と虚偽の合意が受け入れられるまで)は、ただの科学であり、それ以降は、たんに間違いであり、科学ではなくなる。

 「ニセ科学」を間違った科学と別に定義を必要とする理由が、単純にわからない。

 あるいは百歩譲って「ニセ科学」なるものが独自にあるとしても、通常の科学方法論とその考え方さえあれば、対処にまるで困らないし、むしろ、教条的に「ニセ科学」のリストを暗記したかのように批判することで、科学的方法論がスルーされてしまう。

mori-tahyouemori-tahyoue 2008/11/17 23:59  先鋒、行きまーす。(「ギャグだよ」という逃げをうっておいて)

 「医学」は「科学」である部分と「技術」である部分とがあって、経験的な知識で運用する部分がある、と言うことでビタミンが解き明かされる以前では脚気対策は科学的でありえない、のではないかと思います。

 ですから、江戸時代の説明にもうビタミンを使う部分と、海軍の実験を科学的であるかのように説明する部分が「逸脱」。理由は上述。

finalventfinalvent 2008/11/18 09:05 mori-tahyoueさん、ども。ああ、いいセンスしてますね。ちょっとここは様子見で私の回答出し惜しみで申し訳ありません。でも、mori-tahyoueさんのこのセンスはいいですよ。というのも偉そうですが。
 ちなみに、基本は、実態の認識、定義、因果関係の説明、というあたりかな。
 私が想定していないエレガントな説明も可能かもしれませんが。

e_p_ie_p_i 2008/11/18 11:50 うがあっわからんっ!
時系列的におかしいなと思う所はあるのだけれど…。偽科学的説明というか、偽科学的手法が偶然技術的に成功した、というのなら説明出来ますが。でも偽科学的手法が何の因果か成功(&後世のちゃんとした科学的手法)に辿り着いちゃうって事はよくある事なので、逸脱とまではなぁ…。
一応、チャレンジしてみますと、

・高木は脚気の原因の推測を、日本国内江戸時代〜明治の食生活の変遷から行えたのではないか。
・高木は偶然パン食を採用したが、副食を豊かにする方向に行く可能性もあったのではないか。

というのが思いつきましたが…。これは引用部分が絶対唯一の演繹的手法ではないという事を言っただけで、逸脱の指摘と理由の説明にはなってませんよね…。うぅ。こういうクリティカルシンキングを要求される場面に遭うと、自分がいかに日頃考えず、ただ惰性的知識で生きているかというのを痛感させられます。

pollyannapollyanna 2008/11/18 12:45 なんかいろいろ混乱した例題ですね・・・。

まず前段。

江戸時代:
結果の記述「将軍をはじめ富商など裕福な階層に患者が多かった」
原因推論の記述「玄米に替えて精米された白米を食べる習慣が普及し」
ここでは、なんで精米された白米が原因といえるのか、根拠が説明されていない。

大正時代:
結果の記述「非常に多くの患者を出し、結核と並んで二大国民病とまで言われた。」
原因推論の記述「ビタミンB1を含まない精米された白米が普及し、副食を十分に摂らなかったことで」

大正時代の脚気の発症原因(推定)には、「副食を十分に摂らなかったことで」という要因が入っているが、江戸時代の富裕階層の発症原因(推定)には副食の記述はない。よって、ここまでの記述では、白米・副食・白米+副食のどれがが脚気の原因なのかは判断できない。
したがって、科学的説明を逸脱している。

後段。
結果の記述「海軍において西洋式の食事を摂る士官に脚気が少なく、日本式の米を主食とし副食の貧しい下士卒(兵曹および兵。のちの下士官兵)に多い」
原因推論の記述「栄養に問題があると考え」
士官と下士卒で、食事以外の条件がすべて同じかどうか不明な状態で、いきなり「栄養に問題」と推定するのは乱暴。
また、高木が比較したのは「西洋式の食事」vs「日本式の米を主食とし副食の貧しい」食事。
そもそも、構成要素もエネルギーもあまりに違いすぎるものを比較していて、食事における何を脚気の原因と判断したいのか、目的が不明。「実験」の説明としては失格。
また、ここでは米が白米なのか玄米なのかきちんと書かれていない。

