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    6月11日

    平成の黙示録

    平成の黙示録

     

     

     

     

    今から途方もない話をします。過去2000年以上にも渡り日本で行われてきた種族繁栄のメカニズムから始まり、それが現在多発している一連の事件に繋がります。つい最近起きた事件の源を1400年前に遡って検証します。もちろん、「検証」と言っても厳密なものではなく、そのメカニズムの確かな妥当性と歴史的事実を語るものです。それら諸々の事項に関連して現在進行している現象および将来の展望を示唆します。先ずは、本書執筆の切っ掛けとなった事件から始めてみましょう。

     

     

    序の章 : 時期到来

     

    近年は銃乱射事件が世界中で相次ぐようになり、日本でも昨年の12月に長崎県佐世保市で一件発生しました。こうした事件の捜査で最も特徴的なものとして、「犯人が犯罪行為に至った」という事実の検討に焦点が当てられてきました。もちろん当然のことでしょう。しかし、「どうして犯行に及んだか、及ぶに至った原因は何か、何故このような犯罪心理に至ったのか」等々の追求は軽んじられる傾向にありました。人の心は複雑であり、犯人の心理過程の厳密な捜査は困難とされていますが、今回の佐世保乱射事件には不自然な部分が多くあり、私自身の経験に基づく見解を書簡にまとめて佐世保警察と大阪弁護士会へ本年一月に送付しました。その内容を以下にコピーします。

    平成の黙示録

    宛先: 佐世保銃乱射事件捜査本部

    発信元: 石垣眞人

    件名: 原因解明への提案

     

    当事件発生以来、関連メディア報道を詳細に追っていますが、そこには明らかな異常性が存在しており、それに関して一つの提案をしようと本書簡を執筆するに至りました。報道では、馬込氏が一方的に水泳インストラクタに異常な関心を示し、更には数年前から言動異常の兆候を呈しており、何かが高じて犯行に至ったとされていますが、そこには「何故至ったか」という疑問が全く解明されていません。何か外的要因があるのでは、と考えても当然かと思います。

     

    昨今では犯罪が巧妙複雑となり、以前では考えられなかった手口が発生しています。その中でも、特に電話を利用した振り込め詐欺というものがありますが、今回の暴挙事件でも同様のトリックが疑われます。即ち、こうした異常行為は、電話を利用して発生させることが可能であり、以下に詳細を述べますが、その観点から本事件を考察するならば、未だに不理解な事項が辻褄合致するということです。

     

    実際のところ、私自身が同様の電話犯罪の犠牲者であり、しっかりと物事を論理的に見据えることが出来なかったなら、馬込氏と同じように銃乱射事件を犯していたかもしれません。電話学とでも言うのでしょうか、電話で何が可能かを研究している連中が存在しており、私を含んだ数々の無垢な人々が勝手に生体実験の犠牲となっているようです。この見解の立証は現時点では不可能ですが、少なくとも私個人の場合は確信に至っています。以下、詳細を具体的に展開していきます。

     

    昨年4月には、例の銃乱射事件がバージニア工科大学で発生し、世界中を震撼させました。それ以来、米国やフィンランドで同様の事件が異常なまでに多数発生しています。それ以前にも、同様の乱射事件は長年に渡って発生していました。私にとっては無関心な世俗事でしたが、本年4月以降、それが一変しました。というのも、私自身も以前に同工科大学に在籍し、乱射事件発生当時は、同校への復学申請の合否通知を待っていたからです。

     

    私は1987年に渡米し、同工科大学には1991年まで数学部に在籍しました。日本の大学で修士号取得の2年後で、米国で博士号を取得して就職する予定でした。ところが、数学部教授の私に対する態度が奇妙に敵対的となり、筆記試験には合格しても、研究の段階となると全く評価が拒否されたばかりか、各年契約の助手解雇の通知をされ、他の大学へ移るよう余儀なくされてしまいました。結局、テネシー大学に移籍したのですが、そこでも同様のパターンで徹底的に敵対無視され、何の学位も取れないままに2000年に帰国することになります。

     

    本来なら米国の主要大学で数学教授として活躍していたはずである、という自負は今でも待っていますが、なぜ果たせなかったかを考えてみますと、どうやら私の名前を無断で使用して私の友人や教授の中傷電話をかけている人物が存在したようなのです。更に思い起こしてみますと、そうした電話は私が中学生の頃ぐらいから発生していたようなのです。他人に知られたくない失敗談などを調べあげ、私の名前で方々に電話をかけまくることにより、はらわたが煮えくり返るような不快感が私の名前と一致するようになるのでしょう。こちらとしては何の理由も分からないままに、いきなり憎しみの感情を散弾銃のように浴びされるのです。最近の心理学研究によりますと、意思決定には事実よりも印象が左右するようで、とするならば、こうした電話により他人の人生を狂わせることは可能となります。私自身が生き証人であり、更には、今回のような銃乱射事件も電話により発生させることは可能であると確信しています。

     

    さて、話をバージニア工科大学に戻します。本来なら、1991年もしくは1992年に博士号を取得して就職していたはずなのですが、いきなりの敵対行為に私も反発し、なんとか見返してやろうと感情的になって移籍してしまいました。しかし今になって考えますと、その時点で何らかの電話犯罪対策を講じるべきであったようです。何故なら、こうした他人名義を利用した電話は、なりすましの名義盗用であり、プライバシー侵害、個人情報漏洩、中傷といった犯罪ということになり、更には大学に対する事業妨害となるからです。私が同工科大学に復学を試みたのも、16年前にすべきことを実行するためでした。後で述べますが、長年の記憶を辿ることにより、私の名前で電話している人物の特定は推理してありました。そうした中で、例の銃乱射事件が発生したのです。それまでは、他人名義の電話犯罪の理論的説明を考えていただけでした。16年前には権力乱用して、私を雑巾のごとく扱った教授連中に説明をするためでした。論理的思考に長けた数学者なら理解可能と期待したのです。

     

    バージニア工科大学銃乱射事件では、韓国系学生が男女二人を寮で殺害し、二時間後、Norris Hallという建物内で170発もの弾丸を発砲して30人殺害後に自殺するというものでしたが、ニュース報道では、事件発生以前に奇妙な電話や爆弾騒ぎが相次いだとのことでした。犯人がテレビ局に送ったビデオが公開され、憎しみを爆発させるような表情、訳の分からぬ言動を見たとき、それは16年以上も前に敵意と憎しみで私を罵倒した数学教授諸兄が彷彿と思い返されるものでした。私の名前である「Makoto Ishigaki」が、煮えくり返るような不快感の銘柄となっていたはずです。そして、もし当時と同様の電話犯罪者が、事件発生現場の建物名である「Norris Hall」を名乗って、当時のような電話をこの韓国系学生にしていたなら、そして、何らかの方法で拳銃を購入させていたなら、こうした乱射事件を発生させることは可能であると確信しました。これに関して私の知っている全ての詳細等を、同工科大学在学時に親しくさせて頂いたドナルド・マキーン教授に電子メールで伝えてありますが、未だに何の反応もありません。そして、同様の乱射事件が連続発生し、ついには日本にも上陸しました。

     

    さて、今回の佐世保乱射事件ですが、同様のトリックが使われたのではと考えます。もちろん、捜査で裏付をしなければ何とも断言できませんが、私がこれから述べる方法で電話をすれば引き起こせると断言します。そして、私自身が同様の負目にあったことは紛れもない事実でありますし、そのような電話犯罪を行っている集団もしくは個人が存在することも事実です。何となれば、私自身も中学時代に加わらないかと勧誘されたことがありました。今後の捜査がどのように進展するかは知りませんが、たとえ電話犯罪の告発に至らなくても、こうした電話による社会悪が存在することは事実であり、実際、名前の無断使用電話で私の人生は既に狂わされており、従って本書簡での主張は断固として継続して行く所存であります。

     

    まず注目したいのは、美人の水泳インストラクタが後ろから射殺され、次には幼年時代からの無二の親友が正面から撃たれていることです。報道によりますと、犯人の馬込氏は、かつて見合い話を持ち出された際に、「俺が女に興味があるか」と怒ったそうですが、親友以外にも高校時代の友人数名に来るよう誘っていることを考えますと、水泳インストラクタの殺害による自己主張が目的であったのでしょう。犯人を熟知している親友が止めようとしたのなら、「自分は撃たれない」という判断があったわけであり、その友人に数発の散弾を浴びせた馬込氏は精神的に爆発したと考えられます。そして、既に述べましたように、そのような爆発を電話で引起すことは可能なのです。犯行直後には、「船越教会」に急行して自殺したのですが、その時間帯に集会でもしていたなら、更なる乱射があったのではないでしょうか。こうして考えてみますと、もし電話犯罪が関与しているならば、「船越」という名字を使用したかと推理します。カトリック教会のイメージを加えるのは容易のはずです。

     

    次に考慮したいのは、電話の内容です。乱射を引起すには、それなりの刺激を与えねばならず、「俺が女に興味あるか」という感情を核にして膨張させることが可能でしょう。「馬込という男性が、美人の水泳インストラクタと性的関係にあり、馬のような一物で手籠にしているのでウマゴメなのです」などと電話で吹聴しまくれば効果てき面でしょう。インストラクタに対する馬込氏の関心も納得できますし、「船越」が町名とするなら、交際相手に自宅住所を尋ねたことも理解できます。更には、電話内容に高校時代の逸話等を挿入したとするなら、当時の友人を呼び出して自らの女嫌いを見せ付ける目的で、性的関係との噂の女性を殺害したことも自然でしょう。馬込氏は数年前から言動が奇妙になったとのことですが、「女に興味あるか」と怒鳴る人物が銃を所持するに至ったならば、こうした乱射事件を電話で発生させることは至って容易かと思われます。もちろん、馬込氏が自らの才能でそうした精神状態に到達し、自らの意思決定で乱射というパーフォーマンスを行ったのかもしれません。しかし、馬込氏の生活環境は極めて安定的で、何らかの外的要因がない限り、こうした行為に至ることは不可能なのではないでしょうか。

     

    ここで問題にしたいのは、こうした電話をする連中が存在することであり、普通の社会人を馬込氏のような精神状態に電話で引き込むことが可能であり、私自身がその被害者・証人であることです。馬込氏の名前を乱用して、勤務先であったクリニックの同僚や上司の私生活環境で中傷電話が鳴りまくったのではないでしょうか。些細な事で激しい叱責を受けて退職したとのことですが、それは私にも経験があるものです。いきなり散弾で撃たれるような感覚を覚えます。全く理解できず、問答無用の戦闘態勢の感覚となります。馬込氏が散弾銃の所持に至り、迷彩服を着用して夜な夜な徘徊するようになったのも理解できます。何かと怒りっぽくなったのも当然でしょう。また、精神的鬱積を発散させるためにスポーツクラブに入会したと確信します。私自身も異常なまでにジョギングをするに至りました。今では膝の故障で出来なくなりましたが、米国では夏の猛暑日にも20キロぐらいは毎日欠かさずノンストップで走っていたでしょうか。そうした中で、「船越」なる人物の電話攻撃が始まったのでしょう。最後には自ら首を撃って自殺しましたが、勤め先をクビになったのではない、自らの意思で退職したのだ、という意識があったのかもしれません。考え過ぎでしょうか。

     

    さて、自分の名前で勝手に電話をかけまくられ、周囲の人たちから「リンチ」の如き扱いを受けるに至るとは、どのようなことなのでしょうか。それは、善意や好意、真摯な努力が憎しみや裏切りで応答されることです。具体的には、例の時津風部屋でのリンチ事件のように、稽古などと称して一見合法的に「リンチ」が行われるのです。私自身の体験に照らしてみましても、たとえ冷静なはずの数学者でも、たとえ電話手が本人でないことが明らかな場合でも、とにかく煮えくり返る憎しみの代名詞となってしまい、「リンチ行為」が発生するのです。ちなみに、先日の時津風部屋事件もこうした電話が関与しているのでは、と疑っています。力士としては凡庸であった親方を馬鹿にして、「自分は横綱」などと死亡力士の名前で吹聴し、さらには部屋の内部情報を詳細に挿入したなら、たとえ部屋で寝泊りしていたとしても本人が不快感の代名詞となってしまい、ビール瓶で殴る、「横綱になるつもりなら稽古をつけてやる」と法外なことを稽古土俵でやらせる、等々の行為が発生します。私自身が生き証人です。未だ解明されていない生理学的理由があると確信しています。どんなに冷静なはずの人物でも、不意にそのような電話攻撃を受けたなら、必ずプツリといくはずです。思い出してみますと、日本数学会の現理事長で東工大教授の小島定吉氏にも、いきなり「石垣バカヤロー」などと怒鳴りつけられたことがありました。今回の佐世保乱射事件に関しましても、もし馬込氏が以前の職場で同様な目にあっていたなら全く同情に耐えません。

     

    もう既に繰り返し申し上げていますように、今回の乱射事件が電話で発生させられたと断言しているのではなく、そうした暴挙生産が確実に可能というのが私の主張です。更には、個人の名前を勝手に使用して電話をかけまくり、当人の人間関係を全壊させ、今回のような凶悪犯罪の潜在性を生じさせることが出来る、また、そのような電話行為を実際に行っている集団や個人が存在するのです。例え銃規制を強化しても、銃所有者が存在する限り危険は消滅しません。以下、具体的に電話人の名前を挙げて説明していきます。

