Last Updated 2008/11/16
ひっそりと13年目を日々更新
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!
薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー
日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ
ワーニングワーニング
(ホントはただの日記です)
お帰りなさい、シュワーボ!
◎積み上げた本の数が這々の体で1000冊に達した
『積ん読パラダイス』
だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で
『積ん読パラダイスinBlog』
なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
◎
大傑作、復活!
無料漫画週刊誌「コミックガンボ」の終幕で、手に汗握ったクライマックスをお預けされて約1年。
上野毛あさみ
原作で
黒岩よしひろ
漫画のコンビが放つ、女の子2人の漫才コンビがたどる紆余曲折を、笑いと涙と怒りと喜びの中に描き上げる
『ステージガールズ』
が
版元を代え完全版となって大復活
!! 残り2冊を読みたかったら買って読んでその面白さを伝えまくれ!
【11月16日】 足立淳さんの祈りにも似た絵馬を見た鷲宮神社への行き帰りの間に読んだいろいろ。榊一郎さん「神曲奏界ポリフォニカS」(GA文庫)は「ポリ赤」シリーズからぐっと時代が遡ってはいるもののすでにタタラ・フォロンはコーティカルテと屋根の上で最初に出会い、それからトルバス神曲学院で暴走しかけたコーティを押さえ込んで正式に契約した後の話って感じで、コーティと契約できたってことで精霊を呼び出す試験なんかは免除になったフォロンはどうにかこうにか上級クラスへと進級を果たす。
ところがコーティはその頃からワガママし放題で、朝飯の卵焼きサンドをフォロンに作らせ学校でも特にフォロンを助けるでもなく、逆にフォロンの悪口を言う奴らに向かって怒り放題精霊雷三昧。もしかしてフォロンって神曲楽士の力がないのかもって訝る周囲の視線に焦り、自虐しコーティと喧嘩までしてしまったフォロンだけれど、学校の方は容赦なくフォロンに本当に精霊を呼び出す力はあるのかを測るための再試験を課す。
学校でいろいろなことを学び神曲楽士の役割なんかを教えられ、それに従ってそれなりの神曲を奏でられるようになった神曲楽士たちが、進級して卒業して世の中に出ていく中で、フォロンのような存在は逆にスポイルされて本来持っている力を発揮できずに思い悩む。そんな展開のクライマックスで改めて誰のための神曲なのか、ってところが明らかにされて、フォロンが本来の力を取り戻すってストーリーは、考えようによってはそんな力を逆に埋没させてしまう教育が、神曲学院では行われているってことになりかねない。
制度としての神曲楽士があってシステムとしての精霊使いがあってそこに適合した人材を“生産”する仕組みの愚かさを、ある意味問うたエピソードだけれど問題はそんなシステムを経なければ資格が得られないって所。並はずれた才能はパージされ埋もれてしまいかねない状況を、それでも物語では圧倒的な力の前にひれ伏させることができたけれどもこの現実社会では、システムを経て得られた資格がすべてってところが未だに根強くあるからなあ。そしてシステムはだいたいにおいて硬直化し疲弊してシステムのためのシステムと堕す。結果生み出される社会の面倒くさい様をぶち破るのはやっぱり圧倒的な才能なりカリスマって奴か。それもそれでヤバい状況が想像できるんだけど。困ったもんだ。
んでもって丈月統さん「カンピオーネ2 魔王来臨」(集英社スーパーダッシュ文庫)は、神を倒すとその力が得られる仕組みの世界で神を倒した少年、草薙護堂がアテナを相手の闘いをしのいだ日本にふたたび敵襲。ルーマニアあたりに勢力を伸ばす狼を操る力をかを持ったヴォバンがなぜか護堂に興味を持って日本を訪れ闘いを挑んで来る。一方の護堂はイタリアで知り合った魔術師で騎士で美少女のエリカに愛人としてまとわりつかれ、そんな状況に日本の巫女の祐里も絡んでさあ大変。恋の鞘当てに迫るヴォバンの攻撃といったピンチを護堂は果たしてかわせるか?
ってな話はそれとして、ヴォバンと護堂との間で繰り広げられる神の起源や来歴を踏まえた戦いの様は相変わらず迫力があり、神話の成り立ちについて勉強にもなる一石二鳥の面白さ。圧倒的な不利から逆転する痛快さもあって楽しめる。問題はだからこれからか。どれほどの強さを持った神なりカンピオーネが挑んでくるか。それをどうしのぐのか。期待大。それにしても作者の人、ヴォバンにクラニチャールってクロアチア代表が好きなのかなあ。シューケルとかクラスニッチとかプロシネツキとかも出てきたりして。イタリアにはトトことサルバトーレも出てきたし、次はフランスでジダンにナスリあたりを如何。
「封縛師」のシリーズも一段落した流星香さんのビーズログ文庫での新シリーズ「お庭番望月蒼司朗参る! 始まりの庭と帝都のちびっ子四神」は、今も帝がお城に住んでる世界が舞台。朱雀玄武に青龍白虎のそれぞれの力を借りた4人の戦士が、帝の息子の若様を囲んで蟲を呼び出しては退治していたけれど、本格的な力を出すには今はもういない四神を束ねて使える戦士の登場が必要だった。そこに現れたのが望月蒼司朗という少年。磐手とかいう場所にある城で庭師をしていた父親の子として生まれながらも父は死去。後を継ぐには早いと都にいる叔父の元に修行という名の放逐にあって、それでも明るくショベルカーに乗ってゴトゴト都へとやって来た。
早速仕事にとりかかろうと入った庭はなぜか荒れ放題。こりゃあダメだと木を切りそろえ池を掃除し草をむしって綺麗にしていたら、蛇を乗せた亀に小さい虎に赤い鳥にイグアナが現れまとわりついてきた。まだみんな赤ちゃんの動物たちに懐かれた蒼司朗は動物たちを引き連れ庭を出る。ところがその動物こそが帝の住まいを守っている四神で、蒼司朗はそれらに見込まれ力を得て、都を脅かす蟲たちと戦うハメとなる。激しい修行を積んでようやく四神のそれぞれから力を借りられるようになった戦士たちの面白くなさそうな態度に囲まれ、都を担当する庭師の息子で蒼司朗には従姉妹の少年のほのかにうごめく妬みなんってのもあって今後の展開に絡んで来そう。あとは小さい四神をどう世話してその力を引き出すか、引き出された暁に日本はどうなるか、ってあたりにも興味。
遅ればせながら和泉フセヤさん「恋する乙女と守護の楯 (上)」(集英社スーパーダッシュ文庫)を読む。女装して女子校に潜入せよ、ってのは「乙女はお姉さまに恋してる」とか「まりあほりっく」とか「SH@PPLE」とかいろいろあるんで設定だけならまあ定番。あとはどれだけキャラで遊べるか、いつバレるかって驚きなんかを描けるかってところなんだけれども、とりあえず華麗に見えて根はぞんざいなお姉さまやら、男っぽさを出しつつ根は純情な同級生とか揃えてあって、乙女の園の外側からは見えないヒミツって奴を伺える。女子校って恐ろしい場所なのだなあ。んでもっていよいよもって発覚となって迎える下巻でどんな展開が繰り広げられるのか。奴隷扱いされるのかそれともごまかし従前どおりの展開で通すのか。刊行を待とう。
「スポーツニッポン」が報じている天皇杯の結果の下に、コラムで代表選と重なる日程への批判が成されていたりして、権威ある大会なんだからベストメンバーを出さなきゃいけないじゃないかといった口を持ち主が、自らそれを守ろうとしていない日程を組んでいたりする矛盾を衝いてざまあみろ、ってな感じなんだけれども問題はそこで引き合いに出されている事情。「先日、日本協会は千葉、大分が天皇杯4回戦で主力を温存したとして問題化させた」ってあるんだけれど、結論として千葉は適用されていないJリーグ規定にも適合したメンバーを揃えて問題なんてまるでなかった。それなのにそうした温存があったかのように引き合いに出されて「千葉は違反があったけれどもおとがめは受けなかった」的な認知がされていくのは、例え協会の態度を批判するコラムであっても不本意極まりない。
えん罪、ってのはいったん広まってしまうとそれがどれだけ事実無根の事柄だったとしても容易には拭えず人の一生を歪めてしまう。解消するにはえん罪を作った側の徹底した弁明が必要であり、またえん罪を報じた側にもその時の報道を上回る規模での訂正なり謝罪が必要なんだけれどもこの「天皇杯ベストメンバー問題」では、偉い人のポッと出た言葉があたかも事実のように広まり定着してしまって、例え密室での弁解があっても一般には広まらず、メディアにだって広まったままでこうして引き合いに出されてしまう。だからメディアは、と言いたい気持ちもあるけれども根本としてトップにある者の態度に真摯さが見えず、事の重大さへの認識が不足しているって問題があって、ここをどういかしないと同じことがまた繰り返されるだけって気もするんだけれど、どうにかしようって空気もないのが痛々しい。困ったなあ。
事はサッカーの界隈だけに留まらず、出身母体の自動車会社にもそんな程度の人間を欧州トップに据えてたんだ、だからやっぱりなんだって認識をもたらしかねないってことにも想像を及ぼせば、すぐにでも広く伝わるよーに弁明するのが一般的なんだけれど。それともこれからちゃんと何かしらの釈明を行い有耶無耶にはしないでしっかりと事実を事実として喧伝し、メディアにもそのように振る舞うべきだとお達ししてくれるんだろーか。しれくれるんならそれはそれで結構なこと。しないんだったらやっぱりねえと横目で見つつこの2年を凌ぎきって、次につながる人材が登用されることに期待をかけよう。次がいれば、だけど。
せっかくだからと起き出し「コミティア」に行くと黒いスーツ姿の男女の行列。何かの就職セミナーがあるみたいでゾロリゾロリと歩いていっては会場となっている「東館(ひがし・やかた)」から通路をわたって「西館(にし・やかた)」へと曲がる通路あたりまで続いた行列について入場を待っている。そんな横を私服姿の若い人たちが歩いては「コミティア」に入っていく様を見るにつけ、人生って奴の勝ち負けってのがいったいどっちにあるんだろうかって思いにとらわれる。
なるほど将来への可能性だけはいっぱいあって良い就職先に食いつこうって必死になってる学生さんたちの方が、日曜の昼日中から同人誌を買いに集まってくる人たちに比べて世間的にはピカピカしているように映るかもしれないけれども、今はたぶん3年生とかの学生が、1年と数ヶ月経って本当に社会に出る時にいったいどれだけの状況が訪れているのかって考えそれからさらに先の激動をどう乗り越えていくのかって考えると、すでに自分を確定させて同人誌とか読んだり描いたり作ったりしている参加者の方が、お気楽に人生を楽しんでいるって見方もできそう。最高の就職と最高の趣味を両立できればそりゃあ最高の人生だけれどどっちかだけ、ってんなら趣味で最高を行きたい自分。そのためにはあとちょっと働いて溜めて余生に届かせたい。toto一発狙っていくって手も……ないか。
んでもって松山剛さんのブースで新刊案内のチラシを頂き、ポスターにもなっていた足立淳さんのブースで新旧織り交ぜ買いつつ「ステージガールズ」の在庫報告(都営新宿線駅上のコンコース内書店で僕は買った。あと船橋にあるときわ書店船橋本店でも平積みになっていた)とかしつつ早々に退散。有楽町のビックカメラで新しいワイヤレスのヘッドホンを揃えて帰宅する。まあ充実の1日か、って終わってないけど。なので伏見つかささん「名探偵失格な彼女」(VA文庫)なんかとサクサク。名探偵のメタ性がまだあんまり際だってないかなあ。とはいえ勘で選んだ犯人をひっつかまえて自白させたり地道な調査で犯人に迫った探偵をふんじばって成果を横取りしたりする名探偵像はちょっとヘンかも。自白強要は良くないけれど。
【11月15日】 「綸言汗の如し」。って言葉があってですね、偉い人の言葉ってのは1度口から出たら汗といっしょで引っ込めることなんて不可能、でもってその言葉が及ぼす影響は例えば「吸い物が温いな」って言葉だったら料理長の首が物理的に飛び、給仕あたりの手足もふっとび、侍従あたりの舌が引っこ抜かてようやく収まるくらいに大きく激しいものになてしまう可能性もあるから、ゆめゆめ軽口など叩かぬように立場をわきまえて発言するのが上に立つものの務めであり、責務なんだって意味らしい。まさに至言。中国5000年の叡智であり出展の「礼記」からだって3000年の積み重ねを、学んでいない偉い人の多すぎる政治軍事な状況にこれほど届けたい言葉ってのもないもんだ。
あと本郷あたりの鴉の旗はためくでっかいビルとかにいる偉い人とか。もう上に立った途端というか、立つ前から発言が軽い軽い軽すぎる。それこそ観測気球でもあげるようにあれやこれやとつぶやいては、周囲には持ち上げられつつ一般からはぶったたかれてなるほどそうでございましたかと素知らぬ顔で逃げたりする振る舞いの卑俗さに、これなら喋っても愛嬌のあった前のトップの方が全然良かったし、ことサッカーに対する深くて熱い愛情も見え隠れしていたなあって思わないではいられない。決定打がこれだ。天皇杯での試合に際してジェフユナイテッド市原・千葉がJリーグの定めるベストメンバー規定に違反していたから制裁を加えるって発言。報道されているからにはそう発言したんだろう。ジェフ千葉は罪を犯したと決めつけて。
トップに立つ人が悪と決めればそりゃあ周囲だってそう動くしかない。それが上意下達な世界の掟、ってほどの大げさなものじゃなくってあらゆる組織に言えること。そうじゃなければ回らない。けどこれって二重の意味で無理がある言葉だった。まずもって天皇杯にはJリーグ規定は適用されない。心意気、って言うけどでもそれだったらJリーグにだって不必要なもの。敢えて明文化した以上はそれが適用されていない大会ってのはつまり適用の埒外にあるんだってことを最初っから認めていたことになる。でもそんなあったりまえのルールがトップの頭には浮かばなかった。さらに。ジェフ千葉はそんなリーグ規定に照らし合わせても適応していた。つまりは無罪だった。それなのに犯罪者扱いをして誹り恫喝してみせた。俺がルールだ。そう言わんばかりの態度で。