結果の記述「西洋食の艦脚気患者が出なかった」
原因推論の記述「栄養障害説」
ここから判断できるのは、西洋食にあって日本食にない「なにか」が脚気の原因であるということ。(「栄養障害説」はあながち間違いではない。ただし、栄養成分なのかエネルギーなのかは不明)

結果の記述「海軍における脚気は根絶された。」
原因推論の記述「西洋食(パン食)から、同じ麦を食材とした麦飯に海軍の食料は変更された。」
この結果から言えるのは、米を麦に代えさえすれば、脚気はなくなるということのみ。ほかの推定される原因は排除できない。

また、米がダメで麦がいい、ということはわかるものの、玄米と白米の違いは結局分からない。

・・・こんな感じでしょうか。

pollyannapollyanna 2008/11/18 13:04 上記に追加。
「ビタミンB1を含まない」ことが原因である根拠も述べられていません。もちろん。

finalventfinalvent 2008/11/18 13:26 e_p_iさん、ども。考え方のスジはそれでいいはずです。もうすこし単純に因果関係の説明になっているかという点でみたらと思ったら、pollyannaさんがまとめていらした。

finalventfinalvent 2008/11/18 13:49 pollyannaさん、ども。ええ、多少混乱しているかもしれません。というのは、この背景にはちょっと複雑な問題も潜んでいるからです。
 ただ、当面、ロジカルに、ある意味で中学生くらいの常識で考えても、この記述からは、pollyannaさんが導かれように「「ビタミンB1を含まない」ことが原因である根拠も述べられていません」ということになります。そして、その前段として重要な結論は、同じく「この結果から言えるのは、米を麦に代えさえすれば、脚気はなくなるということのみ。ほかの推定される原因は排除できない」ということです。科学的な説明にはなっていません。(そして偽科学なるというのはこの先かもしれませんが。)
 そして長く書いていただいた部分は概ね妥当です。おそらく私が書くより、pollyannaさんの説明のほうがわかりやすいと思います。
 せっかくきちんと書いていただいたのでその文脈にそってコメントすると、「西洋食にあって日本食にない「なにか」が脚気の原因である」ですが、日本食にあって西洋食にない「なにか」という「マイナス=害」の要因の可能性も見えてくるはずです。
 そしてその先にもう少し違った科学的な世界が見えてくるかもしれないとういことが、レス冒頭の「多少混乱しているかもしれません」ということです。
 腸内造血説が偽科学として嘲笑されているのは今となってはもう明白でしょう。しかし、白米によるB1欠乏による軍内「脚気」説については、あるタイプの脚気がB1欠乏で起きるのは確かなのですが、この事例から妥当な判断なのか、また、軍内で「脚気」とされた病気が、B1欠乏で起きる「脚気」だったのかについては、もう少し専門的な考察が必要になるのでは、ということもあります。
 いずれにせよ、腸内造血説のように、ごく単純な知識と常識があれば既決のような偽科学を論じるより、どう科学を考えるのか、そのロジカルな考えかたや、さらに広範囲な知識のバランスが必要になるということを、この事例で提起したかったかなという思いはあります。

pollyannapollyanna 2008/11/18 17:59 finalventさん、丁寧なコメントをありがとうございました。
ごく単純な(ただしバランスの取れた)知識と、そしてロジックで、偽科学的なものを見破ることができる、というのはまったくおっしゃるとおりだと思います。
理系が文系かも、実は関係ないんじゃないのかなー、などと思ったりしています。

おもしろい頭の体操の機会を提供してくださって、ありがとうございました!

finalventfinalvent 2008/11/18 18:06 pollyannaさん、ども。ええ、そうだと思うんですよ。あと、この事例は、実は深掘りしていくと変なこと(偽科学なのか科学なのかよくわからない領域)に気が付くかたもいるかもしれません。

t-tanakat-tanaka 2008/11/19 16:24 >そして、その前段として重要な結論は、同じく「この結果から言えるのは、
>米を麦に代えさえすれば、脚気はなくなるということのみ。
>ほかの推定される原因は排除できない」ということです。

