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特集:きょうから新聞週間 命を守るために、真実掘り起こす(その1)

 ◇公害・薬害と調査報道

 15日から新聞週間が始まった。毎日新聞大阪本社の大島秀利編集委員の「アスベスト被害の情報公開と被害者救済に向けた一連の報道」が今年度の日本新聞協会賞を受賞した。「公害」や「薬害」の歴史は長い。行政機関の無策や企業の利益優先主義を背景に多くの患者の命が奪われた。記者が隠された事実を掘り起こした記事は、読者の共感を呼び、救済に向けて行政を動かす原動力となってきた。命を守るための公害、薬害報道は、記者と患者らが一緒に歩んだ歴史でもある。【臺宏士】

 ●「生き方変えた」

 昨年7月の参院選で初当選した川田龍平さん(32)は、母・悦子さん(59)が今も保管している記事があることを知っている。

 1982年7月20日朝刊の毎日新聞社会面に掲載された記事の見出しは「『免疫性』を壊す奇病、米で広がる」。

 後にHIV(エイズウイルス)と呼ばれるが、原因のはっきりしなかった当時の記事は「不思議な病気」と表現し、「血友病患者などにも広がり始めている」と伝えた。

 生後6カ月で血友病と診断された川田さんは、輸入血液製剤のためにHIVに感染。10歳の時悦子さんから感染を告知された。川田さんは「当時は、HIVに感染したこと自体を隠したいと思った。あまり考えたくなかった」と語る。

 日本でのHIV問題が大きな転機を迎えるのは、80年代後半。88年2月5日付毎日新聞は朝刊1面トップで、血液を加熱処理した血液製剤の開発が大幅に遅れて被害が拡大した陰に、この分野で権威のあった学者が、研究の遅れているメーカーへ配慮した疑いを報じた。さらに、厚生省による加熱製剤承認の遅れを指摘した。HIV感染は「人災」である疑いが色濃くなった。

 川田さんは「新聞報道で『HIVに感染させられた』ことを知ったことが、国と製薬会社の責任を追及する裁判に参加するきっかけになった。報道が生き方を変えた。裁判でも出てこなかった隠された事実が調査報道で明らかにされると、患者側も勇気づけられる」と話す。93年に訴訟に参加し、95年実名公表に踏み切った。

 ◇被害者とともに歩む

 ●届かぬニュース

 75年9月9日の衆院公害対策環境保全特別委員会は、有害物質の六価クロムによる健康被害、土壌汚染問題を集中的に取り上げた。六価クロムは、金属メッキに用いられる金属で、強い毒性があり、肺がんや皮膚の炎症の原因となる。

 同年夏、東京都江東区の日本化学工業(日化工)が「土地が締まる」などとして六価クロムの鉱滓(こうさい)を東京都東部や千葉県市川市に投棄していたことが住民団体の告発で明らかになり、社会問題化した。同時に肺がんを患うなどクロム酸化合物を取り扱った従業員の悲劇も明るみに出た。

 北海道栗山町の日本電工・栗山工場で起きていた同様の問題もクローズアップされ、多くの国会議員が現地入りした。

 同委員会は、則武基雄町長(99年4月死去)に対する参考人聴取を行った。

 則武町長は「この問題が今回、大きく新聞その他に出たわけだが、今さら何事だと感じている。72年に数次にわたり国に申し上げた。東京都で1人の肺がんの人が亡くなったことで大きく取り上げられたが、私の町では9人も死んだ。田舎町の国民は9人も死んでいいのか。国にも社会にも非常に不満を持っている」と述べた。

 同じ公害問題でありながら、東京と地方で起きた場合の「報道格差」についての報道界の反省は、公害問題の原点とも言える熊本県水俣市で発生した「水俣病」報道にまでさかのぼる。

 水俣病が公式発見されたのは56年5月1日。今日では発生原因は、チッソの排水に含まれた有機水銀だと広く知られているが、当時は原因不明の「奇病」とされ伝染病説も唱えられた。

