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NOTE.  

DATE.  2008 . 10 . 22

もう一度、WBC監督人事について

 クライマックスシリーズの最中でもあるし、なるべく余計なことはいうまいと思ってきたのだけれど、「WBC監督人事」についての最近の騒ぎを見ていると、やはりこれはもう一度、わたしの口からもなにか話をしておいた方がいいのではないかと思い、再度、わたし自身は変わらずWBCの日本代表監督就任を固辞するつもりでいる―ことをあえて再度、このホームページで表明しておきたい。仮にも、たとえ万が一にもわたしがお引き受けすることはありませんと、重ねてそうお伝えしておきたいと思う。

 去年オリンピック代表監督に就任する前後から、球界の主だった一部の人たちからは間接的にではあるけれど、結果はどうあれ引き続いてWBCの監督も、という話はあった。オリンピック以降も、あの犯罪者扱いのような批判やバッシングのなかでも直接間接、いろいろな意見や励ましをくださる方も確かにいた。しかし、たとえそうした空気や情勢があっても、現在のこうした否定的な世論やメディアのなかでたとえやったとしても決して盛りあがることはないだろうし、またそうした支持がなかったら成功なんかするわけもない、球界がひとつになることもままならないだろうと思う。わたしを押してくださる人がたとえいてくれるとしても、これはとてもむずかしい話でしかなかった。

 個人的なことでいえば、娘たちもわたしがこうしてさらし者になっていることでどんなにか心を痛めてきたことだろうと思う。しばらく連絡がないので上の娘の家に電話をすると、口止めをされていたのだろうが孫の口からぽろりと娘が、つまり心労で「ママが入院している」という話を聞くことになる。娘たちには「パパ、ユニホームはもういやよ。パパひとり、こうまで悪者にされて。もう、長生きすることの方を考えてちょうだい」ともいわれていたのだが、その娘の入院にまでことが及んで、これ以上はもう家族を巻き込むことはできないという気持ちにもなった。

 9月半ばのこのホームページでの話はそうしたところから、これは到底引き受けることはできない、たとえそうした空気がなきにしもあらずにしても、これは引き受けるべきではない、というわたしの本当の気持ちから出たものだ。

 北京では短期決戦の難しさというものを改めて味わうことになったが、反省を含めてわたしにもなによりも貴重な体験のひとつになった。選手やコーチ、スタッフの全員にも目的は果たせなかったが、きっと今後への糧につながる経験にもなったろうが、敗軍の将は語らずという通り、絶え間ない批判のなかでは多くを語るチャンスもないままできた。

 WBCの戦いはその規模やレベルから見てオリンピック以上のむずかしい、厳しいものになることは誰もが知っている。リベンジなどという軽々な考え方も見方もはさまる余地がないことぐらい、当事者になれば誰もがわかってくることだ。少なくともわたしよりももっと、ずっと「強運の持ち主」を選んでいくべきだろうという思いもあった。先月のホームページでの話は、そうした考えや思いの一端をつづったものだ。

 しかし、それでもこの一か月ばかり、WBCの監督人事についてはわたしの名前をもとに、いろいろな人たちの思惑や推測をもとにした発言などを交えて、さらにエスカレートしかねないような状況だ。実際にはこれは当事者のひとりでもあるわたしが断定するようなことではないのだけれど、殊にここ数日のマスコミ上での騒ぎようは異常なほどだ。きょうはここでもう一度改めて、わたしにはWBCの監督を応援することはあっても、お引き受けする考えがないことを強調して、重ねて申しあげることによって平明な審議や人選が進んでいくことを願いたい。

 国際試合での日本代表チームの監督、選手はどんなに大変なものか。きょうは今、ここでは多くを語らないでおくけれど、長い、いつの監督生活のなかでも常に「行蔵(出処進退)は我にあり」として、それを信条としてきたわたしについて多少なりとも知ってくれている方々にはなにがしか理解して頂けるかもしれない、とそうした思いで、あえて再度、ここにわたしなりの意思を表明しておきたい。


© Sen’ich  Hoshino’s on-line report.