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色んな意味で泣ける話集めようぜ。
362 名前:躯 ◆jk0cn7Uk1o 投稿日:04/05/23 19:43 ID:YasGQFUA
オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。
いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。
それをばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み〜」
ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ
家の事情も解消され、自分の家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。
先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。
モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか
妖怪も混じっていたり。「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に
「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように」
人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。
2 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 14:47:58.58 ID:N7IUHMEb0
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、
とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
後悔で涙がこぼれた
203 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 00:09:59.83 ID:sai5QcdU0
>>2
いきなり泣いた
もうだめ、閉じます
4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 14:58:19.28 ID:N7IUHMEb0
小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。
担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。
クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。
私は、A君の言葉を忘れない。
「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」
A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした
5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 15:06:27.27 ID:N7IUHMEb0
4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。
ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。
「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」
こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。
「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ〜」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。
娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。
34 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 15:39:16.60 ID:PQsW9M9sO
>>5はいつみても泣く
6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 15:12:01.13 ID:N7IUHMEb0
どうして私がいつもダイエットしてる時に(・∀・)ニヤニヤと見つめやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして私が悪いのにケンカになると先に謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしてお小遣減らしたのに文句一つ言いませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして交代でやる約束した洗濯をし忘れたのに怒りませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして子供が出来ないのは私のせいなのに謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして自分が体調悪い時は大丈夫だと私を突き放して私が倒れると会社休んでまで看病しますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして妻の私に心配掛けたくなかったからと病気の事を隠しますか(゚Д゚)ゴルァ!
おまけにもって半年とはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
長期出張だと嘘言って知らない間に手術受けて助からないとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で俺の事は忘れていい男見つけろとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちの気持ちは無視ですか(゚Д゚)ゴルァ!
正直、あんた以上のお人よしで優しい男なんか居ませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
それと私みたいな女嫁にすんのはあんた位ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
もう一つ言い忘れてましたが私、お腹に赤ちゃん出来たんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたの子供なのに何で生きられないのですか(゚Д゚)ゴルァ!
そんな状態じゃ言い出せ無いじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
それでも言わない訳にはいかないから思い切って言ったら大喜びで私を抱きしめますか(゚Д゚)ゴルァ!
生まれる頃にはあんたはこの世にいないんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な子だといいなぁってあんた自分の事は蔑ろですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で周りの患者さんや看護婦さんに何自慢してやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
病気で苦しいはずなのに何で姓名判断の本で名前を考えてやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして側に居てあげたいのに一人の身体じゃ無いんだからと家に帰そうとしますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしていつも自分の事は二の次何ですか(゚Д゚)ゴルァ!
医者からいよいよダメだと言われ泣いてる私に大丈夫だよとバレバレの慰めを言いますか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちはあんたとこれからも生きて行きたいんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
それがもうすぐ終わってしまうんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
バカやって泣きそうな私を包んでくれるあんたが居なくなるんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
忘れろと言われても忘れられる訳ないでしょ(゚Д゚)ゴルァ!
死ぬ一週間前に俺みたいな奴と一緒になってくれてありがとなですか、そうですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちがお礼を言わないといけないのに何も言えず泣いちまったじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
あんなに苦しそうだったのに最後は私の手を握りしめて逝きやがりましたね(゚Д゚)ゴルァ!
何で死に顔まで微笑みやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!
そんなのは良いから起きて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
生まれてくる子供を抱いて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
子供に微笑みかけて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
たのむから神様何とかして下さい(゚Д゚)ゴルァ!
ダメ女な私にこの先一人で子供を育てろと言いやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
そんなあんたが死んで5ヶ月...
子供が生まれましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な女の子ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
目元はあんたにそっくりですよ(゚Д゚)ゴルァ!
どこかで見てますか(゚Д゚)ゴルァ!
私はこの子と何とか生きてますよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたも遠くから見守って居てください。
12 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 15:19:07.77 ID:uDaXQgOz0
京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。
カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。
「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
112 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 18:03:50.58 ID:jpiaCPVS0
>>12は本当にあったんだな
ずっとネタかと思ってたのに
ttp://www6.big.or.jp/~beyond/akutoku/news/2006/0721-20.html
13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 15:19:08.27 ID:N7IUHMEb0
俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、
「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。
貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!って悪態ついたときの
母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。
どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の
前まで来て買うのやめた。そのかわりに小3の妹にアシックスの
ジャージを買ってやった。いままで俺のお下がりを折って着ていたから。
母にはハンドクリーム買ってやった。いっつも手が荒れてたから。
去年俺は結婚したんだけど、
結婚式前日に母に大事そうに錆びた ハンドクリームの缶を見せられた。
泣いたね、、。
初めて言ったよ「生んでくれてありがとう」って。
15 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 15:21:36.48 ID:N7IUHMEb0
なんか機械音痴の母がデジカメを買った。
どうやら嬉しいらしく、はしゃぎながらいろいろと写してた。
何日かしてメモリがいっぱいで写せないらしく
「どうすればいいの?」って聞いてきたが
「忙しいから説明書読め!」とつい怒鳴ってしまった。
さらに「つまらないものばかり写してるからだろ!」とも言ってしまった。
そしたら「・・・ごめんね」と一言。
そんな母が先日亡くなった。
遺品整理してたらデジカメが出てきて、何撮ってたのかなあと中身を見たら
俺の寝顔が写ってた・・・。
涙が止まらなかった。
554 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/11/01(土) 00:54:22.94 ID:kLSKlQV+O
>>15
さて、涙ふいて久しぶりに母ちゃんと話してみるか・・・
592 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/11/01(土) 08:11:33.32 ID:lfOqv/18O
>>15でガチ泣きしました。ごめんなさい
16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 15:23:42.41 ID:uDaXQgOz0
君が死んでからもう1年。
君は今も僕を見守ってくれているのかな?
君は、僕の生まれて初めて出来た彼女だった。
すごく嬉しくて、幸せだったなあ。
突然、白血病だって医者に宣告されてから、君は病室で日に日に弱っていった。
「病院ってひまねえ」って笑う君を見て、僕はいつも泣いていたんだ。
君の為に、僕の小汚いノートパソコンをあげたら、君はすごく喜んでくれたよね。
ネットをするようになった君がいつも見ていたサイト、それが「2チャンネル」だった。
ある日君はいつものように、笑いながら言った。
「ほら、見て今日も2ゲット出来たよ。」
「あまりパソコンばっかいじってると身体に障るよ」
なんて僕が注意すると、
「ごめんねえ。 でもね、これ見てよ。 ほら、この3のひと、2げっとぉ!なんて言っちゃってさぁ、ふふ」
僕は黙っていた。君がすごく楽しそうで、僕は何も言えなかった。
「ほらみて、この3のひと、変な絵文字使ってくやしぃ〜!だって。 かわいいねえ。 ふふ。」
僕はまだ黙っていた。笑う君を見て、どうしようもなく悲しくなった。
「憶えててくれるかなあ」 君がふと言った。
「…この3のひと、私がいなくなっても、あの時変な奴に2をとられたんだよなー
なんて、憶えててくれないかなあ……無理かな……憶えてて、ほしいなぁ……」
それから数ヶ月後、君は家族と僕に見守れながら息を引き取った。
君はもうこの世に居ない、なのに僕は今F5を連続でクリックしている。
君の事を、3のひとが忘れないように、いつまでも、いつまでも忘れないように。
天国にいる君と一緒に、今ここに刻み込む
2 ゲ ッ ト
18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 15:24:17.27 ID:N7IUHMEb0
俺に言わせてください。
ありがとうって言いたいです。
いつも毒男板に来ては煽ってばかりいた性格の悪さを省みています。
きっと俺に罰が当たったんだ。悪性リンパ腫って…手遅れって…
母さん、マジでありがとう。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
生んでくれてありがとう。こんな俺でも生んでくれてありがとう。
愛情を注いでくれてありがとう。沢山笑ってくれてありがとう。
一緒にへこんでくれてありがとう。一緒に泣いてくれてありがとう。
あなたは最高の母親です。オヤジも鼻が高いさ。
いっぱい泣きたい。あと一ヵ月後にはあなたのいない暮らし。
俺が芋ようかん買ってきたくらいで、病院のベッドではしゃがないでよ。
顔をくしゃくしゃにして喜ばないで。そして食べながら泣かないで…
母さんが喜ぶなら、芋ようかんずっとずっと買ってくるよ。
母さんがいなくなっても、ずっとずっと母さんの為に喜ぶ事をするよ。
母さん、ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう
19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 15:24:27.32 ID:7ywDRIHtO
俺も涙脆くなったもんだ
24 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 15:28:21.61 ID:uDaXQgOz0
私には、兄がいました。
3つ年上の兄は、妹想いの優しい兄でした。
ドラクエ3を兄と一緒にやってました。(見てました。)
勇者が兄で、僧侶が私。遊び人はペットの猫の名前にしました。
バランスの悪い3人パーティ。兄はとっても強かった。
苦労しながらコツコツすすめた、ドラクエ3。おもしろかった。
たしか、砂漠でピラミッドがあった場所だったと思います。
とても、強かったので、大苦戦してました。
ある日、兄が友人と野球にいくときに、私にいいました。
「レベ上げだけやってていいよ。でも先には進めるなよ。」
私は、いっつもみてるだけで、よくわからなかったけど、
なんだか、とてもうれしかったのを覚えてます。
そして、その言葉が、兄の最後の言葉になりました。
葬式の日、父は、兄の大事にしてたものを棺おけにいれようとしたのを覚えてます。
お気に入りの服。グローブ。セイントクロス。そして、ドラクエ3。
でも、私は、ドラクエ3をいれないでって、もらいました。
だって、兄から、レベ上げを頼まれてたから。
私は、くる日もくる日も時間を見つけては、砂漠でレベ上げをしてました。
ドラクエ3の中には、兄が生きてたからです。
そして、なんとなく、強くなったら、ひょっこり兄が戻ってくると思ってたかもしれません。
兄は、とっても強くなりました。とっても強い魔法で、全部倒してしまうのです。
それから、しばらくして、ドラクエ3の冒険の書が消えてしまいました。
その時、初めて私は、泣きました。 ずっとずっと、母の近くで泣きました。
お兄ちゃんが死んじゃった。やっと、実感できました。
今では、前へ進むきっかけをくれた、冒険の書が消えたことを、感謝しています。
25 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 15:29:55.64 ID:N7IUHMEb0
「沖縄に行かない?」
いきなり母が電話で聞いてきた。
当時、大学三年生で就活で大変な頃だった。
「忙しいから駄目」と言ったのだが母はなかなか諦めない。
「どうしても駄目?」「今大事な時期だから。就職決まったらね」
「そう・・・」母は残念そうに電話を切った。
急になんだろうと思ったが気にしないでおいた。
それから半年後に母が死んだ。癌だった。
医者からは余命半年と言われてたらしい。
医者や親戚には息子が今大事な時期で、心配するから連絡しないでくれと念を押していたらしい。
父母俺と三人家族で中学の頃、父が交通事故で死に、パートをして大学まで行かせてくれた母。
沖縄に行きたいというのは今まで俺のためだけに生きてきた母の最初で最後のワガママだった。
叔母から母が病院で最後まで持っていた小学生の頃の自分の絵日記を渡された。
パラパラとめくると写真が挟んであるページがあった。
絵日記には
「今日は沖縄に遊びにきた。海がきれいで雲がきれいですごく楽しい。
ずっと遊んでいたら旅館に帰ってから全身がやけてむちゃくちゃ痛かった。」
・・・というような事が書いてあった。すっかり忘れていた記憶を思い出す事が出来た。
自分は大きくなったらお金を貯めて父母を沖縄に連れていってあげる。
というようなことをこの旅行の後、言ったと思う。
母はそれをずっと覚えていたのだ。
そして挟んである写真には自分を真ん中に砂浜での三人が楽しそうに映っていた。
自分は母が電話をしてきた時、どうして母の唯一のワガママを聞いてやれなかったのか。
もう恩返しする事が出来ない・・・
涙がぶわっと溢れてきて止められなかった。
26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 15:29:59.31 ID:jXrJxHlT0
俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・
病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。
俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。
そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。
28 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 15:31:37.61 ID:jXrJxHlT0
俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。
この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、
良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。
こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、
やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。
あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。
父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。
一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、寂しくもなかった。
でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、
その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。
当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、
「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。
星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。
でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。
突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。
いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。
同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いたっけ。
それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。
高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、
「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。
そんな父も、今年結婚をした。相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。
結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。
でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。
良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。
心からおめでとう。そしてありがとう、お父さん。
46 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 15:48:06.72 ID:MJWXyzyd0
母だけがイケメンと言ってくれる
51 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 15:57:43.65 ID:ZpWgKGv3O
>>46
いい母チャンじゃないか
35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 15:39:17.26 ID:uDaXQgOz0
この前彼女がぶっ倒れて運ばれた病院に行ったんですよ、初めてね。
で、生まれて初めて手術が終わるのをロビーで待ったわけですわ。
正直最初は脳腫瘍の手術って簡単だと思ってたのよ。みんな普通に「手術は大成功でした」とか言ってるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは彼氏や親族には待てない。神様とか悪魔もきっと待てない。
術後3日たって初めて彼女の病室に呼ばれたんだけどさ、めちゃめちゃ混乱して1度部屋まちがえたけど彼女の病室のドアを両手でそろ〜っと開いたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか怖くなって立ち尽くしちゃったのさ。
そしたら彼女の母親がさ「側にきて顔を見てあげて」とか言うの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。だから彼女の顔見たのさ。えぇ、そりゃもう見ましたとも。
全てを忘れて見たよ。よくわかんない機械があるのとかとか管が刺さってるとか顔に精気がないのとか色々忘れてね。
だって彼女の母親が見てあげてって言ったからね。
そしたらエライ事になった。もうすごい号泣。すごい涙。12リットルぐらい。片岡なら5年12億でブラックジャックに頼むよ。
それで気づけばうっすらだけど彼女の意識もどってんの。ホント嬉しかったよ。
正直「アイツは強いから大丈夫」なんて思い込まないで素直に無理にでもずっと側にいてやればよかったと思ったよ。
心の底から仕事の合間に来ますとか言ったことを後悔したね。でも2ヵ月後退院したとき
「目が見えなくなったぐらいで死んだ方が良かったとか言うなよ!生きてて良かったって思えるように絶対オレが幸せにしてやるから!」
とか病院内で大声でプロポーズしちゃってんの。
ホント俺って恥ずかしすぎ。一昨日婚姻届提出してきました。
誰か祝ってください…
40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 15:43:59.07 ID:N7IUHMEb0
この前妻に先立たれたんですよ、この前と言っても随分前だけどね。
で、生まれて初めて一人で乳児を育て始めたわけですわ。正直最初は乳児を育てるのって簡単だと思ってたのよ。みんな普通に育児してるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは男一人でやるもんじゃない。女性だね、お母さんが愛情込めてやるものだよ。
最初に寝かせつける時さ、めちゃめちゃびびってお腹そろ〜ってさすって頭そろ〜っと撫でたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか怖くなって手を止めちゃったのさ。
そしたら娘がさ「もっと撫でて!」って感じでぐずるの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だからお腹トントンしたのさ。えぇ、そりゃもうトントンしましたとも。全てを忘れてトントンしたよ。
ちょっと強すぎるんじゃないか、とか実はそろそろミルクやる時間だとかオムツも確かめないといけない事とか色々忘れてね。
だって娘が撫でろって言ったからね。
そしたらエライ事になった。
もうすごい号泣。すごい喧しさ。耳元でシンバル鳴らされたくらい。空港の隣に住んでる人でもきっと驚く。
それで横見たら娘がすごい勢いで俺の事見てんの。ホントごめんなさい。
正直「男なら女房の忘れ形見くらい一人で育てるぜ!」なんて見栄張らないで素直に娘と一緒に妻の後を追えばよかったと思ったよ。
心の底から一人で育てると決めた事を後悔して今後の事を不安に思ったね。
でも会社行って同僚に「赤ん坊の世話なんて簡単だな!専業主婦なんてただの暇人だよ。」とか言っちゃってんの。
ホント俺ってダメ人間。
誰か助けて下さい。
44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 15:46:08.83 ID:N7IUHMEb0
この前娘の尻に赤い染み見つけたんですよ、初めてね。
で、生まれて初めて娘の初潮に気付いたわけですわ。正直最初はそんなの簡単だと思ってたのよ。みんな普通に気付いてるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは男親が処理するもんじゃない。女性だね、母親でなくてもいいからとにかく女性がやるものだよ。
最初に娘に知らせる時さ、めちゃめちゃ怯んで娘の肩そろ〜って叩いて「あのさ」って静かに囁いたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか言いにくくなって下向いちゃったのさ。
そしたら娘が俺の視線に気付いてさ「もっと早く言ってよ!」とか怒るの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だから謝って生理用品買いに行ったのさ。えぇ、そりゃもう買いましたとも。全てを忘れて買ったよ。
俺は結構ごつい外見してる事とかレジのお姉さんが結構若くて綺麗な事とか夜用と昼用がある事とか色々忘れてね。
だって娘が家で恥ずかしがりながら俺を待ってたからね。
そしたらエライ事になった。
もうすごい血まみれのゴミ箱。すごい血まみれ。俺の方が貧血になるくらい。 赤ん坊一人の血の量くらいあるかもしれなかった。
それで横見たら娘がすごい勢いで俺の事睨んでるの。ホント頼むから紙に包んで捨てなさい。
正直「男ならなんでも対応できるぜ!」なんて見栄張らないで素直に職場の若い子とかに聞いておけばよかったと思ったよ。
心の底から一人でパニクった事を後悔したね。
でも会社出て友達に話した時に「娘もこれで一人前だな!欲情すんなよ」とか言われて顔で笑って腹で密かにむかついてんの。
ホント俺ってダメ人間。
これから思春期迎える娘、俺一人で平気なのかなぁ。
47 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 15:48:21.62 ID:N7IUHMEb0
この前娘が大学受けたんですよ、初めてね。
で、生まれて初めて娘の合格発表を迎えたわけですわ。正直最初は合格発表見に行った娘の電話待つのなんて簡単だと思ってたのよ。みんな普通に待ってるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは普通の親が待つもんじゃない。裏口入学者の親だね、合格確実な親だけが安心して待てるものだよ。
最初に受話器上げる時さ、めちゃめちゃびびって受話器そろ〜って握ってそのままそろ〜っと耳に当てたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか怖くなって戻そうとしちゃったのさ。
そしたら電話の向こうで娘がさ「ちょっとお父さん聞いて!」とか言ってんの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だから「どうだった?」って聞いたのさ。えぇ、そりゃもう聞きましたとも。全てを忘れて聞いたよ。
高1の時から決めてた第一志望だとか強気な娘は滑り止め受けてないとか…受かってたら彼女は一人暮らしを始めると決まってる事とか色々忘れてね。
だって娘が聞けって言ったからね。
そしたらエライ事になった。
もうすごい合格。すごい「サクラサク」。満開過ぎて涙出てくるくらい。遠山の金さんなら肌色が見えなくなってる。
それで横見たら鏡の中の俺がすごい勢いで涙こらえてんの。ホントごめんなさい。
正直「いい父親なら娘との距離は適度にとるべきだぜ!」なんて見栄張らないで素直にもっともっといろんな話をしときゃよかったと思ったよ。
心の底から娘との会話が減っていた日頃の自分を恨んだね。
でも妻の実家言って義理の両親に「これで一段落ですよ!これからは少しは一人の人生楽しもうかな。」とか言っちゃってんの。
ホント俺ってダメ人間。
娘よ、たまには帰ってきて下さい。
48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 15:50:32.81 ID:N7IUHMEb0
この前娘の結婚式に出たんですよ、初めてね。
で、生まれて初めて娘と腕を組んでバージンロードを歩いたわけですわ。正直最初はバージンロード歩くのなんて簡単だと思ってたのよ。みんな普通に歩いてるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは父親が歩くとこじゃない。新郎だね、どうせ連れてっちゃうなら最初から新郎が腕組んで歩けばいいんだよ。
最初に歩き始める時さ、めちゃめちゃびびって右足そろ〜って踏み出して左足そろ〜っと揃えたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか不安になって娘の方見たのさ。
そしたら娘がさ「お父さんしっかりして!ロボットみたいだよ」とか言うの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だから堂々と歩いたのさ。えぇ、そりゃもう歩きましたとも。全てを忘れて歩いたよ。
娘のドレス姿が眩しすぎるとか今からでも回り右してやりたいとか時折励ますように娘が組んでる手に力を入れてくるとか色々忘れてね。
だって娘がしっかりしろって言ったからね。
そんで新郎のとこに辿り着いたらエライ事になった。
もうすごいキス。すごい突然頬にキス。しかも「私からの最後っ屁じゃ!」って囁きながら。何だよ、それ。俺を泣かせたいのか、笑わせたいのか、泣いてやるよ。
それで横見たら新郎がすごい神妙な顔で俺の事見てんの。ホント幸せにしないとぶっ殺す。
正直「男なら余裕持って娘を送り出すぜ!」なんて見栄張らないで素直に新郎を10発くらいぶん殴りゃよかったと思ったよ。
心の底から笑顔で送り出した事を後悔したね。
でも式場出て娘に「お前の世話も大変だったよ!これからしばらくはお母さんとの思い出に浸るぜ。」とか言っちゃってんの。
「お母さん」でいてくれた時間が短すぎて名前で呼んだ事の方が多かったな、翠。
僕はいつも君と一緒にあの子を育ててきたつもりだ。
もう何年かしたら胸を張って君に会いに行きます。誉めて下さい
50 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 15:56:44.68 ID:N7IUHMEb0
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった
母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた
土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに
遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。
ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めての
プロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。
野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは
招待券ではなく優待券だった。チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わ
なければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外の
ベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せて
やることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように
「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。
52 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 15:58:55.13 ID:N7IUHMEb0
小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった
寂しさもあいまって俺は飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、
ひどい時には焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこともあった。
翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずに友達にちょっとずつわけてもらったおかずと
持っていったお菓子のみで腹を満たした。弁当の中身は道に捨ててしまった。
家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。
でもその後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ。
親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。
さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあってその夜、早々に布団にもぐりこんだ。
でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父のところに戻ろうとした。
流しのところの電気がついてたので皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、
親父が読みすぎたせいかボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく、自分がとんでもないことをしたんだってことを自覚した。
でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。
翌朝、弁当のことや今までのことを謝った俺の頭を親父はまたぐりぐりと撫でてくれて、
俺はそれ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。
親父は去年死んだ。病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」とか何とか言った俺に対し、
親父はもう声も出せない状態だったものの微かに笑いつつ頷いてくれた。
弁当のこととか色々、思い出すたび切なくて申し訳なくて泣きたくなる。
57 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 16:08:55.17 ID:N7IUHMEb0
俺が小5の頃とても母親想いの新米教師がいて、
月一くらいの頻度で郷里の母親と手紙をやりとりしていた。
しょっちゅう俺たちにマザコンとからかわれながらも、とても幸せそうだった。
ある時、俺含む悪ガキ連中数人が職員室に行くと、その教師の
机の上にその母親からの手紙があったので、俺たちはほんの
軽いイタズラのつもりで手紙を持ってそのままエスケイプした。
そのまま教師をからかって、適当に手紙をリレーしながら校舎を
逃げ回っていたが、何回もリレーをするうちに誰かが手紙を無くしてしまった。
大変なことをした、と真っ青になってみんなで教師に謝りにいくと、
烈火のごとく怒られたが、最後には苦笑して俺たちを許してくれた。
数日後、その先生が学校を休んだ。
母親が居眠り運転のトラックにはねられ、死んでしまったのだそうだ。
先生は「もう中身は読んでたから大丈夫だよ」と言ってくれたが、未開封だったことは
自分たち自身が一番良く知っていた。
「イタズラ」という言葉を聞くと、今でも先生への申し訳なさで死にたくなる。
59 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 16:10:35.35 ID:qFWFey+A0
今日よ
俺の養父におとんって言ってやったんだよwwwwww
そしたら養父がいきなり泣き出しやがったのwwwwww
そしたらどうよ?