もちろん。

当時は「麦に含まれる何かの栄養素」の欠乏が原因だとわかっただけで,その「栄養素」がチアミン(ビタミンB1)だというのは後に判明したことです。

どうもfinalventさんは,いくつかの事象をもとに「真理」を発見することと,既知の「真理」をもとに事象を説明していくことをごっちゃにとらえているようですね。

引用された文章は後者のタイプの文章です。この文章だけから「真理」に到達することはもちろんできませんが,それだけで「偽科学的説明」だとは言えません。

「脚気の原因がビタミンB1の欠乏だ」という「真理」は,Wikipediaの説明に書いてある事実だけで判明したわけではありません。根拠がそれしかないにもかかわらず「真理だ」というのならば「偽科学」ですが,他にも多くの論拠があります。

引用された文章が,脚気の原因がビタミンB1の欠乏である根拠として書かれた文章であるのならば,「偽科学的説明」という指摘もあるかとは思いますが,この文章はそうではありません。

finalventfinalvent 2008/11/19 18:01 t-tanakaさん、ども。まず、「引用された文章が,脚気の原因がビタミンB1の欠乏である根拠として書かれた文章であるのならば,「偽科学的説明」という指摘もあるかとは思いますが,この文章はそうではありません」とのことですが、「大正時代以降、ビタミンB1を含まない精米された白米が普及し、副食を十分に摂らなかったことで非常に多くの患者を出し、結核と並んで二大国民病とまで言われた」とあるのは、つまり、この文章はそうなのではないですか。
 さて、この話題も第二段階に入るかもしれません。では、問いましょう。「他にも多くの論拠」とは何ですか?

shokou5shokou5 2008/11/20 20:58 初めまして。ブックマーク・コメントにまでご回答いただきありがとうございます。
「科学的言説は、特定の方法論がもたらす、市民社会における一つの妥当な合意が目的となる」というのはひとつの立場として尊重いたします。現実はどうかというのはまた別の問題だとは思いますが。ブックマーク・コメント欄は字数制限のため、うまく伝わらなかったかもしれませんが、究極を問う必要がないことには同意いたします。
そして、上で引用された Wikipedia の文章はそれ単独で、充分に偽科学的説明であることはpollyanna さんのコメントの通りです。僕が言いたかったのは「科学的資質」を問うテストは、偽科学の十分条件を指摘できればそれで十分であって (ややこしい)、それ以上の背景知識、資料の検証まで要求するのはちょっときつすぎるかな、と思ったからです。そして偽科学の必要十分条件までは定義できないのではないか、とも思うのです。それがブックマーク・コメントの真意です。
僕の専門は神経科学でして、千島学説などの存在はこの件で初めて知ったので、更に色々教えていただきたいとは思うのですが、テストの解答としては、もう十分だと思いました。
もちろん finalvent さんがコメントされたように「偽科学を論じるより、どう科学を考えるのか、そのロジカルな考えかたや、さらに広範囲な知識のバランスが必要になるということを、この事例で提起したかった」というのであれば、非常に意味のある記事だと思いますし、僕の関心もそこにあります。

finalventfinalvent 2008/11/21 09:16 shokou5さん、ども。丁寧なレスありがとうございます。この「テスト」やらを書いた背景は、私のことを偽科学だとかオカルトとか決めつけのバッシングする人が増えてきたので、じゃあ、そういう批判者さんにその資格があるのか私から吟味させてくださいね、ということでした。shokou5さんがご指摘されるように、「それ以上の背景知識、資料の検証まで要求するのはちょっときつすぎるかな」という部分の泥沼を少し演じてもいいかな。というか、科学的認識にはそういう泥沼のような部分があるわけで、むしろそこを理解していただく機会になってもいいのではないかと。現状の過程では、pollyanna さんが問題点を区分けしてくださったので、その上で別の仮説の妥当性や研究史の再確認といったプロセスに誰か踏み込むだろうかと期待しています。というのは、ある程度は千島学説に似ている部分があるからです。似ていない部分があります。そのあたりはペニシリンと結核「抑制」の関係で見ていけたらと思います。話が戻りますが、それでも、ただ、むやみにfinalventバッシングだけを表層的に繰り返す人たちがいるのは、まあ、それが可視になるだけ、ましかなという気がします。偽科学でもなんでもいいけど、正義の御旗を掲げて、特定人物のバッシングに走るというのは論外なんで、それはただ論外でいいかな、とは思います。

