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【社説】

横浜事件 今度こそ真実に光を

2008年11月1日

 正義を実現する場なら自らの過ちもはっきり認めなければならない。時代の雰囲気に流されていた歴史的事実をあいまいにしたままでは、司法は国民の信頼を失い、権威も失墜するだろう。

 戦時下最大の言論思想弾圧とされる横浜事件で、横浜地裁が二度目の再審開始決定を出した。再審開始の決定は、別の元被告らに関して二〇〇三年にも出て再審が行われたが、今度の決定が注目されるのは、元の裁判の有罪認定に強い疑いを表明した点である。

 「有罪を証明すべき証拠が存在しない」「拙速といわれてもやむを得ない事件処理がされた」「不都合な事実を隠ぺいしようと訴訟記録を破棄した可能性がある」などと当時の捜査や裁判を批判している。誤った裁判であったことを率直に認めたといえる。

 検察側はこれ以上争うことをやめ、一日も早く再審に応じて真実に光を当てるべきだ。

 横浜事件は、戦争中の一九四二年から四五年にかけ雑誌編集者ら数十人が共産主義宣伝などを理由に治安維持法違反で逮捕、起訴され、拷問で四人が死亡した。

 裁判所はおざなりな審理で次々有罪にしたが、戦後、拷問した警官が有罪になるなどしてでっち上げがはっきりした。敗戦の際、責任追及を恐れたのか裁判所が記録を焼却したことも明るみに出た。

 しかし、〇六年二月、最初の再審で横浜地裁は治安維持法の廃止を理由に元被告らを免訴(裁判打ち切り)にしたものの「無罪」を宣言しなかった。この判決は最高裁も支持、確定しており、司法の過ちを司法自身が公式に認める形になっていない。

 治安維持法は希代の悪法といわれた思想弾圧法である。戦時中の裁判官の多くは、唯々諾々とそれを適用して当時の国家体制や戦争に疑問を持つ人たちを処罰してきた。戦後、その責任を取った人はほとんどいない。

 元被告らの無念に報い名誉を回復するには、免訴という形式的な決着のつけ方では足りない。司法が犯した過ちの歴史を明確にし記録にとどめるためにも、今度こそ再審で詳しい事実審理をして無罪宣言をすべきだ。

 露骨な弾圧はないように見えてもビラ配りによる逮捕、有罪判決など、民主主義の基盤である思想表現の自由にかかわる憂慮すべき事態が絶えない。横浜事件を風化させると現在の危機も見逃すことになりかねないだろう。

 

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