     

    その人は「篠原弥一」と称し、関西学院大学理工学部教授という職にあり、数学専攻で私の以前の担任教授であった人物です。このような社会的地位にある人物が何故このような卑劣な電話犯罪に手を染めるに至ったか、という疑問が当然起きますが、その裏には極めて根深いものがあり、本書簡の直接な目的には不適合なので言及は控えます。いずれにしましても、この篠原弥一が「石垣眞人」の名前を無断乱用して電話犯罪を行った、あるいは現在も行っていることは紛れもない事実であります。もちろん、篠原が今回の佐世保乱射事件に関与したかは断言できませんが、こうした暴力犯罪の潜在性を生産していることは明白な事実であり、そのような電話犯罪者が多々存在するとは考えられず、従って捜査対象となってしかるべきです。もし関与していても直接の目撃者は存在しませんが、「聴撃者」は存在すると考えます。ぜひとも、この悪党の声を採集し、電話を受けたかもしれない方々と確認をとってみて下さい。馬込氏が以前勤務していたクリニック関係者の生活環境に存在する方々、事件のあったスポーツクラブの会員の方々に篠原の声を聴いて頂くのです。ちなみに、私は2000年の夏に帰国以来、大阪刑務所国際対策室、奈良県大和郡山市のシャープ商品企画部で翻訳者として勤務しましたが、間違いなく「石垣眞人」の名前で関係者への電話攻撃があったはずです。更には、シャープへの派遣を斡旋してくれた「インターグループ」という会社が大阪の梅田にありますが、そこの関係者も被害に遭っているはずです。大学教授というオーラに惑わされることなく、決め付けて捜査して構いません。日本数学会理事長である小島定吉氏にも捜査協力を要請できます。関西学院大学副学長の浅野考平氏は数学専攻で、篠原と懇意にあるばかりか、篠原が自らの電話技術を得意気にしている場面を目撃しています。関西学院付属高校の数学教師である丹羽時彦氏と宮寺良平氏も、篠原と電話については何か知っていることは確かです。特に丹羽氏の場合は、かつて篠原の電話技術を煽てたりしており、私もその場面を目撃しました。

     

    以上をもって、今回の事件に関する提案とします。もちろん捜査当局独自の方針がありますでしょうが、なにとぞ発生している潜在性の危険を察知して腰を上げられることを強く希望します。私自身は、篠原の電話犯罪のおかげで何の仕事にも就けない状況にあり、何らかの形で事態が打開されない限り、いずれは偽名で土木作業員としての飯場暮らし、更にはホームレスとなり野垂れ死にとなるでしょう。現時点では、何時でも取調べに応ずることが可能です。以下、連絡先を記しておきます。

     

    住所 : 662-0857 兵庫県西宮市**************

    電子メール : ********************************

     

    電話は所有していますが、緊急の場合を除き、使用しないことにしています。「石垣眞人」は電話をしない人間であることを強調するためです。

     

     

    付以来、数ヶ月が経過しています。書簡の内容は全て正しいものですが、何故このような事件が発生するに至ったかに関しては触れていません。「そこには根深いものがある」と記してあるのみですが、それは2000年以上にも遡るものです。だだ、それは私自身が過去の記憶を元に再検討するもので、その信憑性を第三者に証明できるものではありません。本人が正しいと考える、もしくは、そのように妄想する私的論説としてまとめました。書簡にもありますように、私自身も現状を打開しない限り一生が事実上終わってしまいますので、「ダメモト」の心境で今回の事件を切っ掛けとすることにします。

    平成の黙示録

    起の章 : 大復活理論

     

    文明の起源は常に曖昧です。痕跡が乏しい時期に発生し、文字が導入される時点では一定の完成度に至っているからです。しかし、文明文化の発展のためには必要不可欠な事項が幾つか有ります。なかでも優秀な人材と組織力が重要となります。一つの集団内での能力を維持発展させるためには、次世代生産を組織的に操作するのが唯一の有効手段です。この章では、その過程を述べ、そうした操作が行われてきた歴史的事実を示唆し、次に過程の始まりを考えます。最後には、それらの操作が現代において如何に受け継がれているかを示唆し、そこから考えられる将来の展望を観ていきます。

     

    先ず、過去から現在に存在した人間全体の中から一人を固定し、その人物をAと呼ぶことにします。ここでAとは、数学の未知数、たとえばxyを実数、nmを整数と考えるのと同様です。AにはPなる父親とMなる母親がいるとします。更には、Aの系図を可能な限り遡り、その末端に位置する全員N人の人々を{O(i) : i=1,2,...,N}で表しOシステムと呼びます。この際、遡る距離は充分に長く、Oシステムのサイズ、即ち判明している先祖の数Nも充分に大きいものとします。つまるところ、血統の良い人物をAとする訳です。更には、Oシステムから派出する人間山脈をGシステムと呼びます。このGシステムに属する人の先祖は全員Oシステムからのものです。更には、多少の外部の血が混じっている人々を含めてG(ε)システムと呼びます。多くの世代を経てAと同じ遺伝子を持つ人物を復活させる手法を以下に述べる訳ですが、その際、当初に少々雑りがあっても世代を経る毎に急激に減少し、最終的には問題とならなくなります。何となれば、人の染色体の数は46本で、一人から派出の遺伝子は各世代で半減しますから、祖父母に不明な人物が存在しても、数世代に渡ってGシステムから派出する片割れと交配することにより消えてしまいます。

     

    次には、「如何にしてGシステムの純度を維持したままサイズを拡大するか」という問題を考えます。ここで、Aの父親であるP{B(i) : i=1,2,....,M}なる子供を他に有しているとします。その数Mは充分に大きいとします。いわゆる種馬として活躍した場合、その数は優に四桁となります。さて、46のヒト染色体は23対として存在し、生殖の際には各親の各対から染色体が1つ合計23個分裂し、父親の場合には精子、母親の場合には卵子にそれぞれ振り分けられ、精子と卵子が合体して23対の染色体を構成して次世代が生産されます。Aの持つ23対の染色体での各対の片割れは父親からであり、もう1つの片割れは母親からのものです。ここでは、「染色体分裂は同等の確からしさでなされる」ことを仮定します。すなわち、223乗は8388608ですから、この8388608の分裂パターンの各々が1/8388608なる確立で発生することを仮定します。さて、各B(i)Pより受ける染色体23個の内でAと同じものがk個存在する確立は次の式で与えられます。

     

     

     

    Pr(k) = [ 23 ! / {(23-k) ! k !} / 8388608 ]

     

     

    これより以下の表が得られます。

     

     

    K

    Pr(k)

    7

    0.0292545

    8

    0.0584499

    9

    0.0974166

    10

    0.1363822

    11

    0.1611802

    12

    0.1611802

    13

    0.1363822

    14

    0.0974166

    15

    0.0584499

    16

    0.0292545

    合計

    0.9653668

     

    すなわち、Aの父親であるP{B(i) :i=1,2,...,M}を生産する際の染色体分裂では、7個以上をAと共有する確立が98%となります。更に、10%以上の確率で15個以上を共有します。同様に10%の確立で8個以下の共有となります。すなわち、{B(i) :i=1,2,...,M}の内で10人に1人の割合でAとの共有が8個以下しか持たない場合が生じます。そうした兄弟姉妹から派出する子供の内、Pから派出する染色体をAと共有しない場合が256回に1回の割合で生じ、1個、2個、3個の場合は各々256回で8回、28回、56回となります。こうした子供とAが交配した際に染色体対に同一の2体が入ってしまわない確立は、各々で13/49/1681/256となります。

     

    さて、外部から異なった遺伝子を取り込むことなしにGシステムの維持拡大をする方法を考えます。Aの場合では、10人に1人の割合で{B(i) :i=1,2,...,M}から自らと最も似ていない異性を割り出し、その異性が生産する次世代の異性の内で自らとの類似度が平均を下回る場合、交配をしても同一染色体が対でぶつかり合わずに成功する確立は3割以上となります。更に厳密に吟味することで成功率は向上します。失敗しても虚弱体質であるとか、知能が多少遅れているという程度で済みますから、社会生活をまともに勤めることぐらいは出来るはずですし、若死にする傾向にあります。もちろん、五体満足な成功品と比べると育てる費用や手間がかかりますが、Gシステムが強力な場合は許容されるものでしょう。更には、父親のPにも異母兄弟姉妹が多数いますし、母親のMに関しても同様です。そこから派出する人間山脈に対しても同様の交配が可能です。要は、「自分を感じさせないような異性が居たら必ず交配」という方針でやれば良いのです。考えてみれば当たり前かもしれません。

     

    A以外にもGシステム内で能力の高い者には大量交配が許可されます。中には勝手にやってしまうのも出現するでしょうが、生まれてくる子供の能力が劣っている場合には自然と数が制限されて行きます。このように、Pから派出して、以下、ネズミ算式に次世代が次々と生産され、P以外からも人間山脈が同様に派出され、Gシステムのサイズは拡大して行きます。ここで、Gシステムに属する各々には、元々のN人から構成されるO集団{O(i) :i=1,2,...,N}が異なった割合で詰まっています。そして、その割合を計算することが出来ます。それをO値と呼ぶことにします。更には、Aの世代以前のGシステムと、そこに属する各々のO値が判明しています。サイズが拡大したGシステムのなかで、Aが生成されるに至るGシステムの部分システムと同じものが出現しないかと確認していきます。旨く行かない場合には、外部から他の血統を取り込むことにより、割合が調整されて行きます。その場合、Aの再生は更に数世代先になってしまいます。組織的に行えば必ず再生されます。こうした過程を繰返すことにより、最適な交配組合せ方法が発見され、同じ手法が何回も繰返されて行きます。

     

    次には、このような交配が実際に行われていたのか、更には現代でも行われているのか、という問題を考えます。答えは、「間違いなく行われてきた、そして行われている」となります。もちろん、「証明しろ」と言われても、まず資料が手元には有りませんし、見てきた訳でもありません。しかし、文明文化の進歩という動かし難い事実が存在します。また、日本の場合では、平安時代の貴族の性生活が歴史として伝えられており、それは前述のような意図的交配の存在を示唆するものかと思われます。こうした交配により、各世代で獲得された能力が次世代に受け継がれていき、それがGシステムに「進歩」もたらし、文明文化の発展を可能にします。これは何も日本に限ったものではなく、古代ギリシャ、古代ローマなどでの文明発達にも意図的交配が寄与します。日本の場合、おそらく中国から伝わったことは確かなことでしょう。島国のため外敵の侵略がなく、交配技術が世代を超えて進歩したのでしょう。明治維新の後、欧米列強に植民地化されることなく文明開化を可能にしたのも、こうして育んだ人材および次世代育成法が土台となったはずです。

     

    さて、こうした意図的交配方法が中国から到来したことは間違いのないことなのですが、あるいは中国大陸から日本人の祖先が到来したのでしょうが、日本国の始まりの記録は存在せず、例の「神武」なる人物が紀元前6世紀に今の宮崎県である日向から瀬戸内海を船で渡り、近畿地方の既存勢力を制覇して大和の国を始めたと伝説で語られているだけです。ここで議論の確かな出発点として、「とにかく大和の国が近畿地方に出現し、それは外部からの力によるものである」という事実もしくは仮定を設けます。当然のことながら、この「神武」と称す人物は、前述の意図的交配方法を知っており、本人も同様に生産されたと考えます。充分な数の家臣と兵力を伴えて既存勢力を滅ぼすことは、相手の虐殺と奴隷化を意味しますが、相手勢力に属す若い女性は間違いなく強姦されまくり、結果として大量の子供が誕生し、到来勢力のOシステムからG(ε)システムが出現し、ここに種族発展の意図的交配が開始します。前述の「自分を感じさせない云々」という基準が開始から適用されたかは判りませんが、たとえ不良製品が誕生しても「始末」することに深刻であったとは思えません。(尤も、こうした推論は、多様化したイデオロギーで特徴付けられる現代社会においてのものであり、当時の人々の価値観は現代のものとは全く異なっていたはずです。既存勢力を後の時代での侵略対象のように考えるのにも問題があるでしょう。勢力の変遷は案外スムーズではなかったか、などと考えて良いかもしれません。)また、過去の人物、特に「神武」なる人物が数百年後に再来する際には、それに伴って生産される子供の群れに特徴が生ずるはずであり、それらは代々に渡り伝えられて行きます。聞いた話ですが、「神武」の復活を期待した交配は一過程で複数回行われ、旨く行けば立派な男子が生まれ、間違えれば虚弱体質の美人が生まれる傾向にあり、ここから「美人薄命」なる概念が誕生したそうです。 もちろん証明は不可能です。全く資料の存在しない時代の出来事を推論しているわけですあり、当然のことながら立証も反証も出来ませんが、系図を記録し始めて以来の「過程」が存在する限り、それ以前に「始まり」が存在した訳であり、「過程」の存在が記録されている時点での文明文化には見事なものがあり、とするなら、こうした推論も妥当かと思われます。

     