ならばそれを貫き通してワンマンを気取り周囲から持ち上げられつつ世間から乖離すればいい、それこそが暴君であろうとも君主たるものの矜持って奴なのに、制裁を決める場でもってあっさりと前言をひっくり返した。というよりジェフ千葉は審査の対象から外された。理由は明確。適用されていないリーグ規定にすら違反していなかったから。そんなのはちょっと調べればすぎに分かること。実際に発言が出た直後から散々っぱら指摘されていたことなのに10日近くも放置して、罪を着せ続けた挙げ句に周りが教えてくれなかったんだもん、僕悪くないもん的な態度でスルーしてみせた。もう阿呆かと。ど阿呆かと。とてもじゃないけど上に立つものが見せて良い態度じゃないのに、それを認め周囲も許しメディアも知らん顔して奉り続けるこの国に、やっぱり未来はないのかもしれないなあ。
そんなジェフ千葉に嬉しいニュース。配下の女子サッカーリーグ「プレナスなでしこリーグ」のディビジョン2でトップを走って来年からの「ディビジョン1」昇格を目前に控えながらも最終戦で敗れれば入れ替え戦に周ることになっていたジェフユナイテッド市原・千葉レディースがスペランツァ.F.C.高槻を相手に最後の試合を行い引き分けて見事に1部昇格を決定させた。引き分けでは良かったけれども負けたら逆転で入れ替え戦周りだっただけに去年と同様にそこで敗れて悔しい思いをする可能性もあったりした。だからしっかり優勝で決めて昇格したのは一安心。これで再び日テレ・ベレーザや浦和レッドダイヤモンズレディースといった強豪と公式戦で戦う資格を得られた訳で里内猛さんがフィジカル的に鍛え上げ、そして上村崇士監督が再帰して整えチームが果たして1部でどう戦うのかって楽しみが今からわいて仕方がない。
最終戦ではシンガー石田“一番星”ミホコも石田美穂子選手としてしっかり得点しU−17女子の代表に選ばれていた17歳の井上由惟子選手も途中出場から得点でやっぱり17歳の花桐なおみ選手も出場して巨大な柴田里美選手も守備固めから登場。若い選手が台頭して来た状態で臨む来期はいささか年齢も上の選手が多くなっている日テレ・ベレーザを上回る走りでいつか読売ランドの練習場まで行って見た、まだディビジョンが東西に別れていた頃の公式戦で日テレ・ベレーザに圧倒されたのとは逆の展開って奴を見せて欲しいし、一方でずっと応援している日テレ・ベレーザにはトップ選手たちが揃ったチームならではの上手さって奴で、若い選手を揉んでそして共にレベルを上げていって欲しいもの。超高速ランナーの清水由香選手とか井上由惟子選手には代表入りも狙って欲しいなあ。あとはだから兄貴分、ジェフ千葉もしっかり1部残留を決めることだけど、さてはて。
思い立って鷲宮神社。半年に1度くらいはいって写真を抑えておかないとイザって時に、つまりは大穴が飽きそうな時に記事をつくって埋める際の写真って奴がなくなってしまう。冬場に半袖が映っているのはやっぱり使えないからなあ。んでもって鷲宮神社。人が多い。なになにイベント? って寄ったら七五三で着飾ったガキのお子さまがお父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃんに連れられ境内を歩いてた。例のアニメ絵いっぱいな絵馬には流石に近寄る子供はなくって大人の暴走する欲情って奴を子供に見られずに良かったよかった。どうしてこの板に漫画がかいてあるのまんがの女の子が俺の嫁ってどういう意味なのって聞かれて戸惑うお父さんとかいたらそれはそれで面白かったけど。おおこれは足立淳さん。がんばってるなあ。お参りの効果はあったのかなあ。
せっかくだからと清酒を買って引き上げ電車を乗り継ぎ北千住から亀有へ。各駅に乗るのに下の地下鉄千代田線のホームまで降りないといけないのって面倒だけれどこれって前から? 最近から? んでもって亀有では両さん像を確保。町おこし資料ってことで駅向こうの立像を見てそこの案内から最近できたって子供の両さんぞうを見物にいって戻って交番横の祭りだわっしょい両さん像も抑えて近所の「CoCo壱番屋」で神楽坂淳さん「激辛! 夏風高校カレー部(いもうと付)」(集英社スーパーダッシュ文庫)を読みつつカレー勝負の場面がちょい圧縮気味とかコジマ君がどうして豚肉を用意した方が良いかもって思ったのか分からないよなあとか思いつつ牡蠣フライソーセージ乗せカレーを食らって帰宅。なるほどたしかに銅像がいっぱい立ってて亀有の街は両さん一色ではあったけれども、それでいったいどれくらの“経済効果”って奴があるんだろーか。
商店街が昇りを立てたりポスターをつくって掲示したってそれでわざわざ何かを買いに来るって人もいない。っていうか両さんグッズなんてあんまり買おうって気がしない。だからグッズを売って儲ける仕組みは成り立ちにくいんだけれどそれは鷲宮だって同様で、最初こそグッズが売れてもそればっかりじゃあいずれ飽きられる、いかに街に人が来てくれるかを考えないとってことで食べ歩きみたいな企画を考え出して集客と滞留を促進した。亀有の場合も両さんの街、ってことで来てくれる人を集め増やしていくその営々とした積み重ねを大事にして街作りに力を入れているんだろう。実際に人とか来てたしなあ。買い物はしてなかったけど。とりあえず両さん像はもういいから次は麗子像が見たいなあ。あとマリア像とか。
【11月14日】 朝もどんよりとした中を録画してあった「夜桜四重奏」を見ていたら次回予告になぜか「ハヤテのごとく」のマリアさんが登場していたのは、きっと第2期に向けた宣伝か何かかと目を見開いて耳を澄ましたら、マリアはマリアでもマリアベルの方だった、例の土地神様のそばでいっつもコスプレしている。セリフもすくなくはいとかええとかそんなくらい? なのについにブチ切れ酒の勢いで喋り倒しつつどこかに凄みを効かせた声音でプレッシャーをかけてみせる。案外にあの世界で1番強いのはギンでもヒメでも土地神の妹(なぜにシスター?)でもなくってマリアベル、なのか。
ようやくやっと読めた井上智徳さん「COPPELION(コッペリオン)」(講談社)は、お台場にあった原発が地震で壊れて放射能汚染が広がってから20年、遺伝子操作で放射能の影響を受けないようにされている女子高生だかが3人で連れ立って東京へと乗り込み、残っている人間の救出活動を行っていたらシェルターみたいな場所に暮らす夫婦から子供がいなくなったと告げられた。探さなきゃ。けれども見つからずそして向かう傾いたホテルに何か潜んでいそうな様相のまま物語は次巻へと続く。
20年も放射線でいっぱいの東京で防護服にシェルターが完備していたってどうしてそんなに生き延びられたのか? ってあたりの謎もあるけどそれもおいおい、解決されていくだろう。あとはやっぱり放射能に耐えられる抗体なんてあるの? ってところでそこいらあたりは突きつめれば齟齬も出相場場所だけれどもまあ気にせず、廃墟となって人も動物も生きるに困難な場所を制服姿の女子高生が銃を手に闊歩しているビジュアルと、人ならざるコッペリア(人形)として生み出された少女たちが、人間たちの間に入ってさまざまな軋轢を抱え葛藤しながらも健気に人間を助ける仕事をこなすのか、それともどこかで曲がってしまうのかて辺りを気にしながら、単行本の発売を追っていこう。
安全神話なんざあ完璧じゃないのは自明なのにそれを見過ごし安全を声高に叫び、別に都会にだってあっても平気なんですと嘯(うそぶ)く奴らに突きつける警鐘。ここで東京だからと意見を留めてしまうようならもはや地方は切り捨てられる存在でしかないってこと。だいたいが地方であってもこの小さな国のどこかで何か賀起これば影響は国の大部分にだって及ぶもの。そこを言わずに片方で安全を言いもう片方で地域の振興を良い上っ面で環境を言うそのまるで整合性のない議論の中で飯を食う面々の多さはつまり、緩慢な滅びを自ら選んでいるってことなのか。メディアもそんな崩壊に実は手を貸しているんだよなあ。未来はいろいろと大変だなあ。せめて50年は保って欲しいけど。それより足下にせめて1年は保って欲しいんだけど。どうなんだ。
テンポ快調でキャラ最高。でもってストーリーも超オモシロだぞ小幡休彌さんの「超自宅警備少女ちのり」(GA文庫)。転校してきた学校で先生からお前ん家の隣に住んでるんだけれぞずっと不登校の少女、ちのりにプリントを持っていってくれと頼まれ出かけてドアをあけたら普通っぽい綺麗なお母さんが出てきて一安心。ところがちょっとお茶でも入れてきますと言って出で行ってそれから15分経っても戻らない。どういう訳だ? トイレに行きたくなって来たぞ。立ち上がって家の中を歩いていたら、メガネにぼさぼさ頭に下着姿の少女が現れご対面して互いに吃驚、彼女がちのり? するとちのりはある部屋を指し入った少年は何かに蹴躓いて転倒。そして入ってきたちのりは後ろ手にドアを閉め鍵をかけ、少年に向かいニタニタとした顔で迫って手足を縛りスタンガンで気絶させて監禁しようと目論んだ。
どういう娘だちのりって? それはとても奥手だけれどとても純情。窓越しに見た少年に行為を抱いて望遠鏡でのぞいたり観察していたほどの入れ込みぶりで、それが目の前に現れついつい本心が現れてしまったらしいけれども、幸いなことにちのりの妹が飛び込んできてちのりの顔面に膝蹴り1発。少年を助け出す。とりあえずごくごく普通のお隣関係を回復しようとしたものの、またしても訪ねることになったちのりの家で、今度はどこか深い穴へと転落。気付くとそこは地底の王国で地底人たちが跋扈して、ちのりが守ろうとしてる古代の機械か何かを奪おうと迫ってきた。そこはそれ、普段とはまるで違った威勢の良さで撃退したものの、なおもその機械を狙う勢力があってちのりに迫り、少年にも迫る。
ちょっとというかとてつもなくストーカー気質なちのりのキャラクターといい、学校1の美貌でなおかつ金持ちで誰も男を寄せ付けないのになぜか少年に関心を示す少女の高飛車で純情なキャラクターといい、突出しつつもハメを外すほどではないキャラの設定でもってぐいぐいっと引きつける。パン屋の3人もなかなかに良い味。そんな美少女たちのあいだにあって、揺れつつも芯をぴちっと通してちなみのサポートに回る少年の格好良さってやつも伝わってきてそうなりたい、そうモテモテになりたいって気分を喚起させられる。どうしてそんなにモテるんだお前? ってなもんだ。とりあえずカタはついたみたいだけれどもバトルは更に続きそう。続きはあるのかないのか。あるならさらに凶悪な美少女を出して幾つ巴なバトルって奴を見せてくれ。
双子である、ということにことさらの幻想を持ちようがない身に生まれた人間として、例えば双子の間に通じる何か以心伝心のようなものがあって知らず同じ振る舞いをしているとか、同じ痛みを抱えているとか同じ日に息を引き取ったといった“双子の奇蹟”の類を一種の迷信と否定する意識はあったりするけれど、ならば歳の離れた兄弟姉妹との間に通うものとたいして変わらない関係でしかないんだというと、それもやっぱり違うように思えるのは生まれてから同じ時間を過ごし、ある程度の歳までは空間までをも同じしながら過ごして来た記憶なり経験といったものが、兄弟姉妹とはあまり存在しない補完性をそこに育み、互いのどこかをくっつけ絡み合わせているからなのかもしれない。
一卵性双生児への関心を吐露しつつ、一卵性双生児の女の子2人を一卵性双生児の姉妹という設定で起用して作った映画ということで、またしても双子に通う奇蹟の幻想に覆われた映画なのかもしれないという想像のあった林田賢太監督の「ブリュレ」だったけれども、当初の双子への妙な入れ込みもあるいはリアルな双子の姉妹を見ているうちに落ち着き、一般的な兄弟姉妹とさほど違わないけれども一般の兄弟姉妹にはない共時への思い入れが存在することを敏感に感じとったのだろうか。とりたてて双子だからというセリフも描写も交えないまま離れていた双子の姉妹が何年かぶりに再会し、そして別れていく物語を通して、どんな家族にも、あるいはどんな恋人たちにも言える離別から再会、そして永遠の離別へと向かうことへの哀しみと慈しみを描いている。
ならば普通に姉妹で、兄弟で、恋人どうしでも構わないかというと「ブリュレ」の場合は、双子ということさらに濃密そうな関係を想起できる存在を通すことで、つながりの素晴らしさと離別の寂しさを浮かび上がらせている。なおかつ双子だから兄弟姉妹や恋人たちとは違った、ごくごく近親故の愛とは裏返しにある憎しみにも似た反発の情感も匂わせては、恋人や兄弟姉妹を主役に据えたドラマとは違ったクールだけれど濃密で、ドライだけれども厚い関係というものを感じさせる、ような気がしたけれども双子に何かしらの神秘性を覚えている一般の人は、普通に双子って仲、良いんだなあって思って見ていたのかもしれない。そのあたり、尋ねてみたかったけれども残念にも監督は11月1日、今まさに初監督作品の上映が始まったばかりという最中に逝去。もはや意図なり図らずも得られたものなりを聞く機会は失われてしまった。もっと早く見ておけば良かった。
劇場の下ではそんな監督を偲ぶ会も開かれていたようだけれど、生前にも面識などない身なだけに、ガラス越しに盛況ぶりを見て惜しまれる才能への敬意を示すことができただけでも良かったと思う。満員の劇場で最終日の上映を見て、物語への着想もそうだけれども能代から海辺の街に海岸といった風景を実に巧みに切り取り見せる才能もすさまじくあったんだと理解。雪を踏みしめて歩く東北の田舎町の凍てつきながらも人たちの温かそうな空気、どんよりと曇った空の下をしぶきをあげてうち寄せる海を遠くに見下ろしながら海辺の坂道を降りていく場面の雄大さ、そしてラストに描かれる誰もいない曇った海岸の寂しくも儚げな光景のどれをとっても、美しくって切なくってスクリーンから眼をそらさせない。
そんなシーンに立って病をかくし離ればなれになっていた片割れに会って、それだけで嬉しいと感じる妹に、そんな妹をそれとは知らずようやく会えてもうずっと放さない、これで放火に逃げていた寂しさを埋められるんだと喜ぶ姉の心情を、双子たちの演技に乗せてしっかりカメラに写し取った演出面での冴えにも拍手を贈りたい。叔父で田舎のパティシェを演じた小田豊さんに双子を乗せて淡々とバンで道路を走りながら自分もがんばろうと感じ去っていくキックボクサーを演じた瀬戸口剛さんと、脇に立った人たちも完璧。そんなキャストの頑張りに行く先々で支えた地元の人たちの応援が、ひとつの才能とその才能を世に送り出そうとするスタッフたちの努力に重なって「ブリュレ」という作品が出来上がったのだろう。まさしく結晶。命と希望の結晶だ。
