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第一回口頭弁論メモ(5)(大淀事件22-6) ※とりあえず完成
※発言者
T氏:原告T崎さん本人。
原:原告代理人の弁護士。『白い巨塔』や『Tomorrow』の監修でお馴染みの方?
被:被告側弁護士。
被1:大淀病院弁護士
被2:大淀病院産科医師弁護士
被3:被1の事務所の美人弁護士。
裁判官:大島裁判長、奥山裁判官、西岡裁判官
(3)本人尋問 :原告Tさん(亡くなった妊婦さんの夫)
主尋問:原告代理人弁護士→原告T氏
原「甲A−4号証。あなたが書かれたものですね?」
T氏「私が書きました」
原「この文書の内容について、あーせえ、こーせえと誰かに言われた事は?」
T氏「誰とも話しせずに、自分の知っていることだけを書きました」
原「2006年12月5日付けになっている。弁護士に相談に行ったのはいつ?」
T氏「11月頃」
原「同じ時に、甲A−5号証、M香さんのお母さんの陳述書が出ている。
それぞれ相談せずに、全く別々に作ったのか?」
T氏「はい」
原「甲A−4号証に、今の時点で間違いはないか?」
T氏「ありません」
T氏「あなたの記憶は、事件から4ヶ月ぐらいあとに作った
この陳述書に基づくものですね。
そこには『何時何分』『何時ごろ』と記載が違うのは」
T氏「『何時何分』と書いているのは、自分の時計を見て書いたもの。
あとは、病院からのカルテを見たり、自分の記憶だけで書いた」
原「結婚してからこの時までは」
T氏「1年と3ヶ月。H17年5月に結婚しました」
原「今回のS太君が初めての子供さん」
妊娠してから、大淀病院で生むことになった事情が何かあった?」
T氏「五條市に住んでいた。近くの五條病院の産科はなくなった。
大淀病院は一番近かった。自分が生まれた病院でもあった。
祖母が長い間働いていたこともあり、大淀病院を選んだ」
<平成17年8月7日>
原「『平成17年8月7日、午後3時30分ぐらいに病院に着いて、
M香(さん)と会った』とあるが、それまでに病院に一緒に行った事は?」
T氏「あります」
原「(それまでに)妊娠高血圧症候群というような病気はあった?」
T氏「ありません」
原「(それまでの)お産にはとくに問題がなかった?」
T氏「はい」
原「吐く事があった?」
T氏「はい」
原「『もう嫌だ、帰りたい』の時は、どんな状態だった?」
T氏「とにかく陣痛の痛みと思うが、おなかが痛くて、
何度も吐いたりしたので『嫌だ、帰りたい』と本人が何度も言っていた」
<頭痛→奇声後意識消失。その時は二人きり>
原「『午後11時ごろ陣痛が短くなってきた』。
その後はお母さんは引き取り、Tさんが一人残った。
何時から?」
T氏「午後11時から一人です」
原「付き添っていて、頭の話がでてきます。
何時ごろ? どういうことで?」
T氏「日付が変わるぐらいか、
突然『頭が痛い』ということだけを訴え、頭を何度か叩いたりしていた」
原「M香さんはベッドに寝てますよね。
あなたはどの位置にいました?」
T氏「彼女のベッドの左側にいた」
原「『頭が痛い』は、何か動作をしましたか?」
T氏「頭の右後ろあたりを叩いていたと思います」(右手で右後頭部を殴るしぐさをする)
原「叩きながら『痛い』と言うんですか?」
T氏「はい」
原「そのことがあってどうしました?」
T氏「ベッドの右側に行って、首の後ろあたりを揉みました。
会話もできない状態だったが、10分ぐらい揉み続けていた」
原「マッサージの後も頭の痛みは続いているんですか?」
T氏「はい」
原「それで?」
T氏「陣痛の時間も自分で時計を見て計っていた。
0時13分、突然人間が本気で殴るように、右手で右後ろを、何度か殴りながら、
奇声を発して意識がなくなった」
原「『奇声』とは?」
T氏「大きな声を上げながら、『痛い』『イーーッ』と言ったかと」
原「大きな声は、隣に人がいると気づくぐらい?」
T氏「はい」
原「奇声は日常生活で普段出さないような?」
T氏「はい」
原「今『イーーッ』と言われたのか、『キーーッ』か?」
T氏「『イーーッ』と言った記憶が」
原「気を失ったのはどうして分かる?」
T氏「意識を失う時、ちょっとだけ身体をベッドから上げたような状態になって、
叩きながら、ベッドに落ちていった」
原「すぐに意識消失だとわかりました?」
T氏「わかりました」
原「ナースステーションは?」
T氏「陣痛室のナナメ向かいにすぐある」
原「ナースコールより、声を出したほうが早いと思うが」
T氏「すぐ目の前にボタンがあったので押した」
<I助産師到着>
原「すぐに来ましたか?」
T氏「Iさん(助産師)がきました」
原「やりとりは?」
T氏「『頭が痛い』と言うか『頭を叩きながら意識がなくなりました』って。
すぐに主治医を呼びに行ったと記憶しています」
原「Iさん(助産師)は意識消失前には来ていましたか?」
T氏「何度か来たと思います」
原「さっきのIさん(助産師)の話では、
M香さんが意識を失う前に、自分で『頭が痛い』と伝えたというが」
T氏「自分の記憶では、意識消失時は、僕とM香の二人きりだった」
原「Iさん(助産師)が呼んで、すぐにお医者さんは来ましたか?」
T氏「多分、来たと思います」
原「その前にIさん(助産師)が頬を叩くなどしていたと思うが」
T氏「意識を戻そうと、何度も顔を強く叩いていた」
原「Mさんはベッドに寝ているので、屈んだ姿勢で?」
T氏「そうですね」
原「反応が無い。それから医師を呼んだ?」
T氏「記憶に無い」
原「陳述書2〜3頁。
『もう一人看護師が来て[M先生呼んで来て]』
何分か後にお医者さんが来たことになる?」
T氏「そうです」
<「脳の血管、切れたんじゃないんですか?」>
原「M先生の診立ては?」
T氏「多分内科が、後で来てくれたので、
『内科医を呼んでくれ』と言われたと思います」
原「先生の診察で、ペンライトで瞳孔を見ていたことはありましたか?」
T氏「あったと思います」
原「それでどういうことを言われました?」
T氏「僕がそのとき、先生に対して、多分内科医の先生に、
『意識が無くなることがあるんですか?』
『脳の血管、切れたんじゃないんですか?』と質問したら、
『大丈夫です。Vitalが正常ですから、しばらく様子を見ましょう』と」
原「あなたはどうして『脳の血管』と言うんですか?」
T氏「まったくのシロウトでも、おなかじゃなく
『頭が痛い』と言いながら、異常な行動をしながら意識を失ったということだけで、
シロウトの判断で、脳の血管が切れたんじゃないかなと思った」
原「どちらに聞いた?」
T氏「二人いる状態で」
原「結論としては『しばらく様子を見ましょう』と言うことで、
二人は帰ったわけですね?」
T氏「はい」
原「この間15分となっていますが。
0時13分失神。それから15分なので、ざっと12時30分(0時30分)ですかね。
その後はIさん(助産師)さんが時々来ている? 何をしに?」
T氏「陣痛も来ていたので、分娩監視装置を着けたり外したり。
血圧も見ていたと思う」
原「自動血圧計をつけてますね。どういうことを見て、