    紀元1世紀には漢字が輸入され、交配に関する記録が可能となり、こうした次世代生産技術は更に進歩したと考えます。ここに登場するのが、例の「聖徳太子」という人物です。この方に関する研究は現代でも色々と行われていますが、私の手元には何の資料もなく、ここでは勝手に推論します。聞いた話ですが、この人物を中心にして意図的交配方法が厳密に設定されたそうです。もちろん、系図が手元に有れば一定の立証は可能となります。いずれにしましても、聖徳太子をAと見なした場合のGシステムは拡大し続け、文明文化は発展の一途を辿りますが、その一方で多種多様な能力や特質を有する人物が多く輩出され、当然の結果として意地と意地がぶつかり合うようになり、ついには戦国時代となります。次世代生産どころか、生き残りを掛けた戦いが繰り返され、こうした生産過程は一時的に中断します。せっかく次世代を生産しても、戦いに敗れれば何にもなりませんし、更には交配に参加する種馬の男性も、多くが戦場で命を落としてしまいます。やがて天下は統一され、江戸時代となり、再び意図的交配過程が復活します。前述では多少複雑な世代交代過程を定式化して示しましたが、これを数学的に厳密に記述するには、現在の大学教養課程で教えられている「線形代数」が必要とります。江戸時代には関孝和という数学者が登場し、西洋に数百年も先んじて、この「線形代数」を発展させたそうですが、とするなら、聖徳太子をAとして発展するGシステム内の各個人のOシステム値を計算することは既に可能であったはずです。案外、こうした計算が目的であったのかもしれません。

     

    さて、現代は遺伝工学を目覚しい進歩を遂げており、以前は性交による自然交配のみが行われていましたが、現代では人工授精ばかりか、予め染色体タイプを確認した上での体外受精が可能となっています。私自身をAとみなして考えますと、以前は数百年かけてGシステムを拡大調節した末に復活となっていまししたが、現代では遺伝子工学の基礎技術が応用可能かもしれません。但し、特殊な状況でなければなりません。私の場合は、母方の曾祖父と父方の祖父が同一人物であったそうです。前述で考察した場合に該当します。私の母方の曾祖父と祖父および父親は種馬として活躍しましたが、以下、それぞれMe(曾祖父であり祖父)Ry(母方の祖父)Ms(父親)と呼ぶことにします。更に、母方の曾祖母をKyとして話を進めます。以下、自然交配ではない人工的な方法による復活方法を考えます。実に簡単な操作過程ですが、実現には特殊な環境が必要となります。

     

    私の曾祖母であるKyの父親も種馬として活躍したはずですが、当然のことながら、Kyにも大量の異母兄弟姉妹が存在します。Kyは父親が相当に若い時期に誕生しましたから、大正時代から昭和初期にかけて妊娠可能となる異母姉妹が多数いたはずで、それらの女性は私の母方の祖父であるRyと交配することが可能となりますし、間違いなく交配が実行されたはずです。そこから生まれた女性山脈と私の父であるMsから派出する人間山脈は、私と極めて近い血縁関係を持つに至ります。その集団の各個人と私の違いは、私にはKy1/8Me1/4+1/8=3/8となっているのに対し、当個人にはKyの異母姉妹が1/4Me1/4となることです。Ryの値は互いに1/4となります。さて、Kyの異母姉妹でKyの母とも異母姉妹である女性が多数存在したはずです。すなわち、Kyとは75%同じ血を持つ方々です。以下、これらの女性山脈から上記のようにRyMsを経て派出してきた人間山脈を考えます。ここで問題です。ヒトには23個の染色体対があり、生殖にはそれぞれの対から片方だけが選択される分裂が生じますが、そのパターンは223乗すなわち8388608通りとなります。詳しい計算は省略しますが、これらの人間山脈の内で3人に1人が8回に1回の染色体分裂の割合で私のもつ8388608パターンの1つと一致するものを生産することが可能となります。中には、4回に1回などという人も居るかもしれません。これが男性の場合、自然交配で生産される子供の内で8人に1人の割合で、遺伝的父親を複数持つようになります。私から派出する次世代の染色体を有するからです。骨髄移植で染色体地図まで変えることが出来るはずです。但し、後の章で詳しく解説しますが、生まれて来るまでの胎内での成長には、DNAの作用に違いが生じますから、たとえ生まれた直後に骨髄移植をしても、多少の違いが生じてきます。

     

    さて、ここで問題になるのは、私のパターンの1つと一致する遺伝情報を有する卵子を生産できる女性軍団です。卵子提供に応ずることは確かです。自分の製造する卵子が無駄なく利用されて自分の子供が誕生しますし、月経などと言う厄介ごとからも開放されます。こうした卵子が現時点で何個採集されたかは判りませんが、少なくとも数千個に上っている可能性があります。こうした人間山脈は戦前から高度成長期にかけて出現したからです。幾らでも子供を作って構わない状況だった訳ですし、男の方が遥かに強かったからです。「女性は子供を生む機械」と決めつけて構わない時代でした。そこで本題の「復活」を考えますが、こうした数千個に上る卵子の各々が持つ23個の染色体と対になる23個の染色体を持つ精子が8388608匹のなかで一匹だけ存在します。すなわち、この卵子を該当する精子で対外受精させて人間を製造すれば、それは私と全く同じ人間となります。適合する卵子が数千個の場合、数千の精子につき一匹が該当相手を有することになります。電子顕微鏡で判定する訳ですが、出現する染色体は予め判っていますから、画像認知システムと連動させれば、各精子を顕微鏡の下に置くだけで判定が出来ます。すなわち、以前は数百年費やして行ってきた「復活」が、いとも簡単に実行可能となる訳です。ただし、状況が本当に整っているかは知りません。整っているのなら、特に数的に整っているなら、必ず実行されているはずです。私自身も記憶を辿っていくと、こうした再生産が実行されている気が強くします。果たして確認まで辿り付けるでしょうか。

     

    最近は少子化が問題となっていますが、それに比例して両親の染色体の合致を確認しての次世代生産は既に始まっており、この傾向は増加の一途を辿るでしょう。以前は優良遺伝子所有者が種馬として自然交配をしていましたが、今後は例の「臭い尻」を向けられる拷問から開放されることになります。更には、染色体地図を参考に特殊なDNAの断片を切取り、その部分が欠如している病人の骨髄に移植するなどといった医療行為が既に始まっているようです。これに万能細胞による再生医療が加わり、ヒトの平均寿命は100歳を超えてくるでしょうし、80過ぎても働くのが当り前になると予想します。手前味噌ならぬ手前ヒトゲノムですが、私の持つ遺伝子も大いに活用されていくと自負しています。再生可能な人間の数は大きいと予想します。自分と同じ遺伝子を持つ個体が生産可能とするなら、人生観も大いに変化しますし、「人とは如何なる存在か」などという哲学的問題にも対しても、以前とは異なった見解が生じるでしょう。

     

    以前は自然交配のみでした。近代から現代にかけて、次世代生産技術が飛躍的に進歩した一方、欠陥も露呈されるようになりました。すなわち能力差が優越感になったり、不平等と批判されたりするようになります。一般に「否定」は「肯定」よりも簡単ですが、やたらと相手を批判したりする傾向が生まれますし、何とかしてシステムを切り崩して自らが優位に立とうとする場合もあるでしょう。こうした傾向等はGシステム発展過程で頻繁に生じていたのでしょう。上記にも述べましたが、戦国時代などは極端な例でしょう。あるいは、それが人間なのかもしけません。ある最近のテレビ番組で、「聖徳太子が第二次世界大戦を予言していた」などと取り上げたものがありましたが、原理的には戦国時代のようなものが極限な規模となることを予想したのかもしれません。上記では、文明文化の進歩発展とはGシステム発展過程であると述べましたが、それは世界中でも同様だったのでしょう。次の章では、第二次世界大戦をGシステム発展過程という観点より述べることにします。

    平成の黙示録

    承の章: 裏切の真珠湾

     

    前章では意図的次世代生産の結果として、実力はあるがトップになれない集団が登場することを述べましたが、その弊害が如実に具体化したのが日本軍による真珠湾奇襲攻撃となります。元々は、米国と戦争をする場合の勝利の可能性として提案されたものだったそうですが、余り良いものではなく、それを取下げる役を担った人物が逆に「日本の勝利、間違いなし」などとして引起すに至ったそうです。それどころか、機密情報を米国側に漏洩させたり、嘘の報告をしたり、等々の「バカ」行為を行った人物です。具体的に誰であるのかは特定せず、匿名で登場させることにします。

     

    「序の章」でも述べましたが、私は勝手に自分の名前で大量の電話をかけられ、周囲から些細なことでバカ扱いされたりしました。後の章で詳細を述べますが、この人物が犯したバカ行為が電話犯罪開始の原因となっており、更には、こうした目に遭うことこそが「良い思い」をすることになるそうです。その人物によると、「する思いが良い思い」となってしまうからです。前述しましたように、数学関係者からも「バカ」呼ばわりされましたが、この人物も数学関係の職に在ったそうで、「良い思い」をさせて頂いた御礼もかねて、「バカ」なる概念を擬人化した苗字を付けることにします。擬人化をする1つの手段として、「木」採用し、「バカ木」とします。この「木」ですが、「人」の字に両手を加えて「大」として、股の部分に棒を挿入して「木」となったものです。この「木」の解釈は「バカ木」に相応しいものであり、本人も自らを「黄門さま」と呼んでいたそうです。この解釈に対応した行為を繰返し犯していたそうで、ある朝の煙草一服の際に指に着いた臭いに気付き、考え深げに何かを独白したそうです。ピースという最強ニコチンの両切り煙草がありますが、バカ木は「ピースを吸うことが自分の仕事」として怠慢な人生を送り、最後には気管支を悪くして死んでしまいます。

     

    次に、名前を付けることにします。「バカ木」の特徴として、祖国を裏切ったこと、「黄門さま」などと自称して低レベルな行為を繰返し犯したこと、裏切り行為を誤魔かすために子供じみた提案を強弁に主張したこと、等々が挙げられます。「裏切り行為」と言えば「本能寺の変」が連想されますし、更に、「バカ」の正式な名称は「低能」であることから、「低能児」が適当と考えましたが、どうも語呂が良くありませし、よく考えてみますと「バカ木」の裏切り行為は、明智光秀の場合とは質的にも量的にも掛け離れていますので、単に「低児」とすることにします。聞いた話ですが、この「バカ木低児」は私の母方の曾祖母であるKyの実弟に相当する人物だそうです。すなわち、Kyと両親が同じであり、能力には「高き」ものがあったにも拘わらず、努力を怠り「低き」に流れ、「低児」となったのです。「高き」の「低児」が「バカ木低児」なのです。

     

    さて、私の曾祖母であるKyの系列の人間山脈は、前述のGシステム拡大の際に重要な役割を演じます。当然のことながら、能力がトップである少数の男性と能力の高い多数の女性が中心的役割を演じます。バカ木はKy系列に属する男性ですが、種馬としての能力を持っておらず、悟りを開けば済むところを、職場では絶対権力者として君臨していたこともあってか、しかも、そうした絶対権力が得られたのも意図的次世代生産の恩恵であるにも拘わらず、劣等意識を鬱積させてしまいます。自らを自虐的に「黄門さま」と称し、股に棒を立てるという「木」の解釈に相応しい、同音異義が絡んだ破廉恥行為を繰返したのも、こうした劣等意識のなせる業かと考えられます。しかし、一方ではKy系列の女性軍は貴重な存在で、尊敬の念が寄せられます。当時の女性には何の政治的権利も在りませんでしたから、バカ木のような人物が代表となり、国の進路を決定するトップの会合に出席が可能となります。

     

     