 全国紙では、朝日が同年8月に「水俣地方に奇病 病原体わからず高い死亡率 熊大など究明に懸命」と報道した。毎日も10月に「マンガン中毒か水俣の奇病、熊大が分析」と公式確認からほどなく記事にしている。しかし、いずれの記事も地方ニュース扱いで、東京の読者が読めるような全国版には届かなかった。

 「ドキュメント日本の公害」(全13巻)の著者で、元毎日新聞記者の川名英之さん(73)は日化工問題を取材した。川名さんは「政府は76年には廃棄物処理法を改正し、違法な投棄に対する規制を強化した」と、東京で起きた公害問題の早い対応を指摘する。

 その上で「水俣病も富山県のイタイイタイ病も地元紙や地方版では報道されたが、霞が関の役人や永田町の国会議員の目にとまるような全国ニュースにはならなかった。東京で報道されなかったため、政府も本腰を入れて救済に取り組まず、被害の拡大を招いた。重要な公害事件は全国的に報道する必要がある」と語る。

 ●住民と二人三脚

 「私たちが報道したことで地元農家による住民運動に発展した。そしてそれを私たちも後押しした。二人三脚のような形になった」。富山県黒部市のカドミウム公害をスクープし、70年度の日本新聞協会賞を受賞した北日本新聞(富山市)元常務の山口新輔さん(63)はそう振り返った。

 同紙は、黒部市の日本鉱業三日市製錬所(現・日鉱三日市リサイクル)の亜鉛製錬で排出されるカドミウムにより、農地が汚染され、県や市が「成人病検診」の名目で、ひそかに住民の健康調査や土壌分析をしていることをスクープした。

 山口さんがカドミウム研究の専門家との会話の中で端緒をつかんだ。住民は怒り、行政の責任を追及した。同県では神通川上流にある三井金属鉱業神岡鉱業所(岐阜県飛騨市、現・神岡鉱業)が排出したカドミウムを原因とした「イタイイタイ病」が68年に公害病として認定されるなど公害問題は、県政上の大きな課題のはずだった。

 山口さんは「富山県は隣の岐阜県を発生源としたイタイイタイ病の被害県でありながら、発生源を表にせず被害実態を隠していた」と指摘したうえで「報道によって大きくなった世論の批判にさらされて、行政も土壌汚染や健康被害の結果を出さざるを得なくなった」と話す。一連の報道は、70年度の「日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞」も受賞した。

 患者や住民とともに歩んだ公害報道が評価されたケースもある。川崎市を拠点に取材活動をしている記者らでつくる「川崎公害報道研究会」による「公害報道と住民運動との結合」が71年度のJCJ賞を受賞した。

 同研究会メンバーは東京、東京タイムス、神奈川、朝日、共同通信、NHKの6社13人。共同学習や共同取材など企業の枠を越えて行った公害報道や地域住民運動と固く結合したジャーナリスト活動が評価されたという。芹沢清人・元東京新聞記者(77)は「患者らと一緒に開いたシンポは反響を呼び、新聞は市民の味方だという認識が広がった」と語る。

 水俣病患者の救済にかかわった「公害問題研究会」(東京)の仲井富・代表幹事(75)は「住民の声に耳を傾け真実を掘り下げて、住民の言いたいことを書いてくれた記事によって多くの住民運動が救われたと思う」と話す。

 沢田猛・毎日新聞記者(東京社会部)は95年、九州各地で起きた炭鉱でのじん肺被害を取り上げた「黒い肺--旧産炭地からの報告」でJCJ奨励賞を受賞した。入社5年目の79年、初任地の静岡県で、初の集団提訴に出合ったのがじん肺取材のきっかけだ。沢田記者は「異動後も取材を続けていたからこそ見えてくる真実もあると思う」と話す。

毎日新聞 2008年10月15日 東京朝刊

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