そうだと分った?」
T氏「モニターを持ってきて。左腕につけたと思う」
原「モニターはデジタルの数字がコロコロ動いている?」
T氏「はい」
原「それを見れば、その時の血圧が高いかどうか分かる?」
T氏「はい」
<1時40分ぐらい、異常な姿勢>
原「あなたの陳述書3頁『1時40分位に』。
『3分に一回ぐらい、手を内側に捻るような動き』。どうして『位』なの?」
T氏「一番最初におかしいなと思った時間が。
一度血圧が異常な値を示して、アラーム音が鳴ったんです。
その時から、四肢の動かす姿勢が始まった。
そのときをアラーム音の時間をカルテをみたら、1時37分だった。
その異常な姿勢見てからすぐに家族に電話をしにいった」
原「アラーム音はあなたににも聞こえるんですか?」
T氏「聞こえます」
原「音は初めて鳴った?」
T氏「そうです」
原「乙A−2号証17頁。『1時40分ぐらい』と同じ所を見ると、
『1時44分、測定不能』とある。
アラーム音は『ピーーー』という長い音? それとも『ピッ、ピッ』。
長さのある音か、断続的な音とアラームは基本的に二種類あるんだけど?」
T氏「そこまでは覚えていない」
電話をしにいったのが、1時40分〜50分なので」
原「どこに電話した?」
T氏「家族は病院近くの祖母の自宅で待機していたので、そこに電話した。
1時50分前」
原「どうしてお見舞いの途中で電話をすることになるんですか?」
T氏「意識が戻らないことに加えて、見たことの無い異常な姿勢をとっていたからです」
原「『異常な姿勢』とは?」
T氏「両腕を内に曲げて伸ばし、同時につま先をグッと張る。
ものすごくグーッと強い感じで。
20〜30秒それが続いて、一端戻る。3〜4分おきに繰り返す」
原「甲B−3号証149頁(除脳硬直の図?)。
さっきIさん(助産師)に見てもらった。そのような状態ですか?」
T氏「そうです」
原「ふーん。
『両手を伸ばして外側に曲げる。足も伸ばしてつま先を伸ばした状態』
そういう状態ですか?」
T氏「はい」
原「両手両脚以外の、顔や上半身にとくに異常はない?」
T氏「はい」
T氏「『後弓反射』、弓ぞり、身体を外側に曲げる、
弓のようにそらすということはない?」
T氏「???」
原「質問を変えます。M香さんがベッドから落ちるとか、横になるということは?」
T氏「ない」
原「1時40分ごろから、何分か毎かに、20秒ごとに同じような姿勢を繰り返すことが続いた?」
T氏「はい」
原「異常と思ってお家に電話した。病院のほうには? ナースコール?」
T氏「アラームが鳴ったので、Iさん(助産師さん)が
来てくれたと思う」
原「で?」
T氏「すぐに主治医の方を呼びに行った」
原「主治医とT先生(内科医師)も?」
T氏「はい」
原「さっきとは別の異常に対して、お医者さん達はなんと?」
T氏「その時は何も言われなかったが。
とにかく僕はM香の死生を止めようとして、脚をさすったりしていた」
原「で、止まるんですか?」
T氏「止まらない」
原「『止まらない』というのは、20秒ほど続いて、それが繰り返す?」
T氏「はい」
原「陣痛との関係は?」
T氏「Iさん(助産師)に陣痛は来ていると言われた記憶はあるが、
陣痛と同じだという記憶はない、わからない」
原「お医者さんは何をしてました?」
T氏「何か点滴をしたのか、薬を入れたのかということは覚えているが、
説明はうけてない。
家族全員が数分ぐらいで来てくれたので、
その中の祖母が、すぐに『脳や!』と言った」
<祖母が『脳や!』と何度か強く言った>
原「おばあちゃんは、大淀病院で長い間看護師をされていた方ですね?」
T氏「はい」
原「おばあさんは何をされたのですか?」
T氏「たしか、痛覚刺激というか、M香の」
原「身体に触るんですか?」
T氏「触りました。何か深刻的なことをおっしゃいました。
『これは脳や!』と大きな声で」
原「言った。誰に言ったんですか?」
T氏「まず、分娩室に居た家族に言って、
すぐに詰め所に行って、そこに居たM先生に向かって、
『これは脳や!』と言った」
原「で、お答えは?」
T氏「M先生は『子癇』という言葉を、そのとき初めて口にした」
原「耳慣れない言葉である『子癇』の意味は分かった?」
T氏「わかりませんでした」
原「病気のことをいっているのかな、ぐらい?」
T氏「はい」
原「おばあちゃんと先生とのやりとりは?」
T氏「おばあちゃんは何度か『違う、脳や!』と強く言うが、
『いや違う、子癇や』と頑なに言ってました」
原「Iさん(助産師)によると、
2時45分ぐらいに、詰め所でM先生から家族に対しての説明があったというが」
T氏「記憶があいまいです。あったかもしれない」
原「よく覚えていない?」
T氏「はい」
<T先生(内科医)は『脳だ』と。父が『なんでCT撮れへんのや!」と言った>
原「T先生(内科医師)からM香さんの病状について説明はあったんですか?」
T氏「詰め所に家族がすぐに行って、
祖母がすぐ先生に『脳や!』と言って、先生は『子癇や』と言って、
そこでT先生(内科医師)がいたので、『あなたの所見はどうですか?」と聞いたら、
『脳だと思います』とはっきり言いました」
原「『あなたの所見はどうですか?』と聞いたのは誰ですか?」
T氏「僕の父親やったと」
原「T先生(内科医師)が『脳だ』と答えた。
それからどうなりました?」
T氏「『それやったらなんでCT撮れへんのや!』と強く言った」
原「誰が?」
T氏「えっと……父が」
原「で?」
T氏「『動かすと危険だから撮れない』と」
原「誰が?」
T氏「M先生が」
原「それの話はそこで終わる、物別れになった?」
T氏「はい」
<ケイレンは続いていた>
原「それからM先生は看護師詰め所に居たんですね。
家族への説明が2時45分ごろとすると、
それ以降、M先生はM香さんの診察にいらっしゃた?」
T氏「ずっと電話待ちで座っている状態なので。
搬送する前の呼吸困難の時に来たぐらい」
原「T先生は?」
T氏「T先生(内科医師)はずっとM香そばにいてくれました」
原「Mさんの側にいるのはT先生(内科医師)とあなた?」
T氏「あと家族。誰だとは言えないけれど」
原「M香さんは0時13分の意識を失ってからは、ずっとその状態ですか?」
T氏「はい」
原「その間、刺激を与えたり、声を掛けたりはやったのか?」
T氏「僕は、腕や脚をさすったり、声を掛けたりはしていた」
原「でも反応は無い?」
T氏「はい」
原「1時37分か1時40分頃、異常な姿勢、ケイレン。
その後ケイレンはずっと続いている?」
T氏「はい」
原「その状態で、手足をさすっている?」
T氏「そうです」
原「さすっても治らないんですよね?」
T氏「はい」
原「ずっとさすっているんですか?」
T氏「はい」
原「いつぐらいまで?」
T氏「家族が来てくれた時は、M香の側から離れているが、
先生とのやり取りの後、M香の側に戻った時、さすっていた記憶がある。
原「ずっと、搬送までですか?」
T氏「えっと」
原「あなたが足をさするのは、M香さんが変な姿勢をしているからですか?」
T氏「はい」