    Ky系列は旧帝国海軍と関係が在り、Kyの生んだ私の祖母は血統的には山本五十六よりも高く、もし男に生まれていたなら日本の黒幕となっていたはずです。更には、私を生んだ実の母も昭和初期に誕生しており、将来的にはMsと交配させて品種を更に高めることも視野に入っていたはずです。女性は政治に関与することはなかったのですが、その血筋は重要なものだった訳であり、バカ木も重要な会議に血筋の代表として出席することになります。昭和天皇が名目上の最高司令官でしたが、独裁を避けるために全ての会議には出席せず、結論の報告を受けていたようです。物の本によりますと、たまに出席した際、米国との開戦を想定した場合を尋ねられた山本五十六は、「半年から一年は暴れてみせます」と答えたそうで、そこから真珠湾攻撃の発想が誕生しました。短期決着なら勝てるという訳です。しかし、そんなに甘くはないことも確かで、「勝てるけれどもやらない」という方向で意思決定を進めるはずでした。「勝てる」と言ってしまった以上、本人自ら取下げることはできません。そこで、このバカ木に代表として出席してもらい、具体的に色々と数字を示して危険度を予測し、負ける可能性が高いことを証明させた上で、「自分よりも挌上の血統の意見」として自らの発案を破棄させる予定だったようです。特にバカ木は数学者ということでしたから、説得性は高いと期待して当然でしょう。ところが、バカ木は逆に「日本の勝利、間違いなし」としてしまい、開戦が会議で決定されます。昭和天皇への報告は、バカ木が自ら行い、「自分は危険度が高いから反対したが、強硬な連中に押し切られた」といった内容の嘘を報告します。当然、戦争終結を仲介する第三者が必要になりますが、その役は言い出したバカ木の責任となり、本人はケンブリッジ大学を通じて英国政府に頼むことにするとして、「大船に乗った気で安心して待っていて下さい」などと言って英国へ向かいます。何でも、こうした重要な役割を英国に担ってもらうため、英国を侵略しないようヒットラーに公式の要請をしたそうです。ヒットラーも同盟国である日本を信頼し、ナチス軍に英国侵略を中止させます。一方では、英国のチャーチル首相が有名な演説を行い、「2000年の歴史を持つ英国が滅亡するなら、最後の1人まで戦おう、絶対に、絶対に、絶対にあきらめるな」と鼓舞します。するとバカ木は、「英国からのメッセージで、最後の1人まで戦え、絶対に諦めるな」などと電報を打ちます。真珠湾攻撃を米国に予め通知していたかもしれません。更には旧日本海軍が互いの連絡に用いる暗号通信の解読法も教えてしまいます。こうして、300万を超える人々が命を落とすことになります。後は良く知られているように、敗戦が決定的になっても日本は降参せず、最後には原爆を落とされ、昭和天皇の鶴の一声で無条件降伏となります。バカ木は帰国し、「大船でも沈むことがある」などと言い、自分の挌上の多くも戦死してしまっており、気にすることなく以前の上層部の悪口を垂れたそうです。バカ木の裏切り行為が戦争裁判で問題にならなかったのは、先ず勝った側の米国の味方をしたこと、次には天皇制から発生した開戦の意思決定であり、裏切り行為を問題にすることは天皇制の廃止に繋がることになってしまい、裁く側と裁かれる側の方針が一致したためでした。こうして、バカ木の裏切り行為は問題とされませんでしたが、忘れられることもなかったようです。「真珠湾を忘れるな」という掛け声は日本側にも在ったのです。

     

    さて、ここに1つの疑問が生じます。それは、バカ木が何故こうした裏切り行為をしたのかということです。もちろん、自分でも「黄門さま」と称しているように、一番にはなれない二番的存在であり、そうした劣等感があったことは確かでしょう。しかし、一般に大学教授は、昔も今も、得てして事なかれ主義です。特に数学関係者は、専門外のことに関しては口を出さないものです。ここでは、「とある第三者からの働きかけが有ったのでは」と疑ってみます。真珠湾攻撃で最終的に最も得をしたのは米国ですが、太平洋と欧州で同時に戦って勝利できる戦力を持っていることが判っていたなら、こうした奇襲攻撃は絶好の機会となります。もし米国側の何者かが、こうした会議の存在を知るに至り、バカ木の役割を知っている場合、米国との開戦を引起してみないかと持ちかけても不思議ではありません。バカ木の劣等意識は、次世代生産に直接参加できないことに根を持っていました。「このような大胆なことをしてくれたら、米国で交配させてやる」などと持ちかけられたなら、特にバカ木は強いスケベ心を持っていましたから、当然の如く乗ってくるはずです。米国人は気前が良いですから、礼金も頂けるでしょう。バカ木は世界中に自らの次世代を生産するに至っていますが、それは本人が持って生まれた血統的資質によるものではありません。真相が果たして何なのかは断言できませんが、米国側が日本の内部情報を入手しようと最大限の努力をしたことは確かであり、その際にバカ木の存在を知るに至ったという可能性は大きいです。そして、知るに至ったのなら、必ず話を持ちかけているはずです。もちろん、米国側に協力をしてしまったバカ木の責任は免れませんが、米国側にも非は在るはずです。そこで、「確かに戦争をしかけたのは日本側だが、切っ掛けを誘導するのは構わないのか」という議論が生じます。聞いた話ですが、バカ木の存在を明るみに出せば戦犯を冤罪にするという取決めが水面下で行われ、その際の書簡がトルーマン大統領により作成されて密かに保管されているそうです。また、バカ木のヒットラーに宛てた実筆の手紙や、英国滞在中の日本との交信記録も存在するのかもしれません。いずれにしましても、戦後の混乱期が過ぎて平穏な日々となりますが、バカ木の裏切り行為は忘れられておらず、ことある度に何かと当て付けを言われてしまいます。当然のことなかがら、本人は発案者に非があると主張しますし、二番目的存在である自分の言い分を実行する側が愚かであると結論しようとします。

     

    バカ木が「黄門さま」を自称して破廉恥行為を始めたのも戦後だと聞いています。戦争で多くの優秀な種馬が死んでしまい、バカ木にも次世代生産に参加する要請が生じたのです。日本側で生き残った主流派は、敗戦からの反省で、例のG(ε)システムを全世界、特に米国へ拡大しようと進出して行きます。バカ木も加わる訳ですが、特に米国側にとっては、以前からの約束があったのかもしれませんし、バカ木の裏切りにより戦死者数を最小に押さえることが出来ましたから、バカ木による次世代生産を受け入れることには依存なかったはずです。しかし、米国でも「黄門さま」の破廉恥行為を繰り返し、最後には「交配の申し込み」を拒否されるようになります。そうこうしている内に、私を生んでくれた実母は、周囲の陰謀によりMsに近親相姦されてしまいます。「同等の確からしさ」を前提とした計算では、不良品が生まれる可能性が高くなりますが、系図を眺めながらの陰謀ですから、成功の可能性が高いと判断したのかもしれません。「同等の確からしさ」で細胞分裂しますが、精子選択の際に卵子との相性が関わってくるそうです。「同じような配合同士で何某が誕生した際には、薄命美人の誕生が少ない」などの情報を系図から読み取ることが可能なのかもしれません。ともあれ、生産される次世代はバカ木の実姉であるKyから派出したものであり、Kyの娘である私の祖母の代理として権力を享受してきたバカ木にとって、更なる「甘い汁」を吸う機会の到来となります。すなわち、「女の子の場合には、是非とも自分に面倒を看させてくれ」というものです。バカ木とKyは既に何回か会っており、KyMeと交配した際の逸話も聞いており、「女として貧乏くじを引いたKyを是非とも可愛がりたい」としての申込みであったようです。女子の場合には、薄命となるのが通例だったのかもしれません。その場合、責任を持って面倒を見る人物が必要になりますから、バカ木の申入れは受諾されたのでしょう。ところが、五体満足な男子が生まれてしまいました。この場合でも、薄命であったり知恵遅れだったりする可能性もありますが、バカ木としては期待外れでした。男子の場合も面倒を看る約束だったのかもしれません。そして、バカ木のバカ木たるに相応しい暴挙に出ます。

     

    先ず、「俺よりも良い思いをするとはけしからん」と言い出します。「良い思いとは何か」という問いに対しては、「俺よりも必ず良い思いをする、する思いが良い思い」などと理屈にならない応答をします。「それでは、どのような取り扱いをすれば良いのかと」という問いに対しては、フランス王朝の滅亡と英国王室の繁栄を例に出し、政治力が1人に集中するのは良くないとし、英国王室のように権力の分散を提案します。具体的には、私の存在要素を分散させて誰が誰だか判らなくしてしまうことだったようです。私自身を含めて、私の生活環境に存在する人々は全員、この「石垣眞人」の血統的背景を知らないようにし、誰だかは不明であるが政治力を持った人物が存在して、その人物の特徴は云々であるとして、私の特徴要素の一部を知らせしめるのです。そして、その一部をたまたま持つ人々にイメージを与えるのです。当然のことながら、私以外の他の者が政治力を持つ人物と見なされるようになり、あるはずのない権力や利益を一時的に得てしまいます。「そのようであって、そうではない」といった具合になります。権力を持つとされるに至った人物には、「あなたの権力は実は誰々の友人からのものである」として私の友人の名前を告げる、というような提案だったのでしょう。「脱構築」と呼ばれる論理法がありますが、その論法で言えば、「この人間的存在を脱構築しろ」と言うことになります。すなわち、存在要素全体の異なった一部一部を絶えず表象化させ、多様な意味を常に流動させることになります。これは、社会における当個人の存在を不安定にさせるものであり、大変に危険です。本人は、自分が誰であるかが判らず、更に、こうした取り扱いにより、精神的拷問を受けることになります。バカ木の提案は、「精神分裂病患者にしてしまえ、ポックリ死させてしまえ、殺されてしまえ、人殺しに仕立て上げろ」等々といった命令と同義になってしまうのですが、こうした脱構築理論はハイデガー研究の一部として知られているくらいですので、おそらく理論的には整然とした具合で説明をしたのかもしれません。そこで、「本人の名前で勝手に電話を掛けられまくり、意味の流れに妨害が生じたらどうするのか」という質問が問われます。

     

    さて、バカ木の提案には、その他に、「お金を貰ってはならない」と「周囲の者は、後々の利得を考えずに、純真な気持ち、例えば本当に可哀そうに思って、等々で取り扱いをする」というものがあります。妨害電話の質問に対する成り行きは後述することにして、先ず、この二点について述べることにします。電話犯罪に関連してくるからです。

     

    私の母方の曾祖母であるKyの実弟に相当するのがバカ木であることは既に述べましたが、バカ木がKyの代理であるなら、当然、2人は実際に会って話しをしています。Kyは能力に高いものを有していたにも拘わらず、更にはMeの子供を生んだにも拘わらず、家事のみの一生を送りました。詳細は述べませんが、貰えるはずのお金を貰えなくしてしまった仇の娘を引き取って、恨みをはらすことなく大事に育て上げ、「和を尊しとした」ということでお金が頂けるはずでしたが、バカ木の裏切り行為は忘れられておらず、何も良い目に合うことなく一生を終えます。私の祖母、すなわちKyの娘も同様に質素な一生を送りました。バカ木とKyは、何度か会って話しをしていたはずですから、当然、「貰えるはずのお金が貰えなかった」、「お金は貰えなくても、自分は仇の娘を可哀そうに思い、後生大事に育てた」、「相手が誰だかを知った上で行う親切行為は本当のものではない」、等々の内容を語ったはずです。上記の主張には、こうした背景がありました。しかし、どうして暴挙に至ったかを考えますと、バカ木の犯した裏切り行為はKyの意向を反映していたものではなく、にも拘わらず負目はKyのものとなり、更には周囲からの圧力もあったでしょう、バカ木も人の子だったのでしょう、いずれにしましても、バカ木の行動判断の愚かさが見られます。もし女子が生まれたなら、面倒を看ることにより政治力を得ようとしたのかもしれません。当然、Kyが優遇される方向で事々を進めて行きます。裏切り行為を揉み消すことも可能となります。男子が生まれた場合も想定していたはずであり、こうした暴挙は自らを無視させるためだったのかもしれません。「そんなに良くない作戦なら、自分の言うことなど無視すれば良かったのではないか、実際、こうして無視されたであろう、発案したり実行したりした側に落度が在る」と言える状況を作ることを目的としたのかもしれません。

     

    さて、話を元に戻し、妨害電話に関して挙げられた質問に対して、バカ木が行った反応を述べることにします。それは、「完璧な対策がある」というものでしたが、具体的には何も言及せず、「その対策とは何か」という当然の質問に対しては、「そんなことも解らないのか、そんなことだから真珠湾攻撃などという愚考を犯し、最後には神風特攻隊などという無謀な作戦をするのだ」などと言い出します。どのような受け答えが具体的に行われたのかは不明ですが、バス木としては無視されることが目的ですから、更にはバカ木の人物像から判断しましても、相当に滅茶苦茶な詭弁強弁で主張したのでしょう。何でも、「300万人も死んだというのに、少しは口を慎まないか」と言われても、「何を言うか、1人でも300万人でも単なる整数に過ぎない」などと言い返したと聞いています。神風特攻隊についても、「気違い沙汰」とこき下ろすバカ木に対して、「志願すれば親兄弟の名誉となり、後々には一家の益になる」という返答に対しては、例の「報酬を期待しての行為はけしからん」などと返答したそうです。無視されようとして行った暴挙が、逆に無視できない状況を生み出したのでしょう。かくして、バカ木の主張する条項は受け入れられ、「する思いが良い思い」といった主張のせいで、私は左後頭部を凹まされてしまいます。物心ついた頃から、常に「キーン」という金属音が聞こえており、眠れない夜には、まさに拷問です。左後頭骨部の一部が脳と接触しているためで、そのため、私の手書き文字は下手くそであり、短期記憶能力に障害を起こしているため学習能力が低下します。速読が苦手となり、口頭での反応が遅延気味となり、運動能力にも支障を来します。既に述べましたように、名前を勝手に使用されて中傷電話を掛けられると、極限の過小評価を受けるに至るのですが、こうした障害は致命的なものです。更には、生まれた直後に女性ホルモンを注射されており、成長期には女性と同様に乳房が発達し、女性の上半身を持つようになりました。「男らしさ」が風潮の時代に育ちましたから、さんざんバカにされました。どれだけ残酷な目にあったかをバカ木は知っているのでしょうか。これが「良い思い」などとは、一体どうなっているのでしょうか。バカ木から派出した次世代で構成される集団が在り、バカ木の本名に「連盟」付けた名称で呼ばれているそうで、ここでは「バカ木連盟」としますが、その「バカ木連盟」の連中には是非とも御礼をしなければなりません。

     