聞けば120分というバージョンもあったそうだけれども、切られ絞られ71分となった上映版は、冗長さがなくかといって断片的でもない、削ぎ落とされたものだけが持つ静謐さにあふれて見るものの心をひりつかせる。これだけのものを生みだし、送り出せればさらに次、そして次と生まれる期待もなるほどあったに違いないけれども、それを望むことはもはやかなわない。今はただ少しでも多くの人にこの「ブリュレ」という生の結晶が届くよう再上映の機会が訪れることを願い、またパッケージ化されてさらに多くの人の眼に「ブリュレ」に満ちた生への渇望が届き新たな生へとつながることを願って海辺の船に火を灯そう。合掌。
【11月13日】 微睡んでいるとなぜか「神曲奏界ポリフォニカ」のコーティカルテの声が聞こえてきてそうかテレビアニメも新作のネタがなくなり再放送に入ったか、最初のテレビ放送じゃあサメがシャチに代わったりする不思議映像炸裂だったんで改めてDVD版を流してファン獲得でも目指し、発表になってる
「『神曲奏界ポリフォニカ クリムゾンS』2009年春TVアニメ化!」
を盛り上げることにしたのか、なんて思って目を開いたら映っていた少女の髪が赤くない。コーティなら赤だまっかなクリムゾンレッドの髪じゃなくちゃって目を見開いたら、髪型も違うし顔立ちも違うし態度もツンケンしてそうでやや媚態。ただ声だけがコーティみたく尊大な少女こそが今をときめく「かんなぎ」のナギであったという、そんな間抜けはさすがにしないけれどもでもやっぱり口調、似てるよなあ。
というか録画はずっとしていたんだけれど見たのは実は初めてかもしれない「かんなぎ」はオープニングこそ話題になりそうというかハルヒっぽいというか狙ってヤマカン流を出して引きつけた感じはあるけれども本編にはいると全体にまとまっているというかまとまり過ぎというか、服を買いに行って常識外れで困ったことになるもののそこは神様だけあって見栄を張ってデカいブラを買う無駄遣い。んでバイトをはじめたらそこに美術部の面々がやって来ては見つけられて困ったけれどもラブ確認が行われて目出度しめでたしというスッキリまっすぐなストーリーのそこかしこに、オタク好みする描写をまぶしてさあ食いつけよって感じに出してきたセットメニュー大盛りを、食べればなるほど満腹で満足になるんだけれどもそれだけってのも何だよなあ。たまたまそういう回だったのかなあ。最初から見直そうっと。
んで「ヒャッコ」。好きだなあ、こういう強気そうにみえて実は臆病で言いたいことが言えずにもじもじしている間にするりとみんなこぼれ落ちていってしまうキャラクター。お嬢様だからななのか性格ゆえか龍姫さん、虎子が雀に歩巳をさそってどっかに行くのに自分が誘われなかったことを当たり前、って言いつつ開き直り気味なところを見せつつ寂しげに振り返りつつ帰ったらみんないたというその展開。去来するのは安心感なんだろうけどそれをおくびにも出さずにツンケンしている態度の何というかいじらしさが胸をキュンと締め付ける。可愛いねえ。でもってはじまった放課後の友人宅。だらだらとしながらおやつをたべ夕飯をたべ大人パンツを観察する日常ぶりにそんな日々に還りたい耽溺したいって気もうかぶけど今となっちゃあ訪ねる友人宅もなし。招ける部屋もなし。しっとりとテレビの中に花咲く友情って奴をながめて老い先短い人生で、まだできることって奴を考えるのだ。碁会所にでも通うか。
「ハチワンダイバー」のドラマ版のDVDボックスがそろそろ近いなあとアラートを流しつつ「コードギアス 反逆のルルーシュR2」のドラマ&ギャグ&歌謡CDの第5弾を仕入れて今回もやっぱりマークは外れだと残念がりつつ「月刊アニメージュ」の2008年12月号なんかも確保。表紙のファントムファイヴの衣装がロリ。良いものです。でもってOVA批評のコーナーでは、例の「コブラ」のOVAに案外と真っ当な星が並んでいるのを見るにつけ、アニメファンとは案外に保守的な存在なのかもと理解すべきなんだと考える。寺沢武一さんのインタビュー前にサンプルで見たけどそれよりも幾分か手が入っているって話だったから、これは買って見てみても大丈夫、なのかな。ぶるまほげろーさんは「オーソドックスで安定感のある仕上がり。普通に面白い」って言っているし、星2つとやや厳しめのあさりよしとおさんだって「70年代テイストが懐かしい人には★★★」と言い「個人的に嫌いじゃない」とも言っているから連載の「コブラ」を貪り読み、アニメの「スペースコブラ」を見て育った身にはそれでオッケーなんだろう。2巻も出ていることだしチェックしてみるか、どうするか、どうしよう。
んで第9巻が出て第1部完結となった高遠るいさん「シンシア・ザ・ミッション」(秋田書店)は帝王キングカイザー100世の中身が判明、って高野果苗じゃあなくって弑・四方犠の方なのか。どっちが本当の人格なのかって説明があったか記憶にないけど本来はこっちだけれども世を忍んで弱い果苗の人格を作り上げたって理解は成り立つのかどうなのか。んでもって「誰?」って言った久我阿頼耶。重なってはいなかったのか。でもってラストバトルは半分以上はシベール・ロウが勝ってたみたいだけれどもまあそこは仲間の力でシンシア・ロウが勝利者に。ほとんど無傷なシベールは、試合の途中で自分を操った紫水ほたるに挑んでとんでもない目に。やっぱり最強は邪眼だったのか。まあそんなこんなで片づいた美少女格闘アクション漫画に果たして続きは? おーるすっぽんぽんの巨大美少女格闘バトルな「みかるんX」も悪くはないけど慎ましやかにスカートとかの衣装をつけつつちらりちらりと見せる奥ゆかしさが残る「シンシア・ザ・ミッション」も是非に再登板を。
8角リングで掴まえられたらちょっぴりヤバい気もするけれどもそこからだって大逆転できるのが優れた格闘家、ってことで選んだのかもしれない須藤元気さんの小説作品「キャッチャー・イン・ザ・オクタゴン」(幻冬舎)。プロになってまだ3戦ほどしかしていない若い格闘家にアメリカのアルティメットなオクタゴンのリングで闘うチャンスが与えられる。高校に入って新入生歓迎の目的で行われたカルタの大会に同級生たちと出たものの決勝で当たった進学クラスの女の子チームにあえなく敗北。その中にいた寡黙そうな少女に引かれた主人公の少年は、けれども彼女に彼氏がいると分かって初失恋。入学から数ヶ月を経てレスリング部に入って練習を重ね、先輩のしごきに悪戯で返したりしながら次第に強くなってそしてどうにかプロになる。
そんな合間に憧れた彼女に彼氏なんていないと分かってつき合うかというとやや曲折。それでもどうにかつきあい始めたものの彼女は会社に入ってバリバリと仕事をしている身。一方の彼はアルバイトをしながら格闘生活という状況。普通だったらそこでいろいろ諍いないもありそうなんだけれども須藤元気の筆は飄々として2人が村上春樹チックに互いを認め合い理解し合っているような会話をかさねながらクールでスマートな関係を描いていく。やがて訪れたフロリダでの試合。電話をかけて不安を見せる男に彼女は容赦なく土産を買って来いだの言っておおのきもしない。そして試合を経て帰国して彼は彼女が部屋にいて、掃除して彼を包み込んでくれたことを淡々と喜ぶ。格闘モノなのに暑苦しくなく恋愛ものなのにベタついてもない、静かで優しい物語。格闘シーンの描写はさすがに経験者ならではのリアリティだけど、そこだけじゃないところに新しい書き手の登場って奴を感じさせそう。21日には銀座でサイン会か。見てみたいなあ。いやもう前に見たことはあるけれど。
【11月12日】 んじゃあと「新造人間キャシャーン」の昔のをDVD−BOXで見返して「戦場に響け協奏曲」のなるほど評判になるくらいの出来の良さだと納得。盲目のピアニストの少女に近づくキャシャーンにハッと警戒する少女。理由は跫音が人間と違っていたから。それで畏れられるキャシャーンの内心にわき上がる自分はやっぱり人間じゃないんだ、畏れられるロボットに近い存在なんだという葛藤という、作品全体にも流れるテーマを瞬間に描いてみせるシナリオ演出の工夫が素晴らしい。
少女は声が岡本茉莉さんで森功至さんがその兄の指揮者役で出演と、タツノコアニメ好きにはたまらない配役。まだ全部が見切れた訳じゃないんで富野喜幸演出なんかもピックアップして見てみよう。それにしても中村光毅さんの美術を背景にドカンといった爆発のシーンとか劇画タッチの人物とか、そのまんま「ザンボット3」であり「機動戦士ガンダム」だよなあ。ここに源流があったんだなあ。
最終回も見たけれども小隅黎さんはどちらかといえば悲劇って言っているけど、人間に戻れなくたって生きていけるんだって明るさがあるようにも見えて解釈にいろいろ。この多様性が新番組の「キャシャーンsins」を生みだし、新しいドラマを乗せて展開してはいろいろと考えさせる力になっているのかも。どこに向かって進んでいるのか「キャシャーンsins」。見続けよう。
うりゃうりゃと「ライセンシングアジア」を見物に「東京ビッグサイト」へ。まずは可愛い系にされた「ヤッターマン」のガンちゃんアイちゃんに三悪を目に治めつつティンカーベルから出ているグッズ類の目新しさに惚れつつ来るべきフカキョンのドロンジョの衣装お披露目に期待しつつ天野喜孝さんがデザインをしたシロクマがモデルになったシュタイフのティディベア5万円をさてはて買うべきかどうするかと悩みつつ場内を散策。
フジテレビKIDSのブースがあって「ガチャピンは来るの?」って訪ねたら「ガチャピンはヒマラヤにいて来られません」って言われてそりゃどういう訳だと
「ガチャピン日記」
を見たらどうやらヒマラヤあたりを歩いているらしー。あの体躯でヒマラヤも制服とは恐るべしガチャピン。地球で1番、野田昌宏さんに近い場所に行ってお別れを言うんだね。代わりにムックががんばるって言っていたけど会場には来たのかな。会期中にまた行ってムックの活躍、見てこよう。
しばらく前から阪神タイガースのライツ事業部隊がずっと出ていた「ライセンシングアジア」だけれど、地方に根ざしてローカルに活動している日本の球団でも、十分に全国区でライセンスビジネスを展開できるくらいにプロパティの価値を持っているんだってことを自らライセンス事業を行うことで証明してみせた、その心意気に賛同したのか今年から初めて東北楽天ゴールデンイーグルスが出展。タイガースの向かいに店をかまえて例のクリムゾンレッドがモチーフとなったグッズ類とかちょっぴり格好良さげにアレンジされた帽子なんかを見せていた。
そりゃあ東北がフランチャイズな球団でそっちで売れればそれなりに稼げるんだろうけれど、選手の中には田中将大さんのよーに全国区の人気を持つ人も生まれてる。っていうか野村監督自身が全国区。その価値を東北だけに留めておくのはもったいないと、出展しては東京あたりの人たちにプロパティを見てもらい、少しづつでも全国に足がかりを得ていこうってことみたい。他の球団はまあ二の足を踏んでるみたいだけれど、タイガースにゴールデンイーグルスがこれで成果を出せば、各球団も取引先の企業任せにしないで自分たちでライツを管理するようになって、そして「ライセンシングアジア」に揃って出展してグッズの出来不出来を競い合う、て光景が見られるかも。とりあえず中日ドラゴンズにはドアラ関連の出展を望みたい。
マーベルの代理店をアトラスが始めていたりアグネス・ラムのライセンスなんてものが動いていたりと興味深い出来事もあれこれ。東北新社じゃオードリー・ヘップバーンを扱っていたし他ではマリリン・モンローもいたりと美女プロパティの価値の高さと保つ永さに瞬間風速的な男性アイドルのわびしさを感じる。ジェームス・ディーンくらいだよなあ、永遠のメンズなフォトジェニックって。あとは中島潔さんって童話のよーな和風の絵を描いて根強い人気を持った画家の作品に出てくる子犬の「うめ吉」と「あやか」を仲のシロウさんが新たにリデザインしたニュー「うめ吉&あやか」も登場。創造教育センターってところが見せていたそれは目がつぶらなボタンから、「の」の字の可愛い系に代わって現代的な雰囲気を見せていたけど、中島さんの画風が好きな人にはどう見えるのか不明。反応を見たい。
個人クリエーターが軒を並べてプロパティを見せるコーナーもやっぱりあってその中では
「我」
って人が出してたグロっぽいフィギュアが超クール。まんまアメリカの雑誌とかに出ていたって不思議はないフォルムに色彩にデザインなんだけれども、聞くと世界的になんか活躍はしていなくってバイクとかタトゥーの雑誌をメインにフィギュアを造型したりリングのデザインをしたりしているらしー。何しろ拠点が境港だ鳥取の。島根が拠点のFROGMANさんとちょい重なるところもあるけれど、だからといって作るものがローカルってことは全然なくってグローバルに通用する造型を見せている。探せばわいて出てくる個性派クリエーター。そんな人がより大きなフィールドを得られるよう新しい出会いを作ってあげる場が「ライセンシングアジア」なんだけれど、果たしてどれだけの興味が集まったかな。今後の活躍に要注目。
【11月11日】 いいいいの日。何の日だ。とりあえず「ポメラ」を探してあちらこちら。買うって決めた訳じゃないけどあのキーボードがどんな具合かくらいは確かめたくって果たしてペコペコで打ちづらいのか、小さすぎて指が乗らないのかどうかを見るべく新宿に行ったついでに「ヨドバシカメラ」のパソコン売り場を探してもまるで見つからず。2時間3時間した電池がもたない意味不明なミニノートって奴はいっぱいあって、これなら値段は3倍だけれど10時間とか持つパナソニックの「レッツノート」にした方が良いじゃんって思ったりもしつつうろうろと売り場を歩いても未確認。こりゃ売り切れかもと出てちょい歩いた事務機器のコーナーにあったよあった、ありました。テプラとか電子辞書なんかを販売しているコーナー。つまりはそういう扱いなのか「ポメラ」って。PCじゃないもんなあ。
んで打ってみたら打感はなかなかにしっかり。きちっと押せてしたっと戻る。厚みは「ThinkPad」に慣れている身にはやや薄い感じがしないでもないけれど、広がるキーボードはピッチも十分で、ちゃんとしたポジションをとれば音声を聞きながら打ち込むのにはそれほど不自由はしなさそう。土台となる部分もなかなかに堅牢。とはいえパソコンみたく膝上で使うのはちょっときついか。だからテーブルでメモとかアイディアノートとか取るのに最適かも。あるいは小説をつるつると書き溜めるとか。1ファイルで原稿用紙20枚文くらい書けたんだっけ? メモリーカードを入れれば記録もどこまでだって可能なんでこいつを買ってネットとか見て寄り道しないでひたすらに文字を打ち込む毎日を続けて目指せ電撃大賞。そりゃ無謀だ。3500通だもんなあ。スクウェア・エニックスの
小説新人賞
なんてどーだろう? 応募どれくらい集まるんだっけ?
