晶文社ワンダーランド
 
トップ > 連載コラム > 音楽の未来を作曲する3
   
return
 
nomura_B.jpg
   design: Lallasoo Poopo Lab.  
 


3 私の作品か? 私たちの作品か?

 イギリスの作曲家Peter Wiegoldは、スラカルタに滞在してガムランを学んだ時、ジャワの演奏家からガムランの作品を作曲して欲しいと頼まれた。そこで、作曲したところ、演奏家はさっそく音に出してみた。そして口々に、
「この場面をもう少し長くしてみよう」
とか、
「こういうイントロを付け加えよう」
とか、
「ここは省こう」
などと、作曲者に断りもなく曲に手を加え始めた。そして、Wiegoldは、この曲は「私の作品」だと思っていたのに、そうではなく「私たちの作品」だったのだ、と気づいたと言う。ジャワの音楽家は、個人の作品という感覚で音楽をしているわけではなく、複数の個人の感覚の融合としての音楽をしているのだ。西洋音楽は、一人の作曲家が作曲した個人の音楽を、一人の指揮者が統率して、一つのイメージを形成していく。しかし、ガムランは、時に20人以上で演奏されても、指揮者はいない。あくまで、複数の演奏家たちの「あいだ」に音楽が生成する。
 こうしたジャワでの経験に着想を得たWiegoldは、作曲家に交響曲の1ページ目だけの作曲を委嘱し、その続きはオーケストラのメンバーと即興的に組み上げていく試みをしている。ここで作曲家の役割は、叩き台を作ることで、演奏者全員が創作に加わっている。
 「ダルマブダヤ」の代表で民族音楽学者の中川真さんは、「踊れ!ベートーヴェン」初演の翌年(1997年)に、インドネシア芸術大学ジョグジャカルタ校に、客員教授として半年間滞在する。ジャワ滞在中、中川さんはガムラン現代音楽を、現地の音楽家と演奏しようと試みる。演奏に加わったのは、ジャワ・ガムランの超一流の演奏家ばかりだったそうだが、西洋音楽の発想で書かれた楽譜の音楽を、何度やっても彼らは演奏できるようにならなかったと言う。中川さんは愕然としたと言う。
 やはり、ジャワ・ガムランというのは、個人の音楽を演奏するのではなく、その場にいる複数の個人の音楽性を融合して作る音楽なのだと思う。そのことを再確認するために、中川さんは、もう一度、ジャワ・ガムランの伝統を踏まえてみようと考えた。それは古典に回帰するという意味ではない。ガムランという音楽をしている本質とは何か? エッセンスとは何か? それを体感した上で、インドネシア人と共有できるガムラン現代音楽を作りたいということだ。楽譜や指揮者という西洋の発想では、「私の作品」としてのガムランしか生まれない。では、ガムラン的な「私たちの作品」を生み出すにはどうしたらいいか?
 中川さんは帰国すると、自らダルマブダヤを退団し、新しいガムラングループ「マルガサリ」を立ち上げた。そして、2年間現代音楽を封印し、ジャワの伝統音楽を演奏し続けた。そして、2000年、一切楽譜を書かず、伝統音楽のように、全てを口伝えで新曲を作れないか、とマルガサリから委嘱があった。
 「私の作品」が「私たちの作品」になるための鍵として、中川さんは、楽譜を排除することを考えた。楽譜というものがあると、作品は固定化されて定着する。では、楽譜をなくすとどうなるか? そうした実験として作曲したのが、「せみ」だった。「せみ」の全てのパートは、口頭で伝えられることを前提に作曲された。例えば、曲の終わりでは、各自がそれぞれ楽器を鳴らす。そして、自分の鳴らした楽器の音を聴き、そのピッチで「みーん」と一息で歌う。歌い終わったら、また、別の楽器を鳴らし、同様に続ける。すると、全体としては、複雑なハーモニーの「みーん」が時々刻々と響きを変化させていき、その間に楽器の音が、ランダムにカンとかコンとかゴーンと鳴り響く。また、曲は、スコアのように小節でくぎられるのではなく、誰かが合図を出すと、それに呼応するように誰かが別のフレーズを演奏するなど、関係性で成り立つようにできている。
 しかし、譜面のない作品「せみ」は、野村誠作曲作品(「私の作品」)であり、「私たちの作品」にはならなかった。曲の仕組みは全て野村誠が考えたもので、演奏者はそれを教わって演奏していた。
「野村さん、ここはもっと変えましょう。」
なんて提案してくる人もいなかった。楽譜があった「踊れ!ベートーヴェン」の方が、演奏者から提案がどんどんあって、加筆・変更し、よっぽど「私たちの作品」になっていたと思う。
 当時の「マルガサリ」は2年間ジャワの伝統音楽を学び続けていたが、ジャワの音楽は「私たちの音楽」として消化できていなかったと思う。あくまで、インドネシアの人たちの音楽で、それをインドネシアから教わっている感覚が強かった。同様に、野村誠の音楽も、野村誠から教わっている感覚が強かったと思う。演奏者は、何を演奏していても、自分自身の音楽として消化する上で演奏しなければ、それは「私たちの音楽」にはなれないはずだ。そこで、「私たちの作品」として、野村誠とマルガサリは、ガムランシアター「桃太郎」の創作に取り組むことになる。

 
著作紹介
 roujinho
野村誠・大沢久子 著
「老人ホームに音楽がひびく」
晶文社より好評発売中!
 
 
  ▲前へ ▼次へ  

sai.gif