    バカ木の提案が実行されることになり、私は自らの本当の素性は教えられず、それどころか、真っ赤な嘘を信じ込まされることになります。真の素性の特徴要素は分解され、存在環境の個人個人の間で分散されてしまい、「斯く斯く云々のような人物が存在する」という観念が浸透し、格好を付けるのが旨い連中や肥満体の連中が得をするようになります。例の中傷電話犯罪のせいで、私は最低の扱いを受ける訳ですが、こうして得した連中も迫害に加わります。私が自分自身に対して抱く思いは、この「斯く斯く云々なる人物」が私に対して抱く思いとなります。例えば、自分に満足していなければ、この権力者は[石垣眞人]に不満足である、自殺を選択肢に入れた場合、「石垣眞人」を殺すことを想定内に入れている、などとなってしまうのです。一方では、こうした不安定となった存在を補助する役割を担う連中、すなわち、私が「良い思い」をするよう支援する連中が要請される訳ですが、当然、私の血縁的関係は明確にされず、純粋に支援のための支援が期待されます。当然のことながら、その中心的役割はバカ木連盟が担うことになりますが、何もする筈がありません。

     

    私は寄宿舎制の中学に入学します。寮では奴隷の如く扱われ、激しい苛めを受ける訳ですが、バカ木連盟は知っていても何もしようとはしませんでした。バカ木連盟に属する4年先輩が同じ寮に寄宿しており、私が何をされているか知っていたはずです。実際、その先輩には呼び出され、私は家族関係を問われ、真実と信じ込まされていた家族構成を語ります。すると、「ばか者、何を間違っているのだ、何もしない、自分で行って来い、入れるようになっているはずだ」などと激しい口調で喚き立てます。私には何のことか解らず、一方、その先輩は寄宿舎を出て遠方の自宅から通学するようになります。「知らぬ、存ぜぬ」という訳でしょう。寄宿舎生活も二年目以降は楽になりますが、私は周囲の影響で不良の道を歩むことになります。そんな時、他人の名前で勝手に電話をしてみないかと誘われますが、下らないと思い辞退します。更には、「人を殺すとは何か」というような質問が流行し、それに関連し、「米国に留学し、先生がやって構わないと言ったので、多くの人間を一人一人連れ出して殺しまくった」という人物の噂を耳にします。何でも、私の地位にあるよう見せかけるつもりだそうで、「関西学院」という言葉を聴いたように記憶しています。序の章で言及した人物のはずです。そして、やっと今になって確信に至ったのですが、それ以降、私の名前を勝手に名乗る電話犯罪が開始されたのです。実際、私に同様の電話をしてみないかと勧誘した友人からは、私の名前で電話をするらしいが構わないか、と問われ、訳の解らないままに承諾したことを憶えています。後で耳にした話ですが、私の遺伝子による次世代が生産開始となったのも同じ頃で、次世代生産の貢献として大学卒初任給程度の小遣が貰えるはずでしたが、電話犯罪により阻止されてしまいます。色々と手を打ってくれる筈の方々に対して、私の名前を用いた中傷電話犯罪が行われたのでしょう。更には、「功績はないが、コの字が大きく、元総理大臣の年金と同額を許可」と意見して下さった方が居たと聞いています。

     

    ところで、バカ木連盟は何をしていたのでしょうか。私の処遇に関して100%の実権を握っているのですが、何も行うことなく、更には、私の名前で電話するよう指示したのも、バカ木連盟の1人だったと理解しています。何でも、とある政治家先生だそうで、バカ木の裏切行為が発端で誕生した憲法九条を擁護する先頭に立っていますが、全く呆れてしまいます。「自分の選挙区で票さえ集まれば、それでいいのだ」などと言って、私の名前で電話するように指示したのでしょう。バカ木連盟が自ら、自分たちの名前で中傷電話を掛けさせて、バカ木の主張した「完璧な対策」の存在を証明しなければならないはずですが、それどころか、自分たちに火の粉がふりかからないよう、面識のない他人を指定したそうです。更には、「この程度の人間を作る必要などない」としてしまいます。実際に、バカ木連盟の数名から、「お前など居なくて良い」などと憎憎しげに言われたことが何回かありました。この件に関しては、後の章で詳細を述べることにします。ここでは、60年以上も前に犯された裏切行為が、今日も尚、解消されていないこと、バカ木連盟が「事なかれ主義」で誤魔化そうとしてきたこと、そして、誤魔化し切れていないことを述べておきます。

     

     

     

    転の章: ヒトゲノムの表象

     

     

    起の章では、意図的次世代生産について述べましたが、その副産物なのでしょう、この国では他人を勝手に巻き込んで生体実験をする傾向にあります。人材を資源と考えて育成してきた訳であり、その取扱い方法を模索する意図なのでしょうが、勝手に利用されるものにとっては堪ったものではありません。今回の佐世保乱射事件も、そうした風潮から発生したものです。もちろん、それだけではありませんが。今になって振り返りますと、私自身も、自殺、暴力事件、銀行強盗、交通事故死、精神病院入院、等々に至るよう、色々と仕掛けられてきました。昨年のバージニア工科大学乱射事件にも、私を亡き者にしようとする意図が読み取れます。実際、私も同校在学時には、同様の乱射事件を起こさせようと仕掛けられました。更に、同様の乱射事件が多発したのですが、こうした経緯を知合いの教授にメールで通知したにも拘わらず、何の関連報道にも至りませんでいた。去年の暮れから新年にかけて、”Don Quixote in Fashion” なる表題の論評を書き、米国の主要報道機関に送付しようと考えていましたが、そうした中で佐世保乱射事件が発生し、新年には序の章の書簡を佐世保警察と大阪弁護士会に送付するに至った訳です。

    平成の黙示録

    さて、ここで思い出して頂きたいのは、バカ木連盟の主張である、「こんな人間など、わざわざ手間掛けて生産する必要なし」という言い分です。連中にしてみれば、これらの乱射事件の犯人との遺伝的関係を確立したいはずですし、「この犯人はお前の遺伝子から派出したものである」、「あの犯人はお前の遺伝子に近似している」などと言い出しても不思議ではありません。前述しましたように、バカ木連盟の数名から、既に「お前なんか居なくて構わない」などと侮辱されています。こうした危機感から、10億にのぼる各個人の遺伝子が、如何に外的に現れるかを観察するようになりました。具体的には、手鏡を2個購入し、自らの面構えを粒差に観察し、私自身に似ている個人個人を特定しようとするものです。以下に述べますが、私から派出した次世代が多数存在しているはずで、以前から何となく気付いていた事実の正確化を目的としました。具体的な人名には触れません。「如何なる観察で、私自身からの次世代を認識するか」について論じます。私を闇から闇へ葬り去ろうとしているのはバカ木連盟のみではないようで、こうした一連の敵に対抗する意味があります。

     

    もちろん、最近ではDNA鑑定という方法があります。最も簡単な方法では、各々の染色体の形状で決定するものです。すなわち、親子かどうかを判定する訳ですが、両親と子供が持つ染色体の各々に対して16箇所の凹凸を計量して、3人の持つ染色体全てのタイプを各々決定し、子供の染色体対の各々が両親からのものであるかを確認するものです。否定の場合は、すなわち、子供の持つ一つの染色体対に、両親の持つ各2個で合計4個の染色体以外のタイプが出現する場合、親子関係は否定されます。しかし、この鑑定に合格したとしても、親子である確立は100%ではありません。私が読んだ新聞記事では、99.9%とありました。ただし、これは両親と子供の3人を調べる場合であり、片親と子供の場合を調べても、すなわち、子供の各染色体対に対応する片親候補の染色体対の片方が揃って出現しても、もう一方の片親との一致が確認できない訳であり、「ああ、そうですか」といった程度のものとなります。ただし、「揃って出現しない」場合は、100%の確かさで親子関係は否定されます。ここで紹介している方法は、とある新聞記事からの受け売りなのですが、米国で最近販売になったDNA鑑定キットに関する記事で、日本円で2万円も有れば鑑定できるそうです。これで判定不可能な場合は、各染色体を構成するDNAを調べることになります。私には専門知識がありませんが、各染色体内のDNAに記録された情報を元にヒトの全体が発達すると理解しています。それらを「ヒトゲノム」と称するそうです。ヒトには外面的特長と内面的特長が在りますが、それら全ての詳細がヒトゲノムにより決定されます。ヒトゲノムの研究は始まったばかりで、片親と次世代の親子関係を完全決定するには至っていないと理解しています。更には、骨髄移植によりDNAを変えてしまうことも可能となり、100%の肯定は出来るものではありません。出来るとしても費用が法外となり、実用的ではありません。しかし、観察により見通しを立てることは可能であり、それに関連して色々と気の向くまま述べて行くことにします。

     

    人間の自己認識は曖昧なものです。黒人一家に白人の子供を育ててもらい、黒人として育てると、やたら日焼けしたりして肌の色を黒くして同化しようとます。足の短い少年に、「足が長い」と吹き込むと、長いズボンを股に食い込むまで引き上げて穿くようになります。私も戸籍上の両親に幼年の頃から嘘を教えられ、この愚か夫婦を生物学的に本当の両親と信じて育ちました。自らの顔立ちの特徴を他人のものと比較しないよう、強く戒められました。差別に繋がるものであるとし、大変に厳しい口調であったことを覚えています。自分と他人の違いを認識するだけのものであり、特に改まって訓戒をすることもないはずです。しかし、こうした嘘の継続維持には論理的一貫性が欠けるものであり、バージニア工科大学で代数学の研究に没頭していた際に気が付きました。訪ねて来た戸籍の母親を問いただしたのですが、幾ら言っても納得せず、挙句の果てには「ならば、私が不倫でもしたと言うのか」というようなトンチンカンな論法を振り回す次第でした。明らかに嘘であるのに、それが真実であると主張して引かないのです。上述のDNA鑑定という手立てもありますが、その為の手続は大変です。しかし、以下に述べるように、ヒトゲノムの表象を観察すれば否定は明らかです。相手が納得してもしなくても、勝手に決めつけることが出来ます。

     

    さて、私は自分自身について何の真実も知らされないまま、中学1年から寄宿舎で生活することになります。中学2年の夏休みの終り頃に早めに帰京し、示し合わせて帰ってきた同級生と、他に誰も居ない寮での自由を満喫するに至ります。その際、ヌード写真を見て興奮するよう頼まれ、気が付いたら「白い毒液」を採集されてしまい、「子供を作ってやるから」として持ち去られます。それ以降、高校1年で退学するまで、何度かに渡り遺伝子を採集されます。聞いた話なのですが、私の名前を使用した電話犯罪が始まった理由として、何も行動を取らないバカ木連盟が「やってみろ」とけしかけたこと以外にも、私の次世代が生産開始となった記念の意味もあったそうです。いずれにしましても、かなりの数の次世代が誕生したらしいのですが、こちらとしては全く実感が沸かず、不良少年としての道をまい進して高校1年で退学します。戸籍上の父が住んでいた高知県土佐清水市の公立高校に編入し、学力回復のために猛勉強を始めますが、ある日、戸籍の父から遺伝子の提供をしたことがあるかと尋ねられ、その事実を肯定しますと、「いいか、子供とは結婚した相手とのみ作るものだ、それ以外の子作りは罪だと聖書に書いてある、お前のような出来損ないは結婚以外での子作りは考えてもならない」などと強く戒められます。この男はキリスト教の牧師をしていましたが、旧制台北高等学校で留年になるところを戦争に救われ、本土の高校への編入にも失敗し、劣等感と飢えしのぎの目的で牧師となった人物です。世界最低の親父でした。私の父親を務めることにより数々の恩恵を受けたにも拘わらず、全く何も伝えてくれませんでした。これ以上は言及しませんが、生きていたなら尻を蹴っ飛ばしてやるところです。

     

    私の遺伝子による次世代について最初に耳にしたのは高校1年の時で、言語の獲得に優れているとのことでしたが、実感は全く沸きませんでした。「電話がどうのこうの」と耳にするようになったのもこの頃です。実感が沸き始めたのは1980年代の後半で、バージニア工科大学で数学を学んでいた時でした。「このような娘が1人いる」と折に触れて聞いており、何のことだか解らないまま記憶に保留していたのですが、その記憶に合致するのではないかと思われるテニス選手が登場するに至ったのです。それ以後、何となく「そうではないかなぁ」といった複数に遭遇したり、テレビで注目したりするようになりますが、勉学中心の毎日に忙しく、もう少し落ち着いてからと考えていたものの、ご存知の陰謀のため日本帰国を余儀なくされてしまいます。帰国後も、こうした「そうではないかなぁ」といった複数がテレビや雑誌に登場しているのに気が付きましたが、何か行動に打って出ることはありませんでした。今のように記憶が鮮明ではなく、どうして思惑通りに事々が運ばなかったのかを考えるようになったのは帰国後のことで、電話犯罪の事実の確信に至るには数年かかりました。人間の記憶は孤独な状態で最も研ぎ澄まされるもので、電話犯罪の被害に遭ったからこそ極限なまでの孤立状況に至り、そのおかげで全てが鮮明となってきた次第です。そして、何とか電話犯罪を止めようと考え、そのためには個人主義が徹底している米国から攻めるのが有利として再渡米を計画しますが、そうした中で例のバージニア工科大学乱射事件が発生します。その時までは、せいぜい他人名義の中傷電話であろうと考えていましたが、実は建物の名前を使った犯行であることは即座に判りました。犯人の韓国人学生の写真とビデオが公開された時、例の「そうではないかなぁ」という感覚との一致に近いものを覚えました。この韓国人学生が何故犯人に選ばれたかも確信に至りました。そこには卑劣な陰謀が在り、それに対抗するためにも自らの人相を研究する必要に至りました。更には、人相のみがヒトゲノムの表象ではなく、その他の要素も総合的に考える必要があるようです。前述しましたように、片親と子供の親子関係を完全に肯定することは殆ど不可能ですが、否定の場合は簡単です。否定判定が難しい場合は存在しますが、否定が明白の場合は打って出ることが可能です。そこで断言しますが、この韓国人学生は私から派出した次世代ではありません。しかし、私の存在は抽象的にしか知られていませんから、「こういう事件を起こす人間なのである」と宣伝するには充分なのかもしれません。その詳細は次章で述べることにします。

