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45歳、地元で念願の世界一、モイヤーの軌跡 米大リーグ

11月3日13時46分配信 産経新聞


 名門のフィリーズが新鋭のレイズを下してワールドチャンピオンに輝いた大リーグのワールドシリーズ。第5戦は雨による中断で丸2日も順延されるという過去に例をみない異例の事態に見舞われ、選手もファンも我慢の末に勝ち取った栄冠だった。だが、その中にひときわ異彩を放った男がいた。いまや大リーグを代表する打者になったイチローもその勇姿をじっと見つめていたに違いない。

 1勝1敗で迎えた25日の第3戦に先発した45歳の左腕、ジミー・モイヤー。長打力のあるレイズ打線を7回途中まで被安打5に抑え、シリーズ最年長勝利投手の権利を手にしてマウンドを譲った。残念ながら、終盤に追いつかれ、勝利投手にはなれなかったものの、チームはサヨナラ勝ち。その後のシリーズの展開を振り返ると、フィリーズにとって、このときの1勝、それを支えたモイヤーの力投は大きかったようにみえる。

 どんなに速いボールでも時速80マイル(約130キロ)台で、投球の大半はさらに球速を殺した時速70マイル台のチェンジアップ。親指と人差し指の先をつけ、OKサインの格好でボールを深く握って投げる「OKボール」が得意球だ。若い長距離打者が目立つレイズ打線には人食ったようなボールに見え、たまに投げる“速球”が実際よりも速く見えただろう。しかも制球力は抜群で、プレーオフで絶好調だったレイズの岩村もタイミングが合わず、四苦八苦の様子だった。

 「自分の夢や思い、望みをはるかに超えていた」。試合後、AP通信などにそう語ったモイヤー。45歳で初のワールドシリーズ登板は、1930年に当時のフィラデルフィア・アスレチックスで投げていたジャック・クィンの47歳に次ぐ大リーグ記録だ。「すべて経験済みとは言わない。でも、多くのことを経験してきた」と、謙遜しながらも経験で培った投球術には自信をうかがわせた。

 それだけの投手でも大リーグではあまり目立つ存在ではなかった。だが、「ジミー」といえば、2001年のシーズンを忘れることはできない。イチローがメジャーデビューを果たしていきなり首位打者になり、新人王、MVPと、数々のタイトルを獲得したときのことだ。マリナーズは大リーグ最多タイとなるシーズン116勝を挙げ、そのうちチーム最多の20勝を稼いだのがモイヤーだった。

 本拠地、シアトルのセーフコ・フィールドの外壁には、主砲のエドガー・マルチネスとモイヤーの巨大なイラストの看板が掲げられていた。04年のシーズン終了後に引退したマルチネスに代わって打の中心選手になったのがイチローで、モイヤーはイチローとマリナーズの「2枚看板」になった。

 それでも、メジャー人生は平坦ではなかった。1962年に米東部ペンシルベニア州に生まれ、84年に地元のマイナー球団に入団。86年のシーズン途中にカブスでメジャーデビューを果たしたが、成績はあまり伸びず、トレードとマイナー降格を繰り返す。92年は一度もメジャーに上がれず、30歳にして最大のピンチを迎えた。このころのことかは定かではないが、かつて自らの投球ビデオを製作して日本球界に売り込んだものの、お声はかからなかったとの話もある。

 だが、モイヤーはここからはい上がった。2度目のメジャー復帰となるオリオールズで好成績を収め、96年にレッドソックスに移籍して大活躍。これをみて獲得に乗り出したのが、闘将、ピネラ監督の下で下位球団脱却を目指していたマリナーズだった。マリナーズ移籍は大きな転機となり、2年目から2けた勝利を続け、2001年に初めて20勝を達成する。03年には自己最多の21勝を挙げ、05年まで先発の柱であり続けた。

 そこで転機はまた訪れる。06年、地元ペンシルベニア州の球団、フィリーズに移籍が決まったのだ。その年は途中でマリナーズに戻ったが、07年から再びフィリーズの一員となり、今年はチーム最多の16勝で地区優勝に大きく貢献した。フィリーズが前回、ワールドチャンピオンになった1980年、まだ学生で優勝パレードに胸を躍らせたモイヤーにメジャー22年目にして地元球団でワールドチャンピオンになるチャンスが訪れた。

 ワールドチャンピオンにはマリナーズが116勝を挙げた2001年が一番近かった。それだけの勝利を挙げながらワールドチャンピオンになれなかったチームはなかったからだ。だが、ヤンキースはまだリーグ最強だった。現実はそれほど理屈通りには運ばない。ただ、そのときの悔しさがフィリーズのユニフォームを着て初の大舞台に賭けるモイヤーの思いを一層強くしているようにみえた。

 「この瞬間さえあれば、メジャー人生は十分。待つだけ待って、ついに勝ち取った。それだけでいい。胸はまだ高ぶっていて、本当に勝ったのかどうか、勝ったという実感は沸いてこないけど、ワールドチャンピオンなんだ」。シアトルの地元紙、シアトル・タイムズもモイヤーのことを忘れずに伝えた。

 メジャー通算成績は637試合で246勝185敗。46歳までなげ続けたノーラン・ライアンは尊敬する投手。その後、筋力トレーニングでひそかに競い合ったというロジャー・クレメンスとカート・シリング、さらにライアンの指導を受けたというランディー・ジョンソンと、剛球投手も息長く投げてきた大リーグで、影に隠れてきたエースに表舞台がようやく回ってきたという感じだ。

 7球団を渡り歩き、浮き沈みの激しかったメジャー人生を越えて夢を果たしたモイヤー。ワールドチャンピオンを決めた29日の試合後、本拠地、シチズンバンク・パークのピッチャーズプレートを掘り返して運び出し、ファンの子供たちとたわむれた。次は選手として優勝パレードを盛り上げる番だ。

(蔭山実)


■モイヤーのメジャーでのシーズン成績

1986 カブス      7勝 5敗

  87 カブス     12勝15敗

  88 カブス      9勝15敗

  89 レンジャース   4勝 9敗

    (マイナー     2勝 1敗)

  90 レンジャース   2勝 9敗

  91 カージナルス   0勝 5敗

    (マイナー     5勝10敗)

  92(マイナー    10勝 8敗)

  93(マイナー     6勝 0敗)

     オリオールズ  12勝 9敗

  94 オリオールズ   5勝 7敗

  95 オリオールズ   8勝 6敗

  96 レッドソックス  7勝 1敗

     マリナーズ    6勝 2敗

  97(マイナー     1勝 0敗)

     マリナーズ   17勝 5敗

  98 マリナーズ   15勝 9敗

  99 マリナーズ   14勝 8敗

2000 マリナーズ   13勝10敗

  01 マリナーズ   20勝 6敗

  02 マリナーズ   13勝 8敗

  03 マリナーズ   21勝 7敗

  04 マリナーズ    7勝13敗

  05 マリナーズ   13勝 7敗

  06 フィリーズ    5勝 2敗

     マリナーズ    6勝12敗

  07 フィリーズ   14勝12敗

  08 フィリーズ   16勝 7敗

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最終更新:11月3日13時46分

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