新宿ではあと
「どんぶりドンキー」
とやらを見物。あの「びっくりドンキー」が始めた新業態でハンバーグなんかが上に乗った丼なんかを出すお店。そう聞くだけでこりゃイケそうだって期待したけど、欲張って洋風のフォンドボーカリー丼とやらを食ったら下に敷いてあるご飯が五穀十七菜って野菜なんかが炊き込まれたものになっててカリーにあんまり合わず。この味なら照り焼き風とか和風なハンバーグを上に載せたものを選ぶのが味的にも正しいのかもしれないなあ。メニューからだとノーマルな「元祖ハンバーグ丼」がやっぱりベストか。「月見野菜丼」もちょっとイケそー。新宿御苑と新宿三丁目の間くらいで歩くと割にありそーだけれど11月3日にオープンで今んところ日本にここだけみたいなんで、機会を見て通って早々に全メニューを制覇だ。
そんな行き帰りで「東京スポーツ」を買ったら値段が130円に上がってた、ってのはもう1週間くらい前からか、ついに来るものが来たよなあ、そんな時代に果たしてやっていけるのかワンコイン新聞。他人事じゃあまるで全然ないけれど。そうだ「東京スポーツ」では1面に堂々「中田英寿現役復帰」の記事を掲載。人面魚とかUFOなんて飛び飛びに飛びまくった記事も載せるけどこと芸能なりスポーツではちゃんとそれなりな取材もしている、とは思うからまんざらガセネタでもないんだろー。っていうかやっぱり中田英寿さんはサッカーをやっていてこその存在感。旅人じゃあはっきりいって価値はないし、前の残り香も次第に薄れて最近は誰も興味を示さなくなっている。コーチでも何でも良いから戻ってくるべきだって思っていたら嬉しい嬉しい現役復帰。可能なら是非にJリーグのチームに入って欲しかったけれどもそれが無理でもちゃんと試合に出られるチームで体を戻して来るべき2010年の「FIFAワールドカップ南アフリカ大会」に出場してやって欲しいもの。その強靱さと献身性を買って使える監督を仰いで。シュワーボオスタニ。
そんな嬉しい話とは別に上の方では“イヌ害”が大爆発。マジで大分トリニータとジェフユナイテッド市原・千葉を制裁する気でいるらしいけどルールなんてないのにどーゆー理屈で処分できるのかがまず注目。無法者のそしりを受けても断行したとしたらもはやその座に留まることは不可能と知れ。そんなんでよく企業の偉いさんなんかが勤まったよなあ。法律に反したことなんかも散々ぱらやってたんじゃないかって可能性が浮かんで消えない。そういやいろいろあったもんなあスリーダイヤの自動車屋。もしかして身に染みついた習い性? だいたいがジェフ千葉は規定に反してないんだったっけ。対してジュビロ磐田は規定違反も明々白々なのに“イヌ害”の口から磐田の名前が挙がらないのはもしかして周りが見えていないからなのか。1つのことしか頭が考えられないのか。御用メディアが春秋制かか秋春制への移行の下地慣らしだって擁護しているけれど、無法を通して受け入れられる改革なんてものが許されるはずがない。それでもいろいろ断行したその時が、日本サッカー界の終幕かもしれないなあ。せめて1人の破滅に留める勇気が欲しいなあ。
来たよ来た来た帰ってきたよ
上野毛あさみ
さん原作で黒岩よしひろさん作画の超絶おもしろ漫才漫画
「ステージガールズ」
が。今となってはうたかたの夢だった無料漫画誌「コミックガンボ」に連載されてた数ある漫画の中でも「パート怪人悪キューレ」と並んで1、2を争う面白さだった漫画だったけれどいよいよクライマックスってところで雑誌が消滅。単行本も出るには出たけど1巻のみで続きは読めない状態がもう1年近く続いてた。いつかどこかで再始動、なんて期待もあったんだけれど漫画の業界って狭いのかそれとも広いのか、「ガンボ」初で連載がうつったのって1つくらいしかなくってもはやこのまま消え去るのみかって寂しい思いをしていたら、「人間噂八百」に「私設東京博物誌」あたりが何故かお膝元から始まって、そしてその延長で真打ちともクライマックスとも言える「ステージガールズ」が完全版として蘇った。嬉しい嬉しい。
感想文
を書いて散々っぱら讃えた身としては嬉しい限り。小躍りしちゃおうえっさおっさ。
さらに嬉しいことには続刊もちゃんとあるみたいで「コーラスライン篇」に「ウエストサイド物語篇」なんてのも刊行されるとかどうとか、ってどういうこっちゃこのサブタイトル。連載をずっと読んでたけれどもコーラスラインもウエストサイド物語も別いnやってなかったよなあ。まあ「おかしな二人」がそもそも舞台劇のタイトルからなんでそっちの流れてミュージカル2つを引いてサブタイにしたいんだろー。話はこのあとシゲさん復活からマゼコン参加へと向かい関門を越えて罠にもはまってそして迎える決勝戦? それは連載が終わって読めなかったから知らないけれども別れてそして別々のコンビで再会した2人がきっと共に幸せをつかむシーンを願って買い続けよう、続刊を。まさか今度の版元まで……ってそれ、洒落にならねえ。
【11月10日】 拙い拙い拙い拙いぞジェフユナイテッド市原・千葉は大分トリニータと引き分けて勝ち点を1つしか積み上げられないまま17位の自動降格圏に踏みとどまって首の皮もぎりぎり。これで次の横浜F・マリノス戦に負けるようなことになればさらに降格の色は増し、来年の地方行脚も確実になって来るんだけれどもそこはマリノス、守備の要の中澤祐二選手が怪我で代表からも離れていたりするあたりに勝機を見出したいんだけれど、昨今“犬害”の異名もますます光ってきたど阿呆が、規定に照らしてもぎりぎりながら満たしているはずのジェフ千葉に制裁だなんて言い出しているから鬱陶しいというかうざったいというか。犬に害なすおっさんの戯れ言なんぞ気にせずがんばって欲しいところだけれどメンタルの弱さは筋金入りだからなあ。鍛えておくれミラーさん。
2006年のゴールデンウィークに編集長の人が東奔西走しつつ「涼宮ハルヒの憂鬱」の増刷なんかに対応してたって話を聞いたことがあるんで06年の4月にアニメーション版の放送が始まって、放送分の第1話からいきなりフェイクな回をぶつけてそれから本編へと入ってもなお他のエピソードが飛び石みたいに挟まったりする不思議展開に、こりゃあ何だと驚き合われて小説版を買いに走った人の割にとてつもなくいたってことは脳がくっきりと覚えている。
加えてなかなか進まない「憂鬱」の先行きをやきもきしつつすでにそれが終わったものとして繰り広げられる野球だったり推理だったり学園祭だったりする日常のユルさを味わう展開となって、そのそれぞれの出来の良さとあとはやっぱりエンディングの爆発的な流行が重なり「涼宮ハルヒの憂鬱」は角川でも屈指のメディアミックスコンテンツへと育って「ザ・スニーカー」の最新号にフィギュアがつけられるくらいに今なおその人気を維持している。
だから2006年の4月5月といった辺りを分水嶺にそれ以前において「涼宮ハルヒの憂鬱」が今ほどの超人気作品ではなかったという安藤健二さん「封印作品の憂鬱」(洋泉社、1500円)において「歯車と少女」って「涼宮ハルヒの憂鬱」を扱った項目での三村美衣さんのコメントは実に当を得たもので、第1作目の「憂鬱」に見られたオタク的ライトノベル的シチュエーションを逆手に取ったメタフィジカルな構造にほくそ笑んだ深い読み手はいっぱいいたし、「涼宮ハルヒの消失」なんかに見られるSF的な思弁性たっぷりな展開を喜んだSF者もやっぱりいた。
けど一般の、ライトノベルを読みつけている人にとってはちょっぴり敷居が高いシリーズだったってことは自分自身が読者として身をもって感じていた。アニメ化するって決まった時もそうかようやくって意識はあったものの遅すぎるって意識はなかった。それがアニメの放送で一変した。アニメの出来の良さや仕掛けの面白さが作品にあった敷居を超えてでも読んでみたいって人を生みだして、今の超特大なベストセラーに至ったって分析は出来ると思う。
つまりはだからアニメ化以前のそれも1年以上前の時点で漫画版が連載されながらあんまり伸びずにうち切られたのも事情としては忖度可能で、今から思えば漫画としてのクオリティがどうこうって話もその理由に浮かぶんだろうけれども、きっと当時読んでた人はライトノベル原作の漫画が1つ出てそして終わったって程度の印象しか持たなかったんじゃなかろーか。そういう作品を積極的にプッシュすることがなかなかに難しいのは、他にもたくさんの人気作品を抱えている編集部としては仕方のないとこで、意図した“封印”をそこに見ることができるかっていうと、ちょっと引くものがある。
あとアニメの人気が高まった2006年4月か5月以降でも、「月刊ニュータイプ」の表紙にならなかったのは千葉テレビだったりテレビ埼玉といったUHF系での放送に限定されていたからで、全国で売らなきゃいけないアニメ誌が全国でネットされていないアニメ作品を表紙にはなかなか出来ないって話を、アニメ誌の人から確か聞いたことがある。そりゃそうだよなあ。東京都下ですら放送されていないアニメが表紙のアニメ誌なんて買わないもんなあ。
まあそんな時期的な概況を勘案しつつ補正しながら読んでもいろいろと知るところの結構あった「歯車と少女」。途中で途切れたまま単行本の続きが出ない理由とかはまあ連載作品のすべてが単行本化されていない作品の多々あるとはいえやはりいろいろ事情もあったんじゃにかって思わせてくれるし、「らき☆すた」で1話から4話くらいまでを監督していた山本寛さんが降板した理由でいろいろ上との関係があったんじゃないかって指摘にも、そういうことってあるかもしれないなあと考えさせてくれる。
個人的にはど派手なオープニングが一変してまったりとして淡々としながら会話の妙で見せていくヤマカン演出の「らき☆すた」が割と好きだっただけに、降板は残念ではあったっけ。実際にDVDも1巻しか買ってないし。2期が新シリーズなのかってあたりもまるで分からないけれどもとりあえず望みたいのは途中で止まっている小説の続きが早く読みたいなあ、ってことか。そちらがなかなか出ない理由、安藤さんはどう見ているんだろう? 気になる気になる。
上を見たら果てしなく、下を見ると底なし沼。気を抜いたら落ちていくだけの人生にくたびれ果てても、死ぬほどの本気にはなれはしない。どうしようもない不安に身を苛まれながらも生きていくしかない中年男の見苦しさ、みっともなさが露わにされて、似た境遇にある世の中年男たちをおののかせる。吉田修一の「元職員」(講談社)はそんな小説だ。
タイに休暇でやって来た公社職員の男は、タイに長く暮らす青年と知り合いミントという少女を紹介してもらう。男はタイの人たちや風俗を見下す日本人旅行者の振るまいを非難していたはず。それがタイの少女を金で買ってはパトロン気分で少女の弟に会いに行って反感を買い、殴られる。自分だけは平等に世界を見ているのだと思う心は実は、平等なんかではありえないんだと認めている心の裏返し。身を下げて接する態度の尊大さ、それを己では認めない愚鈍さが同様に差別の心を消せない世の人たちを苛立たせる。
そもそも男が妻を置いて1人でタイに来たのには理由があって、明かな危機に直面しながら、そこから逃亡も懺悔もできないまま根拠のない楽観主義にひたって今をやり過ごす。中年男に限らず、先の見えない社会に生きている日本人全員に、それで良いのかと問いかけてくる物語。読んで何とかしなければと、まるで思えて来ないところに今の社会の末期ぶりも見えてくる。現役でありながらも「元職員」というタイトルが付けられているところにも、不安にのたうちまわるなかで見える最善と最悪、その両極端の最悪がフラッシュバックする悪夢を促す効果がありそう。講談社創業100周年記念出版の「書き下ろし100冊」第1弾。それだけの重さに応えてなお強烈な存在感を放つ作品と言えそう。
んでもって2日連続で「秋葉原UDX」へと出向いてMr.さん初監督作品の「誰も死なない」をやっと見る。「学園祭」では見なかったんだよなあ。んでもって案外にメロウな内容とかあったけれども基本はやっぱりMr.がオタクとして見たい映像を自ら撮影したパーソナルムービーって感じ? スクール水着での平泳ぎを真後ろから撮ったりブルマ姿で片足上げて銃を撃つ場面を下から舐めたりするカメラワークがばっつぐん。女の子の何が見たいかってのを知り尽くした人間がその通りにとってあるんで女の子のそれが見たい人にはとっても受けそう。
そりゃあピンクだの青だのってカラフルで茂みでも目立って仕方のない迷彩服でサバゲーをやってもいいんかいと思ったり、喘息持ちの少女の部屋が縫いぐるみでいっぱいなのはどうしてだいって感じたり、近距離で撃ち合って当たらないサバゲーって何だろうって訝ったりしたのも事実だけれど狙いはそんなところにはない。見たいもの。それを見せるためのフックみたいなもんだと思えばまるで気にならない。これが村上隆さんならオタクってこういうのが見たいんだよね的マーケティングなスピリッツを取り入れつつ最適化してみせたりした作品を作り出しつつ、それを外部にプレゼンテーションしてこういう感じなんですオタクってって行ってみせる2重のコンテクストを仕掛けることになるんだろー。
けれどもMr.の場合は心底よりの願望をまっすぐに移してみせる。あるいみで純粋なオタクってことなんだろう。そんな純粋なオタクが繰り出すオタク願望の垂れ流しを、アートと称しアーティストを認めてプレゼンしてみせたのが村上さん。言うなればMr.自信が「オタクアーティスト」ってタイトルの村上さんの作品でもあるんだけれどそういうことを書き出すと面倒なんで記事には書かない。終了後にMr.とか村上隆さんにご挨拶。もちろん10数年前に名刺交換とかしたことなんざあ覚えてらっしゃいません。そういうものだよ一般人って。有名になりたいなあ。真っ当に。
【11月9日】 コーキが来たコーキがやっと来た。スコットランドのセルティックの水野晃樹選手がようやくもってリーグ戦にてトップチームに初出場。後半も最後になっての投入だけれどその中でもたぶんきっとゴリゴリなドリブルとか素早いクロスを見せて次への印象を残してくれたと信じたい。中村俊輔選手が不調で出られない間だけかもしれないけれども来年の横浜F・マリノス復帰なんて話もあったりする中村選手をストラカン監督が敬遠して右のサイドに突破しクロスも上げられる水野選手をこれから使ってくれるよーになれば体調も整い実績も積み上がって代表へ招集、なんてことだけはやっぱりないか。うっちー大好きだしあの眼鏡。
そんな眼鏡の率いる代表にけが人続出。楢崎正剛選手は怪我で遠征自体な模様でそれから守備の要の中澤選手もやっぱり怪我でちょっとヤバそう。残るは田中マルクス闘梨王選手だけ? でもって上がりっぱなしのトゥーリオ選手の隙間をやられて得点を奪われカタールに敗戦ってシナリオが妙にクッキリと目に浮かんで来るのが何というか悩ましいというか。阿部勇樹選手がやっぱりセンターバックに入るのかなあ。対人能力を買って水本裕貴選手を招集なんてことはないよなあ、岡ちゃんに限って。とりあえずシリア戦での闘いブリとあと本番での闘いぶりを見て年末年始の動きに期待しよう。
とはいえトップがまた阿呆だからなあ。育成年代にバックパスを禁止する? それだと組み立てとかどうするんだ。もちろん逃げのバックパスはあんまり宜しくないけれど、最終ラインにいったん戻してそこから組み立て直す攻めってものもある訳で、だからこそオシム監督なんてキーパーにすら足技を使うように厳命していたのに、それを禁じてしまったらディフェンスの人たちはただ受けて守るだけってことにならないか。ブラッターは100言う101が愚作だけれどもそれでも周りがしっかりと差配してそれなりな運営をしちえるFIFA。比べてトップがワンマンなJFAでは阿呆がそのまま通りかねないんだよなあ。心配だしんぱいだ。
キラッ。ってことで「マクロスF」の痛車とやらを見にお台場へと足を運んで「痛Gフェスタ」をぞろりと見物。すっげえ広さの駐車場にマジに500台とかの痛車が参集。どちらかといえばヤンキー文化に近い車の改造とオタク的なモチーフがぶつかり合って反発しあって分裂気味に進んでいるんじゃないのかなって気もしていたけれど、会場に入るとオタク的な風貌でもって車をいじくる人もいればヤンキー的な視点で車の改造されっぷりを見ている人もいたりして、つまりはそんな異なる文化が融合し合っているんだってことを伺わせる展示会になっていた。