     

    そこで、テレビや雑誌に登場する人々を粒さに観察し始めたのです。中々に大変でしたが、一方では、どのように意図的次世代生産が行われてきたかを知ることが出来ました。前章で述べましたように、私と75%以上同じ血統を持つ人間山脈が存在するのですが、テレビや雑誌に登場する人々の派出元となっているようです。特に、75%を遥かに超えて、私と非常に近い遺伝情報を持つ人間が複数存在するようです。彼等の染色体分裂の中には、私の染色体分裂の1つと同じ対が出揃うものが生ずる訳であり、そこに現れる23の染色体対の片割れは同一血統からのものですから、そうした染色体対と合体して生産された個人は、遺伝的には私の子供となります。染色体内のDNAは違ってきますが、骨髄移植で同じものに出来ます。このようにして誕生した個人と母親を連れてきて、上記のDNA鑑定を行っても否定は100%不可能となります。逆に99.9%肯定の判定を受けるはずです。しかし、胎児として成長する間は、本当の両親からのDNAにより発達が決定されます。そこから微妙な違いが外的にも内的にも生じます。但し、違いは本当に微妙であり、それを探知するには訓練が必要です。本年の1月から観察を始め、4月の下旬になって漸く判断に自信が持てるになりました。否定の場合は100%ですが、肯定の場合は飽くまで非常に高い可能性となります。以下、具体的に説明して行きます。

     

    先ず、骨格の発達は染色体内のDNAに記録された情報で生成されます。ここでは顔つきを決定する顔骨の凹凸について考えます。骨の凹凸は必ず次世代に受け継がれることが知られています。例えば、頬骨の大きな親からは頬骨の出た子供が生まれます。但し、相手の片親の頬骨が小さい場合には、それに相応して小さくなります。足して二で割ったようになるはずです。私の顔つきの特徴は、大きめな上顎と小さめの下顎とキツネ型の鼻面にあります。横から見ると、目の辺りから下顎の線の真ん中ぐらいまでに薄っすらと線が生じ、その先にキツネ型の鼻面が装着されています。同様の顔つきは珍しくなく、例をあげれば、小泉純一郎前首相やサッカーの三浦和良選手の顔つきに近くなっています。運動選手に多いタイプですが、私の場合には頬から下顎への線が誰のよりも角度が大きく前方に突出しています。これは、私の母方の曽祖父と父方の祖父が同一人物であることに由来します。前述しましたように、私と75%以上の血統を共有する人間山脈が存在するようなのですが、私と決定的な違いは、このMeなる人物の入り方であり、私の場合は3/8で彼等の場合は1/4であることです。上顎の大きさはMeからのものですから、1.5倍の違いが生じます。キツネ型の鼻面は、もう1人の祖父であるRyからのものですが、上顎が大きい分、鼻面が小型となり、その違いの比率が普通の人と掛け離れています。下顎の発達していない子供の顔つきに近くなります。私から派出する次世代は、大きめの顎を持って生まれ、下顎が平均よりも発達しないはずです。下顎を動かすための筋肉量も平均を超えています。口内から食道への入口も大きくなっており、呑み込む力が強くなっています。その入口は気管支への入口でもあり、発声の際に振るわせる筋肉の位置が平均より下になっています。当然、発声にも違いが生じ、平均よりも早口となります。以下、外観的にどのような特徴が表象するかを述べます。

     

    自らの遺伝子で生産された個人を判別しようとする訳ですが、先ずは上顎のサイズと鼻面を見ることになります。上記のような特徴が現れていれば良いのですが、母親の遺伝情報も入っているため簡単ではありません。特に、母親にエラ顎や大型の頬骨が付いている場合には、そう簡単に見えてはきません。そこで、口元を観察します。口は小さめのはずですが、母親の口が大きい場合には普通サイズに近くなります。唇の両端を引っ張った状態での様子を観察します。上顎が普通よりも太いはずですら、その顎で頬の肉がせき止められ、唇の両端は頬の内に埋没します。普通サイズの上顎にエラが付いたような場合、私のものと同じに見えますが、唇の両端を引っ張ると、頬の肉が後ろに逃げてしまい、顔全体が膨らみ唇の両端は埋没しません。私の遺伝子では、笑い顔になると、頬肉が前方に突き出して尻顔になります。ちなみに、頬肉を前方に押し出すのは、太めの顎骨と上下顎を繋げる筋肉です。特に、筋肉の存在は重要です。何の表情もしていない場合、「そうではないかなぁ」と思ってしまう個人が多数存在するのですかが、この筋肉が付いていないため、頬肉を引いた際に出来るダイヤモンド形の横列の2頂点が後方に流れてしまいます。以前は何となく好感度などで候補者に挙げていた中に、こうして却下したのが多く存在します。また、母親の頬骨が大きい場合、上顎が普通サイズでも頬は盛り上がりますが、その際もダイヤモンド形の横2頂点の引かれ具合で判断可能となります。鼻面のサイズは母親のものと足して2で割った具合になりますが、例え母親のサイズが大きくても、小さめとなって表象します。更には、上述しましたように、発声にも特徴が生じ、音節をはっきりと早口で喋ることが可能となります。空気の鼻への流入を遮断するため、鼻声になる傾向にあります。不思議なことに、こうして候補者を絞り込んで行くと、他の特徴である目鼻立ち等も似通ってきます。

     

    こうして何度も試行錯誤を繰り返し、最近になって相当の自信で候補者リストを作成しました。具体的な名前は述べませんが、歌謡芸能界では女子が10名程度、男子はゼロ、但しロックをやっているのが1名、女子柔道2名、男子柔道1名、男子水泳1名、プロ野球6名、サッカー1名、大相撲1名、といった候補者に注目しています。但し、これは飽くまでも候補であり、何度も繰返しているように、100%の肯定は不可能と考えています。その他、リストには入れなかったものの、気になる一団が存在します。そこでふと思い出したのは、卵子提供をする女性が多く存在し、その中に私の実母も含まれていることです。更には、私の染色体分裂と同じものを出せる人間山脈が存在し、そこから生産される次世代のDNAを骨髄移植で変えてしまうことも可能です。特に、私の実母の卵子を使用して生産した次世代が存在するはずで、「あれがそうではないか」といった候補者もリストアップしてあります。しかし、こうした努力は余りしたくないものです。どこかに信頼出来る記録係りが存在するはずであり、 一番手っ取り早いのは、そうした情報源を利用することなのですが、私に嘘を思い込ませたまま闇から闇へ処分しようとしている連中が存在し、その中核はもちろんバカ木連盟なのですが、そのような情報の開示を不都合とするはずであり、そう簡単に事は運ばないでしょう。次章では、連中の陰謀手口について述べることにします。

     

     

     

    結の章: 策略の崩壊

     

     

    バカ木連盟の作戦は、何もしないで観ているだけ、勝手に旨く行った場合には自らの功績にするか、もしくは「それ見ろ、良い思いをした」と主張することです。一方、私には数々の残酷な試練が課され、バカ木さえ居なければ素晴しい人生が送れていたところを、ひどいことを言われたりやられたりして、今ではホームレス寸前の状態に陥っています。それでも、今流行している銃乱射事件を犯したり、自殺したり、精神病院に入院したり、といった事態は回避できました。一方では、私に本来在って当然の人間関係が存在するのですが、バカ木の指示により、そうした関係が具体的に明確化されることはありませんでした。バカ木連盟の紹介によってのみ、そうした方々との関係が成立するよう仕組まれているようです。バカ木連盟自ら、私の名前を勝手に使用した中傷電話をするよう指示した訳ですが、そして、それは自分たちが被害に遭わないためという卑劣な考えからかもしれないのですが、そのお陰で私の人生は本来のものとは掛け離れた惨めなものとなった訳です。それでも何とか一流の私立大学に入学し、短い期間ですが「青春の謳歌」といったものを体験することがありました。その際の連中の作戦は、私が結婚でもしたら特別な贈呈品でもして、「良い思いをした、めでたし、めでたし」というものでした。しかし、篠原の電話犯罪は容赦なく継続し、せっかく築いた友人関係も消滅し、私は自閉症気味となって1人で殆どの時間を過ごすようになります。こうしてバカ木連盟の楽観的作戦は見通し困難となります。そこで次の口先技として、「この程度ならば、もともと存在する必要はなかった」と主張するようになります。従来の意味での「良い思い」などとは掛け離れた状況に在りましたから、そうした疑問に対する予防策だったのかもしれません。そこで聞いた話ですが、バカ木と私には同様の遺伝タイプを持つ女性からの次世代男子が生産されているそうで、両方とも野球選手を目指して同様の環境が与えられたそうです。バカ木の次世代の方が年上で、途中で挫折して会社員となったそうです。私の次世代がリトルリーグで野球を始めた頃、このバカ木の劣等次世代は、自分に無理だったプロ選手などには絶対に成れず、いずれは自分と同じように会社勤めとなることを断言したそうです。そこでバカ木連盟の連中は早速、「会社員しか生産できないようなら、わざわざ居なくても構わないということ」などと切り捨てるに至ります。実際、私もバカ木連盟の何人かから憎々しげに、「お前など居なくて構わない」と言われた経験を持ちます。それは既に20年以上も前の話ですが、果たしてどうなったのでしょうか。確か名古屋方面に在住の野球少年の話だったようですが。私自身は運動選手として一切活躍したことはありませんが、自らの運動能力には多少の自信を持っています。バカ木連盟の思惑は外れたものと確信しています。

    平成の黙示録

    もう1つ聞いた話を述べます。私は中学一年から寄宿舎生活を始めましたが、バカ木連盟に任された責任として、私と私の本族との間を取り持つ役を担うよう期待されます。親玉であるバカ木低児の元々の主張に基づくもので、バカ木連盟に一切全ての責任が任されていたようです。それでも、どうせ口先でかわすのみで何も実質的なことはしないであろうとして、踏み入って仲を取り持ち、私をしかるべき境遇にしようと努力した方々が存在したようです。特に、私の遺伝子による次世代が誕生した後、そうした動きが発生したはずです。もちろん、バカ木連盟は何もすることなく機会を伺って、「それみろ、良い思いをした」などと言おうとしたはずです。私に対する電話犯罪が開始されたのも、こうした経緯があったのでしょう。これらの気の利く方々を攻撃する電話が掛けられたはずです。こうした中、私がどうしているかを本家に報告することになりますが、バカ木の主張する「存在要素の分散と抽象化」が実行されており、断片的な情報しか伝わらなかったようです。以下、その例を述べます。

     

    私は不良少年の道を歩んでいましたが、その中でもジャズ喫茶に通うようになったのですが、何人かの仲間と入ったジャズ喫茶でファラオ・サンダースなる歌手の歌が流れ、皆で大喜びしたことがありました。”Prince of Peace” (平和の王子)という表題の歌で, ”Prince of peace”なるフレーズが軽やかに繰返された後、「テイホー」といった言葉を発して絶叫しまくるというものでした。特に私が喜んだのではなく、仲間たちが大笑いしただけだったのですが、私の聴いている音楽として本家に紹介されたようです。ここで重要なのは、この歌が破壊的特色を持っているところです。無闇に訳もわからず攻撃するイメージがあります。本来なら、中学に入った時点で本家に紹介されるはずでしたし、その全責任はバカ木連盟が担っていたのですが、既に説明した経緯により30年以上が経過してしまいました。バカ木連盟としては、ここまで長引く前に勝手に自滅することを予期していたのでしょう。ところがその思惑は外れ、何とかして闇から闇へと考えて当然でしょう。本家に伝わっているイメージに合致した理由を作り出す必要が生じたのです。すなわち、「この男の遺伝子は、銃乱射事件を引起す特質を持っている」などと言いたいのでしょう。ここで、バカ木連盟が取ったであろう作戦を具体的に推論することにします。と言いますのも、バカ木連盟と同様に、「銃乱射をするから」と言いたい人物が登場したからです。バカ木連盟を補助する集団が存在し、篠原も電話人として属しているのですが、その人物に自分たちの責任を丸投げして、補助集団と連結させたようです。すなわち、その人物の指示の下で全員が行動を取るというものです。以下、その経緯を述べることにします。

     