俺もなんか突然泣き出しやがんのwwwwwwwwwww
真冬の縁側で男二人が会話もなく鼻水だらだら流しながら泣いてんのwwwwwwww
俺ね
小学校4年生の時にね両親が交通事故で死んだのよwwwwwwwwww
なんか弟と妹も一緒に死んでやがんのwwwwwwwwww
俺突然天涯孤独だよwwwwwwwwwww
ビックリしたねwwwwwwwwwwww
母方の祖父ちゃんがいい人でよ、なんか俺を引き取るとか言い出したんで引き取られたのよwwwwwwwwwww
そしたら中学校1年の時に祖父ちゃんもあっけなく逝ったねwwwwwwwwwww
ちょっwwwwwおまwwwwwwww
そっからマジ大変wwwwwwwwwww
中学生ながらにこの世の世知辛さを知ったねwwwwwwwwwww
親戚たらい回しっていやマジでタライを回したわけじゃなぜwwwwwwwwwwww
いい人もそこそこ居たけど大半はアレだアレ、お前らそれなんて昼ドラの登場人物?みたいや奴らばっかwwwwwwwwww
俺親戚の引きよえぇえええええええええええwwwwwwwwwwww
中学校3年になるまで転校に次ぐ転校wwwwwwwwwww
俺謎の転校生wwwwwwwwwwwwwwwww
でも勉強だけはしてたんだぜ?家に帰りづらいから図書館に通ってたら暇だっただけだけどwwwwwwwwwwwwww
そしたら中学3年生の3学期の頭だよwwwwwwwwwwwwwwww
なんか遠縁の夫婦が俺引き取りたいとか言い出してんのwwwwwwwwwwwwwwwwwww
何このお人好しwwwwwwwwww
続き→2ちゃんねるレスブック:今日養父におとんって言ってやったよwwwwwwwwwwww
61 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 16:11:57.39 ID:N7IUHMEb0
俺を生んでくれた母親は俺が2歳の頃に死んだ。後の親父の話では元々、体が丈夫な人じゃなかったらしい。
俺が6歳の頃に親父が再婚して義母がやってきた。
ある日、親父が「今日からこの人がお前のお母さんだ」といって連れてきた。新しい母親は俺を本当の子供のように可愛がってくれた。
家族とか血縁とかまだ分からない頃の俺にとって義母が本当の母親だった。
それから、何年か経ち俺が中学の頃、今度は親父が事故で帰らぬ人となった。
親父の葬式の席で親族が集まりこれからの俺たち家族の事で話し合うことになった。
親父の両親(俺から見て祖父母)は既に無く親戚づきあいも疎遠で葬式には親父の親族は誰も来なかった。
後から知った事だが親父はガキの頃に両親を亡くし親戚中をたらい回しにされ。おまけにひどい扱われようだったらしい。そんな事もあり自分が大人になって働き出してからは一切、縁を切っていたらしい。
まあ、そんな状況もあり今後の俺たち親子の事を生母、義母側双方で話をする事になった。
元々義母の両親は義母と親父との結婚に反対していた。まぁ親としては娘の結婚相手にコブ付きだとやっかむの当然かもしれない。
また生みの母の両親は、まだ若い義母の事を考えて俺を引きと取ると言い出した。
双方の親の利害が一致して俺は生母の家に引き取られると決まりかけた時。それまで双方の話を聞くだけだった義母が口を開いた。
「この子は私の子です。例え血が繋がって無くても私の子供です!」「お願いですから、この子は私に任せてください。」物腰の柔らかい義母が珍しく語気を荒げていた。
出会ってからはじめて見たそんな義母の姿に俺は驚きを覚えた。最初は難癖を付けていた双方の両親も最後には義母に折れる形となり。
俺は義母と二人で生活することになった。稼ぎ頭の親父が死んで義母は必死で働いた。受験で大変な時期の俺を育てる為に必死で働いてくれた。
高校3年の時、俺は家の事情もあり進路は就職すると決めていた。
しかし、その話を聞いた義母は「大学に行きなさい。」と言った。「お金は母さんが何とかするからあんたは大学に行きなさい。」
なんで、実の息子でも無いのにそんなに俺に一生懸命なんだろう?俺は半ば呆れながらそんな義母の言葉が嬉しくて思わず泣いてしまった。
そんな義母の言葉に背を押され少し遅れて受験勉強。家の事情を考えると浪人は出来ないし、そんな事で義母を落胆させたくなかった。
元々、勉強は出来るほうじゃないので入れた大学も大した大学じゃなかったが、それでも合格と聞いた義母の涙混じりの笑顔は今でも忘れられない。
大学に入ったが俺は生活費分ぐらい自分で何とかしようと決めていた。高校の時もそうだがアルバイト三昧の日々で良く留年しなかったものだと今でも不思議に思う。
大学も何とか無事に四年で卒業が出来、就職も決まり俺は晴れて社会人になった。最初の初任給で義母にプレゼントを買った。
さすがに俺のプレゼント(たいしたもんじゃないけど)には参ったのか、ありがとう、ありがとうと言いながら泣く姿に俺も思わず貰い泣き。
ほんと、感謝しなきゃならないのは俺の方です。
それからは二人でつつがなく暮らしていたが、俺も30の手前で結婚したい相手が出来た。最初は俺の結婚を義母がどう思うかと思っていたが大喜びで歓迎してくれた。「あんたもこれで一人前だね」と言われて照れくさいやら恥ずかしいやら。
最初は一緒に暮らそうと言ったが「お嫁さんに悪いから母さんはここで暮らすよ」と断られる。
いやいや、かみさんも賛成してくれてるんだけど...。
何度か話はするもののの結局、離れて暮らすことに。でも、結婚して一年経って義母が倒れた。幸い大事に至らなかったが、今後、同じ事が有ってもいけないと思い。断っている所を半ば強引に同居することに。
その間、孫の顔も見せることが出来たしかみさんとも上手くやってるしで本当に幸せそうだった。
でも先月、その義母が他界。くも膜下出血であっけなく死んでしまった。
通夜の席でかみさんが義母の話をしてくれた。正直、この年になるまで義母のそれまでの人生を聞いたことが無かった。かみさんは義母から色々、聞いていたらしい。
義母は親父と結婚する前に子供が生めない体だったらしい。
最初はそんな事もあり結婚を断っていたそうだが、親父はそんな事情を承知で「俺たちには子供がいるじゃないか、俺の息子の母親になってくれないか?」の言葉に義母は涙ながらに承諾。
親父も人前も憚らず泣いていたそうで。義母曰く「あんなみっともないプロポーズは無かったけど嬉しかった」との事。その話を聞いて俺はやっと理解できた。そして言葉にならなずに涙だけが溢れて仕方が無かった。
今までかなり泣いたけど息が苦しくなるほど泣いたのは初めてだった。
ぶっきらぼうな親父の優しさもそうだが、親父のプロポーズを最後まで純粋に受け入れた義母に、言葉に出来ない思いがこみ上げてきた。かみさんもそれ聞いた時は涙が止まらなかったそうで俺に話しながらまた号泣。
子供たちも泣いてる俺たちを見てつられて泣き出す始末。義母いや、母さん、血は繋がってないけど貴方は俺にとって本当の母さんです。生みの母には悪いけど、俺にとって貴方以上の母はいません。
親父、そっちで会ったら誉めてやってください。貴方が選んだ人はとても素晴らしい人でした。最後に母さん、もし生まれ変われるならまた貴方の子供に生まれたい。今度は貴方の本当の子供に生まれ変わりたいです。
突然に逝ってしまって改まって感謝することが出来なかったけど、本当にありがとう。
72 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 16:20:28.00 ID:hqfFpOlG0
カーチャンの七不思議
夜には疲れた顔してたのに朝には早起きして弁当作っててくれる
夜遅く帰っても他の家族は寝てるのにカーチャンだけ起きてる
俺が疲れてるの何故か把握してて栄養剤出してくれる
俺が逆切れしても困ったように笑ってる
俺が自分で言ったのに忘れてた事をずっと覚えてる
いまだに俺の誕生日祝ってくれる
俺より長生きしてくれない
80 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 16:49:30.72 ID:uDaXQgOz0
阪神・淡路大地震のあと、阪急電車の復旧を沿線の人々は待ち望んでいた。うちもその一軒。
夜を徹して行われる作業、騒音や振動をこらえてくださいと、電鉄会社の人が頭を下げに来た。
「何を言ってるんだ?我慢するに決まってるじゃないか。それよりも一刻も早い復旧を。」
うちも含めて、沿線の人々はみなそう言って、電鉄会社の人を励ました。
阪急は国の補助も受けず、少しづつ復旧・部分開業していった。
そして最後に残された西宮北口〜夙川間の高架部分の再開によって、
ついに神戸本線は全通した。
再開の日に、もちろん漏れも乗りに行った。神戸で逝った友のもとへ行くために。
運転台の後ろは人だかりだった。みな静かに鉄道の再開の喜びをかみ締めているようすだった。
夙川を渡るそのとき、川の土手に近所の幼稚園の園児たちが立ち並んでいるのが目に飛び込んできた。
手書きの横断幕を持って・・・。
「あ り が と う は ん き ゅ う で ん し ゃ」
運転手が普段ならしないはずのそこで敬礼をした。
そして大きく「出発進行!」と声を上げた。
その声は涙声になっていた。漏れも泣けた。
ときよ、上越新幹線よ、もまいを待っている人々がいる。
復興のために、そして人と人をつなぐために、よみがえれ、不死鳥のごとく。
713 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/11/01(土) 19:25:12.69 ID:6XK5NMkeO
>>80
地元を田舎に持つ俺にはたまらん
あの地獄からの復活劇は奇跡の一言
死ぬほど泣ける
85 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 17:25:43.54 ID:N7IUHMEb0
私の父は無口で頑固で本当にこわくて
親戚中が一目置いている人でした。
家に行ってもいつもお酒を飲んでいて
その横で母がせわしなく動いていた記憶があります。
私が結婚する事になり、ドキドキしながら主人を連れて行くと
ずっと黙ったままやっと口を開くと
「ビールは何を飲むんや?」でした。
その日はなんとか無事に終わり、式の当日終始酒をつぎにまわってた。
その後、子供が生まれ少し育児ノイローゼ気味になった私を見て
なぜか毎日孫の世話をしに来るようになった。
当然子供の面倒など見たことないので、する事がめちゃくちゃで
イライラしていた私は嫌味ばかり言ってしまった。
2ヵ月後、あまり調子がよくないと言っていた矢先他界した。
なんでもっと優しくしてあげなかったんだろう?
紙オムツの仕方を聞かれて、それぐらいわかるでしょって
なんで冷たく言っちゃったんだろう?
あの日、自分でどうにかしようと思って変な形になったオムツが
残されてた・・・
その後、毎日つけていた日記が見つかり、式の当日
「あのバカ娘がとうとう嫁に行った。最後の挨拶では涙が出た。幸せになれ。」って書いてた。
おまけに家には主人があの日答えた「アサヒビール」が
押入れいっぱい詰められていた。
86 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 17:27:55.67 ID:N7IUHMEb0
私がまだ小学2年の頃、継母が父の後妻として一緒に住むことになった。
特に苛められたとかそういうことはなかったんだけど、
なんだか馴染めなくて、いつまで経っても「お母さん」と呼べないでいた。
そんなぎくしゃくした関係だったけど、継母が私のために一生懸命だったことはよくわかってた。
小学校4年になった夏休み、私は継母の提案で二人で川に遊びに行くことになった。
あんまり気が進まなかったけど、断る理由もなく言われるままにしぶしぶついていった。
現地に着くやいなや、私は継母のことを放ったらかしで川に浸かって遊んだ。
しばらく水と戯れてた時、急に深みにはまって溺れて息が出来なくなった。
すごく苦しかった。
でもそのうち喉の奥が「クッ、クッ」と鳴ってだんだん苦しくなくなってきて、意識が飛んだ。
気が付くと、私は病院のベッドで寝ていた。
一時心臓が止まって危なかったんだよと涙ぐんだ父が言ってた。
ベッドの傍に、継母はいなかった。
私は父に「あの人は?」と訊いた。
父は一呼吸置いてゆっくりとした口調で教えてくれた。
私が溺れた時に継母が服のまま飛び込んで私を助けてくれ、
そのまま力尽きて下流まで流された。
その後救助されたものの、今も意識が戻らないのだ、と。
私は次の日に継母のいる病室に行った。
継母は機械に囲まれて、いっぱい管をつけられていた。
彼女は、そのまま我が家に戻ってくることなく…。
葬儀が終わって母の遺品を整理してたら、鍵のついた日記が出てきた。
私は父と一緒になんとか鍵を探し当てて、日記を読んだ。
そこには私との関係に悩む継母の苦悩など、私のことばかり書いてあった。
ずっと読み進めていくと最後のほうの日記に
「ちょっとはにかみ屋さんだけどとてもいい子。あの子なら、命かけてでも守れる自身がある。
○○ちゃんを私に託してくれた△△(実母の名前)さん、本当にありがとうございます。」
継母は、あの日記を書いた数日後に命と引き換えに私を守ってくれた。
いつだってとても優しい目で私を見てくれていた。
いつも私の目線と同じ高さになるように中腰になって話し掛けてくれた。
そんな気持ちはちゃんと伝わってきてたのに私はあの人に何一つしなかった。
愛情をもらいっぱなしでそれに答えなかった。
私は愛情どころかあの人の命まで奪ってしまった。
日記を読んではじめて、私は
「お母さん!」
と大声で叫びながら錯乱状態になり、
声が出なくなるまでごめんね、ごめんね、と言って泣いた。
ぐしゃぐしゃになって泣いても、後悔ばかりで気持ちは晴れなかった。
年月が過ぎても、私は未だに「母」に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
数十年経った今でも夏になるたびに思い出す。
89 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 17:33:28.70 ID:N7IUHMEb0
妹が亡くなって2年の歳月が流れました。
妹からの最後のメールを見て命の尊さ、居なくなって残された者の悲しみがどれほど苦痛か・・・
白血病に侵され、親、兄弟でも骨髄移植は不適合でドナーも見つからず、
12年間苦しむだけで短い生涯を終えた・・・
14才でした・・・。
妹が2才半のとき、微熱が続き、病院に行ったときには「白血病」と診断・・・
その日から母は毎日病院と家を往復する日々が続き、
大型連休で家族そろってレジャーに行く日なんてありません。
妹の面会が我が家の大型連休の消化日課でした・・・
「妹がいなければ遊びに行けたのに!!」
当時は妹に憎しみさえ抱いたほどです。
でも、両親が妹ばかり世話し、愛情いっぱいあげてる姿に嫉妬したんでしょうね・・・。
その妹が亡くなって2年。
両親は抜け殻がとれたような静けさです・・・
私もですが・・・。
99年の12月中旬、突然妹が「携帯電話がほしい」と、言い出しました。
私がメールばかりしていたので欲しくなったんでしょうね・・・
もちろん大急ぎで買いに行きました。
そしてイブの夜に携帯電話を渡し、一緒にメールの送信方法も教えてやりました。
そして、私が家に帰る頃には正午を過ぎてクリスマスを迎えた寒い夜になっていました。
寝ようと思ったら妹からのメールです。
「さっきはイブだったけど、今日はクリスマスだよ。迷惑ばかりかけてごめんね。おにいちゃん。ありがとう」
・・・これを見た途端母が息を切らして階段を上がり、
「病院に行くから支度しなさい」
・・・さっき別れたばかりなのにまた行くの?なんで?と思いました。
病院に行くと、さっきまで元気だった妹が顔に白いクロスをかけられて亡くなっていました。
あとで看護婦さんに聞いてわかったことなんですが、
携帯電話を強く握り締めて離すのにたいへんだったと・・・
それを聞いて涙がいっぱいあふれました・・・。
妹の携帯電話は解約しましたが、2年経ったいまでも遺影の横にそっと置いてあります。
妹は、私にだけはきちんとお別れして逝きました。
天国でも携帯電話が使えると良いなぁ・・・
99 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 17:41:29.62 ID:N7IUHMEb0
Λ,,Λ
(´・ω・)
.c(,_uuノ
おかーさん。なんでボクだけ、ハダカんぼうやったん?
おかーさん。なんでボクだけ、シッポついてたん?
おかーさん。なんでボクだけ、おててつかんとあるけへんかったん?
おかーさん。なんでボクだけ、つくえでゴハンだべられへんかったん?
おかーさん。なんでボクだけ、みんなとオシャベリでけへんかったん?
おかーさん・・・。なんでボクだけ、さきにしんでしまうん・・・?
102 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 17:43:39.81 ID:N7IUHMEb0
なにぐずぐず言うてんの。よう聞きや。
世の中どうしようもない事があるねん。いちいち愚痴言わんといて。
よう考えてみぃや。かーちゃんとあんたらは目ぇが二つ、耳も二つ、鼻は一つで同じや。
お口かて一つで中も同じような形してるがな。体かて同じようにぬくいやろ?
同じ様にできてるんや。
死ぬ時っちゅうのは、たまたま早いか遅いかの違いで、かーちゃんもちゃんとそっちに行きます。
心配性な子やな。誰に似たんやろ。
あんたらはかーちゃんの子やから。いつでも、いつまでも、かーちゃんの子やねんで。
不足言わんと、もうちょっとええ子にして待っといてちょうだい。
106 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 17:47:30.36 ID:N7IUHMEb0
母が死んだ。
43歳だった。
10日まで元気だったのに。急に逝ってしまった
11日の朝、いつもみたいに御飯作って母さん起こして「ごはんできたぞ」と
でもいくら呼んでも返事がなかった。いつも文句言いながらも絶対に起きてくるのに
おかしいと思って見に行ったら母さんはもう冷たくなってた
俺がまだ2歳のときに父親が死んで女手一つで俺を育ててくれた母さん。
よく口論もしたし引っ叩かれもした。ほんとよく喧嘩した
会社の帰りに飲みにいって終電なくなると毎回俺が呼び出された
あきる野に住んでるってのに新宿だ、吉祥寺だと。アホかと。
そして金きついのに大学いかせてくれた。
金ないんだから働くよと言ったら、引っ叩いてまで俺を大学に行かせようとした母さん
今年大学をキッチリ卒業して就職してこれからやっと親孝行できる身になったのに
なのに母さんは急に死んでしまった
友達や親族とかにこの顔見せるのはさすがに辛いからここだけで叫ばせてくれ
かなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしい
どうしよう。なんかもうなにしていいのかわからない
今年の夏は母さんを旅行に連れてってやろうと思ってて
もう計画だってちゃんと立っててあとは7月待つだけだった
結局俺はなにもしてあげられなかった。
母さんの生命力吸い取るだけ吸い取って。
一人前に俺がなると生命力吸われすぎて交代のように母さんだけ消えてしまった
やっと親戚も全員帰ってくれてこれでやっと一人で泣ける
なんか泣くのガマンしすぎた
これ書きながら涙とまらない
母さん幸せだったのかな。幸せにしてあげたかったな。
110 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 17:56:33.68 ID:c/c7aL9m0
サキちゃんのママは重い病気と闘っていたが、死期を悟ってパパを枕元に呼んだ。
その時、サキちゃんはまだ2歳。
「あなた、サキのためにビデオを3本残します。
このビデオの1本目は、サキの3歳の誕生日に。2本目は小学校の入学式に。
そして3本目は…○○○の日に見せてあげてください」
まもなく、サキちゃんのママは天国へと旅立った。
そして、サキちゃんの3歳の誕生日。1本目のビデオがかけられた。
(ビデオからつないだテレビ画面に、病室のママが映し出される)
「サキちゃん、お誕生日おめでとう。ママ、うれしいなぁ。
でもママはね、テレビの中に引っ越したの。だから、こうやってしか会えない。
パパの言うことをよく聞いて、おりこうさんでいてね。だったら、ママ、また会いに来ます」
サキちゃんの小学校入学の日。2本目のビデオ。
「サキちゃん、大きくなったネ。おめでとう……。ママ、うれしいな。どんなにこの日を待っていたか。
サキちゃん、ちゃんと聞いてね。
ママが今住んでいるところは、天国なの。だから、もう会えない。
でもね、パパのお手伝いがちゃんとできたら、ママ、もう一回だけ、会いに来ます。
じゃあ、魔法をかけるよ。 エイッ!