shokou5shokou5 2008/11/21 11:35 丁寧なご返答をいただきありがとうございます。「科学的認識にはそういう泥沼のような部分があるわけで」これはまさに研究の現場に身をおいて実感することです。科学とは知を拡張していく作業ですから、常に科学と非科学のぎりぎりの前線に立つことを意味します。そして実際、「科学者」と呼ばれる人間たちも余程注意深くない限り、非科学的な領域に足を踏み入れかけるのは日常かと思います。そこでうまく Peer-review などが機能すればよいのですが、それでも論文レベルでは取りこぼされるものは出てきてしまいます。勿論科学全体としてはうまく自浄?作用が働いていますし、結局、なぜ科学は成功しているのか、というのが科学哲学の主題なわけです。個々のレベルで偽科学が批判できることは確かですが、あまりに静的に科学を捉えている方が確かに多いようにも思われます。今後、僕自身も科学そのものの持つダイナミズムをうまく伝えていけたらいいと思いました。科学の研究をしながら半分ラトゥールみたいな作業をするわけで非常に消耗するわけですが。大変考えさせられました。改めてありがとうございました。

lets_skepticlets_skeptic 2008/11/21 15:12 > 基本的にその言い分が当てはまるなら千島学説もおK。

 finalventさんの意図に合う例としてはホメオパシーの方が適切だと思いますが、ニセ科学の話としては「これはひどい」としか言いようがありません。
 finalventさんがニセ科学として批判されているものが何なのか、全く理解していないことを証明しています。ニセ科学批判は間違いの批判ではありません。

finalventfinalvent 2008/11/21 16:33 lets_skepticさん、ども。意図がちょっと取れないところがあるので、以下応答としては失当かもしれません。
 このエントリの提起ですが、よく見かける偽科学批判として出てくるものは、水伝、マイナスイオン、血液型性格判定など、ちょっと利発な小学生なら簡単にわかるようなものばかりで、そんなものを批判してもたいした意味もないに、私に対して「お前は偽科学だのオカルトだ」といったの揶揄が飛んでくる。それなら、もう少し難しい例題で、私を批判する人がどれだけ科学的に物事を考えるのか、例題をやってみましょうかということで提起ました。
 偽科学の定義は、私は、端的に、偽の科学と考えています。そして科学が偽になるのは、その方法論と思惟の過程に問題があると思います。つまり、偽科学とはその結果に過ぎません。間違った科学と偽科学と区別する必要はないと思います。繰り返しますが、偽科学は科学的に間違っているのです。重要なのは、科学的に正しいとはどういうことなのか、その方法論、およびその思考のプロセスです。水伝、マイナスイオン、血液型性格判定について偽科学といった念仏を唱えることなどたいした意味がありません。
 科学の方法論とその思考のプロセスをかっとばして、偽科学批判を展開しても意味ないではないですか、というのが私の考えです。
 再度繰り返しますが、近代人は、個別の偽科学に関心を持つ必要はありません。科学的に物事を捉えるようになるだけでよいのです。
 そしてそのとき、水伝、マイナスイオン、血液型性格判定などちゃんちゃら低レベルな問題ではないところに、いろいろ問題がおきます。BSE騒ぎやタミフル騒ぎなどのときにこそ、科学的なものの考えかたが問われます。

lets_skepticlets_skeptic 2008/11/21 17:19 > 偽科学の定義は、私は、端的に、偽の科学と考えています。

 これが間違いなんです。エントリを上げてトラックバックしました。また、「ニセ科学」の定義については、はてなキーワードも参照してください。簡単に言えばfinalventさんは、ニセ科学批判に言及しながら、ニセ科学批判とは関係ない「偽科学」について語っているんですよ。

finalventfinalvent 2008/11/21 17:21 lets_skepticさん、ども。この件、追記もしました。敵対にとらないでほしいのだけど、その違いが皆目わからないという感じです。

lets_skepticlets_skeptic 2008/11/21 17:25 了解しました。他の方がもっと適切な説明を書いてくれるかもしれませんが、私もわかりやすい説明ができないか考えてみます。