    私は1987年から1991年にかけてバージニア工科大学に在籍しましたが、例の電話犯罪により教授連中からリンチまがいの不当な扱いを受け、学位取得することなしにテネシー大学へ移ることになります。電話犯罪の特徴は、自分の名前で電話されていることが表面に現れないことです。単に不快感の対象となってしまい、相手は衝動的に行動するようになります。私自身も、電話犯罪の存在を確信したのは帰国してからでした。さて、ここで問題ですが、こうした電話犯罪を行うには、電話人に情報を提供する必要があります。私の生活環境に存在する人達について出来るだけ詳細な情報が必要になりますし、電話で吹聴する相手の電話番号も知らなければなりません。それは内部者の存在を示唆します。その内部者自身は攻撃を受けないか、受けても軽いものとなります。本当に攻撃を激しく受けた人の反応は、まさに腸が煮えくり返る様相を呈します。内部者の場合には、それが在りませんし、自分の提供した情報により取り乱している人達を眺めてニタリとします。こうした判断で当時を思い出してみますと、バージニア工科大学での情報提供者は、ウィリアム・フロイドという男になります。同校数学部の助教授、私が在学中に准教授となった人物です。ここで断言しますが、この男は間違いなくバカ木連盟に属する人物です。専門も私と同じ分野ですが、育ての父親の七光りで何とか大学に残った経緯があり、頼まれても断れない立場にあったのでしょう。論文は出ていますが、研究業績は皆無であるどころか、呆れる間違いをしています。性格的にも裏切り者のバカ木低児を受け継いでいたのでしょう。私は、2006年の5月に復学願いを提出し、同年の9月からと希望したのですが、時期遅しで20071月からの願書となりました。コンピュータに関連した勉強をしたいと申し出たのですが、ならばコンピュータ学部に応募するべきとの回答で、それならば、と1月入学で応募しました。この過程において、私がバージニア工科大学に復学しようとしている情報は、同校からでなくては漏洩しません。というのも、私の人間関係は電話犯罪のために全壊しているからです。間違いなく、このフロイドからバカ木連盟に伝わったはずです。詳細は述べませんが、妙な具合に翌年の秋入学へ延期となり、最終的には紋切り型の理由で断られることになります。断りの通知は、例の乱射事件の発生から数日後に届きました。以下、その経過を推理します。

     

    私は1991年にテネシー大学ノックスビル校数学部に移ったのですが、その時点では電話犯罪を意識してはおらず、頑張って良い仕事をすれば道が必ず開けると考えていました。既に述べましたが、教授連中には敵対されたり無視されたりするようになり、専門分野が同じであるイギリス出身のアホ教授のお陰で、数学の道を断念せざるを得なくなりました。たまたま、フランス語を勉強していましたので、欲求不満から外国語学部フランス語学科に移ることになります。詳細は述べませんが、私の実母は有名なフランス人小説家に騙されてしまい、挙句の果てに私の実父に近親強相姦されて私を生むに至るのですが、バカ木による家騒動を避けるためにも、このフランス人小説家が私をフランスに引き取って育てることになったらしいのです。私が左後頭部を凹まされて、「キーン」という金属音を常時耳にするようになったことを知り、私を自動車レーサーに育てようと考えたらしいのですが、友人に高速運転を実演して貰った際に、カーブを回りきれず、車は横転して2人とも死亡してしまいます。結局、私のフランス行きは実現しませんでした。この事実は長年に渡って理解するに至ったのですが、自棄を起こしてフランス語を始めたのも、1つには「数学よりも更に役に立たない学問をしてやれ」といった気持ちがありましたが、それ以外にも、「フランスで育っていれば随分と違った人生だったのでは」といったノスタルジアのようなものもあったのです。更には、「フランス語をマスターしたらフランスへ行けるようにしてやる」などと偉そうに言った何人かが居ましたので、ひょっとして道が開けるのでは、という期待もありました。しかし、電話犯罪は継続しました。数学部に在籍の際には、電話をしたかと何回か尋ねられ、「自分は電話など殆ど利用しない」と答えたものですが、こちらとしては何の身にも覚えのないことなので、電話犯罪を意識することはありませんでした。フランス語学科に移っても同様の電話が続いたのですが、状況が多少異なってきました。教授連中の間で下らない派閥争いが存在し、それに電話犯罪が絡んでしまったようなのです。その派閥争いで最も下らない努力をしている人物こそが、上述の「銃乱射をするから」と言いたい人物なのです。名前はジョン・ロマイザーと称し、篠原、バカ木、フロイドと同様に、大学機構が生み出した最も下らない価値観を体現している人物です。以下、このアホ教授について述べることにします。

     

    元々は数学論文を読むためにフランス語を始めたのですが、ただ読み方を学ぶだけでは物足りず、教養レベルのコースを独学していました。独学といっても、ビデオを暇な時に図書館で眺めていただけですが。それでも、いきなり大学3年生の専門授業を履修するようになりました。数学部の連中に嫌気がさしていた時期でしたから、そちらの方に興味を持つようになりました。おおよそ全ての言語の中で、最も厳密に管理されているのがフランス語であり、また、発想の視点にも日本語と共通な部分もあり、とにかく面白くて堪らなくなりました。とにかく大量の文献を原書で読まねばならず、数学部での残酷な仕打ちを忘れることが出来ました。本来なら数学部で銃乱射事件を犯しても構わない状況だったのです。上述の思いもあり、履修できるコースは全て履修しました。中でも、文学研究では世界的に有名なパトリック・ブラディー教授のコースを誰よりも多く履修しました。優秀な方ですので、多種多様なコースを教えることが出来るのです。元々はライス大学の教授をしていたのですが、何らかのトラブルでテネシーに流れてきたそうです。教授法は学生にテーマを選ばして研究を発表させるというセミナー形式で、ノルマをこなすのは大変でしたが、お陰で文学研究論文の書き方を会得することが出来ました。電話犯罪さえなければ、そして、ロマイザーというアホ教授さえ居なければ、フランス語教授としての将来が開かれたはずでした。

     

    このロマイザーとブラディー教授が犬猿の仲であることは知っていましたが、自分には一切関係ないものとして考えていました。どうして仲が悪くなったかを考えますと、どうやら文学研究に対する姿勢の2分極化が影響しているようです。ロマイザーの場合は、おおよそ大学院のコースを教える実力を持ってはいないのですが、周到な準備で何とかコースを運営することは出来ていました。文学研究は研究者個人の才能資質に依る面が強く、教授がボンクラでも多くを会得することが可能です。ちなみに、このロマイザーは文献検索が専門で、こつこつと調べて資料を集めるのが得意なようですが、思考力を要する文学研究者の資質には欠けていました。ブラディー教授が移籍する以前には、文献検索、テキスト分析、比較研究が研究の主流だったようです。ブラディー教授の場合は、ありとあらゆる手法の文学研究をします。文化人類学、社会学、心理学などの観点から文学作品を吟味し、その構造を明らかにしていきます。オーストラリア出身でソルボンヌ大学から博士号を持っています。テネシー大学フランス語学科は、一般に教授のみばかりか大学院生のレベルも低く、そのために教授と大学院生の関係が保たれていたようです。一方、ブラディー教授の場合は学生の発案を重んじる一方、要求レベルが高くなり、多くの学生、特に女子学生から恨みを買うようになったようです。一方で、そうした女子学生に人気のあるのがロマイザーです。ロマイザー自身もブラディー教授のような研究者には強い劣等感を抱いており、更には自らがテネシー大学教授たるには不都合が生ずると判断したのでしょう、何とかブラディー教授を追い出そうと策略を練るようになります。同教授の研究業績は非の打ち所がありませんから、コースの教え方を問題にします。どうやら、私は同教授のコースを多く履修した故に恨みを買ったのかもしれません。更には電話攻撃のお陰で、どんな仕打ちをしても周囲からは何の咎めも受けなくなります。私は人生に投げやりの状態で暇つぶしにフランス語を勉強していましたから、周囲の人間関係など全く無視していました。いつの間にかロマイザーが最終試験の主査となってしまい、全く出たら目なやり方で不合格とされてしまいます。こちらとしても大学での人生には嫌気がさしていましたし、こんなバカ教授連中からの学位など必要あるかと開き直り、何の抗議もせずに帰国することになります。自殺も選択の一つでしたが、こんなバカ連中が理由ならば、自殺の価値はないと判断しました。

     

    ここでもう一度、バカ木の唱えた「存在要素の分散」を考えます。「何か政治力を有している人物が存在するが、それが誰であるかは不明である」という状態が生ずる場合、ロマイザーのような人物にイメージが収束する傾向にあります。格好を付けるだけで教授としてやってきた訳ですから、自分のものに出来るイメージは必ず取り込んでしまいます。一方では、色々と有利な状況が発生するようになります。何故か知らないが、私が移籍してきたら予算が多めに割り当てられたりします。しかし、電話犯罪が継続していますから、私に直接の恩恵はありません。ここで重要なのは、電話攻撃を免れている連中が存在することです。特に情報提供する連中には危害が加わりません。そういった連中は、私に対する態度で見分けることが可能となります。そして、ロマイザーは明らかに免れていたようです。思考力に乏しい人間が大学に生き残る場合、幾らでも攻撃の理由が見つかる筈ですが、それどころか天才として評判を立ててしまいます。ブラディー教授との「戦い」と電話犯罪の被害者である周囲の圧力で、全く考えられないやり方で不合格とされてしまいました。私の答案の代わりに他人のものを不明な人物に採点させて、更に採点者のコメントとは掛け離れた紋切り型の不合格通知を送ってきたのです。私の解答とは全く的外れのコメントを会議で読み上げ、疑問を投げる他の教授を無視して、あっと言う間に不合格としてしまったようです。もちろん、模範解答などは頂けません。電話犯罪のため感覚麻痺している環境で発生した茶番劇でした。

    平成の黙示録

    すなわち、バカ木が提唱した「存在要素の分散による存在の抽象化」により、私自身の本来の存在が電話犯罪により切断され、宙に漂う存在要素が不特定多数の近似要素と同化するようになり、その中にあって、ロマイザーが代表元の役割を演ずるようになります。実力に乏しい分、周囲のふりを見て行動を取るタイプですから、ブラディー教授に対抗する意味も充分にありますが、都合の良いことに、電話犯罪で周囲の容認もしくは黙認が得られたこともあり、平気で残虐行為に等しい落とし方をしたのです。とは言うものの、私の存在自体がテネシー大学から消滅すると、今度は逆に、何故大学に残るように取り計らなかったのか、と責められるようになったはずです。特に、電話犯罪を受けていないテネシー大学外部から発せられるようになったはずです。真の理由はブラディー教授に対抗するためであり、電話犯罪が絶好の補助になった訳ですが、こうした経緯は外部に対しては理由になりません。一方で、このロマイザーという男は色々な所から情報を得ているはずであり、私に銃乱射事件を犯せようとしている動きを察知したはずです。答案には全く無関係に不合格としたことは明らかでしたから、他の何等かの理由が必要となります。こうして、バカ木連盟との共通点が生じたのです。先ず、バカ木連盟としては自らの責任を丸投げ出来る人物を必要としており、ロマイザーとしては、バカ木連盟のように、私の面倒を見ている振りをすれば、良い事が生じます。そして、両者とも私を闇から闇へ葬り去りたいのが本音です。

     

    ここで一転して、電話犯罪が行われる過程を考えます。元々は、「そんなものには完全な対策がある、そんなことも判らないのか、だから真珠湾攻撃や神風特攻隊といった愚行をするのだ」としたバカ木のバカ発言から生じたものです。バカ木連盟の作戦も同様の路線を踏みますが、電話する側は何とかして具体的な方法を教えてもらおうとします。こんな電話をしても構わないか、こんな結果になったがどうなのか、等々といった質問に対しては口先でかわします。やり方にけちを付けたり、完全な対策は在ったのだが用いられなかった、等々といったものです。こうして行くうちに、建物の名前などで中傷電話をかけると銃乱射事件が引起せることを発見します。昨年から今年にかけて銃乱射事件が異常なまでに多発しましたが、それ以前は単発的なものでした。バカ木連盟しては、「発覚していないのは完全対策が存在するからだ」、などとしていたのでしょう。ここで注目したいのは、銃乱射事件の発生頻度の急激な変化です。何等かの変化が生じたはずであり、バカ木連盟が全てをロマイザーに丸投げして、自分たちは補助のみを行うという路線に踏み切ったと考えます。すなわち、電話をする側、即ち「完全対策」を伝授してもらおうと努力する側とロマイザーの関係を取り持ち、自分たちは補助役のみを担うことにしたはずです。ここで注目したいのは、こうした電話犯罪はロマイザーの趣味に合うものです。ブラディー教授と親しくなった学生を攻撃することにより、自らの力を誇示し、ブラディー教授に対抗しよう、という陰険な作戦を平気でする男です。何となれば、このロマイザーはアンドレ・ジッドというフランス人小説家の大ファンであり、特に「偽金作り人」なるタイトルの小説を授業で読ませたりしています。実力不足のために格好を気にしますが、こうした電話犯罪を連続して発生させることにより、自らの力を見せたかったのかもしれません。更には、平気で将来有望な大学院生の未来をぶち壊したりする性格ですから、銃乱射の犠牲者に対して何も感じないはずです。この「偽金作り」と言う小説では、列車の出入り口の前に見知らぬ人が立っているのを主人公が発見し、他に人が居ないのを確認した上で、いきなり蹴飛ばして車外へ放り出してしまうシーンがあります。まさにロマイザーの性格を表しています。「偽金」を用いて大学教授になった人物です。更にこの男は、大学院生のための資金の一部を裏金にして、自分の気に入った学生との遊行費に当てていたことで有名でした。このような良心の一欠片もない男に、全ての責任を丸投げしたのです。しかも、以前はバカ木連盟を補助し、今度はロマイザーを補助する集団が存在し、ロマイザーは単にリクエストをしたり、情報収集をしたりするだけで銃乱射事件を引起せる状況となったのでしょう。ロマイザーは文献検索が専門ですかから、銃乱射犯人に仕立て上げる人物の選択と個人情報収集はお手の物であったはずです。恐らく、自分の言いなりになる連中を利用したのでしょう。こうして、昨年から今年にかけて異常な件数の銃乱射事件が発生するに至ります。

     

    ここまでに合計3名の人物を名指しにしていますが、当然、バージニア工科大学のドナルド・マキーン教授にも同じ3名について伝えてあります。間違いなく、米国連邦警察にも情報が届いているはずですし、電話犯罪に関する捜査が行われているはずです。今年20082月には短期間に連続的に銃乱射事件が発生しましたが、現時点の20085月下旬までの数ヶ月間は静まり返っています。今後の動向が注目されます。 

    平成の黙示録

    終の章: Voe Victis!