ほうら、サキちゃんは料理や洗濯ができるようになりました」
そして3本目のビデオ。そのタイトルは、こう書いてあった。
新しいママが来た日のサキちゃんに
そしてサキちゃんが10歳の時、パパは再婚し、新しいママが来た。
3人いっしょに、3本目のビデオを見つめた。
なつかしいママの顔が映し出された。
「サキちゃん、おうちの仕事、がんばったね。えらかったね。
でも、もう大丈夫。新しいママが来たんだから。
……
サキちゃん。今日で本当にお別れです。
……
サキちゃん、今、身長はどれくらい?ママには見えない。
(泣き崩れ、カメラを抱え込む姿が映る)
ママ、もっと生きたい…。
あなたのために、おいしいものいっぱいつくってあげたい…。
あなたの成長を見つめていたい…。
じゃあ、サキちゃん、これがママの最後の魔法です。
それは、『ママを忘れる魔法』です。
ママを忘れて、パパと、新しいママと、楽しい暮らしをつくってください。
では、魔法をかけます。1、2、3、ハイッ!」
そこでビデオは終わった。
しかし、サキちゃんに、この魔法は効かなかった。
パパと、新しいママにも効かなかった。
ママは、みんなの心の中に、ちゃんと残っていた。
そして今度は、サキちゃんが主役の、4本目のビデオがつくられたのだった。
天国のママに見てもらうために
206 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2008/10/31(金) 00:15:44.00 ID:CFygqH2l0
>>110
初めて見た。もうダメだ涙が止まらん
116 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 18:15:06.63 ID:c/c7aL9m0
「犬との十の約束」
1.私の一生は10〜15年くらいしかありません
ほんのわずかな時間でも貴方と離れていることは辛いのです
私を家族に迎える前に、どうかそのことを考えて下さい
2.あなたが私に望むことを理解できるようになるまで、少し時間をください
3.私を信頼してください。 私にとって、それがいちばん大事なことなのです
4.私を長時間叱ったり、罰として閉じ込めたりしないで下さい
貴方には仕事や楽しみがありますし、友達だっているでしょう
でも...私には貴方だけしかいないのです
5.時々は私に話しかけてください。 あなたの言うことはわからなくても、 私に話しかけるあなたの声はわかるのです
6.あなたが私にどんな風に接しているか、私は決して忘れません
7.私を叩く前に思い出して下さい。私には貴方の手の骨を簡単に噛み砕くことができる歯があるけれど私は決して噛まないようにしていることを
8.私のことを言う事を聞かないだとか、頑固だとか、怠け者だとか叱る前に、まずは自分に問い掛けてみてください。 きちんと食事を与えてましたか?太陽の下に長く放置しておきませんでしたか? もしかすると、年をとってどこか弱っているのかもしれません
9.私が年をとってもどうか世話をして下さい。貴方も同じように年をとるのです
10.最期の旅立ちの時には、そばにいて私を見送って下さい
「見ているのが辛いから」とか「私の居ないところで逝かせてあげて」なんて言わないで欲しいのです。貴方が側にいてくれるだけで、 私にはどんなことでも安らかに受け入れられます
そして......どうか忘れないで下さい
私が貴方を愛していることを
121 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 18:26:42.40 ID:c/c7aL9m0
俺は小学生の頃に母の作った炊き込みご飯が大好物だった。
特にそれを口に出して言った事は無かったけど母は判っていて
誕生日や何かの記念日には我が家の夕食は必ず炊き込みご飯だった。
高校生位になるとさすがに「又かよっ!」と思う様になっていたのだが
家を離れるようになっても、たまに実家に帰ると待っていたのは母の
「炊き込みご飯作ったよ。沢山食べなさい」の言葉だった・・・
会社に電話が来て慌てて向かった病室には既に近くの親戚が集まっていた。
モルヒネを打たれ意識の無い母の手を握り締めると母の口が動いた。
何かを俺に言いたそうだった。母の口元に耳を近づけると
「炊きこ・・・たよ。たくさ・・・・さい」と消え入りそうな声で言っていた。
それが最後の言葉だった。
「ママの作ったスパゲッティー大好き!」口の周りを赤くして
スパゲッティーを食べる娘とそれを幸せそうな目で見つめる妻を見る度に
母の炊き込みご飯が食べたくなる。
160 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 20:11:06.40 ID:yMmDDwW70
もうね、鼻ぐしゅぐしゅ。
何回も見てるコピペなのになあ。
163 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 20:14:57.98 ID:ZuxWfwLJO
お弁当ものはやばいな…
気分的に疲れてたけど泣いたらすっきりした
ありがと
165 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 20:19:08.50 ID:Q0YWTUwe0
動物系がいいなあ、犬とか
167 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 20:29:45.92 ID:yS4BnmtoO
久々にティッシュを本来の目的に使ったわ
194 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 23:08:15.67 ID:rYtMw86eO
泣くのは体にいいらしいな
199 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 23:51:05.80 ID:2mhQ1tzT0
ここまで読むのに3時間かかったw
187 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 21:14:33.83 ID:KjCPIKMs0
秋もだいぶ深まってまいりました。ディズニーランドのスタッフの皆様、いつも私たちにステキな夢をありがとうございます。
今月、数年ぶりに主人とディズニーランドに遊びに行かせていただきました。
実はこの日は、一年前に亡くなった私達の娘の誕生日、そして命日でした。
身体がとても弱かったために、生まれて間もなくこの世を去ってしまい
主人と二人、ずいぶんと長い間、深い哀しみにおりました。
助けてあげられなかったこと、何一つ我が子にしてあげられなかったこと
いまでも悔やんで仕方ありません。
生まれてきたら、このディズニーランドに連れてきてあげたいという私たちの夢も
果たすこともできず、主人と話し、この日、娘の供養のために来ることができました。
事前にガイドブックを見て、かわいいお子様ランチがあることを知り、娘に食べさせてあげたいと思い
ワールドバザールにあるイーストサイド・カフェに入りました。本当は8歳以下でないと注文することが
できないものでしたが、お店の方に事情を話すと、快く注文を聞いてくださいました。
そして隣の4人掛けのテーブルに子供用のイスまで用意してくださって、「3名様、こちらにどうぞ」と
席を移してくださったのです。
「本日はよくきてくださいました。ご家族で楽しんでいってくださいね」と、まるで我が子がここに一緒に
いるように私たちをもてなしてくださり、主人も私も感激で胸がいっぱいになり、涙があふれました。
娘を亡くしてからはじめて、「親子3人でいる」ということを味わわせてくださって、本当に感謝しております。
娘が生きていてくれたらどんなに幸せだったろうという思いでいっぱいです。
お店の方々にとても親切にしていただき、そしてかわいいお子様ランチも食べることができて
娘もさぞ喜んでいたと思います。思いもよらぬ皆様の温かなおもてなしのおかげで、とても良い想い出ができましたし
娘のためにも、とてもよい供養ができたと思います。
親子3人で楽しいひとときを過ごさせていただきまして、本当にありがとうございました。あの時のお礼を言いたくて手紙を書かせていただきました。
娘は天国へ行ってしまったけれど、私たちのかけがえのない宝です。これからも愛し続け、一生ずっと一緒に生きて行こうと思います。
また娘を連れて遊びに行かせていただきます。ステキな夢を見れる日を楽しみにしています。
スタッフの皆様、日ごとに寒さが加わってまいりますので、お体を大切に、これからも私たちのために頑張って下さい。
395 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 15:43:15.03 ID:91lsHELMO
結婚する前の嫁とシーに行った時の話
俺はおっさんながら、ドナルドが大好きで、嫁もそれを知ってた
平日だった為、客も少なくガラガラだった。
誰もいないゲート前の地球儀の前、2人で写真を撮っていたら、いつの間にかドナルドが近づいてきた
2人を撮ってあげようか?みたいなジェスチャーで冗談を言ってくれた。2人ともびっくりした
嫁は喜び抱きつきに行き、俺はカメラを構えた。嫁が俺においでおいでと言っていたが照れて抱きつきに行かなかった。
俺が嫁とドナルドの2ショットわ一枚撮った所で、ドナルドが近づいて来て俺の手を握り、持っていたカメラをキャストに渡して撮って撮ってとキャストにアピってくれた。
握ってくれた手は優しいながら力強く、写真を撮った後に抱きしめてくれて頭を撫でてくれた。
おっさんなのに泣きそうになった。
ドナルド…大好きだ
関連→ディズニーランドの伝説
243 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 03:56:22.88 ID:r75+lPrR0
保守
623 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/11/01(土) 12:59:26.00 ID:7gibjbMW0
>>243
ちょっと和んだw
624 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/11/01(土) 13:03:27.41 ID:YLbmiL/ZO
どう和んだwwwww
625 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2008/11/01(土) 13:17:18.11 ID:T6cCOAmA0
>>623-624
お前らのやりとりで和んだw
泣き疲れたから部屋掃除してくるわ
明後日は両親の結婚記念日
花でも買ってあげよう
257 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 08:36:45.44 ID:O91jZiqXO
50:おさかなくわえた名無しさん:2006/09/08(金) 03:00:46 ID:QAt0Hee6
ところでさ、一人暮らししてる人は年に何日実家に帰ってる?
俺は仕事が忙しくて夏休み3日正月休み3日の、計年間6日位なんだけどさ。
俺のカーチャン今50歳で、考えたくないけど
女性の平均寿命から考えてあと30数年とするわな。
単純計算すると、あと180日位しか会えないことになる。
冷静に考えてみたら、もう半年しかないんだぜ?
おまえらも数えてみ?
あと何日カーチャンに会える日があるか。
261 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 08:46:18.10 ID:rT1aWlBi0
第二次大戦が終わり、私は多くの日本の兵士が帰国して来る復員の事務についていた、
ある暑い日の出来事でした。
私は、毎日毎日訪ねて来る留守家族の人々に、
貴方の息子さんは、ご主人は亡くなった、死んだ、死んだ、死んだと伝える苦しい仕事をしていました。
留守家族の多くの人は、ほとんどやせおとろえ、ボロに等しい服装の人が多かった。
ある時、ふと気がつくと、私の机から頭だけ見えるくらいの少女が、チョコンと立って、
私の顔をマジ、マジと見つめていた。
「あたし、小学校二年生なの。おとうちゃんは、フィリピンに行ったの。
おとうちゃんの名は、○○○○なの。いえには、おじいちゃんと、おばあちゃんがいるけど、
たべものがわるいので、びょうきして、ねているの。
それで、それで、わたしに、この手紙をもって、
おとうちゃんのことをきいておいでというので、あたし、きたの」
顔中に汗をしたたらせて、一息にこれだけいうと、大きく肩で息をした。
私はだまって机の上に差し出した小さい手から葉書を見ると、
復員局からの通知書があった。
住所は、東京都の中野であった。
私は帳簿をめくって、氏名のところを見ると、比島のルソンのバギオで、戦死になっていた。
「あなたのお父さんは---」
といいかけて、私は少女の顔を見た。
やせた、まっ黒な顔、伸びたオカッパの下に切れ長の眼を、一杯に開いて、
私のくちびるをみつめていた。
私は、少女に答えねばならぬ。答えねばならぬと体の中に走る戦慄を精一杯おさえて、どんな声で答えたかわからない。
「あなたのお父さんは、戦死しておられるのです」
といって、声がつづかなくなった。
瞬間少女は、一杯に開いた眼を更にパッと開き、そして、わっと、べそをかきそうになった。
涙が、眼一ぱいにあふれそうになるのを必死にこらえていた。
それを見ている内に、私の眼が、涙にあふれて、ほほをつたわりはじめた。
私の方が声をあげて泣きたくなった。
しかし、少女は、「あたし、おじいちゃまからいわれて来たの。おとうちゃまが、戦死していたら、
係のおじちゃまに、おとうちゃまの戦死したところと、戦死した、じょうきょう、じょうきょうですね、
それを、かいて、もらっておいで、といわれたの」
私はだまって、うなずいて、紙を出して、書こうとして、うつむいた瞬間、
紙の上にポタ、ポタ、涙が落ちて、書けなくなった。
少女は、不思議そうに、私の顔をみつめていたのに困った。
やっと、書き終わって、封筒に入れ、少女に渡すと、
小さい手で、ポケットに大切にしまいこんで、腕で押さえて、うなだれた。
涙一滴、落とさず、一声も声をあげなかった。
肩に手をやって、何かいおうと思い、顔をのぞき込むと、
下くちびるを血がでるようにかみしめて、カッ眼を開いて肩で息をしていた。
私は、声を呑んで、しばらくして、
「おひとりで、帰れるの」と聞いた。
少女は、私の顔をみつめて、
「あたし、おじいちゃまに、いわれたの、泣いては、いけないって。
おじいちゃまから、おばあちゃまから電車賃をもらって、電車を教えてもらったの。
だから、ゆけるね、となんども、なんども、いわれたの」
と、あらためて、じぶんにいいきかせるように、こっくりと、私にうなずいてみせた。
私は、体中が熱くなってしまった。
帰る途中で、私に話した。
「あたし、いもうとが二人いるのよ。おかあさんも、しんだの。
だから、あたしが、しっかりしなくては、ならないんだって。あたしは、泣いてはいけないんだって」
と、小さい手をひく私の手に、何度も何度も、いう言葉だけが、私の頭の中をぐるぐる廻っていた。
263 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 08:57:17.92 ID:PoJ9fqOTO
半年ほど前、漏れのじいちゃんが入院した。
それまでにも何回か入院と退院を繰り返していたが、
今回はやや長くなりそうだということで、お見舞いに行った。病室は6人部屋の一般病棟。
その中にまだ小学校に上がってないくらいの女の子もいた。
じいちゃんと他愛もない話を2,30分ほどして漏れはコーヒーを買いに席をはずした。
自販機のそばにあったベンチでコーヒーを飲んでいた漏れは、ふと近くにあった部屋を覗き込んだ。
そこはいわゆるプレイルームってやつでTVがあったり、おもちゃや本がおいてある部屋だった。
その部屋にさっきじいちゃんの病室にいた女の子が座ってた。
漏れはなんとなくプレイルームに入って、その女の子に声をかけた。
「こんにちは、さっき病室にいた子だよね。名前はなんていうの?」
女の子は小さな声で「ユカ」と答えた。どうやら折り紙を一生懸命作っているようだった。
「ユカちゃんか。僕は○○○だよ。よろしくね」
ユカちゃんは折り紙をやめて漏れのほうを見て小さい声で「よろしくね」って答えてまた折り紙をはじめた。
そのときはそれで終わり、漏れはプレイルームを後にして病室に戻った。そしてその日はそのまま家に帰った。
じいちゃんの入院は長くなるとのことだったので漏れの家族が一週間おきに輪番でお見舞いをすることになった。
4人家族だからおよそ一ヶ月にいちどのお見舞いになる。
そして漏れの当番の日。
着替えなどを持って病院に行き、じいちゃんと話をして、またコーヒーを買いにいった。
プレイルームをのぞくとそこにはユカちゃんがひとりでいた。
漏れは部屋のドアを開け声をかけた。
「ユカちゃん、こんにちは。僕のこと覚えてる?」
「うん」
そういったユカちゃんは立ち上がり、漏れのそばに近づいてきた。
そして「これあげる」と漏れにあるものを渡した。
それは小さな折鶴だった。漏れはそのまま部屋に入り、色々な話をした。
病気で幼稚園にいけなくなったこと、ピアノのお稽古が嫌いなこと、来年から小学校にあがること。
折り紙は看護婦さんが教えてくれたらしい。
漏れは夏にとある国家試験をひかえていたのでユカちゃんに「ユカちゃん折り紙が得意だったら、お兄ちゃんにいっぱい鶴を折ってよ。夏に大事な試験があるんだ。」てお願いした。
たぶんユカちゃんは「試験」の意味も分かってなかったと思う。
でも、最高の笑顔で「うん」て答えてくれた。
「約束だよ、指きりしようね」漏れは指切りをして、部屋を後にした。そして、それがユカちゃんを見た最後の時だった。
次の当番の日、お見舞い道具一式を持ってじいちゃんの病室に行った。
そのとき漏れは約束のことなどすっかり忘れていた。じいちゃんに着替えを届けて、話をして、帰ろうと思ったとき一人の女性が声をかけてきた。
「○○○さんのお孫さんの方ですか?」
見たこともない人に声をかけられた漏れは少し驚いたが「ええ、そうですが。あなたは?」と答えた。
するとその女性はこう答えた。「ユカの母です。」その表情に漏れは何かいやなものを感じた。漏れの予想通りだった。
ユカちゃんは漏れが帰ってから二週間後に亡くなったそうだ。
ユカちゃんのお母さんは一通り話を終えると持っていた紙袋からあるものを取り出した。
それは透明なビニール袋にいっぱい入った折鶴と手紙らしきものだった。
お母さんはそれを渡しながらこう言った。
「○○○さんが来た次の日から妙に張り切って折り紙を作るようになったんです。
それに○○○さんのおじいさんに字を教えてくれって頼んだらしいです。
おじいさんが理由を聞いたら『手紙をかくんだ』って。」
漏れは袋を開けて中の紙を取り出した。
案の定手紙だった。たどたどしい字で「がんばってね、ユカ」とだけ書いてあった。
それを読んで漏れは病院の待合室で人が大勢いるにもかかわらず大声で泣いた。お母さんも一緒に泣いた。
しばらく泣いた後、お母さんは一言「ありがとうございました」といって席を立った。
漏れはこの夏、5歳の女の子の力一杯の応援を背に試験を受ける。ありがとう、そしてさようなら。
267 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 09:02:10.57 ID:PoJ9fqOTO
俺のかーちゃん、俺が高3に上がったときに
いきなり倒れて入院した。
検査をして入院が決まったが
俺は内容を詳しくきかされなかった。
夏頃から受験勉強もあって
かーちゃんに会いにいく時間も取れなくなっていった。
俺は決して頭が良くはなかった。かーちゃんは立教大学出身
俺は小さい頃良く「かーちゃんと同じ大学にいく」と言ったものだ。
実際に受験となると、ハードルは高かったけれど
立教を目指してがんばった。
冬になり、かーちゃんは次第に痩せていった。
飯も食わなくなり、俺の手を良く握るようになった。
かーちゃんは俺に色々話をさせた
学校 進路 夢
思えば何であのとき気がつかなかったんだろう…
涙が…ちょヤバ…
最後の模試の結果が出た。
努力の甲斐か、立教大B判定が出た。
俺からすれば奇跡に近い判定
おれは帰りに病院に行き結果を見せた。
俺「かーちゃん、おれ立教大いくよ。判定もホラ」
得意げに模試を見せた
かーちゃん「がんばってるのね
タケシ(仮)が後輩になってくれたらかーちゃん嬉しいよ」
その日もかーちゃんは俺にたくさん話をさせた
俺の手を握りながら…楽しそうに
それからすぐ、俺は大学入試を迎えた。
大本命の日、朝早く起きて下に降りるとかーちゃんが台所にいた
俺:何やってんだよかーちゃん、寝てなきゃ
母:今日は本命の日でしょ、お弁当持ってきなさい
一年ぶりのかーちゃんの弁当だった
俺は涙が出るのをこらえながら準備をして出かけようとしたとき
かーちゃんが急に苦しみだした
俺は急いで病院に電話し、救急車がきた
家には俺しかおらず、付き添って行った。
意識が飛びそうになるくらい
混乱しながら苦しむかーちゃんの手を握った。
病院についてすぐ親父も駆けつけた。しばらくして担当医に呼ばれた。
最期になるかもしれないのでついてあげて下さい
俺と親父が病室に入ったときかーちゃんは無惨なほどだった
血の気は引き、やせ細り…しばらくして意識が戻った
かーちゃんはいつもみたく手を握った
病人とは思えないくらい強く 俺は子供みたいに泣いていた…
かーちゃんは声にならない声で何かを呟いていた。
俺は耳を近づけて聞き取ろうとすると確かにこう言っていた
「うけてきなさい」
そしてかーちゃんは俺から手を離した
そんなの無理に決まっている。
かーちゃんを置いて受験に行くなんてしかももう8時を回っている
間に合うとしてもギリギリだった。困惑した俺に親父が声をかけた。
「行ってきなさい、母さんもそうしなさいと言ってくれてるんだ」
俺はかーちゃんのてをもう一度握ると弾けたように病室を飛び出していた。
そこからどうやって来たかはおぼえていない。走って…乗り換えて…池袋駅を疾駆して
何とか一限の筆記を受けたときやっと正常な時間の流れに戻った気がする。
昼休み、何も食べる気がしなかったがかーちゃんの弁当を思い出した。
俺は中庭でそれを広げた時
何とも言えない懐かしさと何かこみ上げるものを感じた。
それは俺が中高5年間食べたかーちゃんの弁当だった
おいしい…涙をこらえ食べた かーちゃん…
それからは流れるように時間がたち手応えも何も感じないまま
フラフラと地元まで帰った…
病室に入ると、かーちゃんは居なかった
看護婦さんに聞いて霊安室につれていってもらった。
数名の御遺体の中、変わり果てたかーちゃんを見つけ
俺は叫びともつかない嗚咽をし、かーちゃんを抱きしめた。
担当の看護婦さんに連れられてラウンジで落ち着くまで色々な話を聞いた。
かーちゃんは俺が来た数日は本当に機嫌がよかったそうだ
看護婦さんや医者、同じ病室の人にも よく俺の話をしていたらしい。
逆に俺が来ない日が続くと元気がなく、泣いている日もあったという。
帰り際に、一枚のメモをもらった。
病院備え付けの薄っぺらいメモ用紙には震えた力無い「お疲れさま」の文字があった。
葬式や通夜が終わり、俺は発表を見に行った。
結果は合格
俺は泣いた
合格も嬉しかったけれど
何より心で叫んだ
かーちゃん、ちゃんと受かったよ!!!!
