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ノーベル賞:物理学賞に日本人3氏 気骨の平和主義 「非主流」の逆転(その1)

 日本初のノーベル物理学賞トリプル受賞を決めた3氏。長年、素粒子研究で世界をリードしてきた点では共通するが、気骨の平和主義、細部へのこだわり、時代の先取り--という生き方はさまざまだ。

 ■益川さん

 ◇「湯川先生の原動力は、核で人類が滅ぶ恐怖」

 穏やかでちゃめっ気のある益川敏英・京都産業大教授(68)だが、「反戦」を語る気骨の平和主義者でもある。

 作家の大江健三郎さんらが作った「九条の会」に連動し、05年3月、「『九条の会』のアピールを広げる科学者・研究者の会」が発足した。益川さんは呼びかけ人の一人だ。同時期に誕生したNPO法人「京都自由大学」では初代学長に就任し、市民の中に飛び込んで平和を語った。

 原点は幼少期の体験にある。益川さんは名古屋市に生まれた。小学校入学前、第二次世界大戦を体験し、焼夷(しょうい)弾が自宅の屋根を突き抜けた。「不発だったが、周囲はみな燃えた。両親はリヤカーに荷物を積んで逃げまどった。あの思いを子孫にさせたくない」と言う。

 05年、自民党が憲法改正に向けた要綱をまとめた。中国で反日デモが相次ぎ、JR福知山線事故が発生した。平和と命の重みが揺らいだ。

 当時、益川さんは「小中学生は憲法9条を読んで自衛隊を海外に派遣できるなんて考えない。だが、政府は自衛隊をイラクに派遣し、更に自衛隊の活動範囲を広げるために改憲を目指す。日本を戦争のできる国にしたいわけだ。僕はそんな流れを許容できない」と猛然と語った。

 1955年、アインシュタインら科学者11人が核兵器廃絶を求め「ラッセル・アインシュタイン宣言」に署名した。その一人が益川さんが尊敬する日本人初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士だ。「湯川先生の原動力は核で人類が滅ぶ恐怖だったと思う。僕はより身近に、一人一人の今の生活を守りたい。その実現に、戦争はプラスですかと問いたい。殺されたって戦争は嫌だ。もっと嫌なのは自分が殺す側に回ることだ」と強調する。

 受賞から一夜明け、「専門外の社会的問題も考えなければいい科学者になれない。僕たちはそう学んできた」と力を込めた。

 益川さんは午前中に京都市内の京都産業大学で1回、京都大学で1回、記者会見。会見中にもテレビ中継が入るなど「時の人」に。

 益川さんは7日家を出る時、妻明子さん(65)に「これまでの受賞者を見れば今日の可能性が高いよ」と話していたといい、家に帰ると明子さんから、報道陣に「(受賞は)大してうれしくない」と話したことについて「偏屈なこと言わずに素直に喜べばいいんですよ」と言われた。【奥野敦史、朝日弘行】

 ■小林さん

 ◇「どんな小さい毛髪でも影を投げる」--中学卒業時、ゲーテの格言

 高エネルギー加速器研究機構の小林誠名誉教授(64)の母校、名古屋市立冨士中学校(同市東区)で8日朝、臨時の放送集会が開かれ、浅井富士雄校長が受賞を報告した。浅井校長は「大先輩がノーベル賞を受賞した。君たちの中から、次のノーベル賞受賞候補者が出ることを期待している」と呼び掛けた。

 「どんな小さい毛髪でも影を投げる」。小林さんは、冨士中を卒業した1960年3月、校誌の「一言集」に、物事の二面性に触れたゲーテの格言を書き残し、事物の細部にこだわる一端をのぞかせていた。97年には校誌の創立50周年記念号に「多様性を尊重しよう」という文章を寄稿している。

 寄稿文によると、小林さんが中学1年だった57年、ソ連が初の人工衛星スプートニクを打ち上げた。夜明け前に起き衛星が飛ぶのを眺めた記憶をたどりながら、名古屋大理学部を選んだ理由について当時の理工系ブームと素粒子論研究室の研究が新聞で紹介されたことが「影響していたと思う」と回想している。

 また人生について、「悪名高い日本の画一教育であるが、たとえその中でもそれぞれが何を学び取り、何を記憶にとどめたかは千差万別のはず」と、個人の能力や蓄積した知識の重要性を強調。「異なる考え方をするからこそ、その中に突破口を開く者が現れるのである」と記している。

 同校の竹内隆史同窓会長(68)は「入学式や卒業式で『よい手本になる先輩がいる』と紹介してきた。いずれ同窓会にお招きできれば」と話す。【桜井平、木村文彦、中井正裕】

 ◇報道に「自分の顔みたくないですね」

 小林さんは8日午前9時から会見。一夜明けての感想を聞かれ、「7時に起きてテレビをつけると(授賞の報道を)やっていた。あまり自分の顔は見たくありませんね」と頭をかいて照れ笑い。7日夜は茨城県つくば市の自宅に帰らず東京都内のホテルに宿泊し、家族への電話は「今晩は帰らないと(妻に)連絡しただけ。賞の話はせず、(おめでとうなどの言葉も)一切なかった」と明かした。

 湯川秀樹氏以来の日本の理論物理学の業績について問われると、「日本人が無宗教だということが働いているのかもしれない。西洋的な宗教に基づく自然観からある意味自由ということ」と語った。【山田大輔】

 ◇留学経験なし「純国産」

 益川さんと、小林さんのコンビは、いずれも海外への留学経験がない「純国産コンビ」だ。

 7日午後7過ぎ、益川さんにノーベル財団から授賞の電話が入った。最初は英語だったが途中から女性の通訳が日本語で伝えてくれたという。益川さんは「益川は英語が得意じゃない(と知られている)からか……」と会見でおどけてみせた。益川さんは子供のころから文系科目が苦手。「小学校では国語と算数の成績を足して2で割って、クラスの真ん中ほど」だった。

 苦手意識は今も変わらず、国際学会からの招待も断り続けた。名古屋大職員だった妻明子さん(65)とは、大学院生時代に博士論文の英文タイプを頼んだのがなれそめだが、今も夫婦ともパスポートを持っていない。

 「小林・益川理論」の英語論文は小林さんが書いた。授賞式に伴う行事では英語のスピーチが求められるが、小林さんは8日、「益川さんの代役をするのか」と問われ、「許されるんですかね」と答えた。益川さんは「まあしゃあない」と笑ってみせた。

毎日新聞 2008年10月8日 東京夕刊

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