ロシア皇帝に裏切られた大韓帝国(下)
ハーグ密使事件100周年【3】
◆「密使との接触を避けよ」
皇帝にとって密使たちは一言で鶏肋(鶏のあばら骨のように、大して役に立たないが捨てるには惜しいもの=帯に短し、たすきに長し)だった。その場にいた外務大臣で前駐日公使のアレクサンドル・イズボルスキが苦笑いした。イズボルスキについては記憶しておく必要がある。北東アジア歴史財団のチェ・ドッキュ研究委員は最近、高麗大学で開催された韓国史学教育研究グループ主催の学術会議で、イズボルスキについての新しい研究結果を発表した。1905年10月9日、ロシアは万国平和会議に韓国を招待したことを李範晋に伝えた。韓半島(朝鮮半島)での日本の影響力を牽制するためだった。1899年の第1次平和会議を主催したロシアは当時、会議の招待権を握っていた。しかし、その後状況は変わった。乙巳条約で韓国の外交権が消滅したことから、東アジアでの影響力を手放したくなかったロシアの政策にイズボルスキがブレーキをかけたのだ。彼は、敗戦と革命という状況にあったロシアには安定した対外環境の造成が必要だと考え、敵対国だった英国や日本と和解する外交政策の転換を図ったのだ。そのため1906年10月に駐日ロシア公使を通じ、ハーグでの会議への韓国の参加が不可能になったと日本に伝えた。
列強間のゲームで韓国はすでに捨てられた駒だった。どうすればいいのか。密使たちの切実な訴えに接した皇帝は、わずかながら心が揺らいだことだろう。もう一度方針を転換して密使たちを支援すべきか。おそらくその短い葛藤の瞬間こそ、風に揺らぐろうそくの火のような大韓帝国としては、最後の希望だっただろう。やがて皇帝はイズボルスキにこう指示した。「ネリドフに書簡を送れ」。ネリドフはハーグ万国平和会議の議長であり、ロシアの全権代表でもあった。
その書簡にはこのように記されていた。「イ・ジュンらがハーグに着いても接触するな」。後日、ロシア軍将校となったイ・ウィジョンが1917年のロシア革命の際、ボルシェビキ革命軍側で皇帝を玉座から引きずり下ろしたのは、この時の裏切りによる心の傷とは無関係ではなかっただろう。
サンクトペテルブルク=兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
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