     

     

    電話犯罪の全容は明らかになったはずです。少なくとも、私の知り得る限りは全て述べました。日米で警察による裏付調査が行われていると信じます。こうした捜査は時間の掛かるものですし、途中経過がメディア報道されることはありません。しかし一方で、果たして自分の思惑通りに物事が進展しているのか、という不安があります。更には、バカ木の愚行から生じた電話犯罪の被害に遭ってしまい、半生を台無しにされてしまったという不満が心の中に鬱積していました。「自分がどれだけ酷い目に遭ったか」という主張をしましたが、一方では、電話犯罪がなければ現在の自分は存在しません。ただし、こうした忌々しい過去を正当化するつもりはありません。不条理の中で苦しむことが「良い思い」ではないからです。しかし、不条理を生きるには哲学的になる必要があります。順風満帆の人生では見えないものが存在します。米国で数学教授として成功したはずである、と序の章で述べましたが、成功していたならばフランス文学に触れることはなかったはずであり、英語力も向上しなかったはずです。ちなみに、帰国後は語学力で生き残るために努力を積んだ訳ですが、お陰で大卒アメリカ人の平均を遥かに上回る英語力を身に着けることが出来ました。また、フランス語を趣味として勉強するようになり、帰国時と比べても実力は確実に向上しています。英語と同等のレベルにすることが目標です。そして、こうした「不幸中の幸運」の中でも、特に幸運であったのは、シャール・ボードレール(Charles Baudelaire)という19世紀フランスで活躍した詩人と出会えたことでした。

     

    日本でも良く知られている詩人なのですが、その真髄を知るには原語で読まなければなりません。最も有名な作品が”Les Fleurs du Mal”という表題の詩集です。日本語翻訳では「悪の華」などと訳されているようですが、全くの誤訳です。ボードレールの詩は意味論的に複雑となっています。使用する単語の一つ一つが持つ多様な意味を抽象的に組み合わせているため、意味の流れが万華鏡のように変化します。音韻的にも優れています。こうした芸術作品を日本語に翻訳することは不可能です。ボードレールの詩には、芸術と哲学が同居していますが、日本の伝統的な詩歌では、読み手の心と自然との調和が一般的です。何等かのイメージを彷彿させる作品を目指しているようです。

     

    数年前から毎朝20分から30分ほどボードレールの作品を読むようにしているのですが、読めば読むほど日本語翻訳は不可能という認識が強くなります。そうした中、不思議な詩的体験をしました。眠っている中に勝手に短歌が頭の中で出来てしまったのです。それは小泉前首相が、政権終了前の815日に靖国神社参拝を行った際に起こった出来事です。以前から同首相には注目していたのですが、それまでに同氏に対して抱いていたイメージが一気に沸き上がったのかもしれません。以下、勝手に出来てしまった短歌を披露します。

     

                                              靖国の

    想い積もりぬ

                                              八十五

                                              止めぞ振り抜くは

                                              小泉の恋

     

     

    靖国とは「セイコク」と発音し、国家を安泰にすることを意味します。靖国神社での靖国は「ヤスクニ」と発音します。周知のように、国の安泰に殉じた人達の霊を合祀してあります。「靖国の想い」とは、小泉元首相が何回も言ったように、そうした方々に哀悼の念を表したい、そのために靖国神社に参拝したい、といった想いと同時に、自らも国の安泰に尽くしたいという想いが重なっています。それは政治家の態度を外的に自ら定義するものであり、政治活動の基本となっています。周囲の反対を押し切って郵政民営化を行ったのも、こうした「靖国の想い」からであり、それは「靖国神社参拝」という形で象徴されています。「国民のためにやってあげたい」あるいは「国のために命を投げ出した方々に哀悼の念を表したい」という「想い」は、この「靖国の想い」と同義となっています。ここで重要なのは、それが靖国神社でなければならないというところです。これは、12世紀にフランスで発明されたとされる「恋」という概念と一致します。そうした想いが積もり積もって八十五まで達してしまった、と解釈しても良いですし、一方では八十五を815日の終戦記念日と考えて、その日に是非とも参拝したいと思っている、と解釈しても良いでしょう。しかし、やらないように進言されます。それは、815日の参拝以外にも、郵政民営化をするために衆議院解散をしないで欲しい、という要請も意味します。「振り抜く」には、恋に駆られた若者を「止めるが振り切り」という意味と、政治家にとっての伝家の宝刀としての靖国神社参拝から由来する、すなわち、この宝刀を「止めぞ振り抜く」、更には、衆議院解散という伝家の宝刀を「止めぞ振り抜く」、という意味が込められています。語呂合わせとして「小泉の恋」としましたが、こうしたドタバタが実は「恋愛」のドタバタと同じようなものである、という皮肉も込めてあります。

     

    この短歌が出来上がった後、不思議な現象が生じました。もう1つの短歌が勝手に出来てしまったのです。それは、靖国神社を首相として815日に参拝したもう1人の中曽根前首相に関するものです。

     

                                              靖国の

                                              想い積もりぬ

                                              八十五

                                              勇み振り抜くは

                                              恋の中曽根

     

    ここで注目したいのは、中曽根前首相が首相就任後の1985年に参拝したことです。大変な外圧が加わり、それ以降は任期が終了するまで参拝が一切出来なくなりました。就任して初めての815日に「勇んで」参拝して「勇み足」となってしまった中曽根氏は、まさに恋愛中だったのでしょう。そして、その甲斐あって国鉄の民営化に成功し、首相として名前を残しました。近年の日本の首相では、小泉氏と中曽根氏が東西の二大横綱であり、その2人に関して、このような短歌を詠めることは偶然とは思えません。

     

    これら二首の短歌は、ボードレールを毎日欠かさず読む日常生活の中から自然に発生したものです。一つ一つの単語に複数の意味を持たせる手法は、ボードレールから会得したものです。ボードレールの詩歌は日本語翻訳不可能ですが、日本語でボードレール風味の短歌を詠むことは可能です。日本人フランス文学者が書いたボードレールの解説書など読む必要はありません。ボードレールを知りたければ原書で読むか、もしくは、このような詩歌を自ら日本語で詠んでみることです。

    6月10日

    平成の黙示録 #1

    さて、本章の表題である”Voe Victis!”ですが、ボードレールの書いた随筆から引用したものです。”CONSEILS  AUX  JEUNES  LITTERQTEURS” (若き文士への助言) という表題で、ブルジュア社会にあって、如何に流行に流されることなく、文士として成長するかを説いたものです。ブルジュア的流行に対処するには、新しい視点で各々の流行要素に注目し、それらに対応して独自の方向に進むための推進力を持ち、それらの調合量を何倍にもして流行全体と同等の濃度にすれば、ブルジュアの悪口を言う権利を持たなくなるに至ると説いています。そうすることにより、ブルジュアが自分と共に在るようになるからです。すなわち、ブルジュアとの構成要素の割合は同等でも、その一つ一つは独自のものとすることです。そして、以下のように締めくくります。

     

    Jusque-là, voe victis ! car rien n’est vrai que la force, qui est la justice suprême.

    (そこに至るまで、voe victis !  何故なら、「力」(force) ほど真なるものは存在しないからであり、その力こそが最高の「正しさ」(justice) であるからだ。)

     

    これは随筆の第一章の締め括りで、それ以降は文士としての具体的な問題について説いています。この冒頭の部分では抽象的表現が多用されており、文士以外の者にも共通するものとなっています。現代社会において如何に創造的に生きていくかのヒントが汲み取れます。私の場合には、電話犯罪により嘘の概念が「流行」してしまい、数学教授として社会的に成功しませんでした。何とか本来の自分に相応しい状態にしたいと願って努力してきたのですが、何とか電話犯罪を止めようと、バージニア工科大学に復学願いを出したところ、例の銃乱射事件が発生しました。一連の乱射事件が発生して後、佐世保乱射事件となり、これを機に日本国内で電話犯罪解決を目指すことになった訳です。この随筆でボードレールは、当時のフランス文学界における諸事項に関して助言をしていますが、この冒頭部分は私自身の場合にも当てはまります。電話犯罪に対処してきた私自身のやり方に一致しているのです。電話攻撃のため冷静さを失い、私に対して酷い仕打ちをした人々に対して腹を立てていたなら、何等かの暴力行為に至っているはずですし、電話人が篠原であると確信した際には、バットでも持って殴りこみをしたかもしれません。そうではなく、こうした一連の不条理に在って、常に新しい方向へ進み、自らの内面を進化させることが出来ました。詳しい比較分析はしませんが、その進化を特徴付けるのがこの引用句なのです。

     

    さて、本章の表題である « Voe Victis ! »ですが、 もちろん上記の一句から引用したものであり、ラテン語の表現です。 « Voe »とは「願い」を意味し、 « Victis » « Vict » は英語の « Victory »、すなわち「勝利」を意味し、接尾の « -is » は、「それのみ」を意味します。英語では、« Island » « Isolation » の接頭語として用いられていますし、Be動詞の三人称単数形の « is » も「それのみ」を指定するものです。 « Voe » は名詞で、 « Victis » が形容詞として作用し、「勝利のみの願い」となります。 「ヴュ・ヴィクティス」と発音しますが、ラテン語ですので、腹の底から気管支を震わせて発声しなければなりません。相撲の行事さんが「待ったなし !」と叫ぶように発声してみて下さい。但し、相撲の「待ったなし !」では、意味が多少異なります。日本では、よく政治家先生などが選挙戦前に、関係者一同と共に、「エイ、エイ、オー」と叫んで、皆でこぶしを宙に突き上げますが、 意味としては、この « Voe Victis ! » と同じになります。但し、状況が違います。持つ「力」(force) を何倍にもする過程に於いて、常に念頭にあるのが « Voe Victis ! » です。ちなみに、この « Force » ですが、映画のスターウォーズ(Star Wars)で別れの挨拶として互いに言い合う、 « May Force be with you ! » « Force » と同じです。 これはもともと、米語の別れの挨拶である « May God be with you ! » から由来していますが、ボードレールは « God » を抽象化して « Force » として考えています。未来社会では « God » の概念が抽象化されて、代わりに « Force » が使用されるようになったとするのでしょうが、感覚的にはボードレールの « Force » と同じでしょう。従って、 « Voe Victis ! » は、「エイ、エイ、オー」などの掛声ではなく、 努力を重ね、困難に耐えて目標を目指す過程における、己の実在を表象するものなのです。

     

    私にとっての « Voe Victis ! » は、 本来の正しい自分を取り戻すことです。社会における自らの正しい定義を明確にすることです。そのための「バカの壁」となっているのがバカ木連盟です。銃乱射事件に関しては、警察による捜査が進行しているものと信じますが、私が述べたのはあくまで可能性であり、果たして将来的に何等かの報道があるかは不確かです。更には、これらの事件の根源についても述べましたが、それは自らの記憶を頼りに構築したものであり、単なる妄想として片付けられる可能性もあります。しかし、本書物の正しさが証明されなくても、読み物としては面白いものとなっているはずです。さらには、篠原が私の名前で長年に渡り中傷電話を大量に掛けて、私を無き者にしようとしたこと、もしくは、無き者にしようてしていることは確実です。この書物を世間に公開することにより、少なくとも、篠原の攻撃を止めることは出来ると考えています。しかし、前途は多難かもしれません。現時点の2008531日においては、未だ何の報道も通知もありません。序の章でも述べましたが、最悪の場合にはホームレスとなり路上で野垂れ死にするかもしれません。しかし、現状打開のためのこうした努力は、最後の最後まで続けるつもりです。篠原以外にもバカ木連盟を叩き潰さなければなりません。必ず勝ちます。Voe Victis !