お祝いしてくれよ、かーちゃんの弁当で花見行こうよ
何で…こんな時にいないんだよ…
かーちゃん…
俺は合格通知をかーちゃんの墓に見せに行き
たくさんの話をした。
端から見たら変な人に見えるだろう
でも俺はこの18年間のごめんなさい ありがとう を全部語った。
276 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 09:14:48.95 ID:rT1aWlBi0
半年ちょい前の俺へ
そっちは午前4時だな。
部活で疲れてぐっすりだと思うが、頑張って起きろ
今から言う事をやってくれ。頼む、お前の為だから。しくじるなよ。
音をたてないようにしろ、気づかれるから。
まず、1階に降りて台所から包丁を持ってこい。
そしてお前のバカ兄貴の部屋の前に行き
ドアを開けて部屋に駆け込み一撃でぶった切れ。
バカ兄貴が首を吊ろうとしてる、その柔道の帯で作った輪っかをな。
そうしないとバカ兄貴が首吊って死んじまうぞ。
発見した時の光景と母さんの悲鳴はたぶん一生お前の頭から離れなくなる。
前日まで普通に相談に乗ってもらってた兄貴が次の日には死んでんだぞ
いなくなるんだ
あと兄貴に言ってやれ。
「さんざんアンタをバカにしてきたが、学校じゃ自慢しまくるくらい好きなんだよ。」って
頼む。頼むよ。
頼むからこの文を半年前の俺に送らせてくれよ。
頼むよ。お願いします
「おやすみ。また明日な。」
って言ってたじゃねえか
300 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 10:22:27.40 ID:E4fvNJdM0
おれデブヲタだけど、昨日、人生初めて逆ナンされた。
彼女はおれがヲタだって事なんか全然気にしないって言ってくれた。
なんかすごく優しくて可愛くていい子だった。
絵を売る仕事をしているらしく、
男気を見せるために思い切ってラッセンの絵を買った。
今飾ってるけどマジでかっこいい。
47万円の価値は十分にあると思う。
おまいらもガンガレ!
303 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 10:28:01.01 ID:abMh9SpfO
>>300
泣いた
313 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 10:47:20.71 ID:E4fvNJdM0
関係をせまると、あなたは紳士じゃないといわれる
関係をせまらないと、あなたは男じゃないといわれる
たびたび部屋を訪れると、もっと1人の時間がほしいといわれる
あまり部屋を訪れないと、二股かけているのかといわれる
はやりのカッコいい服を着ると、あなたって流行にふりまわされて軽薄といわれる
はやりのカッコいい服を着ないと、あなたってダサダサで恥ずかしいといわれる
話を聞きながら発言すると、黙って聞いてよといわれる
話を黙って聞いていると、なにか言ってよといわれる
待ち合わせに30分遅れていくと、30分も待たせるなんてひどいといわれる
自分が30分遅れると、30分ぐらいなによといわれる
やきもちをやくと、しばられるのはいやという
やきもちをやかないと、もう愛はないのかという
そうだねと賛成すると、自分の考えがない人ねといわれる
そうじゃないと反対すると、理解がない人ねといわれる
愛してるよと言うと 口の軽い人ねと言われる
大好きだよと言うと それだけしか言えないのと言われる
墓に供え物をすると 君は無視する
僕は泣いているのに 君は安らかに笑っている
316 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 10:54:59.10 ID:O91jZiqXO
あの日俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った
その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕食も食べずに部屋に篭もった
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたようだ、が、父親が部屋に飛び込んで来たので目が覚めた
「母さんが轢かれた・・・!」
あの時の父親の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげて下さいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った
その後、母親があの時間外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事
その時、俺のためにはアイスを買いに行って事故にあったとわかった
通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある
母さん、ごめんな
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている
328 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 11:19:44.64 ID:O91jZiqXO
子供が外に遊びに行こうと玄関を開けた途端、
みはからっていたのか猫は外に飛び出していってしまった。
そして探して見つけ出した時には、あの子は変わり果てた姿になってしまった。
私はバスタオルにあの子をくるみ、その場で泣き崩れてしまった。
自転車で通り過ぎる人、横を走る車、みんなが止まり「どうしたの?大丈夫?」と声をかけてきてくれた。
でも、その声にも答えず私は声をあげてあの子を抱きかかえて泣いた。
まだ体が温かかったことが、悔しかった。
毎朝、あの子は決まった時間にパパを起こし、餌をねだるのが日課であった。
パパの眠い目をこすりながらも、おねだりするあの子に餌をあげてから朝の一服をする。あの子が死んだ次の朝、パパはいつもの時間に起きてきた。
そしてソファーに座りたばこに火をつけた。
今日は足にまとわりついてくるあの子がいない。
パパの背中が寂しそうで、また涙がこみあげた。
あの子はいつも長男と一緒に二階に上がり長男のベットで一緒に寝ていた。
あの子が死んだ時、呆然としていた長男がベットで泣いていた。
私は声をかけてあげることができなかった。
親として悲しんでる子供をなぐさめてあげなければいけなかった。
でもその長男の姿を見た私はその場でうずくまって声を殺して泣き崩れてしまった。食事の用意をしていても、掃除をしていても、涙が勝手に溢れてくる。
泣いている私に息子は、「次はどこ掃除する?手伝うよ」とやさしく声をかけてくれた。
「ママが隊長で、僕は副隊長になって掃除しようっ!」
泣きっぱなしでぶさいくなっている私は、
「隊長ばっかで部下がいないじゃん」とぐしゃぐしゃの顔で笑った。
あの子が死んでから初めて笑った。
くよくよしていたらいけないことを、
息子が教えてくれたようでなさけなかった。
今日で、もう泣くのは終わりにしよう。
あの子とのいっぱいの思い出を胸にしまい、
今日からはいつものママに戻るからねっ
334 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 11:40:21.23 ID:E4fvNJdM0
ヽJ(`Д´)しノ
そんな悪い子はウチの子やないっ!出て行きなさいっ!
(ノД`)
アーンアーン、出て行ってやる〜
ヽJ(`Д´)しノ
待ち!その服はオカーサンが買うてやったんや!置いてき!
(ノД`)
アーンアーン(服脱いで出て行こうとする)
ヽJ(`Д´)しノ
待ち!そのパンツもオカーサンが買うてやったんや!置いてき!
(ノД`)アーンアーン(パンツも脱いで出て行こうとする)
・゚・J(ノД`)し・゚・。
待ち!アンタはオカーサンがこしらえたんや!置いてき!(ギュー)
・゚・(ノД`)・゚・。
カーチャン、アーンアーン(ギュー)
335 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 11:43:15.90 ID:E4fvNJdM0
大学が決まり一人暮らしの前日の日
親父が時計をくれた。
金ピカの趣味の悪そうな時計だった。
「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」
そういってた。
二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。
ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。
紛れもない偽者であることが判明した。
すぐに親父電話した。
俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」
親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ
最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。」
親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」
親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。金がない理由は親にいえない事が多いわな!」
親父「がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」
正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。
今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。往年の面影も消え、ガリガリになった親父が
また時計をくれた。まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。
親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」
オメガのシーマスターだった。くしくもその日は俺の誕生日だった。
俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」
二人で笑った三日後、親父は死んだ・・・・
親父が死んだ今も、金ピカの時計はメッキもはげたがまだ時を刻んでいる。
336 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 11:47:47.08 ID:E4fvNJdM0
つい先日じぃちゃんが死んだ。
父方のじぃちゃんで親戚中わんわん泣いた。
んで昨日じぃちゃんの荷物整理してたら古い100円硬貨がドッサリ出てきたのよ。
しかも製造年が全て同じ年。
何の年か分からず困ってると親父登場で一言「・・・それ俺の生まれた年。」
その夜深夜にトイレで目覚めると居間に明かりが。
親父がむせて咳しながらタバコ吸ってんのよ。
「むせるぐらいならタバコ止めろよww」と冗談言おうとしたが言えなかった。
葬式でも涙を見せなかった親父が例の100円玉並べて泣いてんのな。
俺正直涙を全く見せない親父を冷たい人間だと思ってた。強い人間なんだと実感。
トイレなんか忘れて俺ももらい泣きしながら寝たよ。
んで今日起きたら何事もなかったかのように親父が「これ、じぃちゃんのお守りだ。」って例の100円玉くれた。
何気なく見たら親父大事そうにその100円玉財布に入れてんのな。
俺も大事に財布に入れてるよ。
親父みたいな強い大人になりたいと思った。
338 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 11:50:10.03 ID:E4fvNJdM0
小学校6年くらいの時の事
親友と、先生の資料整理の手伝いをしていた時、
親友が「アッ」と小さく叫んだのでそちらを見たら、名簿の私の名前の後ろに『養女』と書いてあった。
その時まで実の両親だと思っていたので心底衝撃を受けた。
帰り道、どんな顔で家に帰っていいか分からず、
公園のブランコに座って立てなくなった私に、親友はずっと付き添っていてくれ、
「よし、じゃあ私と姉妹の盃を交そう」とか言って、
カバンからメロンのアイスの容器(メロンの形のやつ)を出して、水道の水をくんで飲んだ。
一体何のテレビを見たのか、「盃の契りは血のつながりより強いんだよっ」なんて
メロンのカップ片手に言う親友がおかしくて、思わず泣きながら笑いあった。
十数年たって私が結婚する事になり、結婚直前に二人で酒でも飲む事にした。
『あの時はありがとう』と、驚かそうと思って、あの時もらったメロンのカップを
カバンにこっそり忍ばせて飲んでたら、突然親友がポロポロ泣き出して
「あの時、あの時、気付かせてしまってごめんね」と。
『養女』の文字を隠さなかった事をずっとずっと悔やんでいたと泣いた。
そんな事、反抗期に親に反発しそうな時も、進学の学費面で親に言えなくて悩んだ時も、
机の上でメロンのカップが見守っていてくれたから、
あなたがいてくれたからやってこれたんだと伝えたかったのに、
ダーダー涙流しながらダミ声でドラえもんのように「ごれ゛ぇ〜」とメロンのカップを出すしかできなかった。
親友もダーダー涙流しながら「あ゛〜ぞれ゛ぇ!」と言って、お互い笑って泣いて、酒を酌んだ。
もちろんメロンのカップで。
もうすぐ親友の結婚式があるので思い出した。
347 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 12:06:10.84 ID:EOmLx+UX0
近所に昔からある古い駄菓子屋がある
経営してるのは、お婆ちゃん一人だけ(お爺ちゃんは5年ほど前に病気で亡くなってしまった)
いつもニコニコしていて、とても優しいお婆ちゃんで
お金が無い子にはコッソリ駄菓子をあげていた(漏れも昔もらった)
そんな感じで近所の評判がとてもよかった
ある日、お婆ちゃんが893に罵声を浴びせられてた
なんでも亡くなったお爺ちゃんに少し借金があったらしく、コツコツ払い続けて
完済したはずなのに更に80万請求され、払わなかったら立ち退いてもらうと脅されたらしい
お婆ちゃんのピンチにまわりが黙ってられるはずもなく、3丁目の人々が一致団結
集会を開くまでに至り、893が来たときに駄菓子屋の前に整列、そして猛抗議
漏れは学生だったので様子を見守ってたが、あれは圧巻だった、30人ほどが声張り上げてるんだもの
893もはじめはなんか言ってたが、すぐに戦意喪失、スゴスゴと引き上げてった
お婆ちゃんは泣きながら、ありがとう、ありがとうとずっと言っていた
そんなお婆ちゃんは今日もお店でニコニコしている、長生きしてもらいたい
355 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 12:17:43.46 ID:EOmLx+UX0
今までで強烈に感動したCMドラマ。
アメリカで見たし、何のCMかも忘れたし、一度きりだし、台詞もうろ覚え。でも覚えてる。
舞台はアメリカの老人ホーム。寂しい老人達が、届いた花束を持った看護婦さんに、
期待して集まってくる。カードが読まれて、花束が誰宛か判明して、その人だけが喜ぶ。
後はがっかりして部屋に戻る。
ある時、大きな花束が届いて、また老人達が集まってくる。今度は誰宛だろう? と
看護婦さんが、早くカードを読むようにせかされる。彼女がそれを読む。カードには、
「大切なあなたにこの花束を贈ります」とか書いてある。期待する老人達の輝く顔。
そして最後の宛名を見て……、看護婦さんは涙目に。
それは、ここの老人達全員からの、看護婦さんへの花束だった……。老人達大喝采!
自分の中で、これを抜くドラマCM未だなし。
367 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 13:16:06.56 ID:zHXWfCPg0
>>355
良い話だな。っていうか上手な話だな。
全員が幸せな気持ちになるって素晴らしいね
357 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 12:29:41.50 ID:O91jZiqXO
ヘタレプログラマーは今日も仕事で疲れきって、遅くなって家に帰ってきた。
すると、彼の5歳になる娘がドアのところで待っていたのである。彼は驚いて言った。
「まだ起きていたのか。もう遅いから早く寝なさい」
「パパ。寝る前に聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「パパは、1時間にいくらお金をかせぐの?」
「お前には関係ないことだ」ヘタレプログラマーである父親はイライラして言った。
「なんだって、そんなこと聞くんだ?」
「どうしても知りたいだけなの。1時間にいくらなの?」女の子は嘆願した。
「あまり給料は良くないさ・・・20ドルくらいだな。ただし残業代はタダだ」
「わあ」女の子は言った。「ねえ。パパ。私に10ドル貸してくれない?」
「なんだって!」疲れていた父親は激昂した。
「お前が何不自由なく暮らせるためにオレは働いているんだ。それが金が欲しいだなんて。だめだ!早く部屋に行って寝なさい!」
女の子は黙って自分の部屋に行った。
しばらくして、父親は後悔し始めた。少し厳しく叱りすぎたかもしれない・・・。
たぶん、娘はどうしても買わなくちゃならないものがあったのだろう。
それに、今まで娘はそんなに何かをねだるってことはしない方だった・・・ 。
男は娘の部屋に行くと、そっとドアを開けた。
「もう寝ちゃったかい?」彼は小さな声で言った。
「ううん。パパ」女の子の声がした。少し泣いているようだ。
「今日は長いこと働いていたし、ちょっとイライラしてたんだ・・・ほら。お前の10ドルだよ」
女の子はベットから起きあがって、顔を輝かせた。「ありがとう。パパ!」
そして、小さな手を枕の下に入れると、数枚の硬貨を取り出した。
父親はちょっとびっくりして言った。「おいおい。もういくらか持ってるじゃないか」
「だって足りなかったんだもん。でももう足りたよ」女の子は答えた。
そして、10ドル札と硬貨を父親に差しのべて・・・
「パパ。私,20ドル持ってるの。これでパパの1時間を買えるよね?」
358 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 12:31:17.02 ID:EOmLx+UX0
阪神大震災は、モンゴルでも重大ニュースとして報道され大きなショックを与えた。
モンゴル政府はただちに臨時閣議を開き、救援物資を送ることを決めた。
それも、ただ送るということではなく、一刻も早く届けようとしたのだ。
毛布2100枚、手袋500組その他を直ちに政府特別機に積み込み、
プレブドルジ副首相は国民を代表して見舞いにやってきてくれた。
モンゴル国は、以前はモンゴル人民共和国と称していた。
ソビエト連邦の衛星国の一つとして、ソ連共産党の指導下に長きにわたり入っていたが、
その時代でさえ、モンゴルは日本に極めて好意的な国家として、経済・文化交流などで
緊密な間柄を保っていた。
そのことにソ連が不快感を示しても、モンゴル政府は、
『 血の繋がりは、共産主義の教義よりも強し 』
としてこれを無視してきたのである・・・・。
ソ連崩壊後、モンゴルは自由主義国家を目指し、市場経済への道を歩み始めた。
日本は同国にとっての最大の援助国として全面的に支援してきた。
同国は日本の長きにわたる援助を多とし、感謝の気持ちを込めて救援に駆けつけて
くれたのであろう。
関西空港で出迎えた外務省幹部が感謝の意を表明するとともに、長旅を労って
休息していただこうとしたが、「長居をしてご迷惑を掛けたくない」と、
わずか90分だけの日本滞在で機上の人となった。
日本では「困った時の友が真の友」という。
モンゴルにも「困難に直面する時こそ、友人の価値が分かる」という諺があるという。
小さな国からの、大きな贈り物であった。
369 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 13:26:18.60 ID:yMtIrH6q0
227 :Mr.名無しさん :04/09/08 23:49
カーチャン、なかなか親孝行できなくてゴメンな。
本当は家事を手伝ったり、
「カーチャンの作る飯が一番ンマイよ!」と言ったり
孫の顔を見せたりしたいんだが・・・
金銭的な孝行だけで(しかもそれも少ない)スマソ。
大学生の弟が居るんだが、もうじき学費の振込だ。
なけなしの貯金20マソだが、足しにしてくれ・・・
本当はマッサージチェアを買ってやりたかった。40マソはする奴な…ムリポorz
228 :Mr.名無しさん :04/09/09 01:01
>>227
40万が無いなら、お前の両手があるだろ。
その手は飾りか?
カアチャン喜ぶぞ。
371 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 13:31:27.72 ID:yMtIrH6q0
906 :Mr.名無しさん :04/09/21 16:06:37
もし、貴方の命で死の床に伏した母を救えるとしたら、どうしますか?
と聞いてきた友達がいたんだがどうだろうか?
自分の命を捧げてまで母を助けられるのだろうか?
908 :Mr.名無しさん :04/09/21 16:20:53
>>906
たった今リアルにカーチャンに聞いたところ
「どの世界に子供の命を引き換えに長生きしたいなんて母親がいる?」
と真正面から顔を見てハッキリ言われた。
鳥肌が立った。
375 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 14:31:26.13 ID:zJOAy4+e0
「天国のあなたへ」
娘を背に日の丸の小旗をふって、あなたを見送ってから、もう半世紀がすぎてしまいました。
たくましいあなたの腕に抱かれたのは、ほんのつかの間でした。
32歳で英霊となって天国に行ってしまったあなたは、今どうしていますか。
私も宇宙船に乗ってあなたのおそばに行きたい。
あなたは32歳の青年、私は傘寿を迎える年です。
おそばに行った時、おまえはどこの人だなんて言わないでね。
よく来たと言って、あの頃のように寄り添って座らせて下さいね。
お逢いしたら娘夫婦のこと、孫のこと、また、すぎし日のあれこれを話し、思いっきり、甘えてみたい。
あなたは優しく、そうかそうかとうなずきながら、慰め、よくがんばったねと、ほめて下さいね。
そして、そちらの「きみまち坂」につれて行ってもらいたい。
春のあでやかな桜花、夏、なまめかしい新緑、秋、ようえんなもみじ、冬、清らかな雪模様など
四季のうつろいの中を二人手をつないで歩いてみたい。
私はお別れしてからずっと、あなたを思いつづけ、愛情を支えにして生きて参りました。
もう一度あなたの腕に抱かれ、ねむりたいものです。
力いっぱい抱きしめて絶対はなさないで下さいね。
383 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 14:45:39.88 ID:FD0iCdRe0
俺の近所に住んでた爺さんの話。
一人暮らしだった爺さんは子供好きで、ちっちゃい頃の俺もよく遊んでもらってた。
ある時、爺さんの家で見た暴れん坊将軍(だったと思う)の1シーンで
老中と主役が「じい」「若」と呼び合うのを二人で真似して
俺「じい!今日も遊びに来たぞ。」
爺「若、よくぞいらっしゃいました。」
なんて呼び合って遊んでいた。
そんな関係は俺が他県の大学に進学するまで延々と続いていた。
卒業後に実家に戻ってきたらなんと「じい」が脳卒中やって入院中だという。
さっそく見舞いに行ってみたら「じい」はたくさんの管に繋がれてベッドに横たわっていた。
看護士の話では外界からの刺激にはなんの反応も示さない状態だと言う。
俺は「じい」に呼びかけてみた。
「じい、俺だぞ。覚えてるか?」
ダメもとのつもりだった。・・・が、次の瞬間、閉じられていた「じい」の目がカッと見開き
そして今まで昏睡してたとは思えないようなハッキリとした声で喋った。
「若、ご立派になられましたな。」
425 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2008/10/31(金) 17:19:48.79 ID:vzVGwdy0O
>>383
笑い泣いた
385 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 14:57:29.50 ID:PoJ9fqOTO
子供の頃、家は流行らない商店で貧乏だった。
母がパートに出て何とか生活できているよう程度の生活だ。
学校の集金のたびに母親がため息をついていたのをよく憶えている。
別段、小学校、中学校は何とも思わなかったけれど、
高校の入り、進学を考えた頃から両親と喧嘩することが多くなった。
私は大学に進みたかった。美大に行って本格的に絵を描きたかったからだ。
しかし進学するのに必要なお金など、どう考えても捻出できなかった。
毎日、昼のパート、夕方からのパートと掛け持ちで働き、くたくたになっている母親に、
「何で進学できないんだよ!子供の進学資金も出せないようじゃ親失格だぜ!」
と言ったことがある。
母親は涙ぐみ何も言わなかった。
その姿にハッと我に返ったが、ぶつけようのない悔しさが邪魔をしてそのまま謝りもしなかった。
しばらく後になって、あの時なぜ謝らなかったのだろうと猛烈に悔やむことになった。
386 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 15:12:47.77 ID:PoJ9fqOTO
母親は事故で亡くなり、直接謝ることは出来なくなってしまったのだ。
パートの帰りの運転中の事故だった。
交差点に突っ込んでの事故で、ブレーキ痕もない、、
過労だと思う、、
葬式の後、母の部屋を整理していて日記とも家計簿とも取れるようなノートを見つけた。
食費や光熱費、、、私は家計をやりくりした事など当然ないが、
そんな私が見てもギリギリの生活だった。
母親が自分のために使ったものなど何一つなかった。
なのに、、私のための進学のための貯金があった。
ぎりぎりの生活の中で、本当に数百円の単位で毎月貯金してあった。
私が怒鳴ったあたりから、パートの時間が増えていた。
後でわかった事だが、パートの勤務時間を頼み込んで増やしていたようだ。
増えた分は全て貯金、、
私はバカだった。
自分のことだけだった。
母の笑った顔を最後に見たのはいつだったろう?