原「いつまでその姿勢は続いてました? ずっと?」
T氏「搬送が決まる、4時半にはしていなかったが、
はっきり覚えていないが、それまでかなり長い時間と言う記憶はあります」
原「あなたの家族が着いたのが2時。それに少し遅れて、
Nさんのご家族(M香さんの家族も、富田林から来られた」
T氏「はい」
原「Nさん(M香さん家族)が来てから、M香さんにケイレンみたいなものも
続いていたのか?」
T氏「はい」
原「Nさん(M香さんの母)の陳述書にも、
T先生(内科医師)の方から『脳に異常がある』と聞いた、とある。
Nさん家族に対してもお医者さんから説明があった?」
T氏「記憶に無い」
<4時半、変なイビキ→挿管>
原「4時半。 転送直前に呼吸が悪くなった。どうなった?」
T氏「呼吸困難という状態。初めて見る。異常な呼吸の仕方」
原「形が異常、音が?」
T氏「音。いつから」
何時からかは記憶に無いが、イビキをかき出して、
イビキとともに、クウォアアアーというような(頭を後ろにそらすような動作をする)
聞いた事の無い音がしました」
原「普段はしないような音を出して、で?」
T氏「祖母が『このまま搬送するのは危ない。挿管してくれ』と
T先生(内科医師)に言った」
原「そしたらT先生(内科医師)は?」
T氏「挿管する道具を探していた記憶がある。『器具を取ってきて』と言った」
原「誰が?」
T氏「覚えていない」
原「道具を取りに言って戻ってきて、挿管した?」
T氏「はい」
原「挿管は誰が?」
T氏「T先生(内科医師)が」
原「挿管したら、変な声や動きは収まったんですか?」
T氏「はい」
原「搬送。記録上は出発は4時50分ぐらい。
誰が乗りましたか?」
T氏「僕、祖母、M先生、E師長と」
原「5人かな? M香さん入れて」」
T氏「はい」
<国循では産科関係に運ばれたけれど、すぐに脳だとCTを撮った>
原「1時間ぐらいかかって、国立循環器病センターに着いた。
国立循環器病センターでの対応はすぐでした?」
T氏「はい」
原「最初に運ばれたのはどこですか?」
T氏「分娩室」
原「産科の関係の所に行ったわけね。
ところが方針が変わりますよね? どうなった?」
T氏「はい。その場で脳に異常があると思うので、CTを撮ります」
原「CTを撮るのが、記録だと6時13分。
M先生はどうしたのかな?」
T氏「帰られていきました」
原「どの時点で?」
T氏「分娩室に行ってから、先生と少し話して帰っていった」
原「CTの結果、脳内出血だとはっきりした。
どういう風に告げられましたか?」
T氏「違う部屋に連れて行かれ、CT画像を見せられ、
『脳の真ん中に出血がある』と告げられました」
原「で、どうする、と?」
T氏「『危険な状態なので、開頭手術とともに帝王切開』と言われた」
原「同時に?」
T氏「はい」
原「手術をして昼頃。術後の説明は?」
T氏「『血腫は取り除いたが、大変危険な状態です』ということで。
とにかくはっきり覚えていないが、かなり危険な状態、と告げられた」
<病院との話し合いは、物わかれに>
原「国立循環器病センターに行った後、あなたはこの件について、
話を聞きたいと申し入れたのですか?」
T氏「はい」
原「記録によると9月22日。
あらかじめ申し入れて病院の方が関係者を集めて。
結構時間をかけてやっているが、結論は?」
T氏「I助産師とI看護師が来ていなかったので、
次回はちゃんと全員揃った状態で、もう一度と」
原「次回はいつ?」
T氏「決めていませんでした」
原「で、どうなりました?」
T氏「その後、病院側が弁護士を」
原「結局ものわかれとなった。
その後、Iさん(助産師)やIさん(看護師)といった、
M香さんの処置を直接した方からのお話は伺えず?」
T氏「そうですね」
<9月2日の『お悔やみ』で、M医師を脅すような言動はなかった>
原「その少し前、9月2日にMさん(被告医師)達が、あなたの自宅に
お悔やみの訪問をした。
乙A−10号証5頁。
『[子供の養育費がいる。医療事故として認めろ]と要求した』とか、
[病院が麻痺するようにしてやる]と言った』とあるが、
事実ですか?」
T氏「当日、M先生とE看護師(師長)が、謝りに来ると聞いたので
受け入れました。
来られて、先生に『やっぱり先生のミスだったんですね』と聞いたら、
『違います』と。先生も言葉を濁して『ミス』とは言わなかった
『謝りに来たのとは違う』と言われました。
こちらから先生に『ミスやったらミスって認めてよ』とは言いましたが、
『全財産を使っても裁判で勝つ』とか、
『病院を麻痺するようにしてやる』と言った覚えはありません。
原「他の人が言った可能性は?」
T氏「僕の記憶にはない」
原「この時は、あなたの父のKさん、おばあちゃんの○さんも居られた。
仏壇の前であなた達家族と、Eさん(師長)とMさん(被告医師)が向かい合う形だった?」
T氏「はい」
原「じゃあ、誰が何をしゃべったか、みんな分かっているわけですね。
今おっしゃったような事は、なかった、と断言できる?」
T氏「はい」
原「これには、脅したようなことを言ったことになっているが」
T氏「『胸倉を掴む』というのは記憶に無いが、
両肩を持った、という記憶はある」
原「誰?」
T氏「僕の父親やったと思うけど」
原「何を?」
T氏「『ミスやったんでしょ』と言った」
原「『胸倉を掴んだ』ことになってるけど?」
T氏「記憶にありません」
原「9月5日のお線香を上げにきた帰りは、
円満に帰られて、駐車場まで送っていった、ことになってるけど?」
T氏「そうですね」
<病院に話し合いを断られたから、訴訟にするしかなかった>
原「今は残念ながら訴訟になっているが、なぜ訴訟になったのか?」
T氏「9月26日にIさん(助産師)、Iさん(看護師)は居なくて、
もう一度話をとお願いして、10月10日と。
その時は弁護士と病院長、事務長、三人しか居なくて、
いきなり弁護士さんに
『病院にミスはありません』『裁判でもしてください』と言われた。
その時は裁判は考えていなかったが、
ある報道関係の方に、ある産科医の方を紹介していただいて、
その産科医の方に、石川先生を紹介していただいて、
石川先生に相談をすると、
『もう一度正式に、話し合いを申し込んでみましょう』という事で、
申し込みをしました。
が、『個人攻撃になる』ということで、断られました。
で、もう術が無かった、というか」
原「訴訟にする、あるいは弁護士の所に相談に行ったのはいつぐらい?」
T氏「11月半ばから後半ぐらい」
原「その時にこの陳述書を?」
T氏「はいそうです」
<医師と同じように不規則な仕事なので子育ては大変で、
幼子に母親の死を教える日を思うと涙が溢れます>
原「初めての子供さんは、誰が育てているの?」
T氏「僕の母親です」
原「あなたとあなたのご両親は同居してるの?」
T氏「はい」
原「あなたの仕事は?」
T氏「警備会社」
原「警備会社の勤務は不規則勤務ですね」
T氏「はい」
原「当直のお医者さんとよく似てて、夜中じゅう働いて、という形」
T氏「はい」
原「訴訟で騒がしくなっているけれど、
あなたの一番心配な事は?
