October
02
2008
「WiNDyを日本のPC文化に育てる・・・」
「大言壮語」と言われるかも知れないが、それがすでに11年間持ち続ける僕の唯一無二の「夢」であり「願望」なのだ。11年前、ソルダムを設立した当時、自分の一番やりたい仕事は何なのか、と自問自答を繰り返していた。日々、下請けに追われていた星野金属時代、言われた通りの「ものづくり」にはうんざりだったもの。正直に言うとアルミPCケースが時代に受け入れられてヒットしてからだって、何をどうしたいのか明確な目標を持っていたわけではない。当時、常にプレッシャーで押しつぶされそうだったし、星野金属再建という逃げ切れない迷路にはまり込んでいた自分は、心身ともに疲れ果ていた。今、世界経済は不況の扉を開けてしまった。世界中に僕のような地獄の苦労をする人がたくさん出るでしょう。もう何もアイディアが出なくて、手段がなくて。そういう混沌とした心身で迷路を彷徨している当時の自分を思い出す。たまたま最後の力を振り絞って開発したアルミPCケースが、運良くヒットした。そして次を考え始めたとき、気力が徐々に生まれてきたことは確かです。そのとき、自分のアイディアが受け入れられたことを感じ取った瞬間に、将来の場面を描かないではいられなかった。それがWiNDyの原点になったと思う。
パソコンを自作してしまうことは、当時もさほどブームではなかったと思う。少なくとも世間に認知されたポピュラーな趣味では決してなかったから、市場もごくごく小さかった。秋葉原で部品を買ってきてそれを組み立ててパソコンを作るなんて、それこそ理系の技術屋さんの趣味程度の認識でしたから。だからまず市場を拡大しないことには、とても星野金属を食わせるだけの売上げなんて期待できない。いい製品を、話題性のある製品を、格好いいデザインを、少し変わった加工手法を。まずは自作ファンをたくさん作って、お店もたくさんできて、パソコンを作れる人の人口を増やす。そして自作パソコンそのものを社会的に認知してもらう。そうしなければ、いくらものづくりをしてもたくさんは売れるはずがない。でも、どうやってそういうマーケティングをしたらいいのかわからない。分からないからとにかく実直に製品開発を積み重ねる以外に道はないと思った。まったくもって、幼稚極まりない方法だけど、よく考えるとブランドというものは、そうやって長い間、磨かれなければ「真のブランド」にはなりはしないと思う。
様々な状況からそういうスタンス立たざるを得なかった僕は、常にバブル崩壊で傷ついた星野金属の再建が双肩にどっしりともたれていた。「これは普通にものづくりして販売すればいいというほど、生易しくはない」と思い、一種のブームの到来が必須の条件になるということを、覚悟したし、また願ってもいた。そして願い通り、自作はブームとなった。その結果、たった月商100万円のソルダムが、3年後には月商2億円、年商25億円の会社になってしまった。タイミングと運と偶然と・・・。だからこういうのは僕の実力でも何でもないのは言うまでもない。右も左もわからないたった3人の会社が、製品開発をしてその製品が飛ぶように売れた。会社経営というオペレーションなんか、とてもできるような状態じゃなかったし、確固たる能力もなかった。とにかく、WiNDyは、流れに身を任せる以外にどうすることもできなかったです。
アイディアは無限だった。次々に新しい構造、デザインが湧きに湧いてきましたから。決して枯れることはなかったし、ネタ帳にはびっしりと新しいアイディアが書き込まれていた。それは製品開発だけでなくインターネットに関しても同様だった。24時間、365日、パソコンから離れない。当時インターネットを信じる人は圧倒的な少数で、そういうことを説明しても理解は得られなかったけど。当事者であるソルダムでも星野金属でも、本当に理解してくれた人は2人しかいなかったし、そのほかには女房だけだった。そうして日々を多忙に過ごしたとき、売上げ目標も何もなかった。なぜなら星野金属の「生産能力=売上げ」だったから。手腕のある経営者ならもっと合理的に生産拠点を開拓して、次のステップに進んだのだろうと思うけれど、僕にはその技量がなかったのだと思う。