finalventfinalvent 2008/11/21 17:39 lets_skepticさん、ども。からむわけではないのですが、たとえば、
 
 A フロギストン
 B オルゴンエネルギー
 
 という2つについて、lets_skepticさんの考えでは、Aは間違い(すでに棄却されて冗談以外には顧みられない)、Bはニセ科学(それを科学と主張する人がいまでもいる)となるのでしょうか。
 私は、同じじゃないかな、ただの科学的間違いでしょと思いますが。
 重要なのは科学をきちんと理解することであって、ニセ科学をきちんと理解することじゃない、というか、前者がしっかりできれば、後者、ほとんど意味ないんじゃないかと思いますね。
 そして、この件で私を批判する人たち(偽科学批判者)がそれほど、科学的に物事を考えているのではないなという印象はもちます(あと、ついでにいうと、議論じゃなくて、「私」が攻撃対象になるなんだなと、それって全然科学的じゃないじゃん、とか思います)。

lets_skepticlets_skeptic 2008/11/21 17:40  まともなニセ科学批判者の間では「ニセ科学」の定義は広く共有されています。間違った科学を科学であると主張すれば「ニセ科学」です(科学でないのに科学を装っている)。間違った科学は「間違った科学」です(科学を装っていない)。
 というわけで、質問の件はA:間違った科学、B:ニセ科学で問題ないと思います。

 ニセ科学批判の本質は間違いにではなく、間違ったことを正しいと主張すること(時にそれは単なる嘘です)に向いていると言ってもいいかもしれません。

finalventfinalvent 2008/11/21 17:50 lets_skepticさん、ども。からんでいるととらないでくださいね。
 あと、ニセ科学がそのように、「間違ったことを正しいと主張すること(時にそれは単なる嘘です)に向いている」とき、その批判は、やはり正しい科学的方法論が問われるわけで、結果から見れば、間違った科学を認識するための批判のと、まるで同じように思います。それをただすというとき、特段に、ニセ科学という概念は不要なのではとしか思えません。

lets_skepticlets_skeptic 2008/11/21 17:56  からむとかそういう印象は気にしないでください。相互理解に達することができれば私も嬉しいです。

 科学の啓蒙は重要です。そのことについては異論ありません。それはニセ科学批判と一緒に行われることもあります。常に行われるわけではありませんけれど。
 「ニセ科学をきちんと理解すること」は、ニセ科学批判を批判するのならば必須というだけです。ニセ科学の理解ではなく、科学の理解が重要というのは正論ですが的外れです。

> あと、ついでにいうと、議論じゃなくて、「私」が攻撃対象になるなんだなと

 正直なことを言えば、アルファブロガーであるというfinalventさんの属性も影響していると思います。私なんかはfinalventさんに(ついでに言えば弾さんとかも)協力していただければ、ニセ科学批判ももっと効果的だろうなと思ったりしますが、実際は誤解をばら撒くことで邪魔されているとしか思えません。影響は計れませんが甚大じゃないかと思います。

 それから、どこに科学的素養を発揮すべきかという考え方については、おそらく、finalventさんとニセ科学批判者の間に断絶があります。もしかしたら、この断絶は「ニセ科学批判」とは何であるか?がわかってもらえればなくなるかもしれません。

 実は「ニセ科学」という言葉はマーケティング的な視点から採用されたという背景もあります。正しい科学を広めるのが簡単であれば「ニセ科学」なんて分類は必要なかったという意味では、finalventさんの意見が間違っているとは思いません。しかし、それは理想論ではないでしょうか。