これが10年前だと漫画やアニメをモチーフに車をいじくるヤンキーなんていなかったように思うけれど、その辺りの壁がここに来て低くなっているのはどーゆー理由があるんだろう? あるいは都会だと明確にヤンキーとオタクって見た目も考え方も違うっぽいけど、田舎あたりだとヤンキー的なマインドもオタク的なマインドもそんなに差異はなかったりして、ヤンキーが実は漫画もアニメも見ていたりして車をそういう風にいじったりするものなのか。世代がぐるりと上がった現在においてゲームもやればアニメも見るし漫画も読むヤンキーが増えて、融合を果たしてしまっているものなのか。ヤンキーが好みそうな暴走族漫画とかがモチーフになった痛車って別にないしなあ。ちょっと分からないけどどっちにしても愉快なことには変わりはない。
ヤンキー文化圏にどちらかといえばあるパチンコにアニメとか漫画のキャラクターが平気で使われるよーになっているのもひとつの融合の形? 以前はそれでも昔懐かしいキャラクターばかりだったのが、「新世紀エヴァンゲリオン」あたりから最近のキャラでも別に平気でパチンコになったりするからなあ、「創世のアクエリオン」なんかが良い例でアニメなんてオタクな人しか見ていなかったのにパチンコになると普通の人が平気で遊んで「一万年と2000年前から」とか口ずさんでる。見た目が気色悪いとか別に言わない。これも世代が下がって違和感を覚えない層がメーンになっているからなのか。単に純粋に面白いから遊んでいるだけなのか。うーん分からないなあ。誰か解説してくれないかなあ。「ゼロアカ道場」に通っている面子とか。でも「文学フリマ」で精一杯で「痛Gフェスタ」を見ていないから無理か。好きなら「文フリ」すっ飛ばして「痛G」に行くもんなあ。
まあ昼から言っても評論の同人誌なんでそんなに売れないだろうと思ってしばらくうろうろ。例のうっうっーうまうまなフェラーリがいてあんまりなうまうまぶりに中身のねだんお高さも吹っ飛ぶ。RX−7あたりと代わらなく見えてしまうんだよなあ。でもちゃんとエンブレムは跳ね馬。まさしく馬馬。洒落だったのか? 近所にはうっうっうしうしーなランボルギーニの痛車も登場。ニトロプラスあたりの痛車? ちょっと不明。まあこの辺はおそらく半分くらいは企業のオフィシャルってことで痛くしたてそれが宣伝になってちょうど良いって判断なんだろう。個人が本気でやり始めるようになってからがやっぱり文化として定着して来たってことになるのかな。とりあえず年明けの「オートサロン」あたりでどれくらいのムーブメントが起こっているかに注目。
その意味では企業なんかの参入具合にも関心。今は個人が勝手にやっているのが多いけれども版権をとってなおかつマニアも納得のものが出始めるあたりがひとつの成長のメルクマールってことになるんだろー。そんな先駆けになりそーなのが「マクロスF」のオフィシャルなカットシートってことで会場ではその予約を受け付け中。でっかいシェリルさんとか2万5000円と高いけれどもモチーフの良さと大きさから考えるなら買って家とかに飾って置いても悪くはなさそう。ラッピングバスなんかを手がけているホンマもんの会社が作っているから5年間は退色なし。気泡もなしに貼れてそして塗装を痛めず剥がせる特殊加工。でもなあ、5年後にいったい「マクロスF」がどれだけのムーブメントを残しているんだろう。いやいや誰も覚えていない5年も前のアニメを堂々と貼る勇気こそが“痛車”の神髄ってことなのだ。貼ったら剥がすな5年間。それが愛だ。それこそが愛なのだ。
ご近所ではシー・シー・ピーの痛ラジコンが売られていたんで早速購入。もちろんランカのインプレッサとシェリルのランエボの両方だ。売ってた人に訪ねるとショップなんかにも入り始めて居るんだけれどすぐに品切れになるところが多いとか。やっぱり世の中ちょっとヘンかも。ちなみに2009年には待望のクランクランのスープラも登場の予定とか。ちびクランがボンネットにくっきりとプリントされたキュートでセクシーなスープラを君もゲットだ。ナナセさんは出ないのかな。出るとしたら車種は何が良いのかな。グラマラスボディってことでフェアレディZか。
みっくみくにしてやれそうな初音ミクのシートなんかも購入してから「ゆりかもめ」とJRと乗り継ぎ秋葉原へ。途中でお台場ラーメン横丁だか何かで徳島のラーメンを所望、豚肉がわんさかのっててなかなかに美味。んでもって秋葉原の「文学フリマ」では
「東浩紀のゼロアカ道場」
の同人誌即売競争のまさにまっただ中。評論かだらそんなに来ないなんて甘かった。階段に連なり行列が出来ているのを眺めつつその勢いの速さにこりゃあ売り切れるものも出るかもって思いつつ、けれども例年だと欲しい人はさっさと来て帰ってあとはまったりな状況なんで、今回も午後に出足が鈍って売れ残りなんて可能性も考え果たしてどっちに転ぶかを観察。正午過ぎにいったん人手が途絶えてやっぱり無理かと諦めかけたもののその後に盛り返し、午後の1時で350部とか売る所も出てきて完売の可能性がぐっと高まる。
さらに時間が経っても人手は途絶えず完売を達成するところが続々。詳細は「ゼロアカ道場」のサイトなんかに出るんだろーから任せるけれども、1つが売り切りさらに1つまた1つと売り切って、最終的はどうなんだろう、5つか6つのブースが完売を達成したんじゃなかろーか。1組500部で道場破りも含めて8つが揃って4000部。そのうちの3500は軽く売り切って実売率的には8割くらいに達した模様。そんだけ売る文芸誌なり批評誌がどれだけあるってことを考え、たとえイベント色が強かったとはいえ素人が書いたものってことを混ぜ合わせると、やっぱり半端じゃない売れ行きを見せたってことだけは言えそう。案外に主要な文芸誌の実売部数を全部足したものより売れていたりして。そりゃあ事件だ。滅茶苦茶事件だ。
事件なんだけれどもそんな事件に立ち会っているべきメディアのまるでいないのはどういう訳だ。テレビカメラが2台3台取り囲んで完売のシーンを撮って、その周辺をネクタイ姿の新聞記者が固めて口々に「ご感想は」と聞いていたって不思議はないくらいのシーンにいたメディアは1つくらい? テレビカメラなんて当然なし。というか取材に来ていたところもそんなにないってのは実はちょっと意外だった。いつだったか宇野常寛さんが「朝日新聞」に堂々と登場していたのを見るにつけ、批評の世界に入ってくる若い人が増えていることをメディアも当然のごとくキャッチしウォッチしているもんだと思ってた。だから朝日はもとより読売毎日といった「カヲル本」に名を貸すメディアが居並び状況を見守っていて当然かもって思っていたけど、そんな空気はまるで見えない。
結局のところは何だろう、中森明夫さんが紹介したって上乗せがあったから取り上げられたってことなのか。権威によるお墨付きがあって初めて通り抜けられる関門なのか。これを思うとたとえ「ゼロアカ道場」で勝ち抜けたからってその後とりあえず「講談社BOX」で1冊出して、さらに一般のメディアへと進出して永続的に批評を行っていくなんてちょっと無理なんじゃないかって気がして来た。それは当人の実力云々ってよりもすでにメジャーな存在か、あるいは権威がお墨付きを与えた存在しか取り上げない安全志向、権威志向が一般メディアに硬く強くはびこっているってことで、この壁を突破するのってなかなか容易じゃない。はっきり言って無理かもしれない。
だからこれからも苦労するかもしれないんだけれども、そうやって権威にすがって生きてる古手のメディアなんざぁ権威を大事にする輩ともども衰退し消滅していくのが関の山。さらに下の権威なんざあ気にもしないで今ある面白いものに飛びつき振りまわす若い人たちを受け手として、伸びていけばいいだけのことだから何も気にする必要はないのかも。すでにしてライトノベルってジャンルが一般文芸の権威から外れたところで数量的にはメジャー中のメジャーな位置づけを締めている。文芸誌よりライトノベル誌の方が実際問題売れている。そういう場所に居所を見つけていくことできっと生き残っていけるんだろう。そんな人たちに居場所を横取りされないようにこっちとしてもがんばらないと。とりあえずは買ってきた痛ラジコンにシールを貼って完成させて気分だけでも若返ろう。キラッ。
【11月8日】 「栄光なき天才たち」では確か単行本の第6巻に掲載されているエピソード。読売新聞社会部の立松和博記者がスクープ記事を書いたもののそれが検察の情報漏洩を見つけだす策略に載ったガセネタで、立松記者は名誉毀損なんていう容疑で逮捕されて拘留されて、けれども倫理にのっとりネタ元を口にしなかったことで記者の鏡と讃えられつつ、どうにか釈放されたものの程なくガセネタだったことが分かって読売新聞はデカデカと記事取り消しを宣言し、立松記者記者は失意のうちに世を去った。
このエピソードの原型はたぶん立松記者と同じ読売社会部で仕事をしていた本田靖春さんの「不当逮捕」という本で、今はそれは旬報社というところから出た「本田靖春集」で、他の吉展ちゃん誘拐事件を取り上げた「誘拐」や、金嬉老事件を扱った「私戦」といった戦後を代表するノンフィクションなんかと合わせて読むことが出来る。
そんな本田さんが糖尿病の症状が重くなって両足を切断し、さらにガンで闘病を経て2004年に亡くなった時にいったいどれだけのメディアがその訃報を取り上げたんだろうかを今から調べるのってちょっと面倒だけれど、少なくともテレビメディアが即日にその偉績を並べて訃報を流して死を悼んだって記憶はないし、翌日のスポーツ新聞が1面にデカデカと訃報記事を掲載し芸能面社会面なんかにも関連記事を入れて痛んだって記憶はない。あるはずもない。
読売時代から売血の拙さを訴え「黄色い血」キャンペーンを展開して今の献血の仕組みが出来上がるのに貢献した人でもあるんだけれど、それだけのジャーナリストの死をそれだけの業績に則して伝えたかってなるとなかなかなに疑問も残る。大阪で大活躍した黒田清さんもそういえば2000年に亡くなったけれど、スポーツ紙が1面で報じたなんて話はなかったよなあ。
だからいったいどういう訳で1面なんだってあたりを筑紫哲也さんの訃報をデカデカと掲載した今朝のスポーツ新聞なんかを見るにつけ、ジャーナリストとしての価値って奴とテレビメディアにおける知名度って奴は必ずしも一致はしないんだってことを改めて思い知らされる。もちろん筑紫さんが朝日新聞の記者時代にニクソン大統領のウォーターゲート事件なんかに触れたり、その後の大統領選なんかををおいかけた報道は面白かったし、「朝日ジャーナル」の編集長として才能のある若い世代を積極的に取り上げて権威をひっくり返してみせた活動もとっても大好きだった。
昨今のメディアが前にも増して権威にはしりそれなりに知られた人しか紹介せず、その権威に頼りすがって延命を図ろうとしている状況を見るにつけ、今こそふたたび「若者たちの神々」的な企画をどんどんとぶち上げて行きたいもんだと願い動いては、周囲の白い目を浴びていたりするんだけれどそれはさておき筑紫さん。「朝日ジャーナル」編集長を降りてテレビに転じて20余年の期間にいったい前を超える実績を残したのか? って辺りにちょっぴり懐疑が浮かぶ。
たぶんいろいろやったんだろう。反戦にしても沖縄の浮揚にしてもやったんだろうけどあの一言、オウム事件に絡んで坂本弁護士にビデオを見せていた局の態度を批判して「TBSは死んだ」と言って喝采を浴びながらもその死んだTBSに出続け、ならば死んだところから生き返らせるだけの力を見せたかというと未だに死に体を維持しながらも続いていたりする状況を、どうにもできなかったことをもってどちらかといえば後ろ向きに評価すべき人なんじゃなかったかって、そんな気分もわき上がる。
けれどもスポーツ紙は1面で新聞なんかも1面でテレビではワイドショーが取り上げ芸能人も多くかけつけたって報道される。もはや芸能人と代わらないこの扱いはつまり芸能な人としてはそれなりなバリューを得た人だって意味なんだろうけどだからといってそれをジャーナリストとしての価値も示しているんだと感じ取るとどこかにすれ違いを起こしそうなんで、ここは今いちど立ち止まってその活動や言説を、振り返りつつジャーナリストの本分について考えてみよう。ともあれ合掌。
せっかくだからと小雨の振るなかを「デザインフェスタ」へ。なんだ
赤兎馬
は出ていないのか。残念。「ちくわぶ」とか見つつうろうろしながら目についたところで名刺なんかを拝領。
YASUKO
って人が並べていた絵はシンプルなんだけれどキュートな少女たちがなかなかに麗しくってちょっと可愛めの小説の表紙なんかに使ったら目に止まりそう。そりゃあライトノベルとは全然違うけれどもだんだんと差異が見つけにくくなってきているラノベ的美少女表紙にこういうのを混ぜてもちょっと違和感を誘えて良いんじゃなかろーか。挑む出版社があるかどーかは別だけど。ないかなあ。
あと
百田まどか
さんって人の墨絵っぽくシンプルな線で女性のボディラインを表現している絵にも着目。見ると島田荘司さんの小説の挿し絵なんかも担当している人らしくって、そんな人でも出てくるんだという驚きつつ、そんな人とも出会える「デザインフェスタ」の面白さを改めて噛みしめる。
TAKORASU
さんはますます人気で造型物も増えてなかなかに賑やか。あとはだからもっと表の世界で活躍してくれることなんだけれど。そういえば「東京コンテンツマーケット」で富野悠由季さんの話を聞いていたはずなんだけれど何か思うことってあったのかなあ。少なくともCGツールで作るんじゃなくってベースは手書きのイラストな人なんで富野さん的にはオッケーな範囲に入る人だったと思うけど。興味。
さらに
みなわ絢
さんて人のドールに釘付け。「弁天小僧菊之介」とかいった歌舞伎の世界のキャラクターをドールっていうかフィギュアにしてみせる人で、スーパードルフィー的な耽美さを持ちながらもアートピースとして美しく、ワンフェス的なキャラクターフィギュアとしても眺めて楽しいハイブリッドな味わいを持っている。聞くとワンフェスにも出展していたとかで、そこでは「劇団新感線」の舞台を漫画にしたものを原作にしたフィギュアを出していたとか。でもやっぱり基本は演劇。そこで繰り広げられる非日常的な空間を、切り取り形にして見せる腕前にはなかなかのものがあるって言えそう。
「デザインフェスタ」はこれが2回目だから初めて会うのも当然か。1点物でも原型をつくって型どりしてレジンキャストを入れて抜いて組み立て彩色した上で、服も自分で手縫いして着せているとかで普通のガレージキットを作るのとは違った手間をかけている点も異色。髪も植毛しなくちゃいけないし。弁天小僧は3点ばかり置いてあったけれどもどれも手作りの完成度。1万5000円は高いかもしれないけれども完成品でこのお値段はむしろ安いと見るべき。やがてメジャーになってテレビの人形劇を手がけるとかなった暁にはお値段倍のさらに倍、なんてなったりして。
でもなあ、買っても保管しておく場所がないんだよなあ我が家には。明日また考えて買うかどうか決めよう。それとももう売り切れちゃったかな。さらにカエルフィギュアの
鎌田光司
さんの所にも挨拶。兎やブタがゴスロリやらビスチェやらを着て踊ってた。新境地? 来年冬のワンフェスが中止になったことがなかなかのダメージで、売る場所を探してイベントなんかと東奔西走の予定とか。出会える機会も多いかな。
そのワンフェスが中止になった原因ともいえる西館(にし・やかた)の1階から4階へとつながるエスカレーターの無事だった方が稼働していたのにやや驚き。事故を起こした方は止められたまんまだけれどそれでも一方でも動かせたのはやはり利便性を考えてのことなのか。降りるあたりでギチギチいっていたのはしばらくぶりに稼働させたからなのか。今後のイベントではどうなるのか。冬コミあたりではどうなるか。そんな4階ではどっかの演劇集団が「風の谷のナウシカ」とか「紅の豚」とか「ルパン三世カリオストロの城」とか「タイタニック」の名場面を演じるパフォーマンスを繰り広げていた。
あれがナウシカかという突っ込みはさておき「その者、青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」ってあたりを手のひらと指先を使って演じていたのにはちょっと笑った。「カリ城」はルパンが塔の上から駆け下り尖塔を足場にクラリスの塔に張りつく場面を再現。スピード感はまあ出てた、かな。そんな感じに楽しんで退散。大宮と磐田がともに買ってジェフ千葉危うし!