私は何一つ親孝行などしてない、
母がいなくなってから、後悔の連続だった。
苦労ばかりかけて、自分のことばかり考えていた。
何の親孝行もしていない。
なぜあんな事を言ったのか、謝らなかったのか、
謝りたい、心から母に謝りたかった。
そんな時、ものすごくリアルな夢を見た。
夢の中で母親は居間で座っていた。
母を見つけた私は、泣きながら母親に詫びた。
何もしてやれないで、ひどい事を言って、ごめんと。
本当に子供のように泣いた。
母親は私の手を握って、
「謝らなくちゃいけないのはお母さんだから、、ごめんね」と言った。
それを聞いて、私はますます声をあげて泣いた。
起きた時は枕まで涙で濡れていた。
そして手にははっきりと、母の手の感覚が残っていたのを憶えている。
それだけならリアルな夢で終わっていたのだが、
その夢を見た朝、父が
「今朝、母さんの夢を見た。」と言うのだ。
私のことをよろしくと言ったらしい。
父が直接会いに行って話したらいいと母に言うと、
もう会ってきたからと言ったそうだ。
後悔の念が見せた夢で、偶然の事かもしれない。
でも、夢であれ母に謝ることができて良かった。
389 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 15:17:18.05 ID:PoJ9fqOTO
先月、23を迎えた私。
そして今月、数年前から病を患って入院していた母が死んだ。
呆然としたまま葬儀を終え、心にぽっかりと穴が開いたような虚無感の中
父親が私に一通の手紙と通帳を渡してきた。
娘へ。
これを読んでいるって事はお母さんは、一足先に空に行ったようだね!
通帳は、貴女が生まれた時からずっと貯めてきたものです。
だから、貴女が好きに使ってくれてかまわないよ。
これだけあれば結婚費用の足しにもなるはずだよね。
本当はお母さんも式に参加して見たかったけど、空から見てるから心配しないで!
あと、お父さんの事よろしくね!
母らしい最後まで元気な手紙。
そして、通帳を見ると私が生まれた1984年の9月から
毎月一日に欠かさずに一万振り込まれている277万円の通帳。
お母さん、お父さん、生んでくれてありがとう。
私は来年、結婚します。
407 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 16:36:49.95 ID:O91jZiqXO
おいおい、そんなことより>>1よ聞いてくれ。
昨日、恋人が死んじゃったんです。病気で。
そしたらなんか通夜が終わって病院に置いてきた荷物とか改めて取りに行ったら
その荷物の中に俺宛に手紙が入ってたんです。
で、よく見たらなんか「わたしの人生は普通の人よりも短かった、だけど○○君と一緒に
過ごせたことで普通の人よりもずっと幸せな日々を送れた」、とか書いてあるんです。もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前な、そんなこといまさら言ってんじゃねーよ、ボケが。死んだ後だよ、もうお前いねぇんだよ。
なんか最後の方はろくに起き上がれもしなかったくせに。弱々しい字で必死に書いたのか。おめでてーな。
よーし○○君のことずっと見守ってるぞー、とか書いてるの。もう見てらんない。
お前な、俺だってまだ言いたいこと沢山あったんだから生き返ってこいと。
愛の言葉ってのはな、もっと生きてるうちに伝えるべきなんだよ。
初めて出会った頃みたいにドギマギして恥ずかしさの余りいつ心臓が破裂してもおかしくない、言おうか言わざるべきか、
そんな雰囲気がいいんじゃねーか。今になってこんなこと言い出すやつは、すっこんでろ。
で、やっと涙堪えながら読み終わったと思ったら、最後の方に「わたしの事は忘れて他の人と幸せになってほしい」
とか書いてあるんです。そこでまたぶち切れですよ。
あのな、俺はお前がホントに死んだなんて信じられねーんだよ、ボケが。得意げな顔して何が、見守ってる、だ。
お前は本当にこの世にいないのかと問いたい。問い詰めたい。小一時間かけて問い詰めたい。
お前、これわ全部タチの悪いでホントはどっかで生きてるんちゃうんかと。
独り残された俺から言わせてもらえば今、お前に対して出来る供養はやっぱり、お前を忘れないこと、これだね。
たとえジジイになってボケたとしても。これが俺の生き方。
お前との思い出ってのは俺には辛すぎる。そん代わり忘れない。これ。で、それにお前のことをずっと想い続ける。これ最強。しかしこれを貫くと次から恋人が2度と出来ないかもしれないという危険も伴う。諸刃の剣。軟弱者にはお薦めできない。
まぁお前みたいな寂しがりやは、俺がいつかそっち行くまで待ってなさいってこった。
410 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 16:42:58.24 ID:yMtIrH6q0
家族でお出かけ中、4つ違いの妹(当時小学生)がビタン!と転倒、
泣き叫ぶ妹を親父は抱き起こし、泣きやむまでおぶって歩いた。
厳しい親父だったし、俺はそんな事してもらった事はなかった。
小坊だった俺はその場では文句も言えず、
後で母親に「ずるい…」とか拗ねてみせた覚えがある。
それから十余年、俺が一九の時に親父が胃ガンになった。
告知はしていなかったが親父は自分の病状に気づいている様子。
見舞いに行ったある日、親父は俺にこう言った。
「10歳の時、○子(妹)が転んだ事、覚えてるか?」
「うん」
「母さんから聞いた。悪かったと思ってる。でもな」
「今更何だよ」
「○子は優しく育って欲しいから助けた。おまえは強く育って欲しいから放っておいたんだよ」
「・・・・」
泣いちゃいけないと思いながら、泣けて仕方なかったよ。
416 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 16:51:15.74 ID:EMHpDRxfO
>>410
イイ!
415 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 16:49:48.94 ID:yMtIrH6q0
学生時代、書類の手続きで1年半ぶりに実家に帰った時のこと。
本当は泊まる予定だったんだが、次の日に遊ぶ予定が入ってしまったので
結局日帰りにしてしまった。
母にサインやら捺印やらをしてもらい、帰ろうとして玄関で靴紐を結んでいると、
父が会社から帰ってきた。
口数が少なく、何かにつけて小言や私や母の愚痴を言う父親のことが苦手で、
一緒に居ると息苦しさを感じていたの私は、父が帰宅する前に帰って
しまいたいというのも、日帰り、ひいては通えない距離の学校を選んだの理由の一つだった。
父が、「お前、泊まるんじゃなかったのか」と訊いたので、
「ちょっと忙しいから」とぶっきらぼうに答えると、手に持っていたドーナツの箱を私に差し出し、
「これやるから、電車の中で食え。道中長いだろうから」と言った。
駅に着くと、電車は行ったばかりのようで人気がなく、30分は待たされるようだった。
小腹が減ったので、父からもらったドーナツの箱を開けた。
3個ずつ3種類入っていた。家族3人でお茶するつもりだったんだなぁ。
でも、私が9個貰っても食べきれないよ。箱の中を覗き込みながら苦笑した。
その直後。あぁ、あの人は凄く不器用なだけなんだろうな―。
ふとそう思うと、涙がぼろぼろ出てきた。
様々な感情や思い出が泡のように浮かんでは消えるけど、どれもこれも切なかったり苦かったりばっかりで。
手持ちのポケットティッシュが無くなっても、ハンカチが洗濯して干す前みたいに濡れても涙は止まらなくて、
結局、一本あとの電車が来るまで駅のベンチでずっと泣き続けていた。
430 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 17:24:27.22 ID:8ZHCVvefO
>>415
なんでトーチャンってあんなに不器用なんだかな
でもそんなトーチャンになりたい
418 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 16:52:25.47 ID:yMtIrH6q0
470名前:名無し 投稿日:03/05/02
ほんとに出会えるもんだね・・・びっくり・・・
ttp://xxx.com
471名前:名無し投稿日:03/05/02
死んだ俺のじいちゃんやばあちゃんとも出会えますか。
じいちゃんは五年前から寝たきりだった。生きてる頃は正直、気にしたこともない存在。
寝たきりなだけでやたらと元気だし、死ぬだなんて考えたこともなかった。
それが去年さらっと死んだ。
棺おけに入ったじいちゃんはベッドに寝たきりだったころと変わらない顔してた。
そのまま火葬場で骨になった。
じいちゃん死んで元気がなくなったのか、今年の初めにばあちゃんも死んだ。
立て続けに死なれて親父たちはへろへろになってた。
俺が思い出せるのはじいちゃんやばあちゃんのウザったいおせっかい。
寒いからもっと着ろだとか、俺がひそかに嫌いな料理を美味いから食えだとか。
実家に帰った時に千円や二千円を小遣いにくれたりとか。そんな程度しか思い出せない。
じいちゃんもばあちゃんも俺のことを好きだった。だけど俺はそんなに好きってわけじゃなかった。
でももう一回会えるなら、今度はちゃんと好きだったって言ってやりたい。
出会えますかこの野郎。
俺はじいちゃんとばあちゃんに会えるのかって聞いてんだよこの野郎。
421 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 17:12:34.53 ID:rT1aWlBi0
うちの娘3才は難聴。ほとんど聞こえない。
その事実を知らされたときは嫁と泣いた。何度も泣いた。
難聴と知らされた日から娘が今までとは違う生き物に見えた。
嫁は自分を責めて、俺も自分を責めて、まわりの健康な赤ん坊を産むことができた友人を妬んだ。
ドン底だった。
バカみたいにプライドが高かった俺はまわりの奴等に娘が難聴って知られるのが嫌だった。
何もかもが嫌になった。
嫁と娘と三人で死のうと毎晩考えていた。
ある晩、嫁が俺に向かってやたらと手を動かしてみせた。
頭おかしくなったんかと思ってたら、喋りながらゆっくり手を動かし始めた。
「大好き、愛してる、だから一緒にがんばろう」
手話だった。
そのときの嫁の手、この世のものじゃないかと思うくらい綺麗だった。
それで目が覚めた。何日もまともに娘の顔を見てないことにもやっと気付いた。
娘は眠ってたが、俺が声をかけるとニタッと笑った。
あれから三年。
娘の小さな可愛い手は上手に動いてる。喋ってる。
428 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 17:22:04.84 ID:rT1aWlBi0
姉の結婚式のとき。
姉と一緒に写真を撮っていたら、不意に、メールが届いた。
件名「ほしい」
内容「ちちも しやしん」
親族控え室を見回すと、何事もないかのように祖父らと談笑する父の姿が。
でも、時折チラチラとこちらを見る父。
「お父さんも一緒に撮ろうよ!」と声をかけたら、「写真は苦手なんだけどなー・・・お前たちがそう言うなら仕方ないなー・・・」
と言いながら寄ってきた。そのときの写真を、携帯の待ちうけサイズにしてあげたら「俺は親ばかじゃないから、こんなのいらん」と言ってたくせに、
後日
「しやしん まちうけ ほうほう おしえて」
と、メールが来た。
551 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2008/11/01(土) 00:50:54.96 ID:bMo9p1HnO
>>428
萌えた
何そのかわいいお父さんw
429 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 17:24:16.49 ID:rT1aWlBi0
父さんは手先が器用だった。
小学校3年生の工作、少し手伝ってって言っただけなのに、120%の渾身の精力を傾けて作ってくれた空母赤城。何故かキットにない零戦の整備兵までいる。
物凄すぎて出せなかったよパパン…
イタズラも得意だったよな。
俺の歴史の教科書、ザビエルは天使になってるし、伊藤博文は
(=゜ω゜)ノぃょぅとかやってるし。(後でどれだけ怒られたと思ってるんだよw)
病室も折紙のカエルだらけにして看護婦さんに真剣に怒られてたっけ。
この間娘にせがまれてカエルを折ってやってたら、思い出して後で泣いてしまった。
死ぬ何日か前に車椅子に乗った父さんに会った時、こっちにおいでって言われたのに、痩せ細った父さんが恐くて尻込みしちゃったんだよな。あれが今生の別れだったのにな。
ごめんな。本当にごめんな。
あなたみたいに愛情深く、面白い人間にはなれないかも知れないけど、いつかは娘を萌えさせてみせるから。
432 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 17:26:25.99 ID:rT1aWlBi0
これ、反抗期の時の話しなんだけど、今でも忘れられない。
幼い頃からずっと片親で育ってきた私は、父親と二人暮らしをしてた。
友達や親戚から見ても、誰から見ても、私を大事に宝物の様に可愛がってくれて、一生懸命働いてくれてた。私の願い事は無理してでも、自分を犠牲にしてでも叶えてくれた。
風邪の時には仕事さぼってでも側に居てくれてた。寂しい思いはさせなかったと思う。
二人きりだけどクリスマスや誕生日も毎年してくれた。
けど、十代半ば、反抗期のせいで、父の優しさが凄くうざくなってきたんだ。
心配される事とか、口聞く事も、すべてがうっとおしくなったんだ。私は毎晩、夜遅く帰って来て父が心配してくれても私は父に罵声しかあびせなかった。
友達と遊ぶ事が楽しくて、だんだん家にも帰らなくなった。
そんな毎日を繰り返しまた夜、久しぶりに帰ったら私の分のおかずとか、小さなケーキがおいてあったんだ。
もう誕生日も二〜三日すぎてたのに、おいてあって、毎日ご飯作っていつ帰って来るのか分からない私をずっと待っていてくれてたんだとおもったら、切なくて悲しくて申し訳なくて涙が溢れてきた。
そして無造作に置かれてた小銭入れ、ボロボロな汚い小銭入れ、私が幼稚園の頃に父の日にあげたやつ。
まだ使ってたんだ。
父は、ほんとに私を誰よりも何よりも大切な宝モノなんだって事が胸につきささって、父に優しくしてあげられなかった事に、また泣いた。
また後から知った事だけど、私が小さい頃に書いた父の日のカードも、肌身離さず持っていました。
あの一件以来、私はちゃんと帰るようにはなりました。そんなこんなで今私は結婚もして、もうすぐで子供も産まれます。私は父がくれたあの愛情を、これから産まれてくる子供にたっぷりそそぎます。
そんな私をこれからも空から見守っててください。
お父さん、こんな私を育ててくれてありがとう。私はとっても幸せです。
大好きだったよ。
434 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 17:29:05.74 ID:rT1aWlBi0
うちの両親は昔すごく仲が悪かった。
母はとても気が強くいつも一方的に怒鳴り散らして父は下を向いて黙ったまま。
そんな光景を何度も見ながら育った。私は父のことがとてもかわいそうに思えて父の味方だった。幼心に”パパとママが離婚したらパパといっしょにくらす!”ってずっと思っていた。
私が通っていた幼稚園ではお昼に給食が出ていたんだけど1ヶ月に一度お弁当を持っていく日があってその時は母がいつも腕を振るってかわいいお弁当を作ってくれていたのでとても楽しみにしていた。
しかしお弁当を持っていく前日、ケンカをした後、母が家を飛び出してしまった。
明日はお弁当なのにどうしよう。と思っていたがそのことを父に言い出せず、そのまま眠りについてしまった。
次の日、目を覚ましたが母はまだ帰っていなかったが父が台所に立っていた。私が起きてきたことに気付いた父が「パパがお弁当作ったから」と言って得意気に私にお弁当箱を見せた。
しかし、中身はパンのサンドイッチがひとつ入ってるだけ。それに妙に腹が立った私は「こんなのお弁当じゃない!ママが作ってくれるのと全然ちがうもんっ!!」って言って泣き出してしまった。
父は始めビックリした顔をしたがみるみる寂しそうな顔になり「ママみたいに上手に作れなくてごめんな」って言って涙をこぼした。
幼稚園に行ってお昼の時間になり、お弁当箱を開けるとパンにイギリスの国旗の旗が刺さっていた。
父なりに工夫をして見た目を良くしてくれたんだと思う。それを見た私は母がいない寂しさや、父が心をこめて作ってくれたお弁当のことなど色んなことが頭に浮かんできて泣きじゃくりながらサントイッチを食べた。
中身はマーガリンに砂糖がかかっている甘いものだったけど涙のしょっぱい味が今でもすごく印象的です。
435 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 17:32:24.75 ID:rT1aWlBi0
俺には母親がいない。
俺を産んですぐ事故で死んでしまったらしい。産まれたときから耳が聞こえなかった俺は物心ついた時にはもうすでに簡単な手話を使っていた。
耳が聞こえない事で俺はずいぶん苦労した。
普通の学校にはいけず、障害者用の学校で学童期を過ごしたわけだが、片親だったこともあってか、近所の子どもに馬鹿にされた。
耳が聞こえないから何を言われたか覚えていない(というか知らない)が、あの見下すような馬鹿にしたような顔は今も忘れられない。
その時は、自分がなぜこんな目にあうのかわからなかったが、やがて障害者であるということがその理由だとわかると俺は塞ぎ込み、思春期の多くを家の中で過ごした。
自分に何の非もなく、不幸にな目にあうのが悔しくて仕方がなかった。だから俺は父親を憎んだ。
そして死んだ母親すら憎んだ。
なぜこんな身体に産んだのか。なぜ普通の人生を俺にくれなかったのか。手話では到底表しきれない想いを、暴力に変えて叫んだ。
