あさがおさん観察日記 '08

2008年11月7日(金) 00:00

いよいよ明日&明後日だねえ

※ なにか末期的な状況を感じます

 あるblogを読んで私も気が付いたのですが、現在 Magic 2009シーズンのグランプリについて、未だに1件も開催場所や日程が発表されていないようです。2008シーズンの実績を見ると、2007年末に開催された分を除き、最も早いグランプリは2月に開催されています。GPTなどの日程を考えるとそろそろ発表されないと間に合わないと思われます。

 そのblogにも書かれていましたが、どうも最近のWoCは「自分達に不利な発表をとにかく遅らせる」という傾向が強まっています。この手の隠蔽体質は日本の Magic には昔からあったのですが、それが本家にまで感染した印象すらあります。ただし企業のあるべき姿として時代に逆行しているのも甚だしいわけですが。これじゃあ Magic を映画化して人気+知名度アップを・・・なんて話は夢のまた夢でしょう。

※ 追記

  The Finals 2008 スペシャル地区予選のうち、関東A(東京)の開催地がなぜか川越市(埼玉県)になっているのですが。 (^^;


※ なぜモノポリーの敷居は高いのか

 これは「なぜ日本でモノポリーは今一つ伸びないのか」とも言えるかと思いますが、とにかくそういう件に関する個人的な考察を書いてみます。

 これはモノポリーに関する持論なのですが、私個人は・・・

特に中〜上級者が日常的に行っている
モノポリーのゲームは、ボードゲームではなく
テーブルトーク・ロールプレイングゲーム
になっている

 ・・・と考えています。なお、テーブルトーク(以下略)はテーブルトークRPGとかTRPGなどと略されることが多いので、以降はこの略称を用います。

【参考資料】テーブルトークRPGとは
http://ja.wikipedia.org/wiki/TRPG

 日本人が「ボードゲーム」と聞くと、普通一般には人生ゲームなどスゴロク系の遊びが頭に思い浮かぶと思います。この手のゲームって基本的に「以前に遊んだゲームの話など忘れて良いし、覚えていてもあまり役には立たない」ものじゃないですか。目の前にある盤面とプレイヤーの現在位置や所持金品などがすべての情報で、プレイヤーはそこからすべての物事を判断して良いはずですし、そうするしかないのです。ただしそれは決してゲームとしての薄っぺらさを示す物ではなく、むしろ分かりやすいという点ではメリットですらあるはずです。

 ところがモノポリーはそうじゃありません。特に中〜上級者が行うモノポリーのゲームは、過去に行われた幾度ものゲームの中から経験則が生まれ、なおかつ交渉などに関する相場みたいな物も構築されています。特にこの“相場”の存在がかなり厄介です。株式市場みたいに指標化されていればまだしも、そうはなっていない。だかといって相場を無視すれば、中〜上級者に睨まれるか相手にもしてもらえなくなる。このモノポリーの相場が、私に言わせるとTRPGにおけるキャラクタの経験値や装備、更には過去のゲームで経験したシナリオに相当しているわけです。

 実際問題として、特定のメンバーが遊んできたTRPGのゲームに、ある日突然TRPG未経験のプレイヤーが入ってきても、多分ゲームとしてはかみ合いませんよね。そもそもTRPGの世界には、おそらく長年の体験から生まれた内輪ネタみたいな物があるはずで、それでプレイヤーがワイワイ盛り上がったところで、その経緯を知らない未経験者や初心者は完全に蚊帳の外です。ましてや「この場面でのシーフの立ち振る舞いはこうだろう!」などと経験者から言われても、過去の経緯を知らない初心者には何でそうなるのかが全く分からないわけです。この話が仲間内で自然発生的に生まれた、あるいは競技イベントでの経験則から普及した、相場と呼ばれる暗黙のルールやお約束で遊ばれるモノポリーにもそのまま当てはまるのです。

 そこで現実に目をやると、少なくとも日本でTRPGというゲームは、言っちゃあなんですが“日陰者”です。 (^^; そうなっているおそらく大きな要因の1つは、TRPGが潜在的に抱えている「敷居の高さ」なのです。何年も前から同じゲームを囲んでいる仲間と同じ知識や経験がないと楽しめない。こんなゲームに未経験者が興味を持つはずがないし、入ってくるわけもないし、入ったところで定着なんか出来ないのです。じゃあどうすればTRPGに未経験者が入ってくれるのか。TRPGを知らない人達にTRPGの存在を知らしめ、未経験者が飛び付く魅力的な話題を提供し、そして中〜上級者のような知識や経験が無くても楽しめるゲームを提供するしか手はないはずです。「別に我々は、今いる仲間で盛り上がれれば良い」ということであれば話は別ですが。

