現在位置:
  1. asahi.com
  2. ニュース
  3. 社会
  4. 裁判
  5. 記事

「沖縄ノート」訴訟 大阪高裁判決理由の要旨(2/2ページ)

2008年10月31日22時30分

印刷

ソーシャルブックマーク このエントリをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

 【判断の大要4の前提となる法律的判断】

 名誉権に基づく出版物の事前差し止めは、その表現内容が真実でないか、もっぱら公益を図る目的のものでないことが明白であって、かつ被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあるときに限り、例外的に許される(最高裁昭和61年6月11日大法廷判決)。

 本件は、すでに出版されている書籍の出版等差し止めを求めるものであるが、表現の自由、とりわけ公共的事項に関する表現の自由の持つ憲法上の価値の重要性等にかんがみ、原則として同様に解すべきである。

 さらに本件のように、高度な公共の利害に関する事実にかかわり、もっぱら公益を図る目的で出版された書籍について、発刊当時はその記述に真実性や真実相当性が認められ、長年にわたって出版を継続してきたところ、新しい資料の出現で真実性等が揺らいだような場合、直ちにそれだけで出版を継続することが違法になると解することは相当でない。

 そうでなければ、著者は過去の著作物についても常に新しい資料の出現に意を払い、記述の真実性について再考し続けなければならず、名誉侵害を主張する者は争いを蒸し返せることにもなる。著者に対する将来にわたるそのような負担は、結局は言論を萎縮(いしゅく)させることにつながるおそれがある。

 また、特に公共の利害に深くかかわる事柄は本来、事実についてその時点の資料に基づく主張がなされ、それに対して別の資料や論拠に基づき批判が繰り返されるなどして、その時代の大方の意見が形成される。さらにその大方の意見自体が時代を超えて再批判されていく過程をたどる。そのような過程を保障することこそが民主主義社会の存続の基盤をなすものといえる。

 特に公務員に関する事実はその必要性が大きい。仮に後の資料からみて誤りとみなされる主張も、言論の場において無価値なものであるとはいえず、これに対する寛容さこそが自由な言論の発展を保障するものといえる。したがって新しい資料の出現により記述の真実性が揺らいだからといって、直ちに当該記述を含む書籍の出版の継続が違法になると解するのは相当でない。

 もっとも、(1)新たな資料等により当該記述の内容が真実でないことが明白になり(2)名誉等を侵害された者がその後も重大な不利益を受け続けているなどの事情があり(3)当該書籍をそのまま発行し続けることが社会的な許容の限度を超えると判断されるような場合があり得る。このような段階に至った時は、当該書籍の出版をそのまま継続することは不法行為を構成するとともに、差し止めの対象にもなると解するのが相当である。

 本件で問題になっているのは、控訴人梅沢及び赤松大尉が、太平洋戦争後期に座間味島、渡嘉敷島の住民に集団自決を命じたか否かであって、2人は日本国憲法下における公務員に相当する地位にあり、各記述は高度な公共の利害にかかわり、もっぱら公益を図る目的のものである。各書籍の出版の差し止め等は少なくとも、その表現内容が真実でないことが明白であって、かつ被害者が重大な不利益を受け続けているときに限って認められると解するのが相当である。

前ページ

  1. 1
  2. 2

次ページ

PR情報
検索フォーム
キーワード:


朝日新聞購読のご案内