 実は、ニセ科学に科学的批判が行われる場合は、あんまりニセ科学という言葉が使われないなんて話もあるんですけどね。

finalventfinalvent 2008/11/21 18:26 lets_skepticさん、ども。心情はわかるように思いました。反論という枠組みでとらないでほしいのですが、私の心情というか信条的な部分を補足させてください。水伝を例にするなら、これが教科書に載っているというのはとんでもないことだと思います。ただ、掲載されているのは国語ではないでしょうか。するとそこでの枠組みは、比喩なり文学というものがあります。もちろん、国語であっても非科学極まりない話はどうかという批判は了解できます。教科書から離れるなら、人が水伝を信じようが人の勝手というか愚行権みたいなものだろうと思います。それが問題になるのは、その人と私が市民としての関わりを持つ場、公が問われるときだけ。たとえば、水伝で詐欺事件や悪徳商法が行われているなら問題です。実際、そのような印象も受けるので、その批判はあって当然でしょうくらいに思います。ただ、この場合、私が重視するのは、市民ルールということでその逸脱があるときに問題になります。私たちの市民社会は近代科学を真理の合意条件として成立しているのであって、そうした公において、水の思いだの死後の霊みたいなものを持ち出されたら、冗談ではありません。ただ、「ニセ科学批判」は、そういう社会のルールということで展開されおらず、稚拙な科学教条主義として展開されているように見えるし、私にその批判が向けられる。それなら、その批判者に、科学というものがどれだけ難しいものか、おわかりなりますか、ということを実際にやってみてもいいかと思いました。
 市民社会にあって、科学とは、基本的には科学という信念でしかありません。ここは、lets_skepticさんには違和感があるところかもしれませんが、私たちは諸科学に十分に適切な知識を持つことはできません。であれば、基礎の科学知識、およびその背景の論理的思考、そこから、妥当に「ニセ科学」を市民が自分で却下できるようにして、そこで却下できないその先は、科学集団への信だけが問われます。たとえば、私への批判者がするっと暴露したように「しかし、当時問題になっていた、広く国民の間で発症していた脚気の原因は、ほとんどがビタミンB1欠乏によるものであったと考えられるので」というのは、信の表明なのです。実際のところ、市民社会に置ける科学自体が、そうした信からなりたっている。「ニセ科学批判」の人ですら、そうではないですか。そして信の構造に移されたとき、宗教とも「ニセ科学」とも区別は付きません。
 まわりくどく聞こえるようになったかもしれませんが、重要なことは、市民は基礎の科学知識、およびその背景の論理的思考を持つことと、科学集団への適切な信頼を持つことです。ただ、その信頼とは、「ニセ科学」に信頼を持つ人々と本質的な差異はないのだという、絶えざる反省を持ち、それゆえに、再び、市民は基礎の科学知識、およびその背景の論理的思考に問い直す謙虚さは必要になると思います。

lets_skepticlets_skeptic 2008/11/22 02:26  finalventさんがニセ科学批判に関して殆ど何も知らないことははっきり分かりました。ニセ科学批判の中では、finalventさんのような立場の方を「周回遅れ」と表現しています。finalventさんの主張のほとんどは既に議論され解決済みの問題です。いくつかのニセ科学批判に関するまとめを読んでもらえれば、答えは書いてあります。
 finalventさんの嗜好で言えば、今回直接反応されている天羽優子さんよりは菊池誠さんの活動を追ってみるといいのではないかと思います。

 水伝は道徳の授業で用いられました。「比喩なり文学」としてもダメだということも既に解決済みの問題です。「愚行権」の話も議論されました。そういったメタレベルの話もニセ科学批判をする者の間で普通に行われています。

> ただ、「ニセ科学批判」は、そういう社会のルールということで展開されおらず、稚拙な科学教条主義として展開されているように見える

 そう主張したいならば、メタレベルの話で終わりにせず、誰がどこでやっている批判が、どのように問題なのか具体的に指摘しなければ無意味だというのが私の結論です。
 なぜならば、finalventさんが見ているものが、そもそもニセ科学批判ではない可能性すら十分存在するからです。又は、存在しないものを見ている…先入観による印象論である可能性もあります。

 最後の段のfinalventさんの話はよく理解できますが、まともなニセ科学批判者で、それが分かっていない人はいないだろうと考えています。
 そして、重要なのは、それは科学啓蒙の話であって、ニセ科学批判の話ではないということです。finalventさんは依然「ニセ科学批判」を理解していないので、ここが理解できていないのです。

 先入観をもたず、分かった振りをせず、ニセ科学批判を見てください。

apjapj 2008/11/22 02:43  apj@Archivesで言及した者、です。

 まず、事実の指摘をいくつか。
 水からの伝言が教科書に掲載されたことはありません。教師が個別に道徳の教材として学校に持ち込みました。

 また、水からの伝言そのものではないですが、水の結晶写真が悪徳商法(浄水器販売)の宣伝に使われたのは、道徳として使われるよりも前です。私が書いた次のコメントを見てください。少なくとも2000年には使われていました。
http://atom11.phys.ocha.ac.jp/wwatch/alkalli/comment_ph_03.html
さらに、水からの伝言のもとになっている江本氏の波動は、最初、有機農法の農家にインチキ測定器を数百万円で設備として売りつけるという事に使われ、そちらがインチキとバレたので水に移ってきて、やらかしてくれたのが「水からの伝言」でした。その後、健康な情報の波動を水に転写し、その水を飲むと健康になれる、という触れ込みで、病気の人を狙って装置を売りつけました、先日、そういうことをしていたバイオシーパルスという会社が摘発されました。

