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【社会】

寺田屋焼失していた 京都市が調査 

2008年9月26日 15時25分

京都市伏見区の旅館「寺田屋」

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 本物は焼失していた−。幕末の薩摩藩の内紛「寺田屋騒動」や坂本竜馬襲撃事件の舞台とされる京都市伏見区の旅館「寺田屋」の当時の建物は、旧幕府側と新政府軍の戦火で失われたとする調査結果を京都市がまとめた。

 旅館は「当時の船宿そのまま」と案内し、竜馬愛用の部屋や、刀や銃弾による傷を展示。責任者は「市の見解の明示も含め考えたい」とする一方で「建物は一部が被災しただけ。全焼してなくなったわけではない」と主張、新たな「寺田屋騒動」は収まりそうにない。

 調査は市歴史資料館が実施。1868年の鳥羽・伏見の戦い直後のかわら版は、寺田屋周辺が戦火で焼失したことを図示。現在の寺田屋の東側にある碑(1894年建立)にも「寺田屋遺址(し)」と記されるなど、戦い後しばらくは建物が存在しなかったことを示す計9つの資料があったという。

 8月下旬に「当時の建物ではない」との指摘があり、市は今月、観光案内のホームページにあった旅館の写真と紹介文を削除した。今後内容を変更し再掲載する。また、寺田屋に観光客に誤解を与えないよう求めた。

 【寺田屋】 幕末、大阪と京都を結ぶ水上交通の要所にあった船宿。坂本竜馬の京都の定宿としても知られる。1862年4月の「寺田屋騒動」で薩摩藩の尊王攘夷(じょうい)派が関白と所司代の殺害を図り集結、阻止しようとした公武合体派と衝突した。66年1月には竜馬が幕吏に襲われ、おかみの養女で後に竜馬の妻となるおりょうの機転で、九死に一生を得たとされる。

 

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