憲法の理念からすれば、市民研究者制度は当然に演繹されてくるものなのであるが、なぜこの制度が存在しないかというと、まず憲法がレトリックにすぎないからであり、政策的には短期に生産性のあがる見込みのないのんびりとした町学問などやらせたくないという政府の本音があるからだ。政府は、国策として、社会全体に実益のある学問をさせようとしており、学者を政府の奴隷にしようとしている。大学という名前のついた箱は、本来の意味での大学ではなく、国策研究機関であり、学者が奴隷的に使役されている。日本という国は、まったく詐欺的で、とんでもない社会である。