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【暮らし】

植林活動で恩返し 中国残留孤児女性 内モンゴルで

2008年10月18日

 中国残留孤児の烏雲(ウユン)さん(70)=日本名・立花珠美=は、日本の肉親が判明した後も中国・内モンゴルに残り、「沙漠(さばく)」の緑化に取り組んでいる。「中国に恩返ししたい」という思いからだ。今月末に来日し、講演を通して協力を呼び掛ける。  (山本哲正)

◆母・姉・弟を失う

 「母は一歳の妹を刺しました」。烏雲さんは敗戦時、一九四五年八月の混乱を振り返る。日本に帰国しようと、中国東北部(旧満州)から歩く約千六百人の隊列に烏雲さんの家族六人もいた。隊列がソ連軍に遭遇し、姉と弟二人が殺された直後に始まった集団自殺。怖くて逃げ出した烏雲さんは、母が短刀で胸を刺し倒れる姿を目にした。

 父は役人として満州に渡った。「当時は現地の農民から卵を買うなど、私たちに侵略の感覚はなかった。しかし、後に歴史を学び、侵略と分かった」と烏雲さん。自らのつらい体験もあり「戦争は特攻の若い男性だけでなく女性もひどい目に遭わせる」と非戦への願いは強い。

◆養母の愛に包まれ

 一人残された当時七歳の烏雲さんは、中国人に助けられ、回り回ってモンゴル民族と漢民族の夫妻の養子となった。養母は、恐怖で悪夢にうなされる烏雲さんに、ぜいたく品だった砂糖水を作って与え、「お母さんが抱っこしてあげる」と、深い愛情を注いでくれた。

 学校でも、日本人の烏雲さんを差別することなく、奨学金も出してくれた。烏雲さんは「恩返しに、中国の子どもたちのために頑張りたい」と勉強に励み、高校教師になった。

◆「沙漠化」止めよう

 七〇年代以降、教え子たちの家庭が学費も出せない貧困状態にあることに気付いた。草原の沙漠化で農業収入が減っていたからだ。退職後の九四年から、ホルチン沙漠(約五百二十万ヘクタール)での植林活動に尽力。日本の植林ボランティアの全面支援で緑化が進んだ約三百六十ヘクタールは「烏雲森林農場」と名付けられている。

 黄砂を引き起こす沙漠化を食い止めようと、日本からの植林隊は今も続々とホルチン沙漠を訪れる。烏雲さんは「私は中国人の愛を受け、日本人の愛を受けている」と喜ぶ。八一年の一時帰国で徳島県に住む実兄と再会したが日本に戻らず、「育ての親」の地で尽くし続けた成果だ。

 烏雲さんが名誉顧問を務めるNPO法人どんぐりモンゴリ(愛知県長久手町)は、森林農場を拠点に、植林のほか、現地の子どもたちの教育支援に力を入れる。沙漠化の改善には現地の人々の教育も重要なためだ。同法人は、通常使われる「砂漠」ではなく、人為的要因で「水を少なくした」ことを強調するため「沙漠」を使う。沙漠化に対する意識改革を促す狙いだ。

 今回の来日講演を企画した同法人の角和保明理事長(64)は「私たちの会は、烏雲先生の奉仕の思いに学び、貧困地域での活動を手伝っている。先生の話を多くの人に聞いてもらい、活動にも協力を呼び掛けたい」と話している。

    ◇

 烏雲さんの講演(一部有料)は、十月三十日から十一月四日まで計六回開かれる。十一月三日午後一時−同三時半(名古屋市中区のモンゴルレストラン「シンキロー」で)など。問い合わせは、どんぐりモンゴリ=電0561・61・3329。

 

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