10日、中国の人権活動家・胡佳氏は、ノーベル平和賞の呼び声が高かったにも関わらず、受賞にはいたらなかった。なぜ、胡佳はノーベル賞を取れなかったのか。写真はノーベル博物館。

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人権活動家・胡佳はなぜノーベル平和賞を取れなかったのか―中国
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2008年10月10日、中国の人権活動家・胡佳(フー・ジア)氏は、ノーベル平和賞の呼び声が高かったにも関わらず、受賞にはいたらなかった。なぜ、胡佳はノーベル賞を取れなかったのか。

「中国新思考―現役特派員が見た真実の中国1800日」(日本僑報社)の著者、TBS特派員の藤原大介記者は、2007年6月から胡佳と頻繁に連絡を取り、取材を続けてきた。胡佳と藤原氏の出会いは、強烈なものだった。約束の北京市内の広東料理店に時間より少し遅れて現れた胡佳は、やや上気した顔で窓の外の白いセダンを指し、こう言った。「お待たせしてすまない。ここに来るまでの道中、公安当局にずっと尾行されたんだ。ごらん、今も僕達が会話する様子を録画している」

1973年生まれと若く、北京で育ち、北京テレビのディレクターであった胡佳は、どこで当局に監視される人権活動家に変貌を遂げたのか。藤原氏の分析によると、環境問題を取材するうちに、メディアという「傍観者」の立場に飽き足らなくなった胡佳は、当時の中国でまだ珍しかった環境NGOに加入。その後、エイズ問題、人権問題など民主活動家へと立場を移していく。

胡佳は藤原氏のインタビューに答え、「僕は非常に感じやすいタイプ。何でも感動して涙を流し、心を痛める。自分で何かをせずにはいられなくなるんだ」と答えている。その性格が災いし、06年2月4日、「維権抗暴絶食」(=人権を保護し、暴力に抗議するハンスト)を仲間と行っていた胡佳は、拘束される。

妻であり胡佳の最大の理解者である曾金燕(ズン・ジンイエン)氏は、藁にもすがる思いで、ブログ上で胡佳の「失踪」を公表し、外国の大使館や人権団体に手紙で助けを求めた。「失踪」から41日後、胡佳は帰ってきた。

07年5月、米誌「タイム」は「世界で最も影響力のある100人」を発表した。その中には、胡錦濤国家主席らと並び、曾金燕の名前もあった。記事には、「北京の秘密警察と言論を武器に戦ったブロガー」と書かれ、胡佳夫妻の名前は国際社会に知れ渡り、外国メディアの取材が殺到した。しかし、中国メディアは胡主席の入選を伝えたが、曾金燕の入選を報じなかった。

胡佳は08年4月3日、中国の政権や社会主義制度を転覆するよう繰り返し扇動したとして、懲役3年半の実刑判決を受け、現在服役している。曾金燕は法院前で泣きながら訴えた。「5本の文章と2件の取材で懲役3年半の判決を受けるなら、世界や中国の人々、そして憲法を制定した人に問いたい。これでも中国人に『言論の自由』があるの?」

中国の言論抑圧は依然として厳しく、それこそが胡佳をノーベル平和賞から遠ざけた要因ではないだろうか。

藤原記者はその後も追跡取材を行い、五輪期間中、曾金燕と生後一年に満たない娘の謙慈ちゃんに「異変」が起きたと述べている。夫が拘束されて以降、ほとんど人権保護活動を行わず謙慈ちゃんを育てていた曾金燕は、当局の監視を受け続け、7月28日に藤原記者とショートメールのやり取りをした後、「失踪」した。胡佳の裁判を担当した李方平(リー・ファンピン)弁護士は、「五輪期間中、外国メディアの取材に応じられないように、当局に娘もろとも拘束された可能性が高い」としている。
2008-10-11 13:20:52 配信

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