ときおり爆発する俺の気持ちを前に、父は抵抗せず、ただただ、涙を流し「すまない」と手話で言い続けていた。
その時の俺は何もやる気がおきず、荒んだ生活をしていたと思う。
そんな生活の中での唯一の理解者が俺の主治医だった。俺が産まれた後、耳が聞こえないとわかった時から、ずっと診てくれた先生だ。
俺にとってはもう一人の親だった。何度も悩み相談にのってくれた。
俺が父親を傷つけてしまった時も、優しい目で何も言わず聞いてくれた。仕方がないとも、そういう時もあるとも、そんな事をしては駄目だとも言わず、咎める事も、慰める事もせず聞いてくれる先生が大好きだった。
そんなある日、どうしようもなく傷つく事があって、泣いても泣ききれない、悔しくてどうしようもない出来事があった。
内容は書けないが、俺はまた先生の所に行って相談した。長い愚痴のような相談の途中、多分「死にたい」という事を手話で表した時だと思う。
先生は急に怒り出し、俺の頬をおもいっきり殴った。俺はビックリしたが、先生の方を向くと、さらに驚いた。先生は泣いていた。
そして俺を殴ったその震える手で、静かに話し始めた。
ある日、俺の父親が赤ん坊の俺を抱えて先生の所へやってきたこと。検査結果は最悪で、俺の耳が一生聞こえないだろう事を父親に伝えたこと。
俺の父親がすごい剣幕でどうにかならないかと詰め寄ってきたこと。そして次の言葉は俺に衝撃を与えた。
「君は不思議に思わなかったのかい。君が物心ついた時には、もう手話を使えていた事を。」 たしかにそうだった。俺は特別に手話を習った覚えはない。じゃあなぜ・・・
「君の父親は僕にこう言ったんだ。『声と同じように僕が手話を使えば、この子は普通の生活を送れますか』驚いたよ。
確かにそうすればその子は、声と同じように手話を使えるようになるだろう。
小さい頃からの聴覚障害はそれだけで知能発達の障害になり得る。
だが声と同じように手話が使えるのなら、もしかしたら・・・でもそれは決して簡単な事じゃない。
その為には今から両親が手話を普通に使えるようにならなきゃいけない。
健常人が手話を普通の会話並みに使えるようになるのに数年かかる。
全てを投げ捨てて手話の勉強に専念したとしても、とても間に合わない。
不可能だ。僕はそう伝えた。その無謀な挑戦の結果は君が一番良く知ってるはずだ。
君の父親はね、何よりも君の幸せを願っているんだよ。
だから死にたいなんて、言っちゃ駄目だ。」
聞きながら涙が止まらなかった。
父さんはその時していた仕事を捨てて、俺のために手話を勉強したのだ。俺はそんな事知らずに、たいした収入もない父親を馬鹿にしたこともある。
俺が間違っていた。
父さんは誰よりも俺の苦しみを知っていた。誰よりも俺の悲しみを知っていた。そして誰よりも俺の幸せを願っていた。濡れる頬をぬぐう事もせず俺は泣き続けた。
そして父さんに暴力をふるった自分自身を憎んだ。なんて馬鹿なことをしたのだろう。あの人は俺の親なのだ。
耳が聞こえないことに負けたくない。父さんが負けなかったように。幸せになろう。そう心に決めた。
今、俺は手話を教える仕事をしている。
そして春には結婚も決まった。俺の障害を理解してくれた上で愛してくれる最高の人だ。父さんに紹介すると、母さんに報告しなきゃなと言って父さんは笑った。
でも遺影に向かい、線香をあげる父さんの肩は震えていた。そして遺影を見たまま話し始めた。
俺の障害は先天的なものではなく、事故によるものだったらしい。
俺を連れて歩いていた両親に、居眠り運転の車が突っ込んだそうだ。
運良く父さんは軽症ですんだが、母さんと俺はひどい状態だった。
俺は何とか一命を取り留めたが、母さんは回復せず死んでしまったらしい。
母さんは死ぬ間際、父さんに遺言を残した。
「私の分までこの子を幸せにしてあげてね」父さんは強くうなずいて、約束した。
でもしばらくして俺に異常が見つかった。
「あせったよ。お前が普通の人生を歩めないんじゃないかって、約束を守れないんじゃないかってなぁ。
でもこれでようやく、約束…果たせたかなぁ。なぁ…母さん。」
最後は手話ではなく、上を向きながら呟くように語っていた。
でも俺には何て言っているか伝わってきた。俺は泣きながら、父さんにむかって手話ではなく、声で言った。
「ありがとうございました!」俺は耳が聞こえないから、ちゃんと言えたかわからない。
でも父さんは肩を大きく揺らしながら、何度も頷いていた。
父さん、天国の母さん、そして先生。
ありがとう。俺、いま幸せだよ。
445 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 17:58:00.01 ID:yMtIrH6q0
今日正社員の面接行ったのね。もうこれで11社目。
今まで全部駄目だった。
それで、その日は車で母も用事があったし、近くだったんで、
母さんが運転するよ、と付き添ってくれた。
駐車場の社内に母を待たて面接してもらった。
出てきたのは社長と人事課長。社長が絵に書いたような悪人顔でさ。
たばこふかしながら履歴書見て「何この転職回数?あんたもう36だろ?」
「働いた経験が長いったって、こんなの職歴なしも同然だろう?」
「精神の病気だかなんだかしらんが、うちでそんなの雇うわけない、
辞められたら無駄だし、もう帰ってくれ。用はないだろ。終わり終わり」
車に戻ると母は面接には触れず、「また寒くなるんだって、今ラジオで行ってた」
「ごはん食べて帰ろうか」って。
無言のままうどん屋に入って、カツ丼を食べた。
そしたら母親が「受かるといいねー」って言うからさ、俺答えに困っちゃってさ。
で、いろんな言い訳考えた末に正直に「いや、駄目だったんだ、今日も」といった。
母親、「また次も送っていくよ、カツ丼、あんまりおいしくなかったね」だってさ。
今頃になって泣けてきたよ。情けねーなー。就職してーなー。
今まで何やってたんだろう。
母さん、就職できたらおごってくれたお礼に、今度は何かおごるよ。
うまくないカツ丼じゃないところに行こう。
この歳になって言うのもなんだけど、 母さんごめんなさい。
448 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 18:05:57.33 ID:S4QjzGqL0
私の婦人科系の出費がかさんでいて、我が家はあまり裕福じゃない。
だから息子には申し訳ないんだけれど、おもちゃなんかはお誕生日とクリスマスの年二回しか買ってあげてないんだ。
息子が6歳の誕生日に「欲しいものは?何でも買ってあげるよ。」って夫婦できいたとき、息子が言ったのは「妹か弟が欲しい」だった。
「ボクはこの先一生おもちゃ買って貰えんでええけん、弟妹が欲しい。」
ごめんね。
あなたに弟妹をあげられないお母さんでごめんね。
子宮が無くてごめんなさい。ごめんなさい、許してね。
頭が真っ白になってしまって、親の癖に取り乱して息子に縋り付いて泣いて謝ってしまったんだよね、私。
息子はビックリして「お母さんを泣かせてごめんなさい。」って泣きだした。
親としてなってないよね、私。息子を傷つけたよね。本当にバカだった。
この前の、子供の日。夫の親・兄弟・親戚、一同が集まった席でいつものように始まった大合唱。
「一人っ子はかわいそう」「ロクな大人にならん」「今からでも第二子は遅くない」「今の医療なら、なんとかなるやろ?」
困った顔をして薄笑いを浮かべてテキトーに生返事をしてやり過ごすしか私達夫婦には方法がありませんでした。
うっかり事情が知れたら、もっと傷つけられる。ああ、仕方無いが、我慢しよう、嵐が過ぎるまで・・・そう思ってた。
その時、今年小5の息子が、鋭い口調で言い出した。
「ロクな大人の ロク って何さ?」「嫌そうに聞いてある人間に嫌な言葉を言い続けるのが ロク なんか?」
「ここにいるみんな、おれ以外はみんなキョウダイがいるロクな大人やろうもん」
「ロクな大人の ロク がこういうことなら、おれはロクな大人にならんでよか!」
「ああ、よかったったい。おれはロクな大人になれん一人っ子で」
「ちぃーともかわいそうなこと、なかやっか。一人っ子ばんざい!」
一同が静まり返ってきまり悪そうに視線をアチコチに泳がせ始めた時
「母さん、おれを産んでくれてありがとう。一人だけでも俺を産んでくれてありがとうな。」
照れくさそうに言って、ちまきを2〜3個引っ掴んで、
「△△のうちに遊びに行ってくるったい。いってきまーす!」飛び出していったよ。
次の週
「今日と明日は、おれが家事やるけん。母さんはゆっくりしときー。母の日やけん。お金かからんいい孝行やろもん。おれってあったまいー。」
今、息子は昼ごはんにとホットケーキを焼いているようです。
でもね、母の日のプレゼントは先週にもう貰ったと、私は思っているんだ。
えへへ、親馬鹿だけど、いい息子に育ってくれてうれしくて。誰かに聞いてもらいたかったんだ。
449 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 18:06:14.36 ID:yMtIrH6q0
昔友人のRから昔聞いた話。
Rの実家は猫好きな一家で、野良猫に餌をあげているうちに家中猫だらけになってしまったそうだ。
(高校の頃遊びに行ったが、ほんとにそうだった。)
住み着いた猫が仔をつくり、その仔もまた仔をつくる。一時は家庭崩壊しかけたほど猫が増えたそうだ。
そのうちの一匹の猫の話。
その猫も他の猫同様、野良時代に餌をもらい、それが何度か続くうちにRの家に住み着いた。
そして、その猫も仔を宿し、五匹の子猫を生んだ。しかし母猫は病気だった。出産後、餌は食べても吐いてしまうか、もしくはひどい下痢だった。
だが、子供はまだ小さい。母猫はじっと耐えるように五匹の子猫達を守っていた。
あまりにひどそうなので、見かねたRの母親が病院に連れていこうと近寄るが、
母猫は子供を取られると思っているのか、決して触らせようとしない。怒り狂って引っ掻いてくるのだ。
次の日、母猫はついに動けなくなっていた。出産の疲労と病気による衰弱のためであろう。
母猫の周りは、自らの汚物でいっぱいだった。
しかし、母猫はいとおしそうに五匹の仔をまんべんなくなめていた。
こいつは今日死ぬな。。衰弱しきった母猫をみてRはそう思ったそうだ。
そしてその夜、Rの母親が2階の自室で寝ていると、もぞもぞと布団の中で何かが動く。
それは子猫だった。
あれ?と思い電気をつけてみると、他の四匹の子猫たちも自分の布団のまわりにいる。
子猫たちは寒いのか、か細い声で鳴きながら布団に入ろうとしている。
そして、少し離れたところに、あの病気の母猫が静かに横たわっていた。
もう息はしていなかった。
決して子供達に近寄らせようとしなかった母猫は、最後の力を振り絞って一匹一匹わが仔をここまで運んできたのだろう。
死ぬ姿を人に見せないと言われるプライドの高い猫が、寝室の真ん中で死ぬことを選んだのだ。
子供達を託すために。
742 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/11/01(土) 22:32:59.75 ID:7gibjbMW0
>>449
クソ泣けた
453 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 18:11:16.26 ID:yMtIrH6q0
あるところに、交通事故でお父さんを失った母子がいました。
上の子は小学3年生、下の子は小学1年生でした。
お母さんは、生活を支えるために朝6時に家を出、
ビルの清掃、それから学校給食の手伝い、夜は料理屋で皿洗いと、身を粉にして働きました。
でも、そんな生活が半年、8ヶ月、10ヶ月と続くうちに、
身も心もクタクタになってしまいました。
いつしかお母さんの頭には、いつも死ぬことばかりが思い浮かんできたのです。
そんなある日、お母さんは朝でがけに子供たちに置手紙を書きました。
「おにいちゃん、おなべに豆がひたしてあります。これを、今晩のおかずにしなさいね。
豆がやわらかくなったら、おしょうゆを少し入れなさい。」
その日も1日、くたびれきって帰ってきたお母さんは、
今日こそ死んでしまおうと睡眠薬を買っていました。
そんなことはまったく知らない二人の子供たちは、すやすやと眠っています。
その時、彼女は、「お母さんへ」と書いた、1通の手紙を眼にしました。
「お母さん、ごめんなさい。ぼくいっしょうけんめい豆をにました。でも、しっぱいしました。
だからごはんに、水をかけて食べました。お母さん、あしたの朝、もういちどぼくに豆のにかたをおしえてください。
そしてぼくのにた豆を一つぶだけ食べてみてください。ぼく先にねます。お母さん、おやすみなさい。」
このお兄ちゃんの手紙を読んだお母さんの目に、どっと涙があふれました。
「ああ、お兄ちゃんは、あんなにも小さいのに、こんなに一生懸命に生きてくれているんだ。」
お母さんはそう言って、お兄ちゃんの煮たしょっぱい豆を、涙と一緒に一つ一つ押し頂いて食べたのです。
それ以来、「一粒の豆」がお母さんの宝物になりました。
あの時のことを思えば、どんなことだって我慢ができるという、お母さんだけの「秘密の宝物」なのです。
461 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 18:22:14.88 ID:yMtIrH6q0
まだ私が小さい頃、父と母がすでに他界していたためおばあちゃんが私と兄を育ててくれていたのですが、
遠足などある時はいつもおばあちゃんの手作りお弁当を持って行きました。
でも当時おばあちゃんが作るお弁当はおにぎり2こだったので、
同級生の子達のかわいらしいたくさんおかずが入っているお弁当がうらやましかったんです。
お弁当箱もキティーちゃんとかマイメロディーなどのかわいいお弁当箱なのに、
私は銀紙で包んだおにぎり2つだったので、おばあちゃんに対して
「こんな変なお弁当つくらないでよ」
「はずかしいからやだ」とはき捨てたり、せっかく作ってくれてもわざと持っていかなかったり。
そんな酷い孫に対して、おばあちゃんは決して叱ったりしませんでした。
そんなある日、1度かわいいスヌーピーのお弁当箱にハンバーグや玉子焼きが入ったお弁当を作ってくれました。
おばあちゃんなりに他の子達はどんなお弁当を作ってもらっているのか一生懸命考えて作ってくれたのです。
おばあちゃんは、「ごめんね、かわいいお弁当っておばあちゃんの時代なかったからわからなかったのよ・・・
これなら恥ずかしくないかねぇ」としわしわのとても暖かな手でお弁当を手渡してくれました。
今思い出すだけで、私はおばあちゃんになんて酷い言葉を吐いていたんだろう、
なんて最低な子供だったんだろうと涙が出てきます。
おばあちゃんのおにぎりだって、本当はとってもとってもおいしかったのに、
「おいしかったよ」の一言も言わなかった。
本当にこんな酷い孫でごめんねおばあちゃん。
今私は結婚し、子供にも恵まれました。
おばあちゃんに曾孫を抱かしてあげる事ができ、幸せそうなおばあちゃんの優しい笑顔を見ると
これがあの頃の恩返しになれば私も幸せに思います。
うちの子はおばあちゃんの作るおにぎりが大好物なんですよ。もちろん私もです。
ありがとうおばあちゃん。ずっとずっと長生きして下さい。
大好きです。
465 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 18:27:34.99 ID:mv7j/nJ50
今年、母が亡くなった。
遅い反抗期だったと思う。中学生まで親に逆らわず良い子だった俺が、高校生になり急に親に反抗するようになった。
母親には罵声を浴びせ、家に帰らない日々が続いた。
高校卒業と同時に家出同然に実家を出た。最初のうちはそれでも住所くらいは伝えていたが、住所を何度か変えるうちいつの間にか両親との連絡は一切途絶えてしまっていた。
唯一電話番号を教えていた(それでも一切連絡のなかった)弟から電話が来たのは、俺の彼女のお腹に子供がいることが判明した今年2月の事だった。
母が倒れたと言う。
両親に対する反抗心はもうなかったが、いまさら帰るのは正直億劫だった。母が深刻な状態などとは思ってもいなかった。それでも行く気になったのは、彼女を紹介しようと考えたからだ。
母親が亡くなったのは、翌日俺たちが高速道路を走っている頃だったらしい。
久しぶりに会った親父はひどく小さな背中をしていた。相変わらずの無骨な声で、「よう」だか「おう」だか一言発しただけだった。
母は俺の記憶とは全く違う老いた顔で、それでも安らかな表情で眠っていた。涙は出なかった。
葬儀も終わって一週間位たった頃、親父から俺宛にひとつの段ボール箱が届いた。
中身は父の無骨な字で書かれた「母さんの形見だ」というメッセージと大量の手紙、そして、ひとつの指輪だった。
百通以上はあろうかという手紙は、すべて母が俺に宛てて書いたもので、 俺が家を出た頃から書いていたらしい。
母らしい丁寧な字で ひたすら俺のことを心配する、そして自分の不甲斐なさを俺に詫びる内容だった。
それらの手紙は、親父らしからぬ几帳面さできちんと順番に梱包されていた。
同封されていた指輪にも一通の手紙が添えられていた。「この指輪は、私のお母さん、つまりあなたのおばあちゃんの形見です。
私が結婚するときにもらったものです。あなたにいい人ができたら、この指輪をプレゼントしてあげてください。私の両親や私たちのように、幸せな家庭を築いてください。」
俺は指輪と手紙を彼女に渡して、黙って寝室に行った。
しばらくして彼女が真っ暗な部屋に入ってきて、俺の背中に背中を合わせて座った。すすり泣いていた。
その時、「あぁ、泣いてもいいんだ」と思った。
涙が出てきた。止まらなかった。母さんごめんな。そしてありがとう。
生まれてくる娘の名前には、あなたから一文字頂きます。あなたに返せなかった愛情を、そのぶんこの子に与えられるように。
そして、あなたの優しさや強さをこの子に伝えるために。
472 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 18:38:35.61 ID:mv7j/nJ50
「乳母捨て山」の話聞いたことありますか?