 おそらくモノポリーに関わる多くの方々は、モノポリーを人生ゲームのようなフレンドリーなイメージで捉えている。正確に言えば「そういうイメージで未経験者に捉えてもらって、何とか手を出してもらおうと考えている」というところでしょうか。実際そんな感じじゃないですか?。でも未経験者が何かのきっかけでモノポリーに手を出し、しかしその際に周囲から「相場がああだ」「交渉がこうだ」などと言われた瞬間に、おそらく相当数の初心者はモノポリーにTRPGと同じ違和感や敷居の高さ、更に言うとプレイヤーの閉鎖性やヲタク臭のような物を感じるのではないかと思います。それが良いか悪いかの問題はまた別ですし、そういう雰囲気がモノポリーの魅力だと言う方もいらっしゃるでしょうが、少なくとも未経験者から見た取っつきにくさは最悪です。ただし、それに加えて初期段階でプレイヤーに相当な額の投資まで要求してしまう Magic 辺りに比べると、初期投資額をゼロに出来る可能性があるモノポリーは幾分か救いがある気はしますが(笑・・・えない)。

 モノポリーに競技として取り組むなとは言いませんし、競技の場で生まれた相場を活用するなとも言いません。ただ、これは Magic の世界でも全く同じ状況があるのですが、世の中のゲーム・プレイヤーには「競技の世界で洗練されて生まれた物が、そのゲームにおける最高であり、なおかつすべてである」という誤解をされている方が少なくないようです。それらはゲームという世界の中では、確かに「最高」なのかもしれません。しかし同時に、それがゲームの世界の「すべてではない」はずです。というか、その程度の試行錯誤ですべてが見えてしまう薄っぺらいゲームなんか売れないでしょうし、そんなゲームで競技をやることに価値は無いです。あとはゲームに向かう際のプレイヤーの姿勢という話もあります。例えばモノポリー初体験のプレイヤーに、競技イベントでは考えられない甘めの交渉を持ちかけ、それでそのプレイヤーがゲームに勝ってモノポリーのファンになってくれた。それをあなたが「負けた」と思うのか「勝った」と思うのか。それだけでもゲームの流れやその意識、あるいは交渉の相場などが大きく変わるはずなのです。はっきり言いますが、そういうゲームを心の底から「勝った」と思えるプレイヤーが多数派を占めない限り、おそらくモノポリーに明日はないです。現に対戦格闘ゲームはそれで事実上滅びましたし、更に Magic も似たような状況になって追い込まれています。

 そういう意味では、格ゲーにしてもTCGにしても「プレイヤーが熟練すればするほど、実際に遊ばれるゲームの内容がTRPG化して、結果的に未経験者や初心者が寄りつけなくなる雰囲気や環境が出来上がっている」という部分は間違いなくあるでしょう。モノポリーがいかにしてそういう流れに歯止めをかけ、本来のボードゲームとしての姿や環境を維持するのか。そこに気が付いて工夫を続けていかなければ、おそらくモノポリーの人口は減ることはあっても増えることはありません。ただしそれは何も他人のためではなくて、ゲームの性質を知り尽くして極め、更に人口を増やして競技イベントなどを維持・拡大するという結果を招くことで、結果的に自分自身のためになることなのです。


※ その一方で・・・

 昨日、例のビートルズ版モノポリーを知り合いの女性2人に見せてきたのですが、当初の予想を上回る好評でした。「これなら絶対に欲しい」「賞品に出るイベントなら出たい(実際は仕事の都合で無理なので残念だ)」など、やり取りを録音して関係者に聞かせたら感涙物の反応が山のように返ってきています。ただ、おかげで「サンデー&マガジンエディションの印象が薄れた」とも言われましたが(苦笑)。その方も言っていましたが、やはり“駒”のクオリティーはモノポリーの命ですよ。

 衣料や玩具などの業界では「日本の流行は子供と女性が作る」と言われています。女性って商材などに「格好いい」「素敵」といった好印象を付加することが出来ると、自分が全く知らない分野でもすすんで手を出してくれる傾向が強い気がします。だから男性よりも流行物に敏感だし、新ジャンルや新分野の商品購買者になってくれる。そんな感じです。しかも女性のお眼鏡に適って売れる物って、そのまま多くが男性にとっても魅力のあるアイテムだったりします。やはりゲームにもそういうアピールは必要だと改めて思いました。

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