これからについて、子供さんやM香さんのことで考えていることは?」
T氏「……どうやって子供に母親の死を受け入れさそうというか、
教えていこうというか」
原「いまいくつ?」
T氏「……(泣く)。もうすぐ2歳です」
※I弁護士さんは、時系列に沿った質問も出来られるんですね。
今までの尋問が時の流れを行ったり来たりで、どこの時点の話なのか、
言い間違いもあられるため、メモをとりながらも混乱していました。
その中で、冷静に主張されていたI助産師さんはさすがです。
整理された証人の記憶に沿うであろう、事象が起こった順に沿っての質問も出来られるのね、
と新鮮な感動を覚えました。
※※それゆえ、かどうかは分かりかねますが、『天漢日乗』様の記事にありました、
大淀病院事件「かわいそう」系報道を見たような気がしました。
反対尋問:被告側弁護士→原告T氏
<T氏による陳述書について>
被1「甲A−4号証、あなたの陳述書……」
大島裁判官「続けて大丈夫ですかね?」
(原告T氏が、先ほどの原告代理人による問いかけに泣きだし
収まる様子が無いため)
T氏「はい」
被1「落ち着いてお答え下さい。
これがどういう経緯で作られたかは、
いまI先生(原告代理人弁護士)から説明がありましたけれど、
これの前後というのは、ないのですか? ノートの」
T氏(被1の言葉を切って)「ありません」
被1「ノートの一部のようなのですが、
元々書いておられたのはノートなのですか?」
T氏「はい。破いて」
被1「一冊のノートを破った頁に、書かれたという事なのか?」
T氏「破ったか、コピーをとるときか、よく覚えていない」
被1「全部で5枚しかないが、これの前後の記載は?」
T氏「特にありません」
<原告側は被告側が持っていない病院からの書類を持っている>
被1「先ほどこれを書くにあたり大淀病院のカルテを参照したと
言われましたけれど、それはまちがいないですか?」
T氏「はい」
被1「カルテはいつ頃入手されましたか? 誰から?」
T氏「9月21日の一回目の話し合いの時に、事務長から」
被1「裁判になって、大淀の方から乙A−2号証まで出しているけれど、
これは間違いないですか?」
(※乙A−1号証:大淀病院カルテ、乙A−2号証:大淀病院外来カルテ)
T氏「はい」
被1「実は、我々自身も貰っていないものが、原告側より提出されている。
『病棟管理日誌』はいつ貰ったんですか?」
T氏「そのときに頂いたと思う」
被1「本日原告が強要した甲A−6号証は、
いつ誰が入手されたんですか?」
原「ちょっと待って、どれ?」
被1「今日、I弁護士(原告代理人)から証拠として採ってほしいと。
いつ、誰がどういう関係で入手されたのでしょう?」
T氏「10月10日の二回目のときに、院長か事務長から。
10月10日に見た記憶はあります」
被1「10月10日に? わかりました」(不可解そうな表情)
<Tさんの「頭の血管が切れたんじゃないか?」発言のバックグラウンド>
被1「陳述書について。
先ほど原告代理人から質問があったが、
Tさんご自身が『頭の血管が切れんたんじゃないか?』と聞いたという話だった。
なぜそういういう風に言われたのか?
身内の方、身近な方に脳出血されたという経験がありますか?」
T氏「ない」
被1「あなたの陳述書では、0時30分から1時40分位までの
M香さんの病状の記載が無いが、どういう状態だったのですか?」
T氏「それは、えーっと、寝ているような感じ」
被1「あなた自身も、異常なないと思っておられた?」
T氏「内心すごく心配は、心配性なのでしていたが、
特に…異常というか、
先生に『大丈夫です、しばらく様子を見ましょう」と言われたので、
その言葉を信じて」
被1「陳述書には、
その間に10分に一回I助産師が血圧を測ったり、胎児心拍計をつけたとあるが、
お母さんのほうが頭の血管が切れたんじゃないかとあなたが思うぐらいに
『痛い』という状態で、赤ちゃんがどうなっているかということは心配になりました?」
T氏「特に心配はなかったです。何回来てもらっている時に、
『赤ちゃんは大丈夫です』と聞いた記憶があります」
被1「I助産師のほうからそういう話があったということですか?」
T氏「僕が聞いたのか記憶にありません」
被1「あなたのほうから積極的に聞いたか、I助産師が話があったのかは
覚えていないけれども、『赤ちゃんは大丈夫ですよ』という認識があった?」
T氏「はい」
<M香さんの硬直について>
被1「この時、M香さんの体が硬直を起こしたということですが、
硬直と陣痛、陣痛間隔の関係はわからない?」
T氏「わからない」
被1「M香さんに陣痛がきているかというのは分かるのか?
