2008-05-22
■[科学]科学による偽似科学攻撃は、警察が自分を擬態するガードマンをいじめるようなものでは?
1.“99.9%は仮説思考”
2.『エピローグ』が興味深い本/ブログでの評価の対立と共鳴
3.それと闘ってしまっては、「仮想敵」と言えなくなってしまいます
5.科学者が科学のためにすべきこと
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1.“99.9%は仮説思考”
このブログでは多くの記事が、[陰謀仮説]のカテゴリーに分類されている。ただし、私は[陰謀仮説]に肯定的な記事ばかり書いてきたわけではない。
巷では、それなりに有力であった[陰謀仮説]の「アポロは月に行っていない」説については、以前から否定的であった。昨日の記事に書いた、《【速報】「かぐや」による、アポロ15号着陸の二つの証拠》で、「アポロは月に行っていない」仮説は改めて否定していいと考える。
「仮説」ということについては、陰謀ウンヌンだけではなく、実は、すべては仮説であるとさえ思っている。パロディっぽい表現なのだが、中身はほとんど本気で、『唯仮論』などと言ったりもした<参照>。
このような考え方をしていた私に、心強い味方と感じられたのは、 『99・9%は仮説/思いこみで判断しないための考え方』や 『仮説思考 BCG流 問題発見・解決の発想法』であった。
2.『エピローグ』が興味深い本/ブログでの評価の対立と共鳴
上記の2冊の中の前者の作者、竹内薫氏が、『白い仮説黒い仮説/ニセ科学を見破る思考実験』を出したので買ってあった。先日たまたま、病院の長い待ち時間があり、その間に読んだ。
半分はFMラジオで話されたことが元となっているという本文は、流し読みをしたのだが、著者が、
どうか、最後のエピローグだけは一読していただければ幸いです。私がこの本を書いた理由や本音を語っている部分です。
という『エピローグ』はじっくりと読んだ。大変興味深かった。アマゾンでも、4つのレビューのうちの2つで、『エピローグ』を取り上げている<ここ>。それらのレビューは、この本に好意的なのであるが、ブログには批判的なものもある。
【“Liber Studiorum”より】
エー、科学と合理性を尊重するニセ科学批判者の皆さん、悲しいお知らせです。竹内薫の「白い仮説 黒い仮説」が本屋に並んでいたので、パラパラ立ち読みしたのですが.......。一見、「ニセ科学批判」の本のようですが、実際は「ニセ科学批判批判」の本でした。
…
小飼弾が自分のブログで、例によって大げさな調子で「ニセ科学対策の決定版」とトンチンカンな持ち上げ方をしていますので、きっとこの本もベストセラーになることでしょう。
この本のエピローグだけでも読んでもらえば、なぜ私がこの本を「ニセ科学批判批判」だと判断したか、分かると思います。
その小飼氏は、次のように書いている。
【“404 Blog Not Found”より】
「99.9%は仮説」の後継本として、「ふつうの日本人」が科学、そして仮説とどうつきあうべきかを説いた本として、本書以上のものは読んだ事がない。
…
今までの著者の作品の中でもっとも自然体だった。
…
その自然体の姿勢が、最も反映されているのが、ニセ科学に対する竹内仮説。なぜ日本では科学の人気が低迷しているのか、そしてその結果ニセ科学が跋扈するのか。著者の仮説はこうである。
『日本の科学は、敵がいないために、かえって国民の感心を呼ぶことができない』( P. 199 )
なんだか、なぜ花粉症の患者が年々増えるかの説明に似た仮説である。目から鱗というより疲れ目に目薬のような仮説だ。
…
本書には、著者が今の境地に至ったいきさつも、短くではあるが一度読んだら忘れられない強い印象を残す形で書かれている。著者は「科究者」として、日本の科学界に一度裏切られているのだ。著者の書いた量子重力理論が勝手に改変されてトンデモ本に掲載されたのは著者のせいではない(ましてや世間にまだうとかった頃)なのに、著者が悪いことになってしまったのだ。この時には、著者の友人茂木健一郎に「おまえおわったな」と言われたと本書にある。
しかし今では、両者の関係は逆転しているように見える。「仕事の流儀」開始後の茂木はとても「科究者」に見えない(いや、「トンデモ」と断定したいがここは著者にならって黒さ八割としてておく)のに対し、著者の方は日本の科教者としての地位を確固たるものにしているように見える。
ここで、取り上げられている『竹内仮説』が展開されているのが、『エピローグ』なのである。
上の両ブログは、竹内薫氏の評価は正反対となっているが、茂木健一郎氏については、同様の評価なのかもしれない。
【“Liber Studiorum”の《[カテゴリー「茂木健一郎」の記事]「熱血!天才アカデミー 世界をひっくり返した男ダーウィンの進化論」観賞記》より】
…
今までのところ、科学者らしいこと、一つも言ってないな。
…
私自身のスタンスは、小飼氏のものに近い。小飼氏の『99.9%は仮説』の書評《残り0.1%も仮説》にも、私が『唯仮論』を唱えているからというわけでもないと思うのだが、非常に共鳴を覚えた。
実に晴れ晴れしい気持ちで読了した。… 本書がいかに「難しいことを簡単に」書くことに成功したかということの一つの証である。
などというものである。
3.それと闘ってしまっては、「仮想敵」と言えなくなってしまいます
以下、上の引用とはなるべく重複しないように『エピローグ』を紹介してから、私の考えを述べたい。まず、『エピローグ』の目次である(<ここ>より)。
エピローグ −「黒い仮説」時代をどう生きる
●日本で科学の人気が低迷している理由
●疑似科学という日本特有の問題
●「〜といわれています」という表現にはご注意を
●仮説思考の実践を!
