女子トイレは、他では見られない光景に出合える。長時間化粧を施して“別人”へと変身を遂げる女性や、オフィス内のストレス発散をする場所として利用する人も。男性は、決して見ることのできない女子トイレ。そこで、繰り広げられているものは--。【中川紗矢子】
平日正午から午後1時までのお昼休みは、女子トイレが最も込み合う時間帯だ。東京都千代田区のオフィスビル食堂街にある女子トイレをのぞいてみた。
個室から「相談があってえ」という若い女性の声が聞こえてくる。携帯電話を持って話しながら個室から出て来たのは、20代半ばと見られる茶髪ロングヘア。鏡に向かって片手で髪を整えたりベルトの周りを触ったりし始めた。電話は仕事に関する深刻な相談のようだが、内容とは裏腹に、視線は鏡の中の自分に注がれている。手を洗うことなくトイレ入り口前に一時場所を移したものの、10分ほどすると戻ってきて、化粧直しをしたり、鏡の中の自分を見つめている。その間約30分。電話での会話が途切れることがないまま、周りを見ることもなく出ていった。
トイレ内は0時半から1時にかけて、歯を磨く人たちに占拠される。洗面台付近にいる6人中5人が歯磨き中だ。複数で来ている女性たちは、歯磨きしながらもおしゃべりを絶やさない。歯磨き後に化粧直しに移行しても、「何食べた?」「チョコレート、まだいっぱいあるんだ」などと、ランチの中身や職場のお菓子事情、家族や恋人のことなど話題が尽きることはない。そして、時計が1時になると、まるでシンデレラのようにスーッと人がいなくなり、静けさが戻った。
マーケティングの視点から男女の違いを分析する著書がある心理コーディネーターの織田隼人さんは「男性にとってのトイレは、用を足す以外の何かをする場ではないが、女性にとってのトイレは、会話、交流の場」と指摘し、男女の違いを表す象徴の場と考える。
男女でトイレ使用の目的が次第に違っていった理由を、織田さんは(1)女子トイレは個室になっているため、用を足す場と会話する場が分かれている(2)狭い場所での会話は、周りに聞かれづらいという密室の効果があって心の距離が狭まり、話しやすくなる(3)女性は化粧直しに時間がかかり、話すチャンスが多くなる(4)トイレで話すことが習慣化するために、ついでに話す場所から、話すのが目的の場所になっていった--と分析する。
職場空間を評価して表彰する「オフィスアワード2008実行委員会」が9月に女性会社員516人を対象に実施した意識調査では、オフィス内でストレスを解消できる場所として1位に「トイレ・化粧室」(45・7%)が選ばれた。質問項目になかったため明確な理由は不明だ。一方で、「どういうオフィス環境であればストレスを解消できるか」との質問には「邪魔されなく休憩できる場所があるオフィス」と、60・9%の女性が答えており、<ストレス解消の場所=邪魔されずに休憩ができる場所>という図式が推測できるという。
インターネットの「ツカサネット新聞」で「男性が知らない“女子のトイレが長い理由”」を発表するなど、若者の生態分析記事を多く執筆している20代の女性フリーライター、北苺(いちご)さん=ペンネーム=は、女性が用を足す以外でトイレに滞在する理由を(1)おしゃべり(合コン途中の作戦会議を含む)(2)着替え(主に伝線したストッキングを替える)(3)化粧直し(4)周りの女性をチェックする--と分類する。
「私自身、公衆トイレに行くと、(他の女性から)チラッと見られ、また、自分もチラッと見てしまう。それは、トイレで化粧をばっちり決めた自分は世界で一番可愛いと思いたいし、その分周りも気になるのだと思う」と、女性同士の静かな戦いが繰り広げられる場だと位置付ける。
給湯室や更衣室でなく、なぜトイレなのか。「大きい鏡があるので、自分を見ているふりをすれば、見ていたことを気付かれないように周囲を見られる。公共の場でありながら、ちょっと素に戻ってしまう特殊な場所だというのもポイント」と話す。
島宗理・法政大学教授(行動分析学)は、「男女でトイレの使い方に違いがあるのは、現代社会のジェンダー(社会的な性差)の役割分担や望まれる振る舞い方に違いがあるからではないか」と指摘する。例えば、合コンに向けた“戦闘”準備をオフィスでした場合、男性ならネタにされるだけだが、女性だと非難の対象となる状況があると推測できるという。
ライターの大塚幸代さんは04年に東京・新宿、渋谷、池袋の計約30カ所の公衆トイレの落書きを調査し、インターネットで「東京女子トイレマップ」を執筆した。
大塚さんによると、トイレの落書きは、男女で書き方が違うという。男性は読む人を意識してウケを狙って書いているのに対して、女性は独白、つぶやきが多いのだという。テーマも、男性は下ネタ中心だが、女性は「○○君、好き」などの告白が多い。
「トイレの落書きは『2ちゃんねる』そのもの。匿名媒体で全く回答のあてのない話を書いている。隣の知っている人には言えないけれど、万人には見せられるという心理も同じ。最近、トイレの落書きが減ったのは、かつては匿名で自己表現できる場がトイレしかなかったのが、今はネットがあるからではないか」と大塚さんは話す。
私の職場の男性に聞いてみると、最近は男子トイレでもカバンからヘアワックスなどを取り出し、髪形など外見を整える若い人を見掛けるそうだ。44歳の島宗教授も、20歳以上年の離れた男子学生たちの大学のトイレにおける変化を感じている。「男子学生が鏡の前でずっと髪を直していたり、男同士で香水や化粧品について、話しているのを見る。そういう光景は自分の世代では見なかった。男子トイレの中も変わりつつあるのではないか」
ランチタイムに男子トイレがにぎわう女子トイレ化現象も、そのうち起きるのかもしれない。
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毎日新聞 2008年10月23日 東京夕刊