敗戦前の日本による植民地支配について、韓国の人々と対話または口論したことが何度もある。語学研修や特派員勤務でソウルに計9年ほど住んだからだ。
植民地時代を経験した女性は被害の痛みを語りながら、戦後世代の日本人の感情を害すまいと気を使った。登山中に会った男性は、まず旧制中学での差別のひどさを強調し「日本人は100%悪い」と断言したが、話すうちに「そう言えば立派な先生もいた。あなたも韓国を正しく知ってくれ」と軟化した。被支配について「当時の韓国に知恵と力がなかったのだ」と総括する人もいた。
他方、韓国は被害者、日本は加害者という固定観念が強すぎる人とは、老若男女を問わず穏当な対話が成立しなかった。歴史的事実に関する誤った思い込みや独善的解釈、一方的に日本を批判する硬直した論理には閉口した。
歴史も現在も重層的なものである。その中で、田母神俊雄・前航空幕僚長は粗雑な陰謀論などを動員し、日本はむしろ被害者だ、日本だけが侵略国家だと言われる筋合いはないと主張した。韓国の反日論者たちの姿と一脈相通ずるところがある。
さて、その田母神氏が参院外交防衛委員会に参考人として招致された翌日(12日)に各紙が掲げた社説の大半は、極めて厳しいものだった。
まず、文民統制(シビリアンコントロール)についての危機感が目立つ。毎日は「特異な主張をする人物」として防衛省内で知られていた人物を空自トップに登用し引き継いだ安倍、福田、麻生の3政権では「文民統制が機能していなかった」と批判した。朝日は「文民統制の主役としての政治の動きがあまりにも鈍い」と指摘し、田母神氏を懲戒処分すべきだったと主張した。東京は「間違っているとは思わない」という田母神氏の抗弁を「民主主義国家の基本である文民統制を『そんなの関係ねえ』といわんばかりの言動」だと書いている。
朝日と読売がそろって見出しに掲げたのは、「言論の自由」をはき違えているという指摘だ。
「自衛官にも言論の自由がある」という田母神氏の発言に対して朝日は「神経を疑う」と難詰し、自衛隊の高級幹部に政府方針と矛盾する歴史認識を公然と発表する「自由」はないと断じた。
読売は「必要に応じて歴史認識を見直す作業は否定すべきものではない」が、それは「歴史家の役目だ」といった指摘を列挙し、「空自トップが政府見解に公然と反旗を翻すのでは、政府も、自衛隊も、組織として成り立たなくなってしまう」と結論付けた。
一方、田母神氏と同様の歴史観が自衛隊内に広がっているのではという懸念も、毎日、日経、東京の3紙が提起した。毎日はこの点を見出しに掲げ、田母神氏が校長を務めた統合幕僚学校と講座について最も具体的に紹介した。
以上、5紙の12日付社説を比較したが、他の日の社説や一般記事、署名論評、特集などを総合すると、その視点や判断に極端な違いはない。植民地支配と侵略により「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛」を与えたという95年の村山富市首相談話を、その後の歴代政権も踏襲してきた。
この政府見解を真っ向から否定する歴史認識を航空幕僚長が発表することは不適当であり、更迭は当然だという点で5紙は一致している。
しかし、産経は違った。まず2日付の社説で「第一線で国の防衛の指揮に当たる空自トップを一編の論文やその歴史観を理由に、何の弁明の機会も与えぬまま更迭した政府の姿勢」を「極めて異常である」と断じた。正常、異常の判断が他紙とかけ離れている。
続いて4日、産経の客員編集委員が署名記事を通じ、アパグループが募集した懸賞論文の審査委員の一人だったと自己紹介。田母神氏の作品が高得点と分かった瞬間に「今日の事態を予感した」などと書いた。
さらに11日には、アパグループの元谷外志雄代表の名前入りの意見広告で、田母神論文の全文を掲載。田母神氏の国会招致を報じた12日の紙面では、通常の記事、社説、1面コラムのすべてで、田母神氏には十分な意見開陳の機会が与えられなかったというメッセージを発した。社説の核心は「政府見解や村山談話を議論することなく、異なる意見を封じようというのは立法府のとるべき対応ではない」という部分である。
15日の論説委員コラムは、もっとはっきり言い切った。田母神論文が論拠とした事実の信頼性が薄いことを認めつつ、それは重要でなく、問題は村山談話の当否だと述べている。
こうした経過が暗示しているのは、産経が今回の騒動の少なくとも事実上の当事者として、村山談話見直しキャンペーンを張っているという構図だ。これが他紙との論調の隔絶につながっていると見ても的外れではあるまい。【論説委員・中島哲夫】
毎日新聞 2008年11月16日 東京朝刊
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