記者の目

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記者の目:世界の明日を握る米大統領選=中井良則

 ずっと気になっている。これまで米国では白人男性しか大統領にならなかった。さて、今年、黒人あるいは老人を大統領として、そして女性を副大統領として受け入れる用意が米国人にあるだろうか。

 そうした個人の属性は本人の意思では変えられない。そこに優劣や価値をつけ、反対票の理由にする。そんな人がどれぐらい多いか、という問題だ。

 投票まで3週間を切った大統領選挙の最大の政策課題はもちろん経済だ。しかし、表の争点にはならないので気づきにくいが、今年、米国人の投票行動を左右する隠れた争点が三つあると思う。それが人種、年齢、男女の性差だ。

 米国においては、この3点を根拠に、他人を差別してはならない。黒人、高齢、あるいは女性であることを理由に、特定の人を公然と批判すれば、発言者自身が厳しく非難される。

 皮膚の色や年齢の衰えや性差は目に見えていても見ないことにする。それが社会の建前だ。保守とリベラルという政治的立場の二分法を超えた合意だ。「すべて人間は平等で自由と幸福追求の権利を持つ」。独立宣言のこの理念を守るためには差別を認めてはならないからだ。60年代の公民権運動の成果でもある。

 だが、日本人もそうだが、人間には自分では気づかない、あるいは認めたくない偏見がある。大統領選挙でそんな偏見はどう表現されるだろうか。

 勝敗に最も響くのは人種だ。史上初の黒人候補である民主党のバラク・オバマ上院議員がどうみられるか、でもある。

 米国で6年間暮らしたが、白人の住宅地で黒人はまず見かけなかった。職場で一緒でも、住むのは別々だ。白人と黒人の夫婦は41万組で全体の0・7%しかない(04年)。先月の世論調査では、「乱暴」「不満をいう」など黒人に否定的なイメージを持つ白人は、民主党支持者でさえ3分の1もいる。意外に多い。

 東京で何人かの米国人に「黒人差別はまだあるか」と尋ねると「そんなものは乗り越えた。黒人が大統領候補になったのが証拠だ」と笑いながら教えてくれる。たまたまみな白人だ。

 主著「アメリカ 自由の物語」が翻訳された、米国を代表する歴史家、エリック・フォーナー・コロンビア大教授にも聞いた。さすがに楽天的ではない。

 「人種差別は終わっていない。仕事、学校、住宅、医療や多くの分野で黒人を差別する構造だ。平均的な白人世帯の資産は9万ドルあるのに、黒人は5000ドルだ。差別の歴史の積み重ねが富の差となっている。白人と同じ能力があっても、黒人は持ち家や就職で白人より苦労している」

 さらに「黒人への偏見はいまだにある。だが、むき出しで表現されることはない」と付け加えた。

 差別は存在しない、ということになっている。

 そもそも、世論調査で正直に答えない白人がいる。黒人候補支持と答えておいて、実際は白人候補に投票する。「ブラッドリー効果」と呼ぶ。82年のカリフォルニア州知事選で世論調査が逆転して敗北した黒人候補の名前だ。

 自分は黒人差別主義者ではないと白人回答者は認識しているし、調査員に疑われてもいけないという心理もある。それほど、平等は社会の強い規範であり、偏見は個人の内部に潜む。

 隠された偏見は「誤解されたオバマ氏」を生む。たとえば、世論調査でオバマ氏の宗教を聞くと正解の「キリスト教徒」は54%で「イスラム教徒」と誤って答える人が13%いる。米紙コラムニストのニコラス・クリストフ氏が「宗教の偏見が人種偏見の代用となっている」というのは正しい解釈だろう。「黒人は嫌だ」と言えないから代わりに「典型的な米国人ではない」と勝手に決めてしまう。

 ブッシュ大統領に人気がなく、民主党が有利な選挙だ。それなのにオバマ氏が敗れると、敗因は「黒人だから」と解釈される可能性は高い。多文化社会の統合は後退する。分裂や差別が焦点になる。黒人の失望感は強まる。世界の米国への見方も違ってくるのではないか。

 オバマ氏に投票しなくてすむ理由、それも黒人以外の理由を見つけたい。もやもやした心理で投票所に行く白人はいるだろう。そんな白人が5%いや3%いれば激戦州の結果はひっくり返り、マケイン氏当選だ。00年、フロリダ州の537票(0.009%)差の勝利がブッシュ大統領を生み、今の世界を形作った。04年は12州が得票差5%以下の大接戦だった。

 米国と世界の明日は、激戦州に住むミドルクラスの白人の黒人観で左右される。それが実は今年の選挙だと私は位置づける。(論説室)

毎日新聞 2008年10月15日 0時02分

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