切符を買うお金もなかったハーグ密使(下)
ハーグ密使事件100周年【4】
◆「一度発てば再び戻ることはない」
ウラジオストク州立博物館近くのスベトランスカヤ14番地に、5階建ての古い建物が残っている。1899年から1913年までロシア中国銀行が入っていた建物だ。イ・ヨンイクは1904年に高宗から受け取った資金30万ウォンをこの銀行に預けていたという事実が、最近モスクワ大学のパク・ジョンホ客員教授により明らかになった。イ・ヨンイクは「自分と高宗皇帝以外には誰にもこの金を渡してはならない」と懇願したが、銀行側の誤りでイ・ヨンイクの孫であるイ・ジョンホが7万ウォンを引き出し、残りの23万ウォンは1909年まで残されていた。イ・ジョンホがイ・ジュンに2万ウォンを与えたという説もあるが、少なくともこの30万ウォンは密使たちにはまったく渡っていなかったことになる。
イ・ジュンとイ・サンソルが受け取った義援金は全部で2万ウォンだった。当時、ウラジオストクには994戸の韓国人が住んでいたが、1戸当たりコメ8俵分が、彼らのハーグ行きの資金として提供されたことになる。イ・ジュンとイ・サンソルがシベリア鉄道に乗り込む前日の5月20日、韓国人同胞たちは彼らを見送る宴を開き集めた資金を手渡した。涙を禁じ得なかったイ・ジュンは、この場で1つの詩を詠んだ。「秋風が冷たくなり、水も冷たさを増していく中、壮士は一旦出発すれば再び戻ることはない」(秋風蕭蕭兮 易水寒、壯士一去兮 不復還)
最近この詩に接した記者は非常に驚いた。どこかで同じような詩を見たような気がしたからだ。それはもともとイ・ジュン烈士が詠んだ詩ではなく、最初の「秋」の部分を取れば、中国戦国時代の刺客である荊軻が秦の始皇帝暗殺に出発する前に詠んだ詩だった。従って、「水も冷たさを増していく」という部分のこれまでの解釈は「易水」という固有名詞に変更されるべきだろう。これは単なる象徴なのか、あるいは本当に刀を持ってハーグへと向かったということなのか。またその刀で彼は一体誰を切ろうとしていたのだろうか。
ウラジオストク=兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
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