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大分初Vで結実!東大卒・溝畑社長の献身…ナビスコ杯

11月2日8時2分配信 スポーツ報知


 ◆ヤマザキナビスコカップ ▽決勝 大分2−0清水(1日、国立競技場) 大分が2−0で清水に快勝し、初優勝を果たした。

 背負った十字架を下ろせる時がきた。“脱・キャリア社長”として奮闘した15年間の結晶。溝畑宏社長(48)が、万感の思いで国立を舞った。「大分にかかわった、すべての人の思いを持って勝つことができた」東大法学部から自治省へ入省。転機は94年だった。

 02年日韓W杯の誘致活動に伴い、大分県企画部次長として赴任。京都出身でサッカー経験もなかったが「サッカーを通して大分を活性化させる」と大分トリニティを創部した。練習施設、事務所もない。資金集めに奔走し、自身も営業活動へ出かけた。1日で50社以上のスポンサー探し。1000万円以上にも及ぶ私財を投げ打ち、預金が底をついたこともあった。

 九州リーグからの出発。マウンドを削り平らにした野球場で練習し、遠征は大広間の雑魚寝。観衆3人、という惨状も経験した。97年の天皇杯。桃山学院大に敗れ、心ないファンに石をぶつけられた。両親と死別、離婚も経験した。社長就任は4年前。同時に、国家公務員の肩書を捨てた。「どんな逆境がきても『逆境さん、いらっしゃい』の気持ちが大事なんです」メーンスポンサーの撤退、経営不振も乗り切った。

 年間予算22億円は浦和の約半分だ。毎年のように主力選手を引き抜かれても、信念は曲げない。「粗削りでもいい。速い、強い。特徴のある選手を取ってこよう」を合言葉にスカウトは地道に活動してきた。広島皆実高から発掘したDF森重は日本代表にまで成長。「プロにならなければ実家の酒屋を継ぐ」と言っていたMF高橋を福岡大から密着マークし、チームに欠かせない右サイドに育て上げた。

 観衆3人から始まったトリニータ物語。「心をひとつにすれば勝てる」120万人県民が待つ大分へ、最高のプレゼントを持ち帰る。

 ◆溝畑 宏(みぞはた・ひろし)1960年8月7日、京都府生まれ。48歳。東大法学部を卒業後、85年に自治省入省。財政局を経て90年に大分県へ赴任。大分トリニティ創設、2002年日韓W杯における大分開催の運営などを担い、00年に大分ゼネラルマネジャー就任。04年に社長就任。趣味は野球、宴会芸、昆虫飼育。座右の銘は「不将不逆」「他人のやらないことをやる やってから考える」。

 ◆大分トリニータ 正式名称・大分フットボールクラブ。1994年、2002年日韓W杯開催地誘致と並行し、大分トリニティとして創部。県リーグ、九州リーグ、JFLを経て99年J2に参加し、現名称に変更。2002年にJ2優勝しJ1昇格。今回のナビスコ杯が初の獲得タイトル。ブラジル人のペリクレス・シャムスカ監督(43)は05年途中から指揮を執る。チーム名のトリニータは三位一体を表す英語(トリニティー)に大分を合わせた造語。クラブカラーは青と黄色。本拠地は九州石油ドーム。マスコットは亀をモチーフにしたニータン。

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最終更新:11月2日11時20分

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