この時点より前の意識ある状態での記載に、陣痛の事は書かれているが」
T氏「わかります。ずっと静かにしているのですが、
陣痛が始まった時は何度か『ううーーっ』と言います」
被1「痛みでいきむ、という感じですか?」
T氏「そうですね」
被1「意識がなくなる前の話ですが、
M香さんが陣痛で痛い時に、何か姿勢をとるという記憶はありますか?」
T氏「記憶はない。声だけは陣痛の時は。顔をしかめたり」
「丸くなったような記憶はある」
被1「逆に突っ張るような記憶というのは?」
T氏「なかったです」
被1「硬直の時、I先生(原告側弁護士)から
『あなたの言う事はよくわからん』と撤回されてしまったが、
腕とか、脚の姿勢の説明があった。
のけぞる、というのはなかった?」
T氏「なかった」
被1「1時30分頃から後の硬直した状態について、
M先生から『陣痛の時のいきみじゃないか』というような説明はなかったですか?」
T氏「なかったと思う」
被1「すぐに家族に電話に行かれたとのことだが、
電話はご自分の携帯電話ですか?」
T氏「はい」
被1「『外に出た』という記載があるが、分娩室は2階にある。
一階の玄関外まで、という意味ですか?」
T氏「いえ、すぐ、産科病棟の扉を出たら、すぐ左の廊下で」
被1「『戻ってくると、T先生が来ていて何か言われたが、
頭がパニックになって覚えていない』と書いておられるが、
『頭がパニックになって』というのは、
T先生に言われたことが原因でパニックになったのか、
それとも、状況を見てパニックになったのか?」
T氏「その場を見て、というか……、
とにかくM香の様子を見て、自分の気が焦った」
被1「そうすると、電話を掛ける前と、戻ってからでは
M香さんの様子はちがっていたんですか?」
T氏「…変わってなかったと思います」
被1「あまり変わりはない、ということは、
あなたが急にパニックになるような状態や変化があったんですか?」
T氏「なにか、こう……。家族に電話をしにいって
だんだん、だんだん、どうなるんやろ、どうなるんやろという
気持ちの焦りでパニックになった」
被1「何か病状に変化があったと言うよりは、
あなた自身の気持ちが焦ってきたと?」
T氏「はい」
<2時過ぎ、Tさん家族到着>
被1「2時過ぎにご家族が来られましたね。
この時の時間は正確ですか?」
T氏「はい」
被1「陳述書には、このときすでにM医師はナースステーションで
電話をしていたとあります」
T氏「電話をしていたという記憶はないが、ナースステーションで」
被1「でもあなたの、陳述書には書かれていて、先ほど間違いはないと
言われていたが」
T氏「電話をしていたと思います」
被1「この時は分からなかったと思うが、
後から奈良医大への電話と分かったわけですね?」
T氏「はい」
<祖母が「除脳硬直や!」>
被1「陳述書では、祖母さんが『脳に異常がある』と言われたとのことですが、
その時の他の書類には『除脳硬直や!』と書いてあるのですが、
実際言葉として、どういう風に言われたかの記憶はありませんか?」
T氏「祖母が、『除脳硬直』と言った記憶があります」
被1「除脳硬直、という言葉の意味は医療関係者じゃないと
なかなか分からないと思うが、
その時あなたはどういうことかと質問しましたか?」
T氏「していない」
被1「その時は、『脳』という字が入っているので、
何か脳の異常があると思われたと?」
T氏「はい」
<父がCTを撮らないのか?と聞いたのが、CTの話が出た最初、
T医師は言っていない>
被1「陳述書には、あなたではなくお父さんが、
T先生にCTを撮らないのかと聞いたとある。
CTという事が、関係者の中で出て来たのは、この時が初めてですか?」
T氏「はい」
被1「T先生が『CTを取りましょう、撮ったほうがいい』と言ったということは?」
T氏「聞いてないです」
被1「CTの話が出たのは、2時以降で間違いはないですか?
ご家族が来てからで」
T氏「そうですね」
<CTは胎児に悪影響があると認識していたが……>
被1「先ほどの話になるが、
『おなかの赤ちゃんに影響がある』と言ったのは、M先生で間違いないですか?
それともT先生?」
「はっきり覚えていない?」
T氏「どちらかが言ったという記憶があります」
被1「ちょっと戻って、その前、
0時30分〜1時40分位までの間、おなかの赤ちゃんの状態は大丈夫ですよ、
という話があって、あなたもそういう認識だったと思うが、
その後、Mさんに硬直が起きるという別な事態になってきた。
このとき、おなかの赤ちゃんの状態について、
あなたとしてはどういう認識だったのですか?」
T氏「……あまり考えてなかった。
とにかく、子供よりM香を助けてくださいと言う気持ちと、
そういう風に言ってました」
被1「陳述書には、具体的にはお父さんが言われたことになっているが、
お父さんだけでなくあなたも言ったということですか」
T氏「はい、はい」
被1「『おなかの赤ちゃんに影響がある』と言うのは、
CTを撮ると影響があるといわれたわけですから、
逆に言うと『おなかの赤ちゃんは大丈夫ですよ』となる。
『元気なおなかの赤ちゃんに悪影響があるかも知れないから、
CTを撮るのはやめましょう』という認識は変わりがないんですか?」
T氏「はい」
被1「ですね」
<父が「廊下でいいから受け入れてくれ」と奈良医大に>
被1「陳述書によると、
お父さんが『もう一度奈良医大に連絡してくれ』と頼んだとあるが、
頼んだ相手はどなたですか?」
T氏「……記憶にはないが、M先生は間違いない」
被1「ですね。
と言うのもM先生は、先ほどあなたが言われたとおり、
電話のあるところにおられたということなので、
もし言っているとしたら、M先生じゃないかと思うんですが」
T氏「はい」
被1「陳述書に、お父さんが『電話を替わってくれ』と言い、
『廊下でいいから受け入れてくれ』と言ったがダメでした、とあるが、
お父さんが実際、奈良医大の電話の担当者と、どういういう話をしたか、
後からでも聞いてませんか?」
T氏「『廊下でいいから受け入れて』と言ったけれど
『満床です』と言われた、という記憶がある」
被1「そのやり取りは、その場で聞いたのか、
それとも後からお父さんから聞かれたのか?」
T氏「『廊下で、片隅でもいいから取ってくれ』と言った記憶がある」
被1「それはお父さんの言葉?」
T氏「はい」
<M先生はM香さんの病室を訪れていましたよね?(放置していない)>
被1「話が前後して恐縮だが、
M香さんの硬直は、あなたの話では搬送が決まる30分前までという事だが」
T氏「4時30分に搬送が決まった時点ではなかったと、記憶している」
被1「あなたは脚をさすっていたが、
M先生から『脚をさすってはいけない』と言われた記憶は?」
T氏「ある、と思う。M先生に言われたのか、Iさん(助産師)か、
Eさん(師長)に言われたのかは分からないが、そういわれた記憶はある」
被1「ということは、もしM先生が言われたのならば、
M香さんのいる所に、M先生が入って来ているということになりますよね?」
T氏「はい」
<国循へその後遺児の診察は?>
被1「国立循環器病センターのI先生(産婦人科医)からのお話で
『S太くん(原告。遺児)の当時の状態はかなり厳しかった』と言われた。
それは当時I先生(産婦人科医)から聞いておられましたか?」
T氏「はい」