その後は・・・5年間で15億もの利益を生み出し、その後も数億の資金を投入したけれど、星野金属を再建することはできなかった。星野金属はバブル崩壊後20年間、財務的にはボロボロだったし、借金経営が染み付いていたからね。財務的に改善したとことで、また総負債額は年商ほどもあったから。順調に再建計画は進んできていたと思うし、その自信もあったけれど、突如として輸血が止まってしまった。メインバンクの破綻です。なんかね、リーマンの破綻みたいで・・・。突如として、寝耳に水の破綻劇。前日に担当と話してて「うちは万が一のことがあってもりそな形式だから」なんて気楽に話ししていたし。その18時間後には、あっけなく破綻してました。 それ以降はもう地獄のような日々。いま、アメリカで金融機関が次々に破綻してて、僕と同じような境遇に陥る経営者も多いと思うし、そういうことを経験してきた身としては、本当に大変な状況だと、そしてそれは決して人事じゃないんです。まったく冗談じゃない、年収何億、何十億といい思いをしてきた人たちが、公的資金で救われて、一般企業や個人はあっけなく破綻しちゃうという、この矛盾を「金融機関が破綻する影響は計り知れない」などという一般論で処理して欲しくないね。書きたくはないけど、ついつい愚痴が出ちゃうんだ。今年の6月にはそういう影響で、遂にソルダムを事実上倒産させて、僕は経営から完全に退場することになった。こうなるまでに何度、死のうとしたか分からないし、逃げ出そうとしたり、とにかく自分のありとあらゆる弱点を嫌でも自覚させられてね。家族や社員の顔なんてまともに見られない。そういうことが、資本主義なんだといえば、そうかもしれないけれど。
そんなことでWiNDyはいったい何が残せたというのか。いままで逃げ道はいくらでもあったというのに、上手に立ち回ることができない不器用さが僕にはついて回っていた。けれど、この11年間、常に忘れなかったこと、それはいつでも最高の製品を作ろうとしてきたことだ。品質が荒れた時期もたしかにあったけれど、それを差し引いてもWiNDyは、常に最高の構造とデザインを持っていたと思う。たとえどんな事態に陥っても、製品開発の分野ではいつだってリーディングブランドだった。資金的に困窮して安売りをしたときも、品質は絶対に落とすことはなかったし一切のチープなコストダウンをしなかった。それが、かえって自らの首を絞めることになろうとも。それは、WiNDyを確固たるブランドにしたい、畏れ多いけれど「日本のPC文化に育てたい」という気持ちがあったからです。フィールドの店員さんに「WiNDyなんか、地に落ちたブランドなんだよ」などと、生意気な言葉を言われて我慢するような情けない日々だったけれど。「奢れる者は久しからず」 経験したからこそ、流せたのでしょう。
いま、世界は完全にバブルが崩壊し、世界の価値観は大きく変わろうとしている。アメリカはもちろん、中国もすでに破綻しているのだ。これから始まる不況は、いま「破綻しているからこそ」発生するもの。その一方で、日本は非常に堅実な状態にある。アメリカがくしゃみをしたから日本が一緒になって風邪を引く必要などさらさらないし、今回はそんなことは絶対にあり得ない。そしてWiNDyは、着実に以前と変わりなく、開発姿勢を保っているし、これからも成長して行くだろうと思う。いまだって、僕が育ててる。経営には一切タッチしていないけれど、またそんな資格はないけれど、社員の肩書きもなくしたけれど。このブランドは、着実に文化への道を歩んでると思います。その証拠に類似製品は枚挙に暇がなく、コピー製品まで出回る始末。でもよく考えれば、ブランド価値が上がってきたからこそそういうものが出るわけで・・・。冗談はさておき、これからこのブランドがどのように変化してゆくのか、皆さんにしっかりと見守って欲しいと思う。2008年10月、世界は危機に瀕していますが、WiNDyは大きく前進する貴重な一歩を踏み出す予定。
僕は決して諦めない。
Posted by 有海啓介 | この記事のURL |