【11月7日】 とりあえずことはは音程が微妙だ。例の「つんつんでれつんでれつんつん、つんつんでれつんでれつんつん」の歌の音程を見事に外していたように聞こえたのは、もしかするとヒメの流しているあの朝と夜の町歌の方こそが音程っぱずれで、それを言霊使いなりの言葉への感性でことはが習性して唄っただけなのかも、って思ったけれどもやっぱり違うよなあ、絶対に。それでカラオケで買ってドイツに行こうなんざあ甘い甘い。つか何でカラオケ大会の商品がドイツ行きなんだ「夜桜四重奏」。そんな分からなさが微妙に面白くって先をまた見ようって気にさせてくれる。
原作漫画を読んだらそれともこれでいいやって気になるのかな。「隠の王」だと微妙に違ってる筋とあと、出てくる女性陣のキャラの良さでラストまで引っ張っていかれたけれども「夜桜」だとどの辺にそんな興味を置けば良いのか。さとりのアオちゃんにキョンシー鈴ちゃんのお子さま系の仕草がやっぱり。あるいはヒメがいつ「つんつんでれつんでれつんつん」と唄いだすかって緊張感? それもまた微妙なフック。テーマで言うなら妖怪と人間とのすれ違い、ってところだけれどそうした問題を解消するために作られた町なんだから、誰もが妖怪との共存なんて了解事項。日々の爆発も風景として折り込み済みなんじゃないのかなあ。だから教室でマイクを中空から取り出すことはの振る舞いを、嫌そうに見る同級生たちの描写が気になった。あれは実在? それともそう思われているんじゃないかと怯えていることはの深層心理? そんな辺りもきっと絡んで進んでいくんだろうなあと、そういった辺りも踏まえて視聴続行。
人間界からつまはじきにされて恨みも抱えつつ陽海学園に吹き黙った妖怪たちがたった1人の人間の月音を巡って起こす騒動、って設定が1期目にはあった「ロザリオとヴァンパイア」だったけれども2期目はそうした諍いも収まり2年生が揃って修学旅行で京都行き。人間を見たって畏れもしないし襲いもしないのはそれだけ人間が出来て来たから? って妖怪です全員が。でもって行く先々でサキュバスに雪女に魔女っ娘がとりまき築根と2人きりになれない萌香さんの前に立ちはだかる四国妖怪四天王。って妖怪学園はほかにもあったのか。でもって普通に活動しているのか。
まあそこは目覚めた萌香が一蹴してジ・エンド。学ラン姿でも高々と足を振り上げるポーズを決めてみせるあたりは絵を描いてる人もしっかりサービスを心得ている。バンクじゃあすまさない、ってことですね。このままだらだらと萌香に胡夢に紫にみぞれに瑠姫も加えてラブコメを続けるのかそれとも噛まれ過ぎの月音にそろそろ何かが起こるか。ビジュアル面では今秋で最高をある意味で誇る作品なだけにこちらも目が離せない。「のだめカンタービレ」はどこまでも「のだめ」だなあ。
“ウバ害”って非難が杞憂どころか申し訳ない懺悔の気持ちをこめて訂正すべきものに代わったことは記憶に新しいけれども一方でおそらくはこれから出回るだろう“イヌ害”って言葉についてはあるいは定着しつつあらゆるクラブのサポーターへと伝播しデファクトとなり流行語大賞にもなって永遠に残る可能性すらあったりするから困ったというかどうにかして欲しいというか。すでにして川崎フロンターレへの仕打ちが前段にあっていったいベストメンバー規定ってのは誰のためにあるんだってことが論議の的になっていた所へ会長の座に上がってなおも「天皇杯」にベストメンバーが揃っていないとお冠。且つ権威を汚しただのとほざき来年は出さないかもしれないぞとうそぶくその口調の余裕のなさというか薄汚さに聴く耳がカユくなって仕方がない。
っていうかそもそも「天皇杯」にベストメンバー規定なんかない訳で、それを不文律だのというのはお門違いも甚だしい。チームを引っ張ってきた外国人の助っ人が契約していないからって帰ってしまった出涸らしのよーなチームが試合に臨んだことが過去にいったいどれだけあったか知っているのか。それを検証もしないで言い出すところにメディア受けしそうな言説をバラまいて目立とーとした過去の人のあんまり芳しくない習性を、まんま受け継いだだけじゃなくって過去の人にはあった愛嬌なり過去に行った実績への敬意なんかもまるでない中でもご無体ってことになってよりネガティブな印象を惹起する。鬱陶しいって思わせる。
だいたいが非難の的になってたジェフユナイテッド市原・千葉と清水エスパルスとの試合での千葉の対応は、調査によれば11人中の6人が過去の5試合のうちで1試合以上に先発していてベストメンバー規定にぎりぎりだけど合致している。それはすなわち無罪放免間違いなしのものなんだけれどそれを知らずに非難しているんだとしたらあまりにも発言が軽すぎる。頭が空っぽすぎる。自らの言説がいったいどれだけの重みを持ったものかを理解していないにも程がある。そんな鳥頭で偉いさんを務めていたから三菱は大間違いを何度もやらかしたんだっていった声だって出てきたって不思議はない。
知っててそれでも言っているんだとしたら今度は法規をあまりにも軽んじている。心根としてよりベストを尽くして欲しかったと思ったとしたなら、それは願いとして下手に立って言うべきこと。なのに大上段から言うのは越権も甚だしい。無罪が出た人間に最高裁の長官がそれでも疑わしいよね、なんて言ったらもはや法治国家は成り立たない。それくらいのことをやっているんだって実感があれば口に出来ない言葉なんだけれど平気で言ってしまえる人間を、トップに仰いでいるこの国のサッカー界の不幸を投げくしかないのかあと何年も。軽口だけれどそれを理解して誤りやり直せるブラッターの方が人間として何億倍も真っ当に思えて来たよ。
せっかくだからと幻狼ファンタジアノベルズの状況を偵察に千駄ヶ谷まで。地下鉄の副都心線が走って駅が近所に出来てとっても便利になっていた。これを見越してあそこに本社を作ったとしたら見城さん、見る目があるなあ。どうなんだろう。でもって幻狼ファンタジアノベルズはいわゆるライトノベル系で編集に携わっていた人がまるでいない状況からの立ち上げだったみたいでそれであれだけのラインアップとそしてあれだけのクオリティを揃えて見せたのはなかなかなの仕業。むしろ業界どっぷりじゃあないだけネームバリューじゃなくて読み応えのあるものを揃えられたのかも。とりあえず最新号では妹尾ゆふ子さんのファンタジーが目茶目茶に面白そう。神野オキナさんのハードなアクションもあったりするしちょっと期待の先行き。あとはちゃんと続いていってくれることか。頑張れ。
【11月6日】 116の日、って何かの番号になってたっけ、天気予報は117だから違うよなあ、電報? それはさておき今日は正解のバンダイでの「ウルトラギャラクシー大怪獣バトル」の記者発表を行くついでに近所のポプラでガンダムくじ。タオルとお面の残念賞コンビ。タオルは新柄をもらえたけれどもお面は2枚目のシャアだ。どうしたものか。やっぱり被るしかないのか。タオルは温泉マーク入り。欲しかったザク目のは見あたらず。いずれまた手に入れよう。ともあれ会見前でデカいのが当たらなくて良かったといえば良かったか。でもシャアの胸像は是非に欲しい。いつ当たるのかなあ。本当に当たりくじとか入っているのかなあ。
でもって「ウルトラギャラクシー大怪獣バトル」の新作発表会を見物。円谷プロダクションの代表取締役副社長にご挨拶。10年ぶり、ってことはなくって一昨年かもうさらに1年位前の「TIFFCOM」で見かけた記憶はあるけれども当時はまるで想像もしていなかったキャリアチェンジっぷりにスキルがあれば世はなべてこともないんだと知る。スキルが欲しい。毛もついでに。しかしこちはら1年ぶりの「ZAP」メンバーは相変わらず小西博之さんが涙ぐみつつチームのまとまりの良さを語り込んで感涙を誘うというかその合間にしっかり笑いもとるあたりがコメディアンでもあるというか。去年の会見で離婚話について聞かれなかったのがそんなにうれしかったのかなあ。まあ聞くのも野暮って奴だし。
コニタンによるとウルトラマンのシリーズで年をまたいで続編が作られる、っていうかそもそもが続編が作られるケースなんてものがないそうで、それゆえに皆が13話の第1シーズンでもう終わりといっていたのをそんなことはない、がんばれば次もあるんだと言い続けたらかなったことを誇りつつ喜んでいたもよう。「帰ってきたウルトラマン」は直接の続編って訳じゃないんだな。メンバーはもとのまんまだけれど大きな変化もあった模様でそれは1人、得体の知れない扮装で出てきたダークな雰囲気の人がいたってこととあと、CGのクオリティをあげて画面に迫力を出したってこと。新鋭は話しに波乱を巻き起こす役っぽい。普段は仮面をつけているけど外すと二枚目。超クール。どんな役柄なんだろう。でもってCGはビルドアップな面々も入ったからってことなのか、自信満々なところを語っていたので見てその凄さを知ろう。12月20日あたりから再びBS11にて放送。あとネットでも。
発表会には自称・着ぐるみを着た中西圭三さんが登場。ずっと大昔に「Woman」とか熱唱していた頃は久保田利伸さんをネアカにしたっぽい風貌と歌声が結構テレビなんかで流れていたし歌も好きだったんだけれど「ChoChoTrain」あたりの曲提供を分かれ目にとんと評判を聞かなくなったなあ、なんて思っていたら最近ふたたび活動中でちょっと前にテレビに出ていたのを見たような記憶もあるんだけれど、その時にその人が中西圭三さんと紹介されてまさかそんな筈がないと信じることなく記憶の埒外に放りだしていたらその当人が目の前に登場。まさしく中西圭三さんって着ぐるみを1枚どころか2枚3枚羽織った格好での登場と相成って年月というものの重みを噛みしめる。これを思えば自分くらい。でも歌はなかなか。エンディングはバラードでいい感じ。流れたら聞き入ること請け負い。そんな中西さんにコニタンが質問をぶつけていた場面で「ザ・ベストテン」を思いだしたよ、ってそれはコニタンが自分で突っ込んでいた。栄光の時間忘れまじ。
秋葉原で修理というか全とっかえで新品になったウィルコムのデータカードを受け取ってから信濃町へと周り明治記念会館で「電撃大賞」の発表会へ。まだ「電撃アニメーションマガジン」が存在していた頃にのぞき始めたからかれこれいったい何年だ、日記の記録だと99年からのぞいているらしいんで10回連続ってことになるみたい。その時の円山夢久さんに中村恵里加さんに一色銀河さんか。いちおうは残っているのかな。飯田橋のホテルでひっそりって訳でもないけどまあ普通に行われていた当時からすれば贈賞式の会場も広くなってやって来る人もいっぱい増えて作家の人たちも大挙して見学に訪れるよーになって、おかげで隅っこで見学しようとしてたらそこらら辺に作家の人が集まって来るんで移動してねって頼まれて荷物をまとめてせかせか移動。規模も大きくなると運営もいろいろ大変みたい。
パーティー会場も前の軽く倍はあるっぽい部屋がいっぱいになるくらいだからやっぱり賑やかになっている。これが4本目の授賞式っぽい真藤順丈さんに訪ねたら角川ホラー小説大賞よりも規模でデカいって話してた。そうなのか。角川書店本体のいろいろとある新人賞とか文学賞とかってのぞいたことがないから、どんな規模なのかまるで想像もつかないんだけれどたくさん賞もあるなかでそれぞれに規模も来ている人の層も違うんだろーか。スニーカーとかだと若い人とかいっぱいいそうだけれど見たことがないから不明。若い女性がいっぱいいるって風でもないからまあまあいいか。えんため大賞も近況は不明。会場も今はどこなのか知らない。まあでも10回とか連続でのぞいたところでレビュアーであっても新聞屋であってもしょせんは外野の身。誰に見とがめられることもないけれど逆に誰かに見入られることもなく適当に時間を潰して歩いて退散するだけなんで、1社2社を定点観測するだけでも経験としては貴重なものだと受け止めよう。来年はさらにゴージャスになるのかな。
何しろ来年は「メディアワークス文庫」なんてものを作ってそこでも新人をデビューさせるみたいだし。資料によれば「アスキー・メディアワークスが贈る世代を超えたエンタテインメント・ノベル、それが『メディアワークス文庫』です」とか。電撃文庫からのスピンオフってことだとハードカバーがあった気もするけれど、ハードカバー路線じゃあハンドリングが結構大変だからなあ。数も出せないし。その意味で”電撃派”作家の受け皿であり電撃読者の上がり口ってことに「メディアワークス文庫」はなるんだろー。でもって新人の募集も行ってラインアップを増やしていくと。
問題はそれの読者がどれだけいるかってことか。なるほど電撃の受け皿ってことで他の文庫より売れるかもしれないけれども、文庫じゃあその先に直木だ何だっていった文学賞という“権威”が得られることはない。権威を得て外へと広がっていく道筋がないなら内でたっぷりと“結果”を与えていかないと、作家としてなかなかに厳しいことになるけれどもその辺り、どんなビジョンを描いているのかな。確かに電撃文庫だったらある程度の分量は見込める。それがメディアワークス文庫に上がった途端に激減じゃあそこにいる意味ってのをきっと見出しにくいんじゃなかろーか。その辺りどんな勝算を見込んでいるのか。まだ先なんでこれから詰まるだろーラインアップとか、体裁とかを見てから先行きを判断しよー。
【11月5日】 ポプラ小説大賞の授賞式にもぐりこんで思ったこと幾つか。受付のそばに巨大なおねえさんがいた。細いけれども巨大でちょっと臆した。オバマの奥さんにあってもきっとそんな巨大感に圧迫されるんだろうなあと思っていたらさらに大きなおねいさんが来場していた。たぶんメディアファクトリーあたりの編集の人? そこで賞をとった首藤順丈さんを“奪還”に来たのかな。いっしょに讃えに来たのかな。とっても巨大だったので見上げていたら首がいたくなった。電撃大賞もそういえば首藤さん、受賞しているからそっちにも来るかな。巨大だからすぐ分かるから遠目に見つけて叫ぼう馬場と。馬場違う。
山下達郎さんのコンサートを始めて見に行った時だったと思うから何年だろう、84年か5年? アメリカっぽい街の一角が再現されていたあれ。「ON THE STREET CORNER」のジャケットに使われている。そんなセットのツアーを前から2列目で見た時に配られていた音楽雑誌がってそこに「TM NETWORK」ってバンドが乗っていたのを見たのが最初だったんじゃなかろーか。本当に雑誌なのかそれともソニー・ミュージック系の一種のPR誌だったのかも覚えてないけど、福岡ユタカさん岡野ハジメさんホッピー神山さんといった強者の揃った「PINK」の載っていたような。その時はもう「PINK」って知っていたのかな、ちょっと曖昧。
それをいうなら「TM」だってもうちょっと前にアルバイトしていたつい先だって店を閉めてしまった天白区平針のディスカウントストア「ビッグワン」でアルバイトをしていた時に、有線から流れてきた渡辺美里さんの「My Revolution」を聞いたかあるいは中山美穂さん「JINGI・愛してもらいます」を聞いたかして、その旋律の他とは違った面白さに興味を惹かれてそれを作ったのかを調べてたどり着いたのかもしれない。小室哲哉さんって名前に。いやでも「My Revolution」は86年1月の発売で、「TM」の方は「RAINBOW RAINBOW」と「CHILDOHOOD’S END」をレンタル屋でLPで借りて聞いていたから知ったのは「TM」の方がやっぱり先だ。
音楽とかはだから最初はまるで知らずに聞いたんだ。そんなことするの? って言うけど昔は、というか今だってそうだけれどジャケットとか名前とか見たり、ラジオで流れた断片とかを聞いてちょい興味が惹かれそうなところがあったらアルバムとか買って聞いてみて、良ければ聞き込むってのはやっていることだから不思議はない。「スキマスイッチ」がそうだった。あとレンタルレコードが増えて来てLPを300円くらいで借りられるようになっていたってのも、気軽に試せた理由かも。そこからやがて買うようになっていった、と。
CDとかレコードのレンタル制はだから賛成。レンタル供与を縛っているレコード会社はだから阿呆だと思うけれども、今時の人ってレンタルだけで済ませてオッケーって意識だからそれもやむなしなのかも。聴いてあげて育てる、なんて意識が消えて消費するものになってしまったってのも大きいか。その要因が小室哲哉にあるって指摘が、この一件でわんさか出てきているのも何か皮肉な話だ。自業自得ともいうか。いやいやでも今だって「trf」の初期とか聴いて口ずさんでるし「globe」の初期も割と聴いて結構好きだし篠原涼子の「ストリートファイター」の主題歌も耳に強く残ってる。小室サウンド全盛期の曲。それは大量に耳にしたってこともあるけどそこに残させる何かが当時のサウンドにはやっぱりあったってことじゃないのかな。それがいつの間にかなくなってしまった。転換点はどこなんだろう。お笑いと絡み始めた頃からかなあ。音楽じゃなくパフォーマンスが前に出てきて濃さが増してウザくなった。そんな気がする、何となく。