被1「本件訴訟には直接関係はないが、
I先生(産婦人科医)はS太くんのその後の成長が心配で、
もっと頻繁に診察をしたかったと言われていたが、
退院時に池田先生から『退院後も時々診察に来てください』という話は?」
T氏「なかったと思います」
被1「I先生(産婦人科医)からは『その後診察には来られていないが、
テレビ等拝見するとお元気なようで』と聞いている。
その後、国立循環器病センターに、
S太くんを診察に連れて行くというのはないんですね?」
T氏「何回かあったと思います。
T先生(小児科医)に診察してもらった記憶はある」
被1「それはあなたがご自身で連れて行かれた?」
T氏「はい」
<大淀病院側との約束の反故と毎日新聞記事>
被1「私と病院でお会いしたのは、本件が訴訟される前の話ですよね」
T氏「はい」
被1「あなた方のほうで、国立循環器病センターの手術記録とCTを取り寄せ、
それを私どものほうに送っていただき、検討させていただく、
という話になったと思いますが、間違いはないですか?」
T氏「そうですね」
被1「その後、国立循環器病センターの資料を取り寄せるという努力は、
していただいたんでしょうか?」
T氏「……先生に相談はしました」
被1「先生とは、国立循環器病センターの?」
T氏「違います」
被1「I弁護士(原告代理人)のことですか?」
T氏「だと思います」
被1「私の言いたいのは、
Tさんの方で国立循環器病センターの資料を取り寄せて送ってもらいと思い
お待ちしていたが、当然、報道された。
なぜそういうことになったのか、Tさんは事情はご存知ですか?」
T氏「まず、一番最初の報道は10月16日か17日。
その3日位前に、僕がM香と二人で住んでいた家に、一人で居たら、
ある新聞記者が尋ねてこられた。
その時、新聞記者と初めて聞いて、自分もびっくりして、
インターフォンで『T崎S輔さん、いらっしゃいますか?』
と聞かれたが、びっくりして『いません』と言った。すると
『いつごろお帰りになられますか?』とか聞かれたので
『わかりません』と帰ってもらった。
その後すぐに、父に電話して『とりあえず名刺だけ貰っとけ』
と言われたので、追いかけて名刺だけ貰いました。
家族と相談して、父親が『一回話してくる』と話をしにいった。
話を聞いた結果、
『一回ちょっと話してみるか』と言うことで、
僕と父親とM香の両親と新聞記者とで話をしました。
その次の日に、新聞に出ました」
被1「その新聞記者の話を受ける前に、先ほどの話にあった、
私どもとの約束の国立循環器病センターの資料取り寄せ作業には、
着手していただいていたんですか?」
T氏「いなかった、と思います」
被1「そうすると、私どもとの約束は反故にして、新聞記者と話をした、
と結果としてはなったわけですね」
T氏「そうですね、認めます」
<警備会社(仕事)のシフト > 「真実を知りたい」>
被1「あなたは色々な機会に『真実を知りたい』とおっしゃっておられる。
裁判官からの
国立循環器病センターで、T先生(脳外科医)とI先生(産婦人科医)と
話をすると機会が在ったが、あなたは同席されなかったのはどうしてですか?」
T氏「どうしても抜けられない仕事があった。
シフトが一ヶ月前に決まっていて、その日にはどうしても外せない勤務があった」
被1「その日は一ヶ月以上前に決まっていましたよ。
あなたのシフトが一ヶ月前に決まるのなら、その日は外すという努力はして」
原(切るように)「一ヶ月前に変更になりましたから!
国立循環器病センターへの尋問期日は、一ヶ月前に変更になってますから」
被1「二つあったと思うが、両方とも変更になった?」
(またもや言葉を挟もうとする原告側代理人(弁護士)を制するように)
いずれにせよ、シフトを変更してもらうという努力はされたんですか?」
T氏「その勤務と言うのはどうしても、
変えるということができないという、自分の中で認識があった」
被1「あなたとしては、
『真実を知りたい』ということよりも、
シフトの方が重要だったということですね?」
原「ちょっと止めてくださいよ! そんな質問!」
(傍聴席真ん中の列から、おそらく『奈良妊婦たらいまわし○○訴訟』背表紙の
マスコミ人より後方の男性二名から笑いと「無茶苦茶言うな!」という声が上がる)
大島裁判長(終わりにしましょう、という動作をしたと思います)
※私としてはそのような野次が飛ぶことの方がずっと不愉快でした。
<裁判をおこすにあたり、ターゲットが変わっているのでは>
被2「あなたは他のところで
『もう少し救急システムが良かったら助かったんじゃないだろうか』
というようなことを、言っておられましたね?」
T氏「はい」
被2「裁判になると、
『まず悪いのは大淀病院で、ちゃんとすれば助かったのに』
と裁判になってしまった。どうしてですか?」
T氏「診断がハッキリしていれば、もっと早くに治療を受けれて
助かったんじゃないか、と僕は思ってます」
被2「あなたが色々雑誌の取材を受けた記事が出て世に流れているが、
例えば『陣痛促進剤を使っているから、その副作用や』
というお医者さんがでてきたりとか、色々あるのでは?」
「そういうことは、今は考えてないのですか?」
T氏「それもあるかもしれない」
<毎日新聞の「6時間放置」は、必死さが伝わってこなかったから>
被2「マスコミが取り上げた、とは毎日新聞のことですね」
T氏「はい」
被2「そこでは、病院が奥さんをほったらかした、という
報道から始まったのだけれど、
病院は一所懸命転院先を探していたと言う事は、
あなた、よく知ってたんでしょ?」
T氏「いえ、その時家族全員が一番感じたのは、
先ほどM先生がここで話していたように、
こんなことを言うと悪いのかもしれないけれど、
小さい声で、ゆっくりと」
被2「声の大きさとかそういう問題じゃなくて」
T氏 「必死さが伝わってきませんでした!」
被2「でも助産師さんや看護師さんも、一所懸命に早くと
心配していた事は、よく分かっておられたんじゃないですか?」
T氏「だから、あまりそれを感じられませんでした」
被2「『あまり』というところに不満があるんですか?」
T氏「それはよくわかんないんですけど」
<警察や地元議員の関与:Tさんの父は地方の有力者>
被2「この事件では、警察が動き出しましたね。
どんないきさつだったか、ご存知ですか?」」
T氏「『新聞報道を見て、放っておけない』と家に警察から電話があった」
被2「それで『是非お願いします』とあなたの方がおっしゃった?」
T氏「はい」
被2「あなたのお父さんのお仕事は?」
T氏「それは言わないといけないんですか?」
被2「ものすごく言いにくかったらいいですよ」
T氏「建築業」
被2「かなり地方では有力な方ではないんですか?」
T氏「わかりません」
被2「町議会で、かなり早くこの問題を取り上げて、
『謝罪せなアカン』『補償せなイカン』とか
主張する議員がおられたということだが、心当たりは?」
T氏「すみません、わかりません」
被2「お父さんには心当たりがあるかも知れない?」
T氏「そうかもしれません」
大島裁判長「あまり関係ないんで、ねえ」
※大いに関係あると思いますですよ〜
被2「今のやり取りの続き。
病院のやり取りの説明はあなたがなさったが、
お家のほうへのお悔やみの時のやり取りでは、
自分達は一生懸命やったんだ、といった説明だったんでしょ?
