(1)迫られる選択(2008年7月20日朝刊・総合1面)
死刑 決断できますか/存廃論議 置き去りに
昨年五月に那覇地裁で行われた裁判員裁判の模擬法廷。弁護人役を務めた大井琢弁護士は、検察側から異論が出ることを承知である試みに打って出た。死刑制度をテーマにした映画「絞死刑」(大島渚監督)の、死刑執行を再現した一場面の放映だった。
検察官や刑務官の立ち会いで宗教的な儀式が行われ、最後にたばこを差し出される死刑囚。顔に白布、腕に手錠をかけられ、両脇を抱えられて刑壇へと導かれる。力なく震える両膝が縛られ、首に縄が掛けられると、踏み板が勢いよく外されギシッと縄がきしんだ。
大井弁護士は「裁判員制度が始まれば、死刑の判断を迫られる人が必ず出てくる。死刑を廃止するべきだということではなく、量刑判断の材料の一つとして、まずは実態を知ってもらいたかった」と振り返る。
「一人の人間が刑罰を受けることのリアリティーを感じた」。模擬裁判員の一人はそう語った。量刑判断に当たり、六人の模擬裁判員のうち三人が「結論を変えた」と答えた。
国連は一九八九年、死刑廃止条約を採択し、拷問禁止委員会や人権委員会も日本に死刑の停止を勧告。アムネスティ・インターナショナル日本によると、死刑を存置しているのは世界に六十カ国あるが、法律上または事実上の廃止を含めると、廃止国は百三十七カ国に上るという。
鳩山邦夫法相が二〇〇七年八月に就任以来、国内で同年十二月から二カ月に一回のペースで計十三人の死刑が執行されている。
存続か廃止か—。死刑の選択もあり得る裁判員制度を控え、国民の間で論議は盛り上がらないままだ。
AMラジオ局の文化放送(東京)は今年五月の報道特別番組で、死刑執行の実録を音声で放送した。音源は五十数年前の大阪拘置所で、当時の所長が、死刑囚の待遇改善や刑務官の教育を目的に、ひそかに録音したものだったという。
「どうかお母さんにもよろしく申してくださいね。そして子供のことはお願いします」。当時は行われていた執行前の家族との面会で、泣き崩れる姉を諭す死刑囚。執行直前に最後のたばこをくゆらせ、刑務官と昔話をするやりとりなど一連の様子が、執行瞬間の音声とともに残されていた。
死刑執行に立ち会ったことがある元刑務官や、死刑囚から手紙を受け取り続けていた元検察官へのインタビューなどを交え、番組は淡々と死刑の現実を伝えた。
反響は大きく、寄せられた声の八割弱は「制度がよく分かった」と肯定し、二割弱は「被害者の声が盛り込まれていない」などと、批判・懐疑的にとらえた意見だったという。
番組を制作した編成部の清水克彦さん(45)は、死刑には賛成の立場だが「裁判員が判断軸を持たないまま、感情に流され、死刑を選ぶことがあってはならないと考えた」と狙いを説明。死刑存廃論議が活発にならないことに、死刑や死刑囚に関する国の情報公開不足を強く指摘する。(社会部・粟国雄一郎)
重大な刑事裁判の審理に国民が参加する裁判員制度が来年五月二十一日から始まる。国民参加の名の下に、死刑制度や刑事司法が正当化されることはないのか。制度まで一年を切り、なぜいま裁判員制度なのかを考える。