試作型思索と詩作 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-11-05

人間モドキの産声

id:koisuru_otoutoさんに、ブックマークでコメントを頂いたようなので、それを読んで考えた事を書いてみます。

# 2008年11月05日 koisuru_otouto koisuru_otouto スイーツ(男), 男性オタクさん 欲望を持つ事と欲望を垂れ流す事の同一化もあるけど、傷つける事と傷つけられる事の同一化もしていますね。自分が傷つけたことにはされたくない、という負い目があるのでしょう。d:id:koisuru_otouto:20081010

個人的には、もっともなコメントだと思ったので、反論は無いです。

むしろ、付け加えることがあるかも、と思いました。

その結果、返信というより、相変わらず内向きの話になるかと思います。


補足として、自分が傷つける事と傷つけられる事を同一化する傾向にあるのは、上記の理由の他に、性善説を信じている側面があるからでしょう。

傷つける瞬間に傷つき、傷つく瞬間に傷つける。

どんな状況でも自分が加害者になる事への想像力を持ち、省みるのが人間だ、という信仰をどこかに抱えているのだと思います。

もちろん、現実にはそんな事は、ほとんど無いのを目の当たりにする事が多いですが、現実的な対応を選ぶ人間ほど、理想主義的な信仰をどこかに抱えるものです。

自分も、おそらく、そうやってバランスをとっているのでしょう。

欲望を持つ事と垂れ流す事をある程度、同一化するのも、自罰傾向の強さの裏返し、という見方が出来ます。

自分が存在する事の罪深さを世間が許容してくれないだろうか、という卑怯な心性です。


自分は、結局、自身が性別を持つ生き物として生まれてしまった事が許せないのかもしれません。

男としても、女としても、この世に生まれてしまいたくなかったのかもしれません。

機械であれば良かったとか、無性愛者であれば楽なのにとか、そんな事を考えていた事もありました。(実際に無性愛者である立場の人には失礼極まりない話ですが)

どうにも、自分は自身のセクシャリティに愛憎相半ばする思いがあるようです。

誰もが、大なり小なり、そういう心理を抱えている、という話もありますが、自分の場合は致命的な欠陥になりうるレベルではないか、とたまに苛まれます。

どこに居るかも決められず、寄る辺の無い、人間のフリをして生きている人間モドキ。

それが自分ではないかと。

その証拠に、自分は、いつか人を好きになる事はあっても、付き合いたいとは思えない気がするのです。

互いのセクシャリティが明確になってしまうのが怖いのでしょう。

人間モドキの自分には、想う事だけで十分すぎるじゃないか、そんな事を良く考えます。


こんな、あさっての方向に自分を分解し続けるような醜いエントリを書いて、自分は何がしたいのでしょうね。

自分で自分の醜さを証明しきって、満足したいのでしょうか。

このような文章を書いてしまうことが、自分の醜い甘えの本質ではないか、とも思います。

精神的自傷なら一人でやってれば良いのに。

なんとも卑怯で情けない話です。

誰かに、とどめを刺して欲しいのかもしれません。

「お前は、人間ではないのだ」という言葉で。


人間モドキの拙い言葉でも、何を考えたか形にする事が礼儀ではないか、とも思い、このエントリを書きました。

しかし、それと同時に、自分の拙い言葉に不快な思いを抱く人が居るかもしれない、とアップすることを躊躇いました。

お目汚しになったなら、申しわけありません。

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