古い写真や古着を組み合わせた展示で知られるフランスの美術家クリスチャン・ボルタンスキー(64)が、このほど来日した。インタビューに答え、出生の秘密や「記憶」を主要なテーマとする創作活動との関係について語った。
ロシア系ユダヤ人の父とコルシカ出身のキリスト教徒の母の間に44年9月6日に生まれた。「(ナチス占領からの)フランス解放直後に生まれたので、ファーストネームはクリスチャン・リベルテ(自由の意味)」。それまで父はドイツ軍の迫害を恐れて2年間、2メートル×1.5メートルの床下で暮らしていた。「でもなぜか私が生まれた」
解放後も世間の目を恐れて常に家族と行動し、18歳まで1人で道を歩いたことがなかった。12歳で学校に行くのをやめて、1人で絵を描きはじめた。「私の作品はその頃のトラウマから来ている。ホロコーストを生き延びた幼い頃の悩める自分を探すことが、創作につながった。芸術家はみな、自分の中にかつての子供時代を持っている」
影響を受けたのはスイスの彫刻家ジャコメッティとポーランドの演出家カントール。「ジャコメッティの人間存在や死について考える姿勢が自分に近いと思う。表現の語彙(ごい)は違うけど。カントールは、70年代にフランスで舞台を見て、失われた子供時代の表現に、まさに自分が探していたものだと思った」
助手はいない。「助手に任せると作品が繰り返しになるし、助手の給料をまかなうために仕事を受けなければいけなくなるから」
最近のアートブームには懐疑的だ。知らないところで法外な金額で作品が売買されることがいやで、できるだけ画廊での発表をやめた。「購入できる作品はあまり作らず、一回限りのコンセプトとしての展示を発表したい。最近の金融危機で、アートバブルが終わればいい」
日本では越後妻有アートトリエンナーレ(新潟)の展示が話題になった。現在は瀬戸内海の直島でプロジェクトを進行中。世界中の5千人分の心臓の鼓動を集めるものだ。「何年たっても、名前を入力すると、その人の心臓の音を聞くことができる」
国立新美術館の講演でも顔色を変えず、静かに話した。「人前で話すのは苦手。文章はまともに書けない。でも運良くこれまで一度も強いられた仕事をすることなく、好きなことをして暮らしてきた。子供はいないが、作品は残る。死後も世界のどこかであんな男がいたな、と思ってくれたらうれしい」(古賀太)