(明石書店・1680円)
2週間ほど前、新聞に「無戸籍」1歳児と24歳女性に外務省が旅券発給を決めたという記事が載った。毎日新聞の読者なら、このニュースの意味や、ここに至る問題の経緯を知っている人も多いだろう。
民法772条の規定は、明治31年、19世紀の末に作られた。「(1)妻が婚姻中に懐胎(妊娠)した子は、夫の子と推定する。(2)婚姻の成立の日から200日を経過した後または婚姻の解消もしくは取消しの日から300日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎(妊娠)したものと推定する」と書かれている。
この法律に従えば離婚して別の男性の子どもを妊娠した場合でも、離婚後300日以内に生まれた子は、自動的に前の夫の子と推定される。だから、出生届を出せば、父親欄に書かれる名前は前夫の名前になり、前夫の戸籍にはいる。事実と一致した親の名前を記載した出生届は自治体に受理してもらえない。
これを解決するためには、親子関係不存在確認の裁判が必要となる。戸籍で前夫とかかわりになるのを避けるなら、あるいは前夫が協力しないなら、子どもは戸籍がないままとなり、住民登録もできなくなる。そうすると予防注射や検診などの案内も来ない。就学、就職、婚姻など、将来にわたって不利を受けることになる。たとえ関係者すべてが協力的だったとしても、戸籍にはそのことが記載される。
この問題に対する毎日新聞の一連の報道の最初は2006年12月の記事である。2008年7月の時点まで、1年半余りの新聞の記事を基に、離婚後300日問題についての当事者の状況や行政や司法の動きをまとめたのがこの本である。
ぼんやりこの問題を眺めた時に、多くの人が思うことは、とりあえず手続きに従って親が戸籍を作ってやればいいのではないか、わざわざそんな時に子どもを産まなくてもいいのではないか、ということかもしれない。でもその時想像されているのは、離婚の話し合いを冷静に進める夫婦や、満期産で生まれてくる子どものことだけである。
実際には、離婚も出産もそんな状況ではないことがたくさんある。東京に住む女性の例が紹介されている。前夫と離婚後半年過ぎてから現夫と再婚した。再婚後、妊娠したが切迫早産で離婚後292日で超未熟児を出産することになった。予定日から考えても、絶対前夫の子ではないのに、医師の証明があっても、現在の夫を父親とする出生届を役所に受け付けてもらえなかった。相談された弁護士は「772条は何と無駄なエネルギーと費用を浪費させ、ストレスを当事者に与える法律だろうと感じた。(中略)どの方法をとっても、別れたはずの前夫の協力を必要とする。ようやく前夫から逃れてきたという人にとっては、酷な手続きである」と記している。
ドメスティックバイオレンスの被害者には、前夫にかかわると、暴力やストーキングが怖いという人もいる。裁判への呼び出しなど不可能である。また、長年にわたって嫌がらせのように離婚を拒否する夫も現実にいるのを私は知っている。このような場合にも、子どもの戸籍の問題が起きやすくなりそうである。
実は問題は法律と身体と感情と社会のそれぞれの領域にまたがっている。だからこそ、法改正になかなか至らない。今、普通に考えるなら親子関係の決め手はDNAだろう。しかしDNAが親を決める--つまり生物学的に親が決まるとしたとたんに、根本的な問題に直面せざるを得なくなる。結婚していたって、配偶者以外の子どもも生まれることもあるのでは? 代理母や人工授精では? じゃあ結婚って何? 親子って何? 戸籍って何? と家族制度の基本問題に突入していかざるを得ない。保守派が、772条問題に対して消極的な理由もそこにある。ある保守派の議員は、DNA鑑定の採用は婚姻制度を崩壊させる「アリの一穴」と表現している。
しかし、本ではそのことを正面からは議論していない。こういう困っている人たちがいるじゃないか--あくまで問題を具体的に積み上げ、普通の生活をしているつもりだったのに理不尽な目にあう人たちを描き出す。
最初、この問題で婚姻制度の話に進まないのは不十分だと思った。でも、もし理論的に突き進んだのなら、キャンペーンは成功しなかっただろうと、本を読んで思いなおした。
困っている少数の人たちの苦痛や状況を、多数の人はなかなか想像できない。人のアタマはけっこう想像力貧困にできている。政治家だって司法の専門家だってそうである。それを納得できる形で多くの人に伝えるという点で、メディアにかなうものはない。けれど新聞は理論家ではないし活動家でもない。
本は、どちらかに落ちそうになる細い道の上を何とかバランスを取って歩いた軌跡という気がする。「現実の子どもの幸せ」を優先した姿勢が、社会に何歩かの具体的な進展をもたらしたことを評価したい。
毎日新聞 2008年9月14日 東京朝刊