とりあげたいのは『エピローグ』の前半で、その要約については、アマゾンのレビュー<ここ>の《エピローグはいい。》から引用させていただく(このように、他人の文章の利用ばかりしているのもどうかと思われるかもしれないが、時間が無いのでご容赦ねがいたい)。
… エピローグにある、科学と疑似科学との関係についての著者の仮説はなかなか面白かった。科学が宗教右派・環境左派からの攻撃にさらされているアメリカと違い、日本では科学は一人勝ちの状態であり、疑似科学は大きな市場を形成しているものもあるにせよ、それが科学という営為を危険にさらすことはない。疑似科学は、敵の存在しない真空を埋めるために出てきた「仮想敵」に過ぎないのだから、それを叩いている暇があったら科学者は科学を進めるべきだ、というものだ。 …
この文章はよくまとめてくれていると思う。しかし「仮想敵」という言葉が分かりにくいのではないだろうか。竹内氏は「仮想敵」という言葉を使っているのだが、私はこの言葉には少し違和感があった。
「仮想敵」が必要とされるのは、とりあえず闘いを挑んでくるものがいなくても、誰かが将来戦いを挑んでくるかもしれず、それ備えておかなくてはならないような場合だと思う。相手のイメージが無いと備えることは難しいので、取りあえず敵となる確率が高い相手を「仮想敵」として想定するというような時だと思う。
昔よく言われたことは、自衛隊の仮想敵国は、ソビエト連邦であるということである。仮想敵(国)はあくまで仮想されたもので、その時点ではまだ闘っていないし、普通は自ら戦いを挑んだりはしない。
疑似科学(ニセ科学)を「仮想敵」というのに違和感があるのは、一部の科学に関わる人たちが、もうそれと闘っているからである。それは仮想されてシャドー・ボクシングの標的にされているのではなくて、実際にボコボコにされていたりするのである。
竹内氏が、疑似科学を「仮想敵」と表現したのは、それが科学にとっての本当の敵ではないということを言いたかったからだと思う。このこと自体は同感であるので、それをどう捉えて表現したらいいかの私の考えは次で述べたい。
疑似科学は本当の敵ではないと言ったが、もちろん、疑似科学に迷惑や不利益を蒙っている人にとっては、それは敵である。ただし、そういった人を助けるのは、弁護士や消費者センターや警察・検察・裁判所であり、予防的にはマスコミがその役割を果たせばいいのだと思う。科学が果たす役割としては、求められた時にアドバイスをすればいいのではないだろうか。
科学の研究者や教育者やそれらの卵が、わざわざ探していってそれと闘う必要があるのだろうか。それは、時に人の好みや趣向や信仰心にまで口を挟むこととなり、ありがた迷惑とされることさえあるであろう。もちろんそうする人は、善意でやっているというだろうし、それが趣味だというのなら御勝手にである。
疑似科学と闘うのが、「趣味だというのなら御勝手に」と書いたのだが、そこに科学の側の思い上がりがあるとすれば、科学自身にとっても害悪があるかもしれないと思うので少し書かせていただく。まず、疑似科学についての捉え方である。
私は、疑似科学が、科学を擬態していると捉えたらいいと思う。擬態とは、『ウィキペディア』によると、
生物やヒトが、その色彩や形、行動によって周囲の環境(地面や植物、他者等)と容易に見分けがつかないような効果を上げること。
とされているが、そこにヒトについての例はあげられていない<ここ>。
【一見ミツバチのような、ハチに擬態したハエ〔『ウィキペディア』より〕】
人の擬態の例としてわかりやすいのは、警備会社の警備員(ガードマン)が警察官と似た格好をして、パトカーと似た車に乗っていることがあげられる。一見、警察官に似ていることで、心理的な効果があるのだろう(医者とおなじような白衣を着て、エステや美容など、人の体に何らかの影響をあたえる行為をするのも、同じ効果を狙っていると思われる)。道を歩いていて警察官とすれ違ったり、運転していてパトロールカーと出会ったときに、特にやましいことがなくても微妙に緊張するのは私だけだろうか。
ただし、警備員の制服については、
警備員が警備業務を行なうにあたって制服を着用する場合には、色彩・形式・標章(ワッペン)等により警察官および海上保安官と明確に識別出来るものでなくてはならない(警備業法第十六条及び警備業法施行規則第二十七条による)とされている。<参照>
ということである。しかし、次の写真を見ると、やっぱり結構似ていると感じるのではないだろうか。
【株式会社ベストのホームページより】
