明成皇后のハングル手紙2通を公開
政敵だった大院君が失脚(1873年)した直後、明成(ミョンソン)皇后(閔妃/1851-1895)が兄に送ったハングルの見舞状2通が公開された。
乙巳(ウルサ)条約(第2次日韓協約/1905年)直後、自決した閔泳煥(ミン・ヨンファン)の家で代々受け継がれてきたもので、閔泳煥さんの孫ミン・ビョンジンさんが26日、本紙に公開した。あて先の名前が記されていないこの手紙について、ミン・ビョンジンさんは「閔升鎬(ミン・スンホ、1830~1874)に送った手紙だと聞いている」と述べた。
手紙は中国製とみられる赤と黄色のきれいな色紙にハングルで書かれている。花と蝶の絵に「渭川煙雨、渭川の霧雨」、「當湖東園…、湖東園に着き… 」という文を添えた美しい便せんから、当時24歳で花盛りの明成皇后の嗜好がうかがえる。
しかし、この手紙で明成皇后は不安な気持ちを打ち明けている。大院君の陰から脱したものの、当時の物騒な国内外の政治状況のためであったとみられる。2通とも「(お兄さんの)手紙で今日も無事に朝を迎えたようで何よりです。殿下と皇太子(後の純宗)はお元気そうで幸いですが、私は体と心が痛く、辛く、もどかしいのです」とつづっている。
いつごろ書いた手紙だろうか。日付は書かれていないが、2通とも1874年2月に生まれた純宗について触れている。閔升鎬は1874年に爆死したため、手紙はその年に書かれたものとみられる。明成皇后の手紙は、現在3-4通ほど残っているという。
手紙をやり取りした2人の運命は、いずれも悲劇に終った。大院君の義理の弟で、養子縁組によって明成皇后の兄になった閔升鎬は、高宗の勤王勢力として権勢をふるったが、小包爆弾事件で母親、息子とともに死亡した。当時、この爆弾テロの背後に大院君がかかわっているという噂が広まった。1895年、明成皇后は日本人の刺客に殺害された。
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