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かつては求人募集で埋まっていたサンパウロ市内の国外就労者情報援護センターの掲示板には、神奈川県のクリーニング店と埼玉県の製めん工場の求人が2件だけ。残りのスペースは日本語教室の案内のポスターで占められていた=今月10日、平山写す
【サンパウロ=平山亜理】金融危機がブラジルから日本に出稼ぎに行く日系ブラジル人を直撃している。多くが働く自動車や電子機器部品などの工場で、減産や人員削減が相次いでいるためだ。「今年いっぱい、誰も送ってくるなと日本から言われた」と人材派遣会社のサンパウロの担当者は頭を抱える。
「景気悪化で真っ先に切られるのは日系ブラジル人だ」。日本の人材派遣会社のサンパウロ支店の責任者は、不安な表情で話す。
この会社は、愛知、静岡などの電子部品や自動車部品工場と契約。日系ブラジル人5千人を派遣していたこともあるが、今は4千人に減った。今年1月までは「月100人」というノルマを達成するのが難しかったが、3月から依頼が減少。残業なしや配置転換などで対応してきたものの、7月に60人を送ってから、8月以降はゼロに。新規の出稼ぎは一切断られているという。担当者は「来年も全く見通しが立たない」と不安を隠さない。
群馬県に本社のある別の人材派遣会社は、ブラジルから月15人をパン工場に派遣してきた。時給900円で、電子部品などの工場に比べ時給が安いため、50、60代の出稼ぎが多かったが、最近は仕事を失った30代が増えているという。だが先月は10人だった派遣者も、11、12月は予定がない。「日本で働きたい」と言ってくる人には、「いまは仕事がない」と断っている。
「残業がなくなって、生活出来なくなった」と、先月23日、ブラジルに戻ったサンパウロ市内のウィルソン・ミノル・オエさん(31)は話す。
派遣会社を通じて去年7月から島根県の電子部品工場で働いていたが注文が減り、8月に職場の3分の2が解雇か配置換えになった。石川県の携帯電話の部品工場に移ったが、9月半ば、責任者に「残業はない」と言われた。残業代を含め23万円だった月収が10万5千円に半減。家賃5万円と食費で消え、帰国を決めた。
最近は日系ブラジル人の日本での定住化が進み、何十年ものローンを組んで家や車を買う人も増えている。このため「残業代を当てにして生活していた日系人は、定時の収入では暮らせない」(派遣会社関係者)と言い、より深刻な状況になっている。
在サンパウロ日本総領事館によると、日系ブラジル人の出稼ぎ者に出す特定査証は、8月は前月比で3割減と大幅に減った。その後も減少傾向が続く。ビザは前もって申請するため、「金融危機の影響は、まだ数字に表れていないが、これから出てくるだろう」という。