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2008-09-22

[]「知」といふこと

【山際のページ】「知」といふこと

 『関羽伝』(新潮選書)なる書物がある。著者は新聞畑の人で、現在は某大學の敎官。中國に關する本をいくつか出してゐる。

(略)

 『三國演義』第八回、貂蟬が初めて登場する箇所には、「年方二八」(年齡はちやうど二八)と書かれている。その後まもなく、董卓が貂蟬を見そめる場面にも、「青春幾何」「賤妾年方二八」(「年はいくつかな」「わたくしめ、ちやうど二八でございます」)といふ會話がある。この先生、これを見て、貂蟬の年齡を二十八歲だと思つたわけだ。

 念のため、正解を先に申しておきますと、「二八」といふのは二かける八、つまり十六歳のこと。必ずしもぴつたり生後十六年、といふ意味ではなく、女性の妙齡を指す言葉です。決して二十八ぢやない。

(略)

 現代の日本人は、漢數字も算用數字と同樣に扱ふことに慣れてしまつて、十や百といつた桁を表す文字を省いて表記することが多い。ひどいのになると、國語の教科書で、古典を扱つてゐるといふのに、「伊勢物語第二三段」などと表記してゐるものすらある。本來、漢數字は位取りを省いてしまつては意味をなさないもので、中國の本を見ると、手間を惜しまずに「一千九百九十九」などと書かれてゐる。それが當然なのである。

(略)

 この著者とは限らない。また、本の出版とも限らない。新聞への投書、ウエブサイトの記載、BBSへの發言……。「知」といふことをなめた、あまりにも粗雜な言葉の氾濫に、日本の敎育に從事する者として、いささか暗然たる氣持ちにならざるを得ないのである。

んー。そうなのかな。*1

中華書局が出版している盧弼『三国志集解』には、たびたびこのような書き方を見かけるけど*2

程暁伝
御覧二百四一
倉慈伝
御覧八百二四
同上
書鈔七五
趙娥伝
御覧四百三九

わたしには「十」を省略しているように見える。たまたま活字が脱落しただけなのだろうか?それとも盧弼は近人だから慣れて知をなめてるんだとか?

*1:どうでもいいけど何でわざわざ旧字旧仮名で書いてんの?敎官は「メ」なのに教科書が「土」なのも謎だし、手間は「日」だし。訳が分からん。

*2:こういうときのために電子化しとくといいですよ!

くま(仮)くま(仮) 2008/09/22 23:55  わたくしも人に見せない文章は旧かなづかひで書いたりするクチですが、旧字旧かなといふのはこんにちのFEPとは当然相性が悪いのですね。何うしたつていくつかの文字は新字になるし、紙に筆で書くときは旧かなで通せても電算機の画面上では新かなが混つてしまふ。上の文章だと「ちやうど二八)と書かれている」あたりとかがさうですね。知といふのはまつたくむつかしいものです。

mujinmujin 2008/09/23 06:07 手で書くなら分からなくもないんですけど、『契沖』などを使わないかぎり普通のIMEで旧字旧仮名を直接入力することはできないんで、かならず一手間かける必要があるんですよね(「書かれている」もその過程からこぼれて残ったんでしょう)。で、その一手間を「なぜ」わざわざ行うのか、その意志の由来というのが疑問になってくるんです。文字というのは意志や情報を伝達するものなんでしょうが、現在では多くの人が読めない読みにくい字や仮名遣いをわざわざやる理由はありませんし、もしそれが伝統的だからというならば、この人は促音の「つ」を小さく書かないのですが濁点や句読点はかなり現代的な使い方をしておりまして、そうした記号と同様に、ここでは便宜的に新字新仮名と呼びますが、実はこれが定着するまでには案外深みのある歴史的経緯を踏まえているわけですね。そういった点にこの程度のぞんざいな意識しか持てない人が他人の知を疑い、「吾こそ知識人なり教育者なり」と高言するってのはいったいどういうジョークなんだ、という印象がありますね。

kkskks 2008/09/30 15:57 はじめまして。私もこの手の擬古調は不思議な現象だと感じていました。
なんで伝なのか、など細々と突っ込み出すと野暮になりますが、怪しげな擬古調をやらかす人は明治以降に出来上がった教養への憧れやコンプレックスが強いのではないかと想像しています。
文体が現代調なものを旧字旧仮名にするのはマンガですね。
どうせなら江戸時代風に変体仮名や当て字のオンパレードにしたら面白いと思うのですが。

中国の例もよくわかりません。例えば一の位がない十は日常的に略していて特に支障もないのですけれど。

mujinmujin 2008/09/30 17:12 はじめまして。コメントありがとうございます。
ほかが旧字旧仮名なのに『関羽伝』という書名だけがその原則を裏切ってる事実も興味深いですね。おそらく山際先生としてはそれが固有名詞であり、その字体を含めてそれがそういう著作物なのだから、こちらで勝手に書きかえてはまずい、著者の意を尊重すべきだと判断されたのでしょう。しかし、それではひるがえって『三國演義』という表記はどうでしょう。現在ではこの物語は先行するテキストを羅貫中が集大成したものと考えられておりまして、成立時期について「はい、ここ。この瞬間がグラウンドゼロ」と示しうる時点がないんですよね。そうすると著者の意を尊重しようにもそもそも誰が著者であるのかさえ明らかでない。現行テキストでは物語の登場人物に「呂義」ってのがありますが、これは明らかに呂乂を指していて、いつのころからか呂乂が「呂义」と誤写された名残だろうと推測されます。とすれば「演義」もたとえば「演义」などと書かれることがあったのではないかと思います。また「三國」だって「三囯」と書かれていたかもしれません。だいいち羅貫中はいわゆる康煕字典体の成立よりもずっと以前の人ですし、そもそも庶民向けに書かれた物語ですから、もっと融通無碍な字体が用いられていた可能性があります。なのに、なぜ『関羽伝』だけは新字体で書き、『三國演義』は旧字体(つーか康煕字典体)で書いてわざわざ区別するのか…。この辺りのスタンスも曖昧で、一貫性というか信念というかそういうものが感じられないですね。

別に山際先生のことではないですが、こういう旧字旧仮名を好んで使う人には、なぜか独善的で攻撃的な傾向が多く見られるんですよね。ふしぎ。だから単に憧れというだけなら問題ないんですけど、おそらくなんらかの経緯でインフェリオリティコンプレックスを抱えてるんじゃないか、という気がいたしますね。

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