擬態される警察官の側にしてみると、似た格好をされて、目障りだし嬉しくはないであろう。自分たちが築き上げた信頼や権威をタダで利用しているといってもいいのである。
もちろん警備員が、警察官しかやってはいけないところまで手を出したのなら、注意を受け、場合によっては取り締まられるべきであろう。しかし、だからといって、警察官が警備員を見張って、何かあればいちいち口を出したりしていたら、本来の業務はどうしたのかと批判されるはずである。
同様のことは、疑似科学に対する科学の姿勢についても言えるのではないだろうか。疑似科学が、科学が築き上げた信頼や権威をタダで利用して、人に不利益を与えているとすれば、自分たちでその取り締まりに乗り出したくなる気持ちも分からなくはない。
ただし、疑似科学が常に人に不利益を与えるとは限らない。嘘も方便として利用され、役に立っていることは普通にあるであろう。「嘘も方便」という言葉は、「法華経」から来ているそうであるが、宗教の場に限らず、たとえば医療の場でもそれは使われているであろう。命が際どいときに、科学的説明が寿命を縮めてしまうこともあるであろうから。もちろん「嘘」であるから、終末医療で使われるモルヒネのようにその扱いには十分注意が必要であろう。
科学の側が疑似科学と闘うとき、そこに科学の側の思い上がりがあるとすれば害悪があるかもしれないと書いた。注意しなくてはならないことは、警察も科学も強者であるということである。なにせ、警官は、拳銃や手錠を持っている。科学は、拳銃どころか水素爆弾だって作れるし、そこから睨まれると、日経サイエンス誌とネイチャー誌の関係者に紹介されて書いた原稿なのに、袋だたきにされて将来を棒に振ることになる(竹内薫氏のことです)。
警察については、「おいこら」と威張っていた戦前の反省で、「民主警察」にはいろいろと歯止めが掛けられている。一方、米国の状況に比べると「一人勝ち」といわれる日本の科学に、思い上がりがなければいいと思うのである。
5.科学者が科学のためにすべきこと
疑似科学を叩く動機としては、科学の世界にいるだけで自分が偉いと勘違いする思い上がりや、その世界にいるのだが、ノーベル賞をとれるほどにはなれないという鬱屈があるなどとは決して思っていない。などと書くと少し思っているだろうと勘ぐられるかもしれない、…
その動機としては、科学をきちんと普及させたいということがあるのだと思う。科学的思考を身につけると、ニセモノを見抜けるようになり、騙されなくなりますよというのもいいのだが、それだけでは新しいものは生み出されないのではないだろうか。
むしろ、科学はこんなに面白いよということを伝えることに努めるべきなのだと思う。それは、最近はやりの、面白実験などのビジュアルなパフォーマンスだけでなく、科学的な理解の方法(仮説と実証の積み重ねなど)を身につけると、世界への理解がこんなに広がりますよ、という方法論の普及も意味があると思う。ただし、理解が広がった以上に、わからないことも出てくるのだが、それでも、先に進んだという感覚が得られてやめられなくなるというところまで行けば本物である。
そうすることによって、結果として、科学的な装いに無駄にだまされる人は減るであろう。無駄にという意味は、同じことを述べることになるが、無駄ではないこともあるという意味である。人は科学的にだけ生きているわけではないので、騙されている方が幸せということだってあるし、第三者がそこに土足で踏み込んでいってそれを壊す権利はないであろうということである。
警察力が強くて、「悪」をすぐにつぶしてくれる社会もいいのかもしれないが、「悪」には、子供のものなどデリケートなものあり、つぶし過ぎてもよくないかもしれない。そもそも、強権でつぶさなくてなならない「悪」がなるべく出てこないような社会をつくりたいものなのである。
以上、いろいろと書いてきたが、私自身、そんなに偽科学叩きに詳しい訳ではない。自分が見知ったこと、感じたことを基に書かせていただいた。生意気なことを書いていると感じられたかもしれない。よろしければ、意見を聞かせていただきたい。特に仮想論敵がいるわけではない。
- 11 http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/
- 10 http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_c5ed.html
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