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80年ぶりに元の姿を現した景福宮

 光化門復元工事により、景福宮の昔の姿が明らかになりつつある。宮中から流れ出る水の水路である御溝施設や御溝の水を宮中の垣根の外に流す水門施設のアーチ型門が最近発掘された。これは、日本統治時代の1926年に日本が光化門を撤去し、周辺地域を破損させて以来、80年ぶりに姿を現したもの。

 今回の光化門復元工事に先立ち、周辺地域の発掘を行っている国立文化財研究所(金奉建〈キム・ボンゴン〉所長)は今月7日、光化門の東側60メートル余りの場所で、御溝と宮中の垣根の土台に使用されていた長台石(踏み石階段や石垣を積む際に使う、長く形が整えられた石)や御溝のアーチ型門を発見し、引き続き発掘作業を行っている。これらは高宗(コジョン)王が景福宮を復元した1868年に作られたものと推定され、御溝とアーチ型門が発見された位置は、朝鮮時代末期に景福宮を描いた各種の絵画や図面に描かれている場所と一致している。

 10日に発掘現場を確認した結果、現在の地表より1メートル程度掘り下げた場所から発掘された御溝は、長さ2メートル、高さ60センチ程度のよく整えられた石(長台石)を積んで作られており、幅は最小で5メートル以上あるものと推定されている。御溝にはアーチ型門も作られ、水が水路を通って宮中の垣根の外に流れ出るようになっている。なお、20世紀初期の景福宮を描いた図面にはアーチ型門が2つあるように描かれているが、現段階では1つしか発見されていない。

 復元工事関係者は「発掘作業がもう少し進めば、御溝の壮大な姿やアーチ型門が正確にいくつあるかなど、さまざまな点がはっきりするだろう」と話した。慶会楼などから景福宮南側に流れ着いた水は、今回発掘された光化門東側のアーチ型門を通り、南側の中学川と合流した後、再び清渓川に合流する。

 一方、光化門復元工事の西側区間では、1927年12月19日に開通した南大門‐市庁前‐世宗路‐光化門‐積善洞‐通義洞‐孝子洞を結んでいた路面電車「世宗路線(計3.4キロ)」の枕木も出土した。これは、ソウル市建設安全本部が光化門復元工事に先立ち、歩道開設工事を行っていた際に発見されたもので、現在工事は中断されている。複線で開通した世宗路線は、地上の交通量の増加に伴い、66年6月22日、世宗文化会館と米大使館との間の地下車道工事建設の際に廃止された。世宗路線が廃線となった後、残りのソウル地域の路面電車12路線も68年11月29日までに相次いで廃止となった。

 国立文化財研究所の金東賢(キム・ドンヒョン)前所長は「発掘された御溝などは、近代以降の景福宮や光化門の栄辱を雄弁に物語る貴重な遺跡だ。20世紀前半期の光化門周辺地域が現在よりも1メートル程度低かったという事実など、ソウル都心部の変化層をしのばせている」と説明した。

 なお光化門復元工事は、09年末に完工予定。これにより光化門は日本統治時代に破損される以前の姿通りに復元され、現在よりも14.5メートル南側に移動する。また、月台(宮殿や楼閣などの前に敷かれた石畳)も復元される予定だ。

慎亨浚(シン・ヒョンジュン)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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