Mさんと師長さんは」
T氏「はい、二人だけ」
被2「それは、それなりにわかっていたんですか?」
T氏「それは、とは?」
被2「二人は一所懸命説明したと思うし、
最後はあなたが駐車場まで送って、気持ちよく別れたんだ、
という、やり取りの話をしているのですが」
T氏「最後確かに、なごやかというかになったんですけど、
それは……。
とにかく、話は聞いて、納得はしていないが、
『こういう事が二度とないようにお願いします』ということを、
お願いしました」
<裁判と報道関係者との関係>
被3「裁判になったということで、
弁護士料も請求させておられるので、その点からも。
10月10日に、被告側の病院側弁護士と話した。
そこで国立循環器病センターのカルテ取り寄せ、という話で」
その段階ではまだ裁判という気持ちはなかった、という話でしたね?」
T氏「はい」
被3「その後に、報道関係からある産科医の先生を紹介してもらって、
そこからI先生(原告代理人弁護士)を紹介してもらったら、
裁判に?
10月17日に報道があって、それと裁判との関係は?
報道関係からの産科医紹介は10月17日の報道の前ですか?
T氏「紹介は報道の後です」
被3「そこからI先生(原告代理人弁護士)を紹介してもらった結果、
裁判に?」
T氏「いえ、I先生(原告代理人弁護士)と出会って、
『もう一度話をしたい』という事で、相談した結果、
正式に話し合いを申し込んだら、断られた。
そこからですね、裁判を考えたのは」
<ミスとは?>
被3「10月17日の新聞報道などでは、
『長時間放ったらかしで、適切な処置が出来ていれば、
母体は助かったはずだ。意識不明で6時間放置』とある。
『ミスを認めてほしい』というのが、一番の。
Tさんの考えておられる『ミス』とはどのようなことですか?」
T氏「とにかく意識がなくなった、0時すぎのときに、
もうちょっとちゃんと診察してもらって、
脳の異常であると気づいていただいて、早く転送して欲しかったというか、
何とかしてほしかった、というか。
もう一つはやっぱり
誤診をしない、と言うことですね」
被3「私にはそのところが分からないのですが、
『0時14分の時、脳内出血を疑い、CTを撮るべきだった』は、
産科医がよく分からなかったので内科医を呼んでます。
そして、内科医がCTは要らないと判断している。
原告側が問題としている産科医の判断であって、
内科医は問題になっていないのはなぜなんですか?」
T氏「んーー」
被3「脳内出血のことを法廷でも問題にされていますが、
0時14分から1時37分、転送するまでのことが問題になっているのに
子癇か脳内出血かということが、どう関係するのかと、
よく分からないんですが」
原「それは裁判所が判断することだから」
被3「それが、弁護士さんからお話があったとか?」
T氏「…それは、やはり……」
被3「わかりました」
<毎日新聞!>
被3「いきなり毎日新聞が初めて来られたということなんですが、
毎日新聞の『次のM香さん出さぬように』という記事を見たら、
『取材は8月中旬から、まだT崎さん一家の所在もわからない中で始まった』
とあります。M香さんがまだ生きておられるうちから、
病院に新聞社のほうから問い合わせがあったということだが、
それは毎日新聞でしたか?」
T氏「毎日新聞は、僕の所に来た10月14日とか15日とかに、
名刺をいただいたのが初めてです」
被3「国立循環器病センターに搬送される時に、
すでに新聞記者が来ていたと聞いたことがありますが」
T氏「国立循環器病センターの先生から、誰かは忘れたが、
『新聞記者が来ている』とは聞きました。
毎日新聞、とまでは聞いていない」
被3「搬送当日ですか?」
T氏「何日か経ってからです」
被3「わかりました」
奥山裁判官→原告T氏
<1時40分頃のケイレン様発作について>
奥山裁判官「裁判官奥山から一点だけ。
あなたの記録では『1時40分頃、M香さんの体が、
手を内側にひねる感じ、足は突っ張る感じで硬直しだした』と。
その時に、あなたがナースコールを押したという記憶はありますか?」
T氏「ないと思います」
奥山裁判官「I助産師が、この時にM香さんの部屋を訪れていた時には、
M香さんに先ほどのようなケイレン様発作が起きていたというご記憶は?」
T氏「?」
奥山裁判官「I助産師が、この時にM香さんの部屋を訪れていた
事には、間違いはない?」
T氏「はい」
奥山裁判官「前後関係なのですが、
M香さんがケイレン様発作を起こした。その後にI助産師が来たのですか?」
T氏「はい、そうだと思います」
奥山裁判官「あなたのご記憶ですか?」
T氏「はい」
奥山裁判官「このケイレン様発作は突然起こしたのか、
その前に兆候というか何かエピソードがあるのか? ご記憶は?」」
T氏「…突然と記憶しております」
大島裁判長「終わりました。ありがとうございました。お疲れ様でした」
今後の予定
大島裁判長「この裁判の鑑定については、最高裁判所に設置されております
医事関係訴訟委員会のほうに鑑定人の推薦依頼をしております。
産科医一人、脳外科医一人、合計二人の鑑定人の要請であります。
順調に行けば来月中には、鑑定人の候補者が決まると思います。
鑑定人を選任して鑑定するということになります。
次は、鑑定人を決めるだけなので非公開でいいかと思いますが」
原「家族数人が入れたらいいです」
大島裁判長「いいですよ」
(日時擦り合わせ)
大島裁判長「8月26日、火曜日。午後1時30分」
「次回の期日指定は、
鑑定書の作成に2〜3ヶ月かかるので、その後でする予定です」
=この傍聴メモについて=
僻地の産科医先生と三上様が話し合われ、到られた結論に、
私も同意し、沿わせていただきます。
↓
『産科医療のこれから』様の証人喚問・T崎さん編より
傍聴中の弁護団のやり取りに、報道や、原告に都合の悪いだろう
と思われるやりとりがあったのです。
「どうしよう?書く??」
と相談しましたが、傍聴にきてブログにまであげている目的は、
新聞には載らない情報をきちんとあげること。
歴史で言うなら「一次資料」を目指していて、
(中略)
裁判に直接関わることとか、そういうのが目的ではないし。
報道が大いに間違っているのではないか?と思ったからこそ
傍聴に行くようになったという背景があります。
ですから誹謗中傷の目的ではありません が、
実際にあったやり取りですので、書くことにしました。
私のは、一次資料というか、解説討論のネタ提供という面に加え、
劇場の空気をなるべくそのままにお伝え出来ればイイナ系
(出来れば、その時の感情を共有していただければハッピー系)なので、