そうそうだから「TM」の場合は達郎さんのコンサートでもらった雑誌のインタビューで読んだ言葉が購入の動機だったんだ。「TM」が「タイムマシーン」の略だったってこと。SF好きだったってこと。当時からすでにSFを読んでた身には、でもって周囲にSFファンなんていない状況にあった身にはこれは大きかった。SFの見方は全部善。これ当然って意識で聴いたんだったのかな。だいいち2ndアルバムのタイトルなんて「幼年期の終わり」だもん、クラークの。こりゃあマジもんだと思ったね。
だから聴いた。聞き込んだ。「RAINBOW RAINBOW」とか口ずさんだし「ACCIDENT」なんてのも好きだった。そうやって刻み込まれたメロディラインの独特さが、バイト先で聞こえてきた「My Revolution」とかと重なって美里さんに興味を向かせたのがたぶん流れだ。でもってファーストアルバム「eyes」を聴いて「My Revolution」が入っていないとガッカリした、と。そのアルバム「eyes」はカセットに入れてケンメリのプレーヤーにぶちこんで豊橋の田原あたりを同級生たち乗っけて走り回ってる中でガン鳴らしていたんだっけ。大昔の話だ。まだふさふさだった。
つまりは僕の小室歴ってのは20年以上に及んでいたりする訳で初期の先進性を打ち出していた頃からちょっぴりヒットして世に出てちょい消えて90年代に入って神プロデューサーとして持ち上げられて絶頂へと上り詰めたあたりから急降下して今に至る過程をずずずっと見てきて思うこと。良い音楽を作れたミュージシャンはその名前を永遠に刻み込めるってことか。薬物が取りざたされたマッキーだって音楽の良さがあるから今もって第一線に居続けられるし岡村ちゃんも今なおヤバい状況にあるけど江口寿史さんとかにとってもっても慕われている。音楽だけ良ければ何やっても良いってことはなくって罪は罪として罰を受けるのが筋ではあるけどそれでも何かを残せるミュージシャン。その位置に今なお小室哲哉って名前はあるんだってことを再認識。今さらだけど「TM」の初期2枚を聴いてその仕事を感じよう。もう無理なのかなあ。あの頃みたいな音楽を作り出すのは。
出かけていったら1日違いとわかって退散。途中にあったコンビニエンスストアで例のガンダムくじを引いたらまたしてもアルテイシアの悩ましクッションが当たってちょっとうれしい。これで1つを保存用に回して使用できるぞ。どう使うのかってもちろん枕ですよ、顔の上に置く。上に? そういうものです。来年は抱き枕を作ってくれないものだろうか。もう1つはメモパッドがまた当たったんで2個目のザク。シャアの胸像はなかなか出ないなあ。あとタオルが2本か。外れくじから応募できる別カラーのシャアの胸像は携帯電話からじゃないとダメみたい。PHSは無視かいバンプレスト。まあ仕方がない。そっちは他のマニアに譲ってまずはとにかくシャアの胸像ゲットだ。胸像をかかえて会見出席だ。
【11月4日】 そしてシグルドは皇帝になる決意を固めた「ゆらゆらと揺れる海の彼方」(電撃文庫)の第10巻。田舎でうだうだしていた兄ちゃんたちが義勇軍を作って成り上がっては貴族に叙せられ大元帥となってそしてアールガヴ神聖帝国を立ち上げるまでを描いた「七皇戦争編」のラストってことでとにかく分厚く600ページ近くあって手にずっしり。でもすでに川上稔さんの新シリーズがより分厚さで上を行っているんであんまり気にならないのが何というか。しっかり書棚に並べている人たちは川上さんと近藤さんだけでスチールラックの横1段を使ってしまっていそう。前後に重ねていたりするのかも。
んでいよいよシグルドとギュンターが雌雄を決する戦争に。同士だった2人がどーして反目し会うよーになったかは言い出しっぺのギュンターがあんまり取り立てられずシグルドばかりがもてはやされていることからすれ違いが生まれたって辺りに感じられたけれど、後の世から当時を振り返っているシュニッツラーとかいった面子がギュンターのことを言うのに口ごもっている様を見ていると、いったいどれだけの悪行を行ってシグルドの邪魔をしたのかって思っていたらつまりはそういうことだったか。どちらかといえば好悪の入り交じった複雑な感情。その死をどこまでも悼むシグルドの気持ちを慮って大声では評しにくかったってことなのか。
シグルドの妻になった病弱なエレオノーラがどうしてそんな境遇になったかって場面も描写。身代わりになったっていうから敢えて選んで毒杯を煽ったのかと思ったら案外にひゅるひゅると行ってしまった模様で、それだけに思ってもいなかった悲劇の到来ってことで浮かぶ悲哀も大きなものになる。そして現代へと戻ってラストシーン。ひとつの区切りを迎えていよいよローデウェイク福音王国との最終決戦へと向かうのか。楽しみたのしみ。第10巻だとやっぱりエミール・デルブリュックの偉丈夫ぶりが光るなあ、って女性だけど。クリムトを恐怖の淵に陥れてはその潜在能力を蘇らせるあたりがなかなかに愉快。覚えてないけど本編の方には出てたっけ。それとも一気に活躍するのかな。そっちも含めて楽しみたのしみ。
珍しく「ポプラ社小説大賞」の授賞式をのぞく。ポプラ社って四谷三丁目にあったのか。てっきり中央線沿線沿いのどっかにあるかと思ってた。根拠はないけど。でもって1階ホールで手作りの授賞式。社長の人が陽気に楽しく吼えていた。そういうキャラだったのか。さらに1回目の受賞者の方波見大志さんが挨拶に来ていた。こういう人だっのか。「ラットレース」の書評を「週刊SPA!」に書いたのは自分ですって言ってもきっと覚えてないよなあ。マイナス思考。というか本業の漢字の名前でうろついているとカタカナな名前と一致しない人が案外に多いことに最近気付いた。もちろんカタカナの方だって知られている訳じゃあないけれど、人はなるほど見かけでいろいろ判断しているんだなあと改めて知った次第。まあいいや。
受賞者は3人で1人が優秀賞の小野寺史宜さん。細くて繊細そう。でも歳は40歳。むしろもっと行ってそうに見えた特別賞の真藤順丈さんの方が立派に見えたのはすでにして「角川ホラー小説大賞」を「庵堂三兄弟の聖職」でもって受賞して、さらに「地図男」でダ・ヴィンチ文学賞を受賞してプロとして活動している貫禄ってやつが滲んでいたから? ちなみにさらに受賞は続いて「電撃小説大賞」の銀賞も受賞が決まっているとか。ホラーにエンタメにサスペンスにライトノベルとはまた幅広い。どちらかといえばライトノベルの領域がメーンだった日日日さんとはちょっとタイプが違うかな。「ブラック・ジャック・キッド」で日本ファンタジーノベル大賞を受賞して「みなさん、さようなら」でパピルス新人賞を受賞して「すべての若き野郎ども」で「ドラマ原作大賞」の選考委員特別賞を受賞した久保寺健彦さんもどちらかといえば大人向けエンタメだからちょい違うか。いやでも「ブラック・ジャック・キッド」はあれで結構ラノベぽかった。それだけラノベの水準があがり文学の敷居が下がってどれにも応募しやすくなっているってことなのかも。
ってな訳で優秀賞を受賞した小野寺さんの「ROCKER」(ポプラ社、1600円)を一気読み。大賞でいいじゃんこれ。改稿があったのか? 親の離婚とか親しかった女の子の事件死とかいろいろあって登校拒否気味な少女。母親は父親と離婚。少女は母と2人暮らし。その別れた父親の姉の息子が近所の公立高校の教師。父親の姉とやらは夫と離婚していてその夫はそれなりに知られたブルースギタリスト。なんか複雑な関係。でもって少女はいとこな高校教師ん家に入り浸り。別につき合ってるってことじゃなく何となく。ちょっと微妙に新しい関係。そんな少女にストーカー気味の少年が現れる。いとこの務める高校の生徒。2人して呼び出してどうしたいんだととっちめ、性欲を抜くために音楽をやれと諭したら音楽を始めた。なんのこっちゃ。
そんないとこの高校教師と大学時代に知り合いだった、今は違う高校の教師をしている美人な女性が登場。生徒に言い寄られて悩んでいたから生徒を呼びだしてこちらにはいとこ自身がギターを教えてやるから諦めろと誘う。なんじゃそら。でもって2つの高校で少年たちが音楽を始めてロック部も作って練習を重ねてだんだんとうまくなっていって、高校教師とか女教師とか少女に珍しくできた同級生とかを巻き込んで盛り上がって恋愛なんかも生まれたりする中で、少女だけがどことなくいつまでもひとりぼっち。もの悲しい。でも半分は自業自得。
そんな寂しげな少女に誘い。高校教師の親父がステージに立つから息子にギターを弾けという。少女は弾いて欲しいと頼むと高校教師はだったらお前がステージで歌えを誘ってきた。そんな展開は恋にベタベタでもなく愛にドロドロでもない高校生たちのゆるやかな熱情を、音楽活動に重ねて描きつつ一方の大人の教師にだってそれぞれに欲求もあるし思いがあるんだってことを描きながら、世間に投げやりで孤立気味だった少女がしだいに自分を見つけていくってストーリーが繰り広げられる。面白い。とてもとても面白いからきっと売れるんじゃなかろーか。そういやポプラ社の冊子「アスタ」でトヨザキ社長がやたらと絶賛していた藤谷治さんの新作も音楽がテーマ。「オケ老人!」なんて小説もあったし一般小説にも音楽ブームが到来中ってことなのか。ライトノベルじゃあ「さよならピアノソナタ」がすでにあるし、ちょっとしたまとめなんか出来そう。やらないけど。
【11月3日】 こいつはハッピーエンドなのかバッドエンドなのか。諸口正巳さんのフジミさんシリーズ最終章らしい「フジミさん最恐伝説 殺神鬼勧請」(C・NOVELS)はいよいよもって富士山が噴火するかもしれない状況が生まれて困ったどうしようかと狐の眷属たちは右往左往。止めようとした富士見功さんの頑張りも狐の凛子さんのあがきもむなしく噴火し関東に灰が降り積もる中で会社から1人消え2人消え富士見さんまで消えてしまって物語は幕を閉じる。つまりは異神との戦いに富士見さんたちは敗れてしまったのか。それとも医者から殺神鬼に成り上がった男が後を継いで異神と戦うのか。ともかくもこれで終わりらしくって、ちょっと変わった退魔ストーリーかと思ったら意外な方向へと転んで滅亡のビジョンを見せてくれたこのシリーズの次に何を諸口正巳が書いてくるのかに目下は注目。もうちょっと明るい奴も書いておくれよ「ムシアオの森、カササギの剣」みたいな、ってこれも結構暗いんだよなあ。
退魔といえばすっかり退魔ラブコメな路線が見えてきたっぽい「喰霊 −零−」は黄泉と飯綱との許嫁なのに会えば喧嘩ばかりしているのをどうにか止めようと神楽が大張り切りでいろいろ作戦をしかけたもののどれも大失敗。対策室の寡黙な美女の二階堂桐ちゃんを刺客に仕立て上げてミニスカートを履かせ中までちょい見せする大盤振る舞いをしたのに飯綱は靡かず黄泉は怒って空き缶を投げては飯綱を粉砕。そしてわき起こる「乱紅蓮」対管狐の全面戦争への恐怖も神楽の泣きがはいってどうにか収まりふたたびくっつくかどうかの曖昧で爛れた日常へと向かうのであった。怒り心頭に達した黄泉には見かけの迫力十分なナブーとナブーでも叶わないのか。そして浮かび上がった相続問題で養女の黄泉ではなくて黄泉の義父の弟の娘の諫山冥が手に剣をふるってバトルにのぞんでなかなかなの腕前を見せてきた。彼女こそがライバルとなって黄泉を迷わせ悪霊へと落として冒頭での神楽との対決に向かわせるのか。予定調和に落ちるかそれともさらに先があるのかを楽しみながら続きをしっとり見ていこう。
んでもって「マカデミWAっしょい」はハードな芸が繰り広げられて意味不明。きっと見る人が見ればその暑くるしさに感動も感涙も出来たんじゃなかろーか。夏でなくて良かった。さらに「今日の5の2」。水着のチェンジに今時の小学生ってちゃんとてるてる坊主になるんだなあ。パンツなんてパッと脱いでパッと履くだけだからいちいち隠さなくたって良いのに。それとも5年生頃ってそろそろ生えてたり生えてなかったりが分かれてきていろいろと問題も増えるのかな。遠い昔の事なのでもう覚えてないのです。女の子も同様なのかな。「キャシャーンsins」はちらっとだけ見て全部は見てなくって話がどこへと進んだのかは不明。まあきっと暗くてネットリとした中で滅びの恐怖と生き続ける寂しさが交錯する展開になっていたことだろー。買うならやっぱりブルーレイかな。
でもって微睡みながら「F1」の最終戦「ブラジルグランプリ」。フェラーリのフェリペ・マッサが1位を突っ走っては着々とチャンピオンへの道を固める一方で、それでも5位以内に入ればチャンピオンが決まるルイス・ハミルトンが6位に落ちたり5位に上がったりとなかなかなに微妙な線。それでもだいたい決まったかと思われた終盤に雨とか振ったりしてゴチャついた中で何時の間にやら6位まで下がって最終ラップも大詰めで、マッサがすでにチェッカーをくぐり抜けて後は後続を待つばかりになった最終コーナーあたりでハミルトンが5位へと上がってそのままチェッカー。逆転にて最年少のF1チャンピオンに輝いた。いやあ歴史を見た。その瞬間だけだったけれども歴史を見られたのはちょっとうれしい。いわゆる「黒人ドライバー」としても当然ながら初のチャンピオン。初の「黒人大統領」が誕生間近な(おそらくは)アメリカ合衆国に先駆けての快挙は何か時代って奴を象徴していたりするのかなあ。まさにチェンジ。アナクロな言語を繰り出しては失笑を買うおっさんがわんさかな日本とは偉い違いだなあ。
仕事なんで仕事場に寄って仕事っぽいことをしつつ情報収集にと切通理作さんと竹熊健太郎さんと氷川竜介さんがそろって宮崎駿さんについて語るトークイベントを見物。当然のよーにポニョを引き連れ見物したあとでサイン会の列に並んでいたら、遠目に見たことのある顔を発見、村上隆さんでした。こんな所にも来ているのか。いや昔だったら別にいたって不思議はないけど今は随分と有名になってお忙しい身。なのに興味のあるところにはやって来るところが貪欲というか前向きというか。この好奇心がオブジェクトとしての創作に向かってくれれば言うことはないんだけれど。コンテクストとしての創作に材料とされてしまうのは形あるものを尊びたい身として何か寂しい。ほかに朝日の人とかハヤカワの人とかびいさんな人とかいたような。まだいたっけか。最後まで聞かずに退店、そして仕事場に戻って仕事をする秋の旗日でありました。
んでイベントはというとやっぱり昨今の宮崎アニメの妙さについてあちらこちらから言及が。ただし追求ではなくそれだけ突っ込みドコロがあってもあれだけ流行るのは何だろうってな所に一段議論が上がってて、それを解決できれば何かあたらしい批評の地平も見えそうだったけれどもやっぱり明確な答えは出てこなかったみたい。言うなれば宮崎駿だから、ってな感じのトートロジーに陥りかねないからで、流行っているものが流行ってしまうこのメディア的状況の中では流行っていることを理由にした評価がちょっと難しくなっている。かといって流行っている子とを見過ごしてもどこか片手落ち。そこのところを踏まえつつ除きつつ考えなくてはいけないところが宮崎アニメの評価を複雑な物にしてしまっている気がするなあ。評論家ホイホイだのと外野から揶揄したとおころえその揶揄も含めて取り込まれてしまっている訳だし。
つらつらと文庫の発売予定表をながめていて12月の計画を策定。角川スニーカー文庫だと「円環少女」に「レンズと悪魔」の新刊が出る模様だけれど話はどんな感じに進むのか。GA文庫だと水月郁見さんって人の「イグドラジル 世界樹」ってのがタイトル的に面白そう。電撃文庫からは「さよならピアノソナタ」の最新刊。まだ続くのかな。ガガガ文庫からだと「人類は衰退しました」の第4巻。まあ売れるんだろうねえ。集英社スーパーダッシュ文庫は「迷い猫オーバーラン」の第2巻が早くも。編集長の言うように人気なのかそうなのか。MF文庫Jなら「魔界ヨメ!」の第2巻。今度はどんな“本名”が登場。さらに「月見草平先生新作(仮)」。いや別にこんなタイトルじゃあ出ないだろうけど。まだ決まっていないのか。そんな期待の新刊に交じって一迅社文庫から「銀世界と風の少女」という新刊が。著者は松山剛さん。あの松山剛さん? そりゃあちょっと期待。イラストはかぼちゃ。誰?
