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【偉大カクレミノ現象】
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2008/ 4/ 7 12:20 [ No.572 / 1768 ] |
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【免罪符】現象 【偉大カクレミノ現象】
ここ、根本的に間違いです↓
>>■「伊藤は偉大だから、デッチアゲは許される」 >> というタイプの言説が多すぎる。
>「伊藤のスケーティングは偉大という評価は既に確立されているから > 容姿のことをくさしたって許される」 >という本音はあるかも。 >君の投稿に、 >欧米人が伊藤みどりの容姿を評価する背景の一つとして >「スノッブ」を上げていたが、 >私にもある種のスノッブな心理が働いているのかな?と思わなくもない。 >つまり >「伊藤みどり好き好き大好き!うっとり〜」と表明するよりも、 >「伊藤みどりは大好きだが、こういう点が惜しい」とした方が、 >賢そうに見えるという・・・ ------------------------------------------------------
■キーワード: 免罪符
【A】【B】のセット↓ 【A】「欺瞞artデッチアゲ問題」や「コンプ」を、改善しない(したくない・できない)から、 【B】その【免罪符】として、伊藤を持ち上げる。ホメざるを得ない。 といういうこと。
・例証パターン: 「伊藤は偉大だ」と必ず言う。(必要ないときにも。やたらに。声高に)。 「容姿が悪かったから、点が低かった」 の後に。セットで。