発言内容ももちろん大事ですが、どう聞こえたか(言ったか)というところも
仄かに香ればいいと思うあまり、再現夢でうなされる結果に(墓穴)。
なので言い間違い(と思われる箇所)は、聞き間違いなだけかもしれませんが、
あえてそのままにしてあります。
以下、個人的感想。
これも誹謗中傷の意図は全く無いのですが、
僻地の産科医先生が「いい人」と書かれている原告T崎氏、
私は、以前の裁判の時に見た、彼の目に宿るなんともいえない鈍い光が怖ろしくて、
ストレス性胃出血を起こした経験から、全面肯定は出来ません。
しかし、印象は変わってきています。
本日、午後の証人喚問の間に挟まった休憩中に、
T崎氏はすでに、証言台後方(傍聴席に近い側)に座られていました。
彼が自分の側にいないことに気づいた原告代理人であるI弁護士が
「最短距離」と言いながら驚いたような表情を見せたことから、
事件から二年の時間が経とうとする今、
彼の心の中に、彼自身として何か思うことがあるのではないかと感じました。
これは彼の表情も見えない傍聴席から感じた個人的感想です。
実の所は、全く、本当に全然、わかりません。
私個人としては、裁判の傍聴を重ねるに従い、
I弁護士さんへの印象は、10.5ヶ月前から変わりませんが、
(彼らを最初に見たのは第二回口頭弁論準備ででした)
T崎さんへの印象は変わったと、自分の心に照らし合わせて言える、
といった、極めて主観的な事実があり、
それを私個人としては嬉しく感じているらしいと分かるのみです。
このメモには、作成途中から、拍手で応援を戴きました。
ありがとうございました。
非公開コメントを下さった、なな様。
推定、と書いてくださった、助産師さん、看護師さんのお名前は
書いてくださった通りです。
被告の先生方医療スタッフの方々にお世話になられた、
そしてとても心を痛めておられるという、
なな様からの優しいメッセージ、
被告医師は間違ったことはしていないと、裁判の傍聴を重ねるごとに強く思う私に、
とても力強く響きました。ありがとうございました。(7月28日、17:15記)
なな様、
再び拍手コメントありがとうございました。
前回いただいたのは、この記事に、ではなかったのですが、
こちらにレスを書きたくて。拾ってくださり有難うございました。
M先生が良い先生だと実際を知り、肌身で感じておられるであろう
なな様のコメントは、実情を知る方ゆえの重みがあります。
私は、今回初めてお目にかかり、それも後姿しか見えておらず、
傍聴メモ(2)では、被告側弁護士の一人と間違えていた程に、
M先生の事は知りません。
なので、街中ですれ違っても、お声を掛けることもできません。
でも、M先生がこの事件でなさった事は、今までのお話からうかがい知る事が出来、
今回の本人喚問で、とても誠実な方なのだという印象を持ちました。
なな様のコメントに、大淀病院においても、M先生は実に真面目で
一所懸命に日々の激務に取り組まれていた、
尊敬に値する医師なのだと確信に近く思うことが出来ました。
また、なな様が実際に起こされた行動は、どれも素晴らしいと思います。
言葉だけより、行動が伴ったほうが遙かに説得力を持ちます。
行動には勇気が要ります。
なな様の勇気を素晴らしいと思い、私も見習いたいと力を戴きました。
> 大淀町民でさえ、報道を鵜呑みにしている人がほとんどのような気がします。
うわあ、マジですか……。
大淀町では、毎○新聞ボイコットが広まっていると期待していたのに……。
そんな中なら、なな様の実際の声かけは、
一層嬉しく響いたに違いないと思います。
私も今出来ることをします。
ありがとうございました。 (7月29日 0:35記)
7月31日の拍手コメント(非公開)へのレスです。
2006年10月17日火曜日の毎日新聞朝刊(当時実家が購読していました)で
大淀事件を初めて知り、ネットで情報を得て、私はM先生はこんな方らしい、と
想像していました。
今、M先生がなさった判断はその時の最善のものだったと、と思っている方々、
自分であっても、それ以外にやりようが無かったと考える医師応援者の殆どは、
M先生の仕事を、文字情報でしか知らないと思います。
けれど、なな様は、職場でのM先生を、患者としてご存知です。
一人医長の多忙さもあって愛想はいいとは言えなかったけれど、
> 真面目で誠実な医師
だと。
それはとても力のある言葉に、私には思います。
> 正しい処置をしたのに、こんなに辛い思いをされているなんて、
> 絶対おかしいです
> なんて気の毒な
と心を痛められ、怒りを感じて、自分に出来ることをと行動されていることは、
M先生にとってどれだけ嬉しいことかと、私の勝手な想像ですが思います。
報道を鵜呑みにしてしまっている大淀町の人達というくだりは、
とても悲しく思いましたが、
なな様のようにM医師を評価してくださっている患者さんも居られることに、
救われた思いでした、と私が言うのはおこがましく、M先生に申し訳ないですが。
また、なな様がお教えてくださった、
どうしてM医師は誤解されてしまうのか、も含め、
傍聴メモを見てくださる医療関係者にも観ていただきたいのですが、
お許しをいただけないでしょうか?
(なな様がM医師の昔の患者さんだった、という以外の
ご自身に関するところは伏せます)
なな様からとても貴重な、血の通ったメッセージを戴いてしまい、
非力ブロガーが独り占めしてしまうのが本当に勿体ないよ〜と、
ジタバタしてます。
お返事伺う前に、この部分だけは!
> 毎日オンコールがどんなに大変か、もっと裁判で訴えてほしいです。
この傍聴メモの原告代理人→原告T氏の最後のあたり、
T氏の職業である警備会社勤務=医師と同じ、と原告代理人が言葉にしていました。
実際は知りませんが、私は違うと思っています。
違う事は、どのように違うのかと具体的に言葉にしないと、
伝わらないのでしょうね。
引用させていただいていいのか、と迷いました。
しかし、なな様の言葉は、そのままに使わせていただくことで、
重みがあるのだと判断いたしまして、引用させていただきました。
ご不快に思われたのであれば、気づき次第消去しますので、
その旨お伝えくださいませ。お願いします。 (7月31日 23:18記)
8月2日の拍手コメントへのレスです。
お許し、有難うございました。
そうですね、誰が読まれているかわかりませんから。浅慮でした。
深い思いからのご意見をありがとうございました。
そして、悩ませてしまいましたこと、申し訳ありません。
別記事に立てさせていただきました。(8月2日 22:22記)
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