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2 不完全な開かれた作品、「踊れ!ベートーヴェン」の発見

 こうして、人と関わりながら作曲しているうちに、せっかくインドネシアで公演するのに、インドネシアの人と関わらないのは残念な気がしてきた。ぼくの曲には、インドネシア人が参加する場面を作り、ぼくの曲の中で日本人とインドネシア人が交流できるようにしよう。当時、イギリスで子どもたちと共同作曲を実践して帰国したばかりだったので、インドネシアの子どもたちが参加できる場面を作ることにした。では、どうやって?
 インドネシアの子どもたちのパートを全部作曲してからインドネシアツアーに行くのが、一番効率がいい。でも、人の個性に特化して作曲しようと考え始めていたぼくは、インドネシアの子どもたちとも「野村デー」をやってみたいと考えた。そこで、曲の中間部分は自由度を大きくして、現地の子どもたちと作曲した場面が後からはめ込めるようにしよう。方針が全部決まったところで、ぼくは20分強の大作ジャワ・ガムランと児童合唱のための「踊れ!ベートーヴェン」(1996)のスコアを、一気に書き上げた。
 スコアを書き上げたら、普通、作品は完成するはずだが、この作品は未完成な作品だ。なぜなら、中間部分は、演奏する地元の人と新たに作曲して、交流するように楽譜に書いてあるからだ。だから、この曲には、演奏する度に違った人が参加する。丹後と京都では、シンガー・ソングライターのTASKEが共演、大阪と神戸では、貝塚少年少女合唱団が共演、ジャカルタでは、小学生アンクルン楽団、ジョグジャカルタ、スラカルタでは、プランバナン中学の子どもたちが参加した(その後、京都では、子どもたちの大正琴、水口では、ワークショップ参加者のだるまさんが演劇ゲーム、大垣では、作曲家の三輪眞弘のコンピュータ・アルゴリズムが共演)。だから、中間部分は毎回違ったパートとして、その都度、作曲されることになる。作曲作品の楽譜に、「この場面は新たに作曲してください」と書き込んだことで、作品が創作の場、交流の場としても機能し始めたのだ。
 こうして上演する度に演奏が変わっていく過程を、ダルマブダヤのメンバーも楽しんでくれたようだ。京都公演の前に、松永作品に木琴奏者として客演していた野口さんが、「野村さんの曲にも、どこかで参加したいので、パートを一つ増やして欲しい」と願い出てくれた。そこでぼくは、新たにデムンという鉄琴のパートを一つ増設した。また、ジャカルタ公演の本番直前に、「野村さん、この太鼓買ったんですけど、曲のどこかで使えませんか?」とメンバーが言う。お土産として買った太鼓だけど、せっかくだから、どこかで使おう。新たに場面を増設する。さらには、バンドン公演、ジョグジャカルタ公演、スラカルタ公演では、せっかくだから現地の超一流の太鼓奏者とセッションしたいのだけど、どこか曲に増設できないか、ということになる。現地の太鼓奏者が、即興的に参加できる場面を設けることになった。
 こうしたことに気をよくしたぼくは、ジョグジャカルタ公演では、観客が参加する場面を設け、観客にも声を出してもらった。旅をしながら作品がアップデイトされていき、その場で出会った人、関わった人の足跡が作品に残っていく。そして、インドネシア国立芸術大学ジョグジャカルタ校で行われたワークショップでは、「踊れ!ベートーヴェン」を聴いてもらった後に、芸大の伝統音楽科の講師陣たちに、「踊れ!ベートーヴェン」を真似してもらった。「踊れ!ベートーヴェン」は、日本人とインドネシア人が共に参加して創作していく場としての作品だった。
 不完全な作品だからこそ、作品がアップデイトされていく。作曲家は作品を構成しつつ、しかも未完成のまま可能性を開いていくことが必要なのではないか。また、未完成でありつつも、多くの人々の創造性を刺激するだけの魅力を持ち合わせた作品を作ることこそが、作曲家の仕事なのではないか。

 
野村誠・活動情報

8月10日(東京)
 アップリンク/あいのてさん
8月11日(逗子)
 イベント
9月7日(東京)
 あいのてさんコンサート
9月19日(東京)
 P−ブロッ
9月21日(水戸)
 P−ブロッ

 
 
 
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