ノーベル物理学賞に決まった南部陽一郎、小林誠、益川敏英の3氏はいずれも、授賞理由となった理論を発表してから35年以上待った。発見から授賞まで平均十数年とされるノーベル賞の歴史の中でもかなり長い。
「彼の研究は時代を先取りしすぎていた」。南部さんの元同僚で80年にノーベル物理学賞を受けたジェームズ・クローニン・シカゴ大名誉教授(77)は7日、南部さんの受賞会見でこう述べた。
南部さんが60年代初めに確立した「対称性の自発的破れ」の概念は、素粒子の世界では当たり前と信じられてきた「対称性」が失われる場合があることを提唱する革新的なものだった。三田(さんだ)一郎・神奈川大教授(素粒子論)は「物理学の世界でも『南部さんはもらって当然』という考えがあったが、なぜかこれまで漏れていた」と話す。
佐藤勝彦・東京大教授(宇宙論)は「南部さんの概念は、実験で実証されるというより、新しい思想と言うべきものだった。実証を重んじるノーベル賞は贈りにくかったのかもしれないが、深いところで素粒子理論に影響を与えており、授賞には財団の見識を感じる」と語る。
一方、小林さんと益川さんが73年に発表した理論は、物質の基本粒子であるクォークが少なくとも6種類必要であることを「予言」するもの。98年から始まった素粒子の衝突実験などで、01~02年にほぼ確かだと確認されてから数年での受賞となった。
ノーベル賞の選考は、原則として評価が定まった研究を対象にするため、時間がかかるのが通例だ。過去には発がん性ウイルスを発見したとの論文から55年後の1966年に医学生理学賞が贈られた。一方、高温超電導体の発見(86年)は、翌年の物理学賞に選ばれた。【西川拓、河内敏康】
毎日新聞 2008年10月8日 14時19分