金九の知られざる姿とは(下)
◆広開土大王碑を知らなかった金九
金九は1895年、広開土大王碑をはじめ将軍塚など高句麗の遺跡が至るところにある高句麗の旧都・集安一帯を旅した。しかし『逸志』には、高句麗史についての言及はない。なぜなのか。朝鮮後期の儒学思想である華西学派の教えを受けた金九は、高句麗史を高く評価した実学派知識人らの影響を受けていなかった、というのが著者の分析だ。解放後に出版された国史原本には、こうした事実を意識したのか、親筆本には存在しない「集安の広開土大王碑のことを知らず、見られなかったのが残念」という文章が挿入されている。ペ研究員は「こうした修正は、申采浩(シン・チェホ)ら民族主義史学者の成果と、解放後の広開土大王に対する関心をそのまま反映したものであり、その一方で原典のテキスト的価値を損なった代表的な事例だ」と指摘した。
◆李承晩は同志かライバルか
金九と李承晩(イ・スンマン)元大統領は、互いに異なる政治路線を歩んだライバルとして目されている。これについてもペ研究員は、「『白凡逸志』中の李承晩についての記述は、そのような先入観が歴史的事実に基づくものではないことをよく示している」と主張した。
白凡が1911年に西大門監獄に収監された当時、『逸志』には「以前、李承晩博士が獄中に図書室を設置し、囚人たちに国を復興させる道を教えたという。李博士が手間をかけ涙を流しながら整えた書籍を見ると、目通りかなわぬ李博士の顔を見るようでありがたく、限りない感じがした」と記録されている。
この部分は、『白凡逸志』上巻を執筆していた1928‐29年ごろの金九の李承晩元大統領に対する認識をよく示している。ペ研究員は「臨時政府の財政収入に絶対的な比重を占めていた米州の同胞社会に強力な支持基盤を持つ李承晩元大統領の追従者らを念頭に置き、この一文を挿入したといえる」と語った。しかし、この部分は47年の国史原本からは削除された。
申晶善(シン・ジョンソン)記者
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