【11月2日】 サッカー成分が不足して来たんで西が丘へと天皇杯でも見に行こうかと思っていたけど起きられず断念して秋葉原を散策。駅の南側でハーロックばりのサーベル風な銃を持ってうろついている人とかいたりしてコスプレだからって露天で披露する類のもんじゃないんじゃないのって気分が台頭。歩行者天国を返せとかいう意見はあの賑わいあのゆとりを好む身としてうれしいけれどもコスプレだの歌だのパフォーマンスがあっての秋葉原、って意見にはその限界を超えて派手派手しく騒ぐ面々のいたりする可能性なんかを駅南の現時点での喧噪から想起して、やはり時期尚早かもってな気に至る。とかいいつつ派手なメイドさんたちには顔を崩して微笑む自分。勝手なものだな我ながら。
そんな駅の北側では蟹工船を右手に掲げて「蟹工有利!」と叫ぶ若者たちが10万人、もいたらニュースだ。実際んところは若い人もまあそれなりにいたけれども手に蟹缶も「蟹工船」も持たずに遠目に眺めては日本共産党の志井和夫委員長の演説を聞いていたというこの“南北格差”が秋葉原らしくてちょっと愉快。大半が組合運動とかに関わっていそうな人たちだったけれども看板を手に演説があるってことを呼びかける人に若い層とか見られていったいどういう経緯で参加したのか、訪ねてみたい気になった。昔だったらそれこそそういう場所で顔をさらして公然と応援することが割に平気な空気が出来ているのは今の環境がそうさせているのか、それとも対抗馬として90年代に台頭して来たライトな面々のレフト以上に教条的で頑固で譲らない姿勢が跳ね返ってソフト化しつつあったレフトを相対的に押し上げたからなのか。分からないけどまあそれなりな人気ぶり。あとは取り巻く面子の頑固さがやや削がれて今を柔軟に取り入れ引っ張るだけのパワーを持てればちょっとは上を向けるかどうなのか。
そんな様を眺めてから「ラジオ会館」の中にある「ホビーロビー」でリボルテックな長谷川研究員を購入。ちょっと顔が大きい? でもまあそれくらいの方がキャラっぽくって良いんだろー。オリゼーとかロマネコンティの酒瓶とかついてて暴れモードも展開可能。もちろんワイングラスも。カチンと合わせて髭男爵ごっこも出来るかな。でも顔は耳囓りたいモードな凶悪さとは反対のあっけらかんを笑い四角く口を開けたものだけ。登場当初のどこか高飛車で高慢な雰囲気の長谷川研究員ってよりは話も進んで粗忽なところも見え始めた長谷川研究員を再現してるってことになるのかな。付属の腰巻きの裏側には「ザ・スニーカー」から始まる涼宮ハルヒの顔面フィギュアシリーズの宣伝がずらり。それだけ気合いが入っているってことなんだろうけど12月までかかって顔4つ出しても肝心の「Wii」対応ソフトが来年の3月じゃあちょい、間が空いてしまうよなあ。隙間を埋めるべく谷川流さんには新顔付属の文庫を2月に出して頂ければこれ幸いだけれど。
中央通り沿いにあったサッカーショップが消えているのを見つけてやはり秋葉原では無理だったのかとがっかり。福田健二のユニフォームをそういやあそこで買ったっけ、所属していたチームは忘れた。そういうもんだ。でもって信号を通り過ぎた「ファミリーマート」で並んでいたガンダムくじを引いて遂にアルテイシアの悩ましいクッションをゲット! さすがに「月刊OUT」のよーな悩ましさには欠けるものの本編では見られなかった露出があってぎゅっと抱きしめて眠れば良い夢が見られそうな感じ。でもビニールを取って汗にまみれさせるのは遠慮したいところ。悩ましいなあ。使用用と保存用を得るためにさらなる挑戦を行うか。もうひとつはガンダムお面をゲットでこれでシャアにアムロにザクと泡得て4つをコンプリート。残るはタオルが2枚とそして最後の大物のシャアの胸像。これは1等賞だから容易には出ないだろうけどここまで来たなら意地でも出してフルコンプリートと行きたいもの。いつまで展開しているんだろう?
んでもって「VELOCHE」にこもって読書とか。呪われて35歳で死んでしまうけれどもその間に富は増えて命も保障されるというドラモンド家にメイドとして入った大食いのジャスミンが主とともに様々な事件に立ち向かう、って趣旨かとおもったら案外に違ってジャスミンは大食いながらもその大食いがあんまり何かの役に立っている感じでもなく、どちらかといえば彩りとしてギャグパートを受け持ちつつ本編は主のアルトゥースがいろいろと活躍して事件を解決する物語になっていた冴木忍さん「ドラモンド家の花嫁」(角川スニーカー文庫)の第2巻「憂鬱な月が満ちるまで」はやっぱりジャスミンの大食いは大食いとして面白がらせてくれつつ本編ではドラモンド家に恨みを抱いた一族が仕掛ける攻撃にどう挑むかってなバトルが繰り広げられる。コイン1つでも奪えば即座に死、とはなかなかにハードな呪いってことが改めて判明。そんな家で今はまだ狂言回しとして大食いの芸を見せているジャスミンだけれど35歳の呪いに彼女も囚われるのか、それとも最後にはその大食いっぷりが本当の意味で本編に絡んでドラモンド家を、アルトゥースを呪いから解放するのか。魔物くんのジャスミンへの愛着なんかも勘案しつつそのあたり、どうなっていくかに注目だ。しかし30人前が34人前まで増えたジャスミンの胃袋が次はどこまで膨らむか?
さらに藤本圭さん「黒猫の愛読書2 聖なる夜の外典」(角川スニーカー文庫)も。本の声を聞く力を祖母から受け継いだ綴ちゃんが巻き込まれる魔術バトルってストーリーを持って登場した第1巻から続いて今度は綴の祖母の代から生きてる元は猫なんだけれど人間の形になって綴を助けるコウが英国でもって任務を授けられ、マギステル復活を企む組織が差し向けてくる敵を相手にバトルを繰り広げることになる。どうやらコウに埋め込まれている写本はそのマギステルが盗んだものらしく、4つに分割されていて残る3つを集めたら多分何かが起こるのかどうなのか。分からないけどとりあえず眼鏡を外した綴がやたらと美人なのでこれからもその萌えっぷりを堪能しつつ読み継いでいこう。あと英国にあってマギステルと戦うアスカロンのトップに君臨する女男爵のいたいけさにも。来日してこまちにもみくちゃにされるのを希望したい。
【11月1日】 10時11時という正午をまたいでのお仕事な日々の連続にそろそろ体もガタピシとして来た感じですっかりとお昼寝モード。「JAPAN国際コンテンツフェスティバル」とやらもまるで世間に知られることなくひっそりと終わったみたいで週末にイベントもなくなったんで、茫洋としながら昼頃にむっくりと起きては近所の「無限大」までラーメンを食いに行く。二郎系? っていうか柏の匠神角ふじの分派らしいんだけれども食べれば癖になる太いめんとこってり背脂なスープが爛れた日々に実に染みる。ちなみにちょい前に池袋の二郎に寄ってみたけど源流だけあってシンプル過ぎた感じ。好みじゃ船橋の「無限大」だけれどここん家の本家の柏にはまだ行ってないから来年のJ1で日立台に行くときに寄って見よう。J1にいられたら、だけど。
散歩がてら郵便局に行って「ザ・スニーカー」の最新号を受け取ったらちゃんとハルヒの胸像もついて来た。執筆者向けの雑誌なんでおまけはさすがにつけないだろうから買おうかどうしようかと悩んだんだけれども買わずに正解。でも近所の「ときわ書房本店」の2階コミック売り場じゃあ平積みで「ザ・スニーカー」が置いてあったくらいで相当な気合いが入っているんだと実感。ハルヒってまだそれだけの人気があるのか。あるのかなあ? 読んだのはそんなハルヒじゃなくって「コードギアス 反逆のルルーシュR2」の小説版。すべてが終わって皆さんおちついた後のミレイ・アッシュフォードとセシル・クルーミーの身の処し方って奴でミレイはテレビリポーターを続けていてセシルさんはブリタニアに出来た博物館の館長さんか何かに収まったらしい。ナイトメアとか展示してある。
でもって2人がナイトメアとか見ながら他の皆さんの近況なんかを語る回。日本とブリタニアの講話は今ひとつ進展がなくて皇族の出馬が期待されているけれどそれで団結でもされたら悲劇が繰り返されるってナナリーもシュナイゼルも二の足を踏んでいるっぽい。シュナイゼルったって相手がゼロでなきゃあ普通に思考できる訳だからそれで最善を考えれば相当にいろいろやれちゃいそうだけれども。まあそうなったらゼロが出ていって抑えるんだろう。ジノは山登りだとか南極探検とかで大忙し。その写真をカレン経由でミレイに送って来るとか。カレンもしっかり元気っぽい。アーニャはセシルたちには消息不明。でもまあしっかりオレンジ畑を耕していることでありましょう。ロイドさんは研究三昧。ラクシャータも一緒? それは知らない。コーネリアのことは書いてないなあ。引退か。せめてリヴァルのことくらいは書いてあげれば良いのにミレイ。でもって小説版もこれで仕舞い。やはりルルーシュの“その後”はご想像でのお任せか。どうなっているのかなあ。
優雅に見える白鳥でも水面かじゃあすんげえいきおいで水を掻いていたりするよーに、のほほんとして平和に見える世界も実はさまざまなバランスの上に成り立っているのを知らず突っ込めば自爆するハメになるから注意しろっていう話。あるいは古くから伝わっていることには理由があるんでそれを改革だの何だとの行って変えれば齟齬が生まれて下手すりゃ滅亡寸前まで行くから自重しろって話。ともあれ警句に溢れたエピソードをふわふわとして優しげなキャラクターたちによって描いているのが縞田理理「フーバニア国異聞 水の国の賢者と鉄の国の探索者」(C・NOVELS)って本で、読むととっても羨ましくなると同時に人間って存在の自主性が試されているような気にもなって身を引き裂かれる。
とある工業国から隣国にあってそれでもあまり探索の進んでいないフーバニアへと出かけていった準貴族の3男坊エラード。長男は軍人で次男は官僚だかでそれぞれ栄達を確約されているんだけれど絵を描くしか取り柄のないエラードは、隣国のフーバニアへと赴いて現地を探索して来いそれで成果をあげて栄達を目指せと言われて赴く。潮が引いた海の上にできる道を歩いてわたれるくらいの距離にあるのにどうして交流があまりないのか。不思議だけれども理由があってどうやらフーバニアにはいろいろと危険があるらしい。曰わく人が人を食うだの怪物が跋扈するだの。そんなはずはないと思うことすらせず、てにした大昔のガイドブックをてにして乗り込んだエラードは、巨大な茸の生えた森で巨大な鳥に襲われ人を引きずり込む沼に沈みそうになったところをかろうじて人に助けられ、民家へと運び込まれる。
そこにいたのは親切そうな人たち。木訥で優しくてエラードを丁寧にもてなしてくれた。茸の毒を避ける方法、食べてはいけないものを見分ける方法、巨大な蜂から身を守る方法等々。危ない動植物はいても人間たちが暮らしているところにはなく、蜜にしてもシルクにしても簡単に取れて集められ、食べ物にも不自由のない楽園のように思われた。けれどもお別れの時は来て帰国したエラードを待っていたのは情報源としての立場。スケッチを奪われ話した情報から豊富な資源を持った国だと思われたフーバニアへと軍隊が派遣されあわや占領の大ピンチ、となるところが実はフーバニアには見かけの楽園とは正反対の顔があった。それは……。
ってところで明らかになるフーバニアの秘密。そこでは人は決して頂点いんは立っていなくてむしろ何か大きな物の意志によって存在を許されているだけのようにも見えてくる。共存できているうちは加護もあるけどそれを破ればどうなるか? 迫る自然の凶暴あさ奴が浮かんで原始の恐怖って奴を思い知らせる。現実の人間はそれを御してここまで発達できたけれどももし相手がフーバニアだったらどうだったか? きっと大変な目に会っていただろうなあ。何をするにもお気楽極楽な土地柄で育っただけに他人をあんまり疑うことを知らないフーバニアの人たちの暢気っぷりが微笑ましいけれど、族長さんあたりはきっとその天国が何に依拠しているものかを知って受け継いでいるんだろう。でなきゃあ700年もの平穏が人間の増長を生まないはずがない。限定された平和。それは退屈なものではないのかそれとも己の限界を知って得た安寧と認めるべきなのか。フーバニアで暮らしてみれば分かるかな。行きたいけれども遠いなあ。
(ACCESS COUNTER '96.07.20)
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