年老いた親を、子どもが背負って山に捨てるというやつです。
大昔、貧しさから本当にその風習があったそうです。
そしてこんなことがありました。
背負われている間、親は山の木の枝を折って落としましました。
やせこけた腕を一生懸命のばして、一本一本、折り続けました。
山奥に着き、自分を捨てて去っていく我が子に、親は言いました。
「目印に木の枝を折ったから迷わずに下るんだよ」
親ってこういうものです。
478 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 18:50:23.19 ID:mv7j/nJ50
兄貴へ、愚弟より。
あんたが死んで4年になる。記憶が日に日に薄れていっていたのが解る。
他力本願だけど、2ちゃんねるのこのスレを見てあんたの事を思い出した。13も年が離れてたせいか、あんたとはケンカをしたことが無かったな。
いつも俺が殴られて、泣かされてた記憶しかねーよ。
俺がヘッドホンしながらゲームしてた時に突然怒りながら怒鳴り込んできて 「何度も電話してんのになんででねぇんだこのツ○ボ!」とかわめきながら俺の電話を壁に叩きつけて壊してくれた事も覚えてる。いまだに弁償してもらってないからな。
あんたが病気で倒れ、そして死ぬまでの4年間、俺はあんたにほとんど会いに行かなかった。
それでもあんたは俺が見舞いにいくとめちゃくちゃ嬉しそうな顔して「元気か、体壊してないか」とか声をかけてくれたな。
俺が大学を中退して仕事するって言った時、あんたは本気で怒って抗議したな。「お前の未来はお前のために使え」ってな。
俺が大学を出て遠くに働きに行く時、あんたはお守りをくれた。
その仕事に挫折して1年でむざむざ帰って来た時、あんたはにっこり笑って 「お帰り。一人は辛かったか?」ってねぎらってくれたな。
あんたが生きてる時はあんたの言葉の重さとか、ちっとも考えてなかった。
あんたの目が見えなくなり、耳が聞こえなくなって、俺達と話が出来なくなっても、あんたは俺達が来たら喜んで「元気だったか」っていってたな。
ごめんな、兄貴。
あんたが死んだ日、俺は彼女と二人で遊園地いってた…
その日は親が「病院に一緒に行こう」って行ってた日だったんだけど、俺は彼女と遊びに行くのを優先しちまったんだよな。後悔しても始まらないけど、あん時行ってれば良かった。悔しいよな。
あんだけうざいと思ってた兄貴なのに、4年経った今では、あんたが残してくれた言葉ばっかりが実感出来るよ。俺があんたの死に目に遭わなかった事を、あんたは怒らないだろうと思う。「自分の未来は自分の為に使えよ」って笑って済ますんじゃないかと思う。
それは俺の思い過ごしかもしれない。
自己満足かもしれない。
けど、俺はそう思える。くそったれ、俺は一生あんたに勝てねーよ。帰ってこいよ。そしてまた一緒に焼肉食いたいよ…
480 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 18:53:26.76 ID:mv7j/nJ50
ウチの兄弟は、俺26才・アニキ30才かな?生きていたら。
アニキとは昔から仲が良くて、厨房の時にタバコと酒教えてくれたのもアニキだし、なにかある度にいつも一緒だった。
俺が18のときに実家を離れ大学に行った頃からも、俺が実家に帰ると一緒に飲みに行ったり、くだらない事でも何でも話してずっと笑ってた。
朝までゲームをしたこともあったっけ。
一番の親友だった。・・・・
そう、「だった」んだ。
俺が23のとき、アニキが27のとき。突然アイツは死んじゃった。
事故だったんだけど、半分は殺されたようなもの。
3年経った今もなんか気持ちに整理がついていない。
来年、俺はアニキと同じ年になる。年はあなたに追いつき・追い越しそうだけど、いつまでも俺のアニキだよ。
上から俺のこと見ててな。今はまだまだやることがあってそっちには行けないけどさ。
・・・今結婚を考えてる人がいます。アニキが実現寸前だった結婚。
来年、アニキの年に追いついたら結婚のこと真剣に話を進めるつもり。だから、まだまだそっちには行けそうに無いな。
またいつか逢うことができたなら、飲みにでも行って二人で潰れような。
あっちの世界から見守っててください。
応援してください。 たまには夢にでも出てきてな。
それじゃあ「またね」。
483 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 18:57:08.82 ID:mv7j/nJ50
自分には、手足が不自由な弟がいました・・・・
学校へ行っても手足のことでイジメられるので、登校拒否が何回もありました。
そのたびに自分は弟をなぐさめます。
「大丈夫、イジメられたってちゃんとイジメてくれない仲間がいるじゃないか」と言う度に弟は元気をとりもどし、ちゃんと学校へ行ってくれました。
しかし、ある日不幸な知らせが届いたのです。それは下校途中に弟が軽トラックにはねられたという知らせでした。
それを聞いたとたんに自分は家を飛び出し、走りました。「死ぬなよ・・・・頼む・・・」そう願いながら走りつづけました。
しかし残念なことに自分の願いが届かず、弟は亡くなりました・・・・
そのとたんに涙がこぼれ、ずっと視点があわない目で死んだ弟を見つめていました。
それから一年間たったある日、家の掃除を手伝い、弟の使っていた机を開けたとき一通の手紙らしきものをみつけました・・・
内容は一言だけ。
「いつもありがとう」と、震えた字で書いてあり、手足がつかえない事を考えると口で鉛筆をくわえて書いたとおもえました。
すると自然にまた涙がこぼれ手紙に落ちました・・・
「お礼をいいたいのはコッチのほうだよ・・・」涙で顔がクシャクシャになりながらもずっと、「いつもありがとう」の字を眺めてました。
487 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 19:03:35.06 ID:mv7j/nJ50
もう何年も前になる。
中学生の弟が鏡の前で一人で笑ってるのを見掛け、吹き出しかけた。
服や髪に気を遣いだし、彼女が出来たと喜んでた時期だった。
だから、今度は笑顔を作る練習でも始めたのか?と考えた。
9つ離れてるから弟が生まれる前から知っていて、あの赤ん坊が大きくなったもんだと、兄貴面して見なかったことにしてやった。
その後もそういう姿を幾度か見掛けた。
どれだけ経ってか、弟と喋るうちにやっと理由が分かった。
前に法事で親戚が集まったときに、みんな口を揃えて「○○(弟)は笑ったらお父さんにそっくり!」って言ってたんだよ。
俺から見ても、確かによく似てる。
父が死んだのは弟がまだ幼いときで、弟は父の顔を憶えていない。
父は写真を撮られるのが苦手だったから、笑顔の写真が一枚もない。
弟は普段、誰かが父の話をしても、大して興味なさげにしてるだけだった。
だから、記憶に残ってなきゃこんなもんかと寂しく感じたこともあった。
でも、そんなわけないんだよな。
弟は、ああやって父に会ってたのかと思うと、なぜか弟に申し訳なく切なくなる。
あの時、からかわなくて良かった。
495 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 19:32:37.98 ID:mv7j/nJ50
三年前死んだ祖父は末期になっても、一切治療を拒み医者や看護婦が顔を歪めるほどの苦痛に耐えながら死んだ。
体中癌が転移し、せめて痛みを和らげる治療(非延命)をと、息子(父)や娘たち(伯母)が懇願しても絶対に首を縦に振らなかった。
葬式の後、親しかったご近所の将棋仲間が家族に宛てた祖父の手紙を渡してくれた。祖父が生前用意していた物だそうだ。
手紙の中には自分が家族を悲しませ、苦しませるのを承知で苦しみながら死んだ理由が書かれていた。
20年近く前、孫の一人が生存率20%を切る難病で闘病していたとき、祖父は神様に誓ったのだそうだ。
自分は今後どんな病気や怪我になろうとも、絶対に医者にもかからないし薬も飲まない。
だから孫を助けてくれと願を掛けたのだそうだ。
幸いその孫は無事手術も成功し、成長して成人もした。孫の成長を見届けること画できたのだからもう思い残すことはない。
あとは神様との約束を果たすだけだ。だから家族は悲しまないで欲しい。自分は満足して一生を終えるのだから。
そう綴られていた。
孫は当時一歳にもならない赤ん坊で、病気だったことも覚えていない。祖父は自分の決意を貫いて一生を終えた。
その孫である兄は葬儀でわんわん泣いていた。もちろん、兄弟もみな泣いた。
うまく書けないのが悔しいなあ。本当に祖父はすごい人だったんだよ。
497 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 19:48:47.05 ID:mv7j/nJ50
人生に疲れたってガイドライン
この前人生に疲れたんですよ、初めてね。で、生まれて初めて命断とうとしたわけですわ。
正直最初は自殺って簡単だと思ってたのよ。みんな普通に自殺してるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは人がするもんじゃない。悪魔だね、悪魔がさせるものだよ。
最初に薬飲むときさ、めちゃめちゃびびって錠剤そろ〜って口に入れて酒そろ〜って飲んだのよ。10秒くらいかけてさ。
でなんか怖くなって意識無くなっちゃったのさ。
そしたら遠くから「もっと名前呼んで!」とか聞こえるの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。だから生きたいと思ったのさ。えぇ、そりゃもう握りましたとも。全てを忘れて親の手握ったよ。
挫折とか絶望とか暗闇とか色々忘れてね。だって皆が帰って来いって言ったからね。そしたらエライ事になった。
もうすごい握力。すごい力。510くらい。ドラクエならアリーナにバイキルト並。
それで横見たら両親がすごい勢いで俺の事見てんの。ホントごめんなさい。
正直「こんな人生意味ないぜ!」なんて見栄張らないで素直に両親の愛に気付いていたらよかったと思ったよ。心の底から親不孝した事を後悔したね。
だから病院でて両親に「俺に二度目の命をくれてありがとう。今度は大切にする。」とか言っちゃてんの。
ホント俺ってダメ人間。両親に助けられた。
502 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 20:16:50.92 ID:mv7j/nJ50
昨日残業して2時頃帰ったら、リビングに行き倒れ状態の嫁と娘が。
嫁の手にはクラッカー、娘の手には「ぱぱおにんじょびおめでと」
のカードが。部屋はお誕生日パーティの飾りが、冷蔵庫には食べかけの
俺の大好物のラザニアとケーキ(どちらも普段は太るからと、めったに
食卓には上がらない)とシャンパンまで・・・
残業だから先に寝てろって言っといたのに。泣きながら布団かぶせたら
嫁が起きて、「ごめん、1時までがんばったんだけど・・・」その声で
娘も起きて寝ぼけ眼で「パパあけましておめでとう」また泣いた。
515 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 21:29:49.50 ID:5CgeEFMOO
昨日夢を見た。
嫁の「起きろー!」と言う馬鹿でかい声で目が覚める。
テーブルには娘がもう嫁が作った朝ご飯を食べている。
嫁が「はいよっ」と眠気覚ましのコーヒーを入れてくれる。
ちょっと味が濃い。でもものすごくうまい。俺の好きな味をよく知ってる。
会社に行く支度して嫁にネクタイ締めてもらって「はいっ、いってらっしゃい^^」
と背中をポンと叩かれ「いってきまーす」と玄関を開けたとこで娘の「起きろー!」という声で夢から覚めた。
娘「お父さんニヤニヤして寝てたよ」
娘「良い夢でも見てた?」
俺「うん。お母さんに久しぶりに会ったよ」
娘が眠気覚ましのコーヒーを入れてくれた。夢と同じ味がした。
遺影の嫁がいつもより笑ってる気がした。
520 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 22:27:58.90 ID:EOmLx+UX0
J( 'ー`)し
自分が多少つらくても、腰痛くても頭痛くても、子供が元気にしてくれてるのがすごく嬉しいの。
元気そうな子供の姿見たり声聞いてるとね、本当に嬉しいの。
別に感謝してくれたり、無理に気にかけてくれたりしなくていいの。
苦労して育てた自分の子供が、自分の足で立って人生歩んでくれることが、何より嬉しい。
悩んでる、行き詰ってる子供を見るのは本当につらい。
何とかしてあげたい、どうにかしてあげたいんだけど、私じゃ何もしてあげられない。
余計な口出ししちゃって、後悔する事もある。
アナタにはアナタの考えがちゃんとあるのにね。
でも、見守るだけしかできないのはつらい。苦しんでる姿見ると、心が張り裂けそうになる。
親なのに、何でこんなにも、何もしてあげられないんだろうって、情けなくなるよ。
今楽しいアナタへ。アナタが楽しく生きているという事実が、お母さんの生きがいです。
今苦しいアナタへ。何もしてあげられなくてご免なさい。頼りなくて本当にごめんなさい。
でも、つらくても生き抜いてください。
お願いだから、自暴自棄になったり、自分を卑下したりしないでください。
生きる場所は必ずあります。生きる道は必ずあります。
アナタが、もがいて、もがいて。そこに辿り着くことを毎日祈っています。
私にできることが何かあるなら、どうか言ってください。
誇大表現でも何でもありません。アナタが強く生きてくれることが、お母さんは自分の命よりも大事です。
関連→親孝行したくなるコピペ
521 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 22:31:54.05 ID:/k8EfAAM0
16 名前:水先案名無い人 投稿日:2004/03/21(日) 02:24 ID:ykGfugCI
志村へ
この手紙をもって俺のコメディアンとしての最後の仕事とする。
まず、俺の芸能人生を解明するために、DVDを買うようお願いしたい。
以下に、コントについての愚見を述べる。
コントを考える際、第一選択はあくまで「笑いを取れば勝ち」という考えは今も変わらない。
しかしながら、現実には若手芸人の多くがそうであるように、他人をバカにして笑いを取ったり、
素人にツッコミを入れるだけで内輪受けに走っている事例がしばしば見受けられる。
その場合には、企画段階から綿密な計算と準備が必要となるが、残念ながら未だ満足のいくコントには至っていない。
これからのコントの復活は、綿密な企画立案、それとライブの復活にかかっている。
俺は、志村がその一翼を担える数少ない芸人であると信じている。
能力を持った者には、それを正しく行使する責務がある。
志村にはコントの発展に挑んでもらいたい。
遠くない未来に、素人いじりや他人をこき下ろすコメディがこの世からなくなることを信じている。
ひいては、俺のネタを研究した後、計算された笑いの一石として役立てて欲しい。
リーダーは活ける師なり。
なお、最後に、 お笑い芸人でありながら、多数の人を泣かせて旅立ったことを、心より恥じる。
いかりや長介
523 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 22:47:14.42 ID:ZKFxVvC10
383 :枯れた名無しの水平思考:2007/09/04(火) 19:48:35.11 ID:Plh7Kwol0
【理想】
俺「おかえりんこ」
妹「ただいまんk…………ふぇ、お兄ちゃんのえっち///」
俺「///」
【現実】
俺「おかえりんこ」
姉「はいはいまんこまんこ」
俺「(゚д゚)」
390 :枯れた名無しの水平思考:2007/09/05(水) 00:32:57.49 ID:lPn/sl7g0
【我が家】
俺「お、おかえりんこ!」
母「いつかお前に『おかえり』って言ってやれる日が来るといいねぇ・・・」
俺&母「(´;ω;`)」
580 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2008/11/01(土) 04:07:08.93 ID:e8KXPqJ+0
194 :おさかなくわえた名無しさん:2008/01/15(火) 15:55:19 ID:Y8fUZdE8
昼食に寄ったファミレスでの話し。
長文すんまそ。
俺の隣の席にお母さんと3〜4歳ぐらいの男の子が座った。
あーうるさかったら嫌だなーと思いながら、自分の
オーダーを待ってた。
すると、その隣に座った親子の会話が聞こえてきた
母「○○は、お子様ランチでいい?」すると、子が
内緒話をするように母の耳に手を当てて(丸聞こえな訳だがw)
子「そいでいい」
母「もう少し声出してもいいよ。」
子「そいにする(笑顔)」
全ての子供がうるさいと思った俺謝れと自分に言ったよ。
で、料理が運ばれてきて食べてると
子「楽しいねお外でごあんは楽しいね」
と母とニコニコお行儀良く料理を待ってた。
親子の所に料理が運ばれてきて、
子「かあしゃんいたあきますするよ」と母を促しててホノボノ。
195 :おさかなくわえた名無しさん:2008/01/15(火) 16:06:55 ID:Y8fUZdE8
俺は食事が終わりコーヒー飲んでそろそろと思った時、隣の席から
子「ごちそうめちた」って元気な声が聞こえた。
こうやって、子供育ててるってスゲーななんて思ってたら、
母「今日はデザート半分こしようね」とデザートをオーダーしてた。
最後までちょっと親子を見てみたいと思い、ゆっくり新聞読みながら
コーヒーを飲んだ。
親子の元にデザートが届き、チラ見すると子が「あんまとめした」
とウェートレスにお礼してて、キューンとなった。
母「きれいだね。楽しく食べようね」
子「あんまとめした。かあしゃんあんまとめした」
と母親にもお礼を言ってた。
すると、母親が「帰ったら、とうちゃんにもありがとうって言おうね」
子「うん、とうちゃんあんまとめした」
ってデザートに拝んでて、あー躾って素晴らしいなと思ったよ。
ここらへんまでしか見てないけど、今日ほど結婚したいと思ったこと
は無かった。
長文スンマソ 読んでくれたら「あんがとめした」
583 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/11/01(土) 04:19:36.37 ID:e8KXPqJ+0
56:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/07/05(木) 08:10:24.60 ID:Jg+AcEeL0
生きててもさ、無駄なんだよ、俺。
きっと何しても上手くいかないんだよ。
ただダラダラと生きててさ。
いっそ本気で死んじまおうかな。
58:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。2007/07/05(木) 08:12:48.05 ID:peSyhKq70
死んでもいいけど。とりあえず、自分のレスを縦読みだな。
自分の心の声に気付いてやれよ。
60:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/07/05(木) 08:14:34.40 ID:Jg+AcEeL0
…もっかいバイト探して見る。
ありがと。
587 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/11/01(土) 05:30:44.95 ID:TYj3udjYO
>>583
こういうネット限定のもいいな
586 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/11/01(土) 05:23:28.57 ID:odawGmXW0
やっと全部読み終えたと思ったら朝になってた
涙と長時間PCのダブルパンチで目が痛い
私童貞だけど愛って何なのかちょっとだけわかった気がする
604 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/11/01(土) 09:48:14.00 ID:Arg+2ANV0
去年の秋、新車を購入するため、5年間乗ったカローラを手放すことになった時、
小1だった長男は声をあげて泣きました。長男は妹と一緒にトランクの中に
「カローラへ。いままでいろんなところにつれていってくれてありがとう。これからもげんきでね」
と書いた手紙をしのばせ、カローラとお別れしました。
それから9ヶ月余りが過ぎた先日、郵便受けに「カローラより」
と書かれた長男と妹あての手紙が届きました。
その手紙には
今カローラは新しいオーナーの赤ちゃんを乗せて毎日元気に走っていること、
その赤ちゃんが手紙をくれた2人のように優しい子になってほしいということが書かれていました。
605 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/11/01(土) 09:48:19.72 ID:gVOi4UG40
おれが小学生の時、事故で両親が死んだ。
その後親戚中をタライ回しにされた。おれが「高校入学を機に1人暮らしを始めたいです」と言うと、
親戚のヤツは「好きにしろ。」と二つ返事で文字通りおれを放り出した。
金も貰った。300万。おれの家を売ったし貯金とかもっとあるはずだが、おれはなにも言わずにそこを飛び出した。
なによりその場所が耐えられなかった。
そして1人で暮らし始めた。そして高校2年の時に知り合った友達の家に初めて遊びに行った時。時間が遅くなって晩ご飯をごちそうになることになった。
友達の家は、親父さん、お母さん、友達、弟の4人家族だった。おれを入れて5人の食卓には、ごはん、味噌汁、にくじゃが、あとよく判らない煮魚みたいなものが並んだ。
おれは「うまい!うまい!」と連発して食べた。
友達「そうか〜?こんなん普通だよ?」
おれ「なに言っとるんだ、こんなん毎日食べれるなんて羨ましいて!」
おれ「炊きたてゴハンなんてすっげーゼイタクだて!」
それを聞いていたお母さんが「○○くん、いつもどんなもの食べてるの?」と聞いてきた。
おれは「いつもバイト先でまかない食ってます。あと家だとおにぎりとかパンとか、ラーメンとかです」と答えた。
お母さん「・・・お母さんはいらっしゃらないの?」
おれ「あ、おれ両親いないんすよ。昔事故で・・・。ハハッ。(笑)」なるべく気を使わせないようにサラッと言ったつもりだった。
ところがお母さんはいきなりおれの手を両手で握ってきた。
おれがビックリしてると、涙目で「○○くん、困ったことがあったらうちに来るのよ」って言った。
なんだか分からないけど、おれも泣けてきた。家族なんて欲しいと思ってなかったけど、その友達が本当に羨ましかった。
この時のめしの味が今でも忘れられない。それからもそいつの家にはバイトの休みの日にゴハンを食べさしてもらいに行った。
いつもタダメシじゃ悪いから、一度お金を持っていったら、逆に怒られた。「子供が余計な気を使わなくてもいい」って。
でもうれしかった。
615 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/11/01(土) 11:23:19.14 ID:gVOi4UG40
入社4年目で初めての結婚記念日の日。社内でトラブルが発生した。
下手したら全員会社に泊まりになるかも知れないという修羅場なのに、結婚記念日なので帰らしてくださいとは絶対に言えなかった。
5時を回った頃、T課長が俺を呼びつけ、封筒を渡して、
T課長
「これをK物産に届けろ」
と言う。K物産は、隣の県にある得意先で、今から車で出ても8時までに着けるかどうかすら分からない。
T課長
「届けたら直帰していいから」
と言うが、直帰も何も、K物産に届けて家まで帰ったら、きっと11時は過ぎるだろう。文句を言いたかったが、
俺
「わかりました」
と言って封筒を預かった。中身を見ようとすると
T課長
「中身は車の中で見ろ。さっさと行け!」
とつれないT課長。
不満たらたらの声で
俺
「行ってきます」
というと、課内の同情の目に送られて駐車場へ向かった。
車に乗り込み、封筒を開けると、一枚の紙切れが。
「結婚記念日おめでとう。今日はこのまま帰りなさい」
と書かれていた。
会社に入って初めて泣いた。
616 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/11/01(土) 11:25:30.32 ID:gVOi4UG40
昔、俺ディズニーランドでバイトした事があったんだけど俺はグッフィーのキグルミ着てビッグサンダーマウンテンの近くで愛想振り撒くって役どころな訳よ。
だっりーなと思いながら写真撮られたり握手求められたりしてる中でいきなり一人の中年女性が深々と頭を下げたのね。
俺何かな?と思ったら「写真映って下さい」って。待てよおい。こいつら先だべ?って思ってたら
母親の向こうに車椅子に乗った俺より五歳は若い女の子がドキドキといった表情で俺のこと見てる訳よ。
一瞬で分かったんだ。こっちに来れないんだって。ビッグサンダーマウンテンの近くって段差が多くて車椅子じゃ来れないんだよな。
一旦、一般の人にゴメンねのポーズしながらその車椅子の女の子の所に行ってやると女の子が凄い目を輝かせてる訳。
このコ、本当にグッフィーが好きなんだなと思うと同時にちょっとしたアドリブを思いついてさっき並んでた人においでおいでのアドリブしたんだ。
折角だし集合写真みたいにしようってね。
待ってた人もノリノリでこっち来てくれて一緒に映ってくれたんだ。
最後に女の子に(早く直るといいね)ってアドリブをしたらそのコの母親がいきなり号泣したんだよ。
え?って思って必死で(泣かないで)のポーズしたらさ。
今度は女の子の方が泣いちゃって必死でなだめてその時は事無きを得たんだ。
後でわかった、その子白血病だか何だかで歩く事も出来ないんだって。
それで最後にディズニーランドを見たいって母親にいったらしい。
それ事態無理に近い事なんだけど母親は強引に看護婦を説得してここに来たらしい。乗り物に乗る事が当然出来ないからただ園内を見て回るだけ。本当は乗りたかったんだろな。ビッグサンダ-マウンテン・・
その子が一番好きなキャラがグッフィーみたい。だからあの時の集合写真と俺のお祈りが凄く嬉しかったって・・・
後日先輩がくれた俺宛の手紙を読んだ。その母親、病室にその時の集合写真飾ってるんだと。
女の子もそれを見ながら嬉しそうに病気と闘ってるみたい。
バイト辞める前に病院聞いてキグルミでお見舞いに行ってやればよかったな。まだ生きてるかなぁ?生きてて欲しいなぁ・・・
頑張って元気になって、 そしたら今度は俺がビッグサンダ-マウンテンに乗せてやりたい。
毒男だから拒絶されるかもだがな’A`
642 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/11/01(土) 14:30:32.08 ID:gVOi4UG40
著書「知覧特別攻撃隊」より。
遺書
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母を慕いて
母上お元気ですか
永い間本当に有難うございました
我六歳の時より育て下されし母
継母とは言え世の此の種の女にある如き
不祥事は一度たりとてなく
慈しみ育て下されし母
有り難い母 尊い母
俺は幸福だった
遂に最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
幾度か思い切って呼ばんとしたが
何と意志薄弱な俺だったろう
母上お許し下さい
さぞ淋しかったでしょう
今こそ大声で呼ばして頂きます
お母さん お母さん お母さんと
相花信夫 少尉 第七十七振武隊
昭和二十年五月四日出撃戦死 十八歳
654 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/11/01(土) 15:15:40.35 ID:gVOi4UG40
あゆみ結婚おめでとう。
今のお前はまだ5歳です。
昨日は「お父さん大好き」
今日は「お父さん大嫌い」
と言われました。
明日はなんて言われるかな(笑)
そんなあゆみがどんな立派な大人になって
どんな人と結婚したのか見れないのはとても残念です。
あゆみの横にいる旦那さんは良い人かな?
お父さんに似てたりして(笑)
あんまり長く書いても仕方ないのでまだ見ぬ旦那さんへお願いがあります。
約束は1つだけ。
・あゆみより先に死なない事。
これだけです。
結婚式で不謹慎と怒られるかもしれませんが
嫌いになって別れても、浮気して別れても構いません。
でも絶対に死なないで下さい。
私の妻と同じ思いをあゆみにさせないで下さい。
これだけを是非皆さんの前で誓って下さい。
お願いします。
あゆみがもしお母さんに似てたらちょっと恐妻家?かもしれませんが(笑)
あゆみを支えてあげて下さい。
あゆみも旦那さんを助けて幸せな家庭を築いて
いつまでも仲良く人生という長い道を歩んで下さい。
5歳のあゆみはよく笑っています。
この笑顔をいつまでも忘れないで欲しいと心から思います。
父より
PS
孫が出来たら1度はお墓の前まで連れて来て下さい。
682 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/11/01(土) 18:03:13.43 ID:gVOi4UG40
父親が発売日にFCの4を買ってきた。
私と弟とで順番にクリアしたあと、父親はなぜかずっと
4章のトルネコの序盤(店でひたすら武器とか売りまくる)を続け、
それだけで5万も6万もゴールドを貯めていた。
思えば父親は2でも全員のLVをMAXまで上げたり
単純作業が好きなのかなと思っていたが
もう、一度クリアしてしまったそれらのゲームで
また私や弟が遊ぶときにキャラが強かったりお金が多いと喜ぶだろうと
それだけのためにちょっとズレた愛情表現をしてくれていたってことがわかった。
私も弟も成人し、実家を離れて生活をしていた頃、父が入院した。
お土産に、なぜか私はGBAとGB版のDQ1&2、そして3を買って持って行った。
父は骨と皮だけになっていた。
私がお土産を渡すととても喜んで、ヒマな入院生活をそれと共に過ごしたらしい。
もう、子供のために単純作業続けなくてもいいんだよ、お父さん。
いっぱい冒険してね、お父さん。
父は普通の食事が喉を通らなくなり、DQ3のパーティにこんな名前を付けた。
勇者コロッケ 武闘家つくね 僧侶とんかつ 商人おでん
「はよ元気になってこれ食べたるねん」と笑う父。
ガリガリに痩せた父の姿を見たのはこれがさいごだった。
今では食べられなかったあのころのカタキをとるかのように体重も激増!
