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社説

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利下げ―狭い道での苦渋の決断

 日本銀行は金融政策決定会合で、短期金利の誘導目標を0.2%幅引き下げて0.3%とすることを決めた。会合では賛否が4対4の同数となり、議長である白川方明総裁の判断で決まった。初めてのことである。

 ただし、反対4のうち3人は0.25%の利下げを主張したので、利下げそのものには8人のうち7人が賛成したことになる。世界的な金融市場の大混乱に対処する緊急措置として、この決定を支持したい。

 ふつう0.25%単位で動かす政策金利を0.2%に抑えたところに、日銀の腐心がうかがえる。

 銀行同士の金融市場で金利がゼロに近づくと、資金を出す銀行は金利を得られないので出したがらなくなり、資金を取りたい銀行がかえって取りにくくなってしまう。そこで下げ幅を少し抑えた。同時に、銀行が日銀へ預ける当座預金にも0.1%の金利をつける新制度を始めた。これで、当座預金より不利な0.1%以下には市場金利が下がらないようになる――。

 このように、ただ金利を下げるだけでなく、金融市場が機能する環境をつくることが、金融危機を脱出するには大切だと日銀は判断した。

 一方で、金利はすでに極めて低い。これから景気が悪化していくなか、利下げで景気を下支えする余地をできるだけ温存しておきたいところだ。10月8日に欧米の6中央銀行が一斉に利下げしたとき、日銀が追随しなかったのはそのためだろう。

 だがその後、1ドル=90円台をつけ、日経平均株価が7000円を割る急激な円高・株安が進んだ。29日には米国が政策金利を0.5%幅下げて1.0%とした。欧州中央銀行も6日に利下げすると示唆している。

 ここで日本だけ利下げを見送れば、市場がさらに動揺する恐れがある。政策手段が限られるなかで、今回の利下げは苦渋の決断といえる。

 今回日銀は、半年に1度の展望リポートも見直した。景気は「停滞色が強い」とし、改善は早くても来年半ば以降との見通しを打ち出した。金融危機による世界経済の苦境は始まったばかりだ。かつてのゼロ金利や量的緩和政策への逆戻りも、場合によってはやむを得ないかも知れない。

 ただ、これから主要国がそろって超低金利になるとすれば、かつてない事態だ。世界の市場や景気にどんな影響を及ぼすのか、予測しがたい。変化を見きわめ、柔軟に対応せねばならない。また、ゼロ金利や量的緩和以外に有効な手段がないのか、日銀はいまいちど工夫をこらしてほしい。

 過剰な金融緩和は副作用も伴う。日本の超低金利が世界的に投機資金の供給源となり、金融危機を生む一因になったことも忘れてはならない。

集団自決判決―あの検定の異常さを思う

 太平洋戦争末期の沖縄戦で、住民の集団自決に日本軍が深くかかわっていた。そのことが大阪地裁に続いて大阪高裁でも認められた。

 06年度の教科書検定で、軍のかかわりを軒並み削らせた文部科学省の判断の異常さが改めて浮かび上がる。

 問題になっていたのは、ノーベル賞作家、大江健三郎さんの著書「沖縄ノート」だ。米軍が最初に上陸した慶良間諸島で起きた集団自決は日本軍が命令したものだ、と書いた。

 これに対し、元守備隊長らが指摘は誤りだとして、大江さんと出版元の岩波書店に慰謝料などを求めた。

 沖縄の日本軍は1944年11月、「軍官民共生共死の一体化」の方針を出した。住民は根こそぎ動員され、捕虜になることを許されなかった。そんな中で起きたのが集団自決だった。

 大阪高裁は「一体化の大方針の下で軍が集団自決に深くかかわったことは否定できず、軍の強制ないし命令と評価する見解もあり得る」と述べた。

 集団自決が軍に強いられたものであったことは沖縄では証言がたくさんあり、学問研究も積み上げられていた。判決はきわめて常識的なものだ。

 裁判で元隊長は、住民に「決して自決するでない」と命じた、と主張した。控訴審では、その命令を聞いたという男性の陳述書も提出された。

 判決は「元隊長の主張は到底採用できない」と指摘し、男性の供述を「虚言」とはねつけた。遺族年金を受け取るために隊長命令説がでっちあげられたという原告の主張も退けた。

 そのうえで、判決は「出版当時、隊長命令説は学会の通説ともいえる状況にあり、真実と信じるに相当な理由があった」と結論づけた。

 そこでもうひとつ注目すべきは、表現の自由を幅広く認定したことだ。原告側が「沖縄ノート」の発行後に隊長命令説を否定する資料が出てきたと主張したことに触れ、「新しい資料で真実性が揺らいだからといって、ただちに出版の継続が違法になると解するのは相当ではない」との判断を示した。

 それにしても見逃せないのは、文科省が教科書検定で「日本軍に強いられた」というような表現を削らせた大きな理由として挙げていたのが、この裁判の提訴だったことである。一方的な主張をよりどころに、歴史をゆがめようとした文科省の責任は重い。

 問題の検定は、「戦後レジームからの脱却」を唱える安倍政権の下でおこなわれた。時の政権の持つ雰囲気が、歴史の見直しという形で影を落としたのではなかったか。最終的に「軍の関与」を認める訂正をしたのは、次の福田政権になってからだ。

 ありのままの歴史にきちんと向き合う。その大切さを、一連の教科書検定と裁判を機に改めて確認したい。

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