>「しかし、当時問題になっていた、広く国民の間で発症していた脚気の原因は、ほとんどがビタミンB1欠乏によるものであったと考えられるので」というのは、信の表明なのです。
 の意味が不明です。
 ビタミンB1欠乏で脚気になることは既に知られた事実で、これは今でも変わっていません。当時問題となっていた脚気は、食事の内容を変えて、改善していたというのがwikipediaの後半の記述です。人体のしくみは今と江戸時代ではほとんど変わっていないでしょう。すると、当時、食事を変えたことでで改善した脚気については、ビタミンB1不足によるものであったという推定をしてもかまわないはずです。信の表明でもなんでもない、単なる論理的推論に過ぎません。生理学の教科書は、大学院時代に簡単なものを読みましたが、このあたりが変わったという話は無かったかと。

>その批判者に、科学というものがどれだけ難しいものか、おわかりなりますか、ということを実際にやってみてもいいかと思いました。

 あなたが考えている科学の難しさと、私が考えている科学の難しさは、どこか違う気がしますね。

 もう一つ。ニセ科学批判は教条主義でやれるものでも、社会のルール無しで展開できるものでもありません。私は、ここ10年ほど、液体の研究をする傍ら、水商売ウォッチングというサイトを作ってきました。
http://atom11.phys.ocha.ac.jp/wwatch/intro.html
浄水器や活水器の擬似科学宣伝を批判するサイトです。
で、この手の批判の最終防衛ラインは訴訟なんですよ。何せ、企業の利益と直接関わりますので、隙があれば提訴されると思ってやらないといけない。ニセ科学批判の活動を続ける上で重要なことは、批判について訴えられた時に裁判所で勝てる範囲で書いておく、ということになります。ここを見誤ると批判を継続することはできません。
 実際、公取の排除命令を喰らったことを私のせいだと逆恨みした神戸の会社から、サイトを置いていた大学が訴えられて、私も、私の先生も独立に弁護士を雇って訴訟参加して争っています。訴訟資料はほとんど公開していますのでここからどうぞ。
http://www.i-foe.org/h19wa1493/index.html
 大体、業務妨害か名誉毀損で来るはずなので、表現内容が真実だと裁判官の前で立証できることや、公益性があることを立証できることが必要になります。
 ニセ科学の判定条件については
http://www.cml-office.org/ww-gl/article.php/20081117034728781
にまとめてああります。

apjapj 2008/11/22 03:23  wikipediaの記述について追加です。

 高木が航海による試験を思いつくまでのプロセスは、もしかしたら、相当荒っぽいものだったかもしれません。脚気の原因について他の要素を考慮していないとか、十分な証拠なしにいきなり実験航海をやったんじゃないかとか……。しかし、それは、今の実験医学の水準を知っているからそういえるだけの話です。高木は、幸運にも思い切った推論と実験が正しく、原因物質もメカニズムもわからないままに、脚気の発症を相当程度抑えることに成功したわけです。
 メカニズムと原因物質がわかったのは、後になってからです。じゃあ、推論で突っ走った高木のやったことが擬似科学かというと、そんなことはありません。発見のきっかけには何らかの飛躍があって、発見されたことの意味づけが後からなされるというのは、ごく普通に起きていることです。
 もし、後になって、ビタミンB1欠乏以外の理由で脚気になることがわかったとしても、「ビタミンB1欠乏が原因で脚気になる」が間違った記述になるわけではありません。単に、脚気の原因に新たなものが付け加わるだけです。「脚気の原因はビタミンB1欠乏のみである」という主張は間違いとなりますが。
 さらに想定されるややこしいケースとして、ビタミンB1欠乏→実は人によって異なる2通りの生理学的あるいは生化学的プロセス→結局脚気を発症、などということがわかったとしても、同様です。これらのことが分かった場合には、科学としての記述の精度が上がるだけです。
 食物を変えることで対処できた当時の脚気は、今から考えると、ビタミンB1欠乏で起きていたものと同じだろう(だから食事の改善で対処できた)、というのは、信の表明でも何でもない、通常の推論です。但し精度はそれなりです。

