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戦争を語り始めた宗教者ら、龍谷大は学徒出陣を全員調査(2/3ページ)

2008年10月20日

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写真43年11月20日、西本願寺で行われた学徒出陣の壮行会写真学徒出陣した学生の名簿作りのため、当時の学籍簿の整理をする龍谷大の学生=京都市伏見区、上田潤撮影

 京都市の正住寺の長男だった苗村紹隆さん(故人)は43年11月、西本願寺で開かれた同大学の壮行会で、学生代表として「生等(せいら)(=我々)の屍(しかばね)を乗り越えて続け」と答辞を読んだ。陸軍に入営後、フィリピン山中で戦死。姉の苗村妙子さん(89)によると、遺骨として戻ってきた箱の中身は石ころだった。「小さい子どもを連れて歩いている男性を見ると、弟も孫に囲まれた生活を楽しく送れたのではないかと思う」と悔しさをにじませる。

 調査に応じた元学徒兵の中には、特攻隊志願を聞かれ、「行かんでええんちゃうかと思いつつ、他の人がぽつぽつと手をあげた。自分も最後の方で手を挙げた」と語った人もいる。「戦争はいけないという戒律があるが、そんなの問題外だった。断れば自分の命が保証されないと思った」と振り返った。

 調査に参加している4年生の加藤正樹さん(21)は「実際に会って話を聞くと、想像もつかない世界。でも、自分たちは消してはいけない歴史を紡ぐ仕事をしているのだと思う。一言も聞き漏らせない」と話す。

 同大の学徒出陣壮行会には約4千人が参加し、当時の大谷光照門主が「南無阿弥陀佛」と書かれた懐中名号を学生に渡した。送り出された学生は約360人だった。

 浄土真宗本願寺派は04年、門主の考え方などを表した戦前・戦中の文書が戦争に協力するものだったことを反省する見解を発表した。ただ、龍谷大は戦争協力について詳細な調査をしておらず、出陣した学徒兵の数や戦死者数も分かっていない。ここ数年、学徒出陣した卒業生らから「史実を語り継いでほしい」「生きている間に調べてほしい」との声が寄せられていた。

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