記事入力 : 2007/07/08 16:55:03
まともな「信任状」もない旅立ち(上)
ハーグ密使事件100周年【1】
しかし、当時世界を牛耳っていた列強は、彼らに関心を持とうとせず、日本による妨害は執拗(しつよう)なものだった。国運の危機は頂点に達し、密使らは死を覚悟していた。彼らがハーグに到着したのは6月25日のことで、イ・ジュンは7月14日に現地で亡くなった。本紙は、密使らの動きを逆追跡(ハーグ←サンクトペテルブルク←ウラジオストク←釜山←ソウル)し、この100年間埋もれたままになっていた新事実を発掘する。
時々刻々と締めつけを強める日帝の圧迫、そして国際社会から疎外され、冷遇を受け、絶望と鬱憤(うっぷん)に倒れていった彼らの絶叫が今も耳に響いてくるかのようだ。
◆密使らが到着した100年前の駅はそのままだが…
2007年6月15日、オランダ・アムステルダムのスキポール空港から汽車に乗り、30分余りでハーグ中央駅に到着する。ここから1キロ程度離れた場所に、今でも100年前の姿をそのままとどめたハーグHS駅がある。
1907年6月25日、3人の東洋人が暗い表情を浮かべながら、ハーグHS駅に降り立った。この3人の東洋人とは、前平理院(最高裁)検事のイ・ジュン(48)、前議政府参賛のイ・サンソル(37)、前駐ロシア公使館参書官のイ・ウィジョン(20)。釜山港を出発してから2カ月後、数万里におよぶ旅路がここで終わりを告げた。
万国平和会議は既に10日前に開幕していた。彼らの足取りは重かったが、取り急ぎ、みすぼらしい「ドゥ・ヨン」ホテルに宿所を定めた。そして、その翌日に彼らは「皇帝の玉璽が押された信任状」を手にし、会議への出席を要求したとされている。
ハーグ=兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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