ムチムチ状態で「8まだ出えへんか!」と電話してくる父です。退院おめでとう。
684 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/11/01(土) 18:06:02.95 ID:gVOi4UG40
人の一生を時計一周24時間に例えたお話がある。
君達は夜中の0時に正にこの世に生まれた。この世に生を受けた。
人の寿命を70歳くらいと考えたら、3年を一時間として、
朝6時、もしくは7時。君達はいまやっと朝を迎えたくらいでしかない。
大学をでて、社会にはいってちょっと経ってもまだまだ朝9時でしかないんだ。
社会ではまだまだ青くて到底使える人材でもない。
楽しみに満ちながら君たちの成長をみてきた君たちのお父さんやお母さんは
君たちが自分の時計で朝の2時や3時の頃、もう既に昼の2時や3時になっていたんだ。
今はどうだろう。もう夕方5時、いや6時を過ぎているかもしれない。
今から彼らはやり直しがきくだろうか。あと6時間も無いのだ。人生は6時間も無いのだ。
日は沈んでしまったのだ。
では君達はどうだろう。みんなまだまだ朝6時や7時じゃないか。
やり直しなんていくらでもきく。
何回やり直したって、朝8時くらいでしかないじゃない。
一番悲しいことは、ここで自分の時計を無理やり止めてしまうことなんだ。
可能性はまだまだ秘められているのに、まだまだ一日はこれからなのに、
太陽の燦々とあたる昼に向けて準備をする時間でしかないのに、
自分の時計を止めてしまうことなんだ。
親は望んでいるだろうか?友人は望んでいるだろうか?
君たちの輝かしい未来を、本当に今から始まる君たちの未来を、
止めてしまうことを望んでいるだろうか?
君は望んでいるだろうか?
どうか、一番悲しい選択だけはしないで。
君たちへの最後の言葉です。頑張っておいで。
編集元:ニュー速VIP板
http://yutori.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1225344684/
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読んだことあるやつばっかだったからずっと我慢できてたのに、>>642で崩壊した
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J( 'ー`)しカーチャン・・・
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こう見るとやっぱ命って重いよな
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>>2
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だめだ… - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 10:48
日曜朝から顔面グシャグシャになったが全く後悔はない
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休日出勤して朝から出てきたんだけど仕事にならないわ
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親族が死ぬ、思い出の品が残る、激しく後悔する
の3点が共通点なのかな
>>300みたいなやつを期待してたんだけどな - 名前: 投稿日:2008年11月02日 11:03
思い出は美化される
うらみは風化する - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 11:05
復活おめ
- 名前: a 投稿日:2008年11月02日 11:07
今俺も高校生で母さんに弁当作ってもらってるんだけど
弁当は全然普通なのに俺の我侭で何でもっと肉いれないんだよとかもっとうまいの作れよとかいっつも弁当のことで母親に文句ばっかり言ってる・・
そんなんだから>>2見て泣いたね。本当に。生まれて初めてPCの前で大泣きしたよ
俺の母さんも体弱くて月1くらいで病院行ってるんだ。頼むから死なないでね。長生きしてね。
俺もう絶対文句なんか言わないから。勉強もして心配させない。親孝行もする。
直接じゃ絶対言えないからここで言います。
いつもありがとね母さん - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 11:08
弁当系は反則だよ・・・ウッ
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 11:10
ベア速さん復活待ってました
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 11:14
あーなんで俺朝っぱらから目汁垂らしてるんだろ・・・
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 11:24
感動しました!
そして、復活おめ!!! - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 11:31
なげーよ、馬鹿。
最後までちゃんと読んじまったじゃねーか。 - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 11:41
出かける前に見るんじゃなかった
せっかく化粧したのに顔中真っ黒ボロボロだどうしてくれる - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 11:51
読んだことあるものばかりだってのに、泣けすぎて全部読めない。
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 11:57
画面がにじんで全部読めそうに無い
続きは又今度絶対に読む - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 12:00
米23
この書き込み見てないと思うけど、言ってあげて。
「今日の弁当も美味しかったよ、いつもありがとう」この一言で良いから勇気出して、早口でも良いんだ。
言っちゃえばスッキリする、言っちゃえばなんて事ない。その一言で母親はすごく嬉しいんだから。
言えなかった事を後悔する前に言ってあげて。
ゆっくり時間かけて読んでしまったww顔がぴがぴだ。どうしてくれる管理人。
何回か読んだ事ある話も多かったけど読めて良かった。
情けない事に普段感謝の言葉は口にせず、文句しか垂れない自分にとってすごく有難いスレです。
スレ主さん、コピペ貼ってくれた方々、そしてまとめてくれた管理人さん、どうもありがとう。
はーマジレスしてしまった。まとめ乙です、ありがとう - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 12:04
既出ばかりなのに泣いてしまうこの不思議
- 名前: 投稿日:2008年11月02日 12:10
親がまだいる奴は、読んで泣く暇があったら今すぐ親孝行しろ。
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 12:13
こんな俺でも涙が出るんだ
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 12:14
馬鹿かーちゃんいるまえでこんなん見せんじゃねーよ
重ね合わせて見てしまって俺が泣いちまうだろうが - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 12:17
>>1で限界だったから>>2読んだら5分休憩してトイレットペーパー丸ごと持ってきてやったわ
てか俺の母ちゃん、体弱くて日記付けてて家事全般を「こらぐらい大丈夫」って言いながらやってるんだけど
フラグ立ちまくりなんじゃ・・・ちょっと買い物に付き合ってくる - 名前: ボブ 投稿日:2008年11月02日 12:18
いつも泣けるのも知らないのもあってまた泣けた。
いい話をありがとう。
年々涙もろくなってくるなwww - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 12:30
色々と泣かせてもらったけど、グッフィーがもどかしくてしょうがない。
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 12:32
禿同wwwグッフィーってなんだよとオモタwww
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 12:53
今夜は実家で両親とゴハン食べるよ。
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 13:01
>>12からずっと画面が見えなかった
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 13:18
これ読んで一年前無くなった母の携帯電源入れてみた
ずっと机の上に放置でホコリかぶってたけどさ
俺へのメール見たら
「学校いけた?外いい天気だよ。家にいるともったいないよ」ってさ
俺不登校気味でゲームの発売日でさ
その日やすんでたの
母には「しんどいから無理」って言ってさ
そのメールの返信なんだよ思う?
「ん」
たったこれだけ
その日の夜母さん死んだよ
さっきまで洗い物してたやん
明日から連休だってよろこんでたやん
父親がいない俺を一人で育ててくれてありがとう
高校辞めてやり直して、やっと大学合格できました
あと4年がんばってくれたら働いて親孝行できたのに
借金かくして俺の前で笑ってくれててありがとう
でも、俺馬鹿だから、メールの返信全部一言だし
今度の一回忌では泣かないわ
俺より先に死んだお前なんてどうでもいいしさ
だからここでだけ泣くわ
後、俺かぞく持ったら絶対幸せにするから
長文スマソ - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 13:46
お母さん
お父さん
ありがとう
いつも迷惑かけて
ごめん
ここまで
育ててくれて
ありがとう
そしてこれからも
よろしく - 名前: ななしカナ? 投稿日:2008年11月02日 13:51
いつの時代も親には勝てないな・・。
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 14:05
カーチャンばっかりじゃねぇか
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 14:11
>>523が見えない
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 14:39
死ぬ話ばっかりだね
なんか浅はか - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 14:47
久しぶりに涙流しました
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 14:49
この間、検査で病院行ったんです。病院。
そしたらなんか先生がMRI撮った写真見て深刻な顔しやがるんです。
で、よく見るとなんか影が見えるとか言ってご家族の方にもお話をとか言い始めるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前な、たかだか影如きで普段来ない家族まで病院呼ぶんじゃねーよ、ボケが。
影だよ、影。
ただの現像ミスじゃないかっての。
なんか親まで呼ばれちゃって一家4人で病院か。おめでてーな。
よーし俺手術頼んじゃうぞー、とか明るく言ったら怒ってるの。もう見てらんない。
お前らな、10万円やるからさっさと入院させろと。
病院ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
治るか治らないか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
取り合えず病状が病状ですから一応身辺整理を、とか医者が言って笑えない。
帰宅して入院準備とかしてたら家族全員集まってきて大丈夫だからとか言ってるんです。
で、やっと落ち着いたかと思ったら、嫁の奴が笑顔で、大丈夫心配ないよとか言ってそこでまたぶち切れですよ。
あのな、心配なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
不安げな笑顔して何が、大丈夫、だ。
お前は本当に心配してるのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、大丈夫だよって言いたいだけちゃうんかと。
入院直前だってのに一緒に寝てお前が俺を腕枕して頭抱きかかえて、大丈夫だからねって何者ですか。
俺の頭が良くなりますようにって俺が眠るまで唱え続けるのは美容のためにも良くないから止めろっての。
死んだら許さないとか言って死んだ人間をどう許さないんだっての。
もし死んだらお前は若いんだからさっさと俺を忘れて他の男と幸せになれなんて、俺も言ったりして格好をつけてみたりしちゃうだろうが。
大丈夫大丈夫って何千回も言わずさっさと次のことを心配しろって。
心配性な俺から言わせてもらえば今、小心者での最新流行はやっぱり、不安を押し殺して問題ない、これだね。
碇ゲンドウ風に問題ない。これが通の頼み方。
頭をちょっと開いて中の影取り出す、だけ。問題ない。これ。
で、それにやってみたかったスキンヘッド。これ最強。
しかしスキンヘッドにすると俺の頭の形の悪さがバレるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前ら健康人は、健康診断の体脂肪率結果に慄いてビリーズブートキャンプでも入隊してなさいってこった。 - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 14:57
BGMはありがとう だね
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 15:02
二時間もPCの前で暇つぶしちゃったジャン!
二時間分の水分返してください。 - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 15:09
全部読むのに3時間とティッシュを30枚ほど使った。
・゚・(ノД`)・゚・。 - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 15:14
ほとんど既読、でも泣く俺w
最近じゃカーチャンのAA見るだけでこれ系の話思い出してなんかしんみりしてしまうw
クソがwやっぱカーチャンは世の男の最大の弱点だなw
J( 'ー`)し - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 15:33
優しい死に安らかな地を
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 15:48
もう>>6で死んだ
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 15:49
ティッシュが10枚以上なくなった
どうしてくれる
マジでありがとう - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 15:51
>>24系が来るな。
人の死を認識できないでいて、
ふとしたことから、その人の死を悟るみたいなシチュエーション。 - 名前: VIPPERな名無しさん 投稿日:2008年11月02日 16:01
涙とまんねーよあほ
- 名前: 投稿日:2008年11月02日 16:10
親は偉大すぎる。
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 16:14
ばーかばーかばーか! 漏れのばか!
カーチャンごめんよおおおおおおお - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 16:27
部屋で一人で涙流して俺きめぇwwwwww
- 名前: へへへ 投稿日:2008年11月02日 16:39
姉が親を困らせている件について。
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 16:42
管理人さんおかえり。
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 16:59
ながすぎだああああああああああ
たまの休みに泣き通しじゃああああああああああああ - 名前: 名無しのコピペ◆- 投稿日:2008年11月02日 17:17
二時間かけて読んで
泣きすぎて頭痛いよw
ゴミ箱ティッシュだらけw
みんな幸せになってもらいたいって本気でそう思った
お風呂に入ってこよう - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 17:24
>>383の続きが何でないんだよ・・・
もう意識が戻ることはないと聞かされていた俺、そしてソレを言った当の本人である看護士。
二人して悲鳴をあげるほどビックリした。付き添いで来ていたオカンなどは腰を抜かしたほどである。
直ちに医師が呼ばれ「じい」の意識回復の検査が行われたが、その頃には再び「じい」の目は閉じられていた。
そして結局、それっきり目覚めることのないまま半月後、「じい」は永遠の眠りについてしまったのだった。
後に医師から聞かされた話なのだが、「じい」が脳に負った障害は重く、そこから意識が回復した例は
聞いたことがない、というかまずあり得ないということであった。
だがあの場にいた俺は、オカンは、看護士は、確かにその《あり得ない事態》を見た。そして聞いたのだ。
「アンタに会うために目を覚ましたんだろうね。」
とは腰を抜かしてたオカンの談である。
そして「じい」の残してくれた言葉に恥じぬようになろうと心に誓ったものの
結局こんな時間から2chに入り浸ってるような、天国の「じい」に申し訳ない俺なのであった。 - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 17:33
80は無理です
- 名前: 投稿日:2008年11月02日 17:53
涙を我慢しすぎてのどが痛い…
- 名前: VIPPERな名無しさん 投稿日:2008年11月02日 17:58
古いな、ほとんど知っているやつばかりだぜ。
号泣なんかしてないからね、ほんとだからね。 - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 18:03
なげーよ。何度読んでも泣けるわ…。
がんばろ。 - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 18:33
ボロ泣きした
PCの横にティッシュの山できとる;; - 名前: 投稿日:2008年11月02日 18:36
きつい・・・母親殺しの事件がきつすぎる・・。
- 名前: 投稿日:2008年11月02日 18:41
パソコン壊れた…
画面がゆがんでよく見えない
どうしてくれる - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 18:49
>>80
これ思い出して通学時毎日ホロリしそうです - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 19:11
※23
母ちゃん生きてる間にほんの少しでいいから勇気を出せ - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 19:11
じいちゃんが死んだばかりのときにえれえもん読んじまった……
ごめんな。あんま見舞いいけなくてごめんな…… - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 19:13
受験勉強のやる気が出た。絶対受かってやる!
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 19:38
なげえし読んだことあるのばっかだよ
ティッシュがもうない… - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 19:47
泣いた。
- 名前: VIPPERな名無しさん 投稿日:2008年11月02日 19:54
4分の1くらいしか読めない
画面が見えない
。゚(゚´Д`゚)゚。ウワアアアアアアン - 名前: VIPPERな名無しさん 投稿日:2008年11月02日 19:57
時計一周は12じk
- 名前: 通りすがり 投稿日:2008年11月02日 20:31
リアルに涙でたのどれくらいだろ。
どこぞのなんちゃって小説より100倍沁みる - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 20:32
復活おめ
ちょっと似たようなのがあるけど,
ここのコピペは何度読んでも泣けるな・・・ - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 20:53
鼻水がやばいし泣き過ぎて喉が痛い件について
でもこういうの嫌いじゃないぜ - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 20:55
こんなに涙にティッシュ使ったの初めて。
かーちゃんの弁当、もっと大切に喰うわ。 - 名前: 無題ドキュメントさん 投稿日:2008年11月02日 21:28
<<59
正直一番感動したのはこれだ。 - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 21:29
涙やばいんだけど、どうしてくれる。
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 21:33
かーちゃん系はヤメテ…
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 22:09
全部読むのに2時間ぐらいかっかっちまったじゃないかこの野郎
。゚゚(ノД`゚)゚゚。 - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 22:11
きつい。。。
全部見れない。
- 名前: VIPPERな名無しさん 投稿日:2008年11月02日 22:25
はぁ・・・
泣いたら鼻がつまるんだよな・・・
ちきしょー今晩は
寝苦しいぜ! - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 22:29
なにこっそり復活してんだよwww
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 22:30
ダメだ、泣いてしまう。
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 22:34
無駄に長すぎだろ・・jk
いいぞもっとやれ - 名前: VIPPERな名無しさん 投稿日:2008年11月02日 22:39
24で泣いた
- 名前: AA 投稿日:2008年11月02日 22:52
2時間かけて全部読んだ。
予定してなかったけど、来週実家に顔出してきます。 - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 22:57
>682でやられた、とんだ肩スカシで涙が出るほど笑った。
今俺のオヤジも入院してるからなおのこと涙出るほど笑った。
いとこの子が持ってたDSに興味もってたから今度帰省したとき買ってやろうかな。 - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 23:11
くそっ!!
全部読むのに2時間以上もかかったじゃねぇか。
しかもなんか画面ずっとぼやけてるから見にくいし。
いつの間にか目から汗が出てるし・・・
管理人復活おめ!! - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 23:34
こんなに泣いたのはじめてかも
- 名前: 投稿日:2008年11月02日 23:35
既出だらけだなwwwwwww
まぁ既出でも泣けるんだが - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 23:46
母ちゃん系はいつ見ても泣けるわ
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月02日 23:53
これぞまさしく、全米が泣いた・・だな。
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月03日 00:02
死にすぎ
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月03日 00:08
人には学習能力がある筈なのに、こればっかりは何度読んでも学習できない
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月03日 00:10
>>6とかもうね・・・
画面が見えなくなりました - 名前: 名無しのコピペ 投稿日:2008年11月03日 00:14
既読多いから大丈夫大丈夫。
パジャマの袖口がぐっしょりぬれてるんだがどうしてくれようか。
ついでに鼻もぐずぐずなんだがどうしてくれようか。 - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月03日 00:18
自分にもさあ、今年から病気で入院した母親がいたのよ。
医者は「3月ごろには元気になるでしょう」って言ってたから、退院したら家族皆でお母さんの好きな焼肉食べに行こうねって言ってた。
でも1月の中頃、容体が急変して他界。
そのとき自分は高校生で、学校生活が忙しいからどうのこうの言ってあんまりお見舞いに行ってなかった。
母親は「寂しいからお見舞いに来てよ」って言ってたのに。
凄く後悔してる。
自分は親孝行の1つもしていなかった。逆に迷惑かけてばっかりで。
母親は昼夜休まないで仕事して、自分を専門学校に入れてくれたのに。
ここまで書いて何が言いたいかって言うと、親孝行は早くからやっておいた方が良いよって事です。 - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月03日 00:34
はいはいネタだろネタ
って言ってないと辛いなぁ(;_;) - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月03日 00:44
ありがとうって言おう
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月03日 00:56
カーチャンのごはん食いてぇ
もう無理だけど・・・ - 名前: 投稿日:2008年11月03日 00:59
( ;∀;)イイハナシダナー
泣いたよ - 名前: 偏差値77.4からの浪人 投稿日:2008年11月03日 01:02
レポート書かなきゃならんのに全部読んじまったぞコラァ
- 名前: VIPPERな名無しさん 投稿日:2008年11月03日 01:20
ジンときた
親孝行しようと思う - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月03日 01:24
最後の時計の話で一気に泣けてきた
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月03日 01:29
泣けるけど、相手を傷つけたまま死なせた後悔の話が多いのが・・・
相手は許してくれてるのかもしれないけど
ひどい話だよなぁ - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月03日 02:06
最近涙腺がゆるくなったように感じます
つい2〜3年前まではなんともなかったのに・・・
そんな僕は今年で19になりました
もっと親孝行しなきゃなぁ・・・ - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月03日 02:23
結局こんな時間まで最後まで読んでしまった
なんか頑張ろうと思った
642でもうだめ - 名前: あゆみ 投稿日:2008年11月03日 02:27
まさか自分と同じ名前がくるとは思わなくてどひゃ〜だった。
ゴミ箱からテシュが溢れてくるぜ。 - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月03日 03:14
もうwwww
無理っすwwwww
三時間も涙が止まらんwwww - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月03日 03:21
泣いた。初めて鼻水がぐずぐずになるくらいないた。気がついたらこんな時間だし。
さてと、家に帰ってカーチャンにメシ作ってもらおう。カーチャンの作ったメシがすごい食べたくなった。
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月03日 03:43
実家帰るわ
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月03日 03:44
これは駄目だ。
涙が出てくる。 - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月03日 03:45
>>435で涙腺ぶっ壊れた
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月03日 03:56
もうこんな時間なのか・・・
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月03日 04:13
俺映画とかでは泣かないのにこういうのは駄目なんだよなぁ
もうティッシュないや・・・ - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月03日 04:46
もう駄目だこの時間に読んじゃ駄目だ
泣きまくった、ボロボロと - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月03日 05:03
カーチャン系キツいわ・・・
- 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月03日 05:14
腎臓癌になった親父
癌はとったし、再発の危険性はもちろんあるけど酒が飲めるまでになった親父
大学に入ってから遅れた反抗期?か鬱気味なのか知らんけど
反発して大声で怒鳴って(何言ったか覚えてない)家出して心配かけたことあったなぁ
ひと月近く家に帰らずに、金が尽きて帰ったらいつも通りの「おかえり」をいってくれたなぁ
きっと必要以上に心配させたんだろうな
再発するなんて考えたくないけど、後悔しないように考えられる親孝行はやろうと思うよ
今日はちょうど親父の誕生日だ
こんな時間まで起きててアフォな俺だけど、起きたら一番に電話するよ〜
直接は言えないからこんなところにチラ裏カキコ
鬱になんてなってる場合じゃねぇな - 名前: 投稿日:2008年11月03日 05:37
はいはい 泣いた泣いた
俺、片親でさ母ちゃんしかいないからさ
正直、けっこうきたなwww
がんばろう俺 - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月03日 10:24
一回涙出始めると止まらんな
- 名前: & 投稿日:2008年11月03日 10:34
見なきゃ良かった
涙で鼻水が止まらなくて鼻かんでたら鼻血出た - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月03日 10:41
>>2はいつ見ても親を大事にしなかったクズざまあとしか思えない
介護の - 名前: この名無しどもめ! 投稿日:2008年11月03日 10:42
介護の殺人と対極にある話だと思う
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