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誰が明成皇后を2度殺したのか

李泰鎮教授が主張する「ねつ造の系譜」

KBSのテレビドラマ『明成皇后』(2001~2002)の一場面。李泰鎮教授は明成皇后を肯定的に描いたこのドラマのストーリーも、鄭飛石(チョン・ビソク)の小説『閔妃』から影響を受けたとみている。/写真提供=KBS
 19世紀末、舅の大院君と嫁の閔妃(明成皇后)による血で血を洗う権力争い、そしてその間で右往左往するひ弱な王・高宗という3人のイメージは韓国人に定着している。閔妃は権力欲に燃えて国を滅ぼした女性であるというイメージも長く定着している。しかし果たしてこれが歴史的事実を忠実に反映したものなのだろうか。

 ソウル大学韓国史学科の李泰鎮(イ・テジン)教授は最近出版した学術誌『韓国史市民講座』に寄稿した論文『歴史小説の中の明成皇后のイメージ』で、明成皇后についての否定的な認識の流れを追跡した。その結果、「大院君-閔妃-高宗」の三角関係を最初に定着させた書籍が日本人ジャーナリスト、菊池謙讓が1910年10月に発表した『大院君伝 朝鮮最近外交史 附王妃の一生』だった。

 驚くべき事実は、菊池が1895年に明成皇后殺害に直接加担した人物だったという点だ。李教授は「この本は菊池が王妃殺害という蛮行を行ったことに対するある種の弁明」と評した。執念を持って権力を奪おうとした閔妃を大院君が除去しようとしたが、日本人はこれを支援したに過ぎないという論旨だ。菊池はそのために大院君を空前の業績を残した建設的英雄に、閔妃はその業績をなきものにした破壊的英雄に設定し、2人の対立の構図をわい曲して強調したというのだ。

 しかし菊池の書籍には多くの虚構が描かれている。その中でも、大院君が宮人李氏から生まれた王子を王太子に柵封しようとたが王妃から反発されたという部分が代表的だが、李教授は「王妃が20歳にもなっていないのに宮人から生まれた子を太子に柵封するのはありえないこと」と断定した。それ以外にも崔益鉉(チェ・イクヒョン)が王妃の指示に従って大院君弾劾の上疏を上げたという内容もすべて虚構だというのだ。しかしこのようにわい曲された明成皇后のイメージは、その後張道斌(チャン・ドビン)の歴史書『明成皇后と大院君』(1927)、細井肇のドキュメンタリー小説『女王閔妃』(1931)へと継承されたというのだ。

 李教授は菊池の『大院君伝』を基本テキストとした代表的な韓国の歴史小説が、鄭飛石の『閔妃』(1981)だと主張する。この小説はさらに進んで明成皇后を極悪で淫蕩な人物として描写しているだけではなく、朝鮮の外交を屈従的に描くほどに破綻した歴史認識を示していると指摘する。しかしテレビドラマの『明成皇后』(2001‐02)のストーリーもこの小説から大いに影響を受けており、現在青少年用の漫画のテキストにもなっているという点で、非常に大きな問題があると李教授は語る。そのため、「国民の正しい歴史認識確立のために、この小説を廃棄処分宣告するのが正しい処置だ」と主張する。

兪碩在(ユ・ソクジェ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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