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中国残留日本人孤児:新たに3人認定 来月来日し肉親捜し

 厚生労働省は26日、日中両政府が08年度新たに認定した中国残留日本人孤児3人の名簿を発表した。3人は11月17日から12日間、肉親捜しのため一時帰国する。訪日調査は今年が39回目で、人数は07年の4人を下回って過去最少になる。

 中国残留孤児の身元調査は年々難しくなっており、過去5年の調査で判明したのは38人中3人。今回来日する3人も、日本名や出身地などは不明だ。厚労省は戦前に旧満州(中国東北部)に入植した開拓団の名簿などを調べているが、有力な情報は得られていないという。残留孤児は昨年までに2812人が認定され、1281人の身元が判明している。

 厚労省は11月28日まで、関係者からの情報提供を求めている。連絡先は▽厚労省中国孤児等対策室(03・3595・2456)▽臨時電話(03・3593・7890)▽ファクス(03・3503・0116)。平日の午前9時~午後6時(臨時電話は午後7時まで)に受け付ける。【清水健二】

 <認定された3人>

康玉芹(こう・ぎょくきん)さん(67)=女性

 終戦当時は推定4~5歳。三江省方正県で、オンドル(床暖房)の上で死亡している母のそばにいたところを、養父の康宝さんに引き取られた。肉親の記憶はなく、養父が亡くなる前に日本人であることを聞かされた。体に四つの予防接種の跡がある。黒竜江省友誼県在住。血液型B。

秦永珍(しん・えいちん)さん(73)=女性

 終戦当時は推定10歳。両親と妹弟がおり、日本では海と線路が近くにある家で暮らしていた。8歳のころ旧満州に渡り、家の前には「高橋」と黒い文字で書かれた表札がかかっていたのを記憶しているが、日本名は覚えていない。終戦後に東安省宝清県から集団避難の途中に銃撃を受け、家族は全員死亡した。大人と一緒に逃げ、依蘭県の難民収容所となっていた小学校で、養父の秦栄さんに引き取られた。銃撃の際に受けた銃創痕と傷跡が背中の左側に残っている。黒竜江省尚志県在住。血液型A。

李義華(り・ぎか)さん(63)=男性

 終戦当時は推定生後約2カ月。両親は開拓団で働き、吉林省新京市南関区七馬路に住んでいた。終戦後、二馬路長春街に住む長白山理髪店の主人、劉凱南さん夫婦を介して、隣人だった養母の趙英さんに鉄道病院で引き取られた。肉親の記憶はなく、37年前に妻の親類から日本人であることを聞かされた。いつからかは不明だが、左耳たぶの下が欠けている。吉林省長春市在住。血液型O。

毎日新聞 2008年9月26日 19時55分

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