 じゃあ、「ここに脚気に見える人がいます。どうしますか?」ということになれば、ややこしい科学が顔を出します。
 これまでの知識に基づいてビタミンB1製剤を与えてみる、というのを最初にやるでしょうね。それでダメだったら、なぜこの人には効かないのか、効いた他の人と何が違うのかを調べることになります。脚気に似た他の病気ではないかとか、遺伝的な理由や別の病気が原因で与えたビタミンB1がうまく使われていないのではないかとか、そういう場合は他の何かを一緒に与えないとダメなのではないかとか、個別に仮説を立てたり検査データを付き合わせたりして判断しなければならないややこしい状況が待っています。おそらく、専門家なら、一番可能性のありそうなものから優先順位をつけて調べていくんでしょう。これが科学の難しさです。

>であれば、基礎の科学知識、およびその背景の論理的思考、そこから、妥当に「ニセ科学」を市民が自分で却下できるようにして、そこで却下できないその先は、科学集団への信だけが問われます。

 科学集団だって欺されます。病的科学というカテゴリーになる騒動は時々起きています。常温核融合や、古いものではポリウォーター騒動など。ただ、検証する力もあるので、一定期間で否定して終結するのですが。

 で、巷に出てくるニセ科学は、商売に使われることが多く、大抵はあからさまにニセなんですよ。科学者の信を云々する必要もないほどニセです。それでも、一般の人にとって調べるハードルは高いですし、人は有限の手間と時間しか使えないわけですから、
 ですから、完全に欺されるのを防ぐのは不可能としても、理解しないでも引っ掛からずに済む方法
http://www.cml-office.org/archive/1226952019176.html
を考えたりしています。あるいは、
http://www.cml-office.org/archive/1227268796182.html
のように、それが事実なら身の回りはどうなるか?と一歩立ち止まって考えるといった対処をする、といったことを提案しています。

apjapj 2008/11/22 03:59 >それなら、もう少し難しい例題で、私を批判する人がどれだけ科学的に物事を考えるのか、例題をやってみましょうかということで提起ました。

 どう見てもその出題、科学的の意味をとり違えているようにしか見えません。

 今の科学に乗っかる部分は、「精米がビタミンB1を含まない」だけです。ちょっとだけ解釈で広げるとしても、「ビタミンB1欠乏で脚気になる」(注:他の原因が無い、ということまでは主張していないから、他の原因があったとしてもこの部分は間違いにはならない)だけです。あとは、歴史の記述でしかないです。
 上記2つの部分の精度については、既に述べました。
 歴史の方は、当時の人の推論の仕方や考え方が甘かったとしても、その時代の限界によるものなので、今の知識でもって批判する対象ではないです。

 ちょっと上の方のコメントに、フロギストンとオルゴンエネルギーの話が出ていましたのでコメントしておきます。
フロギストンは、一時期は科学でしたが、今では間違った科学です。ですから、今「物が燃えるのはフロギストンがあって……」ともっともらしくやれば、ニセ科学になります。
 オルゴンエネルギーは、発見が1939年ですから、最初は科学で後から間違いと判明したのか、それとも最初から間違いだったのかが微妙ですね。似たような感じで科学として始まり勘違いとわかったものにN線がありますが、これはさらに30年ほど前です。歴史的背景を考えると、1900年前後は、新光線発見ラッシュの時代でした。フライングも結構あったんじゃないかと。だから、30年早ければ一時期は科学に入ったかもしれませんが、その後の展開を見ると、完全に変な方向に向かってしまっているようですね。まあ、今、これを、科学として広めようとしたら、ニセ科学というしかないです。

 間違った科学とニセ科学の区別について。間違った科学の全てがニセ科学になるわけじゃないんです。間違ったために歴史上の記録にはあるけど今では科学には組み入れられず、かつ今でもそのように扱われているものはニセ科学ではありません。間違った科学を今でも科学として真実であるかのように広めればニセ科学となります。
 また、非科学な思考や方法論の帰結が常にニセ科学をもたらすかというと、おそらく違うでしょう。非科学な思考や方法論の帰結がニセ科学になる場合もありますが、オカルトになる場合もありますので。

はてなユーザーのみコメントできます。はてなへログインもしくは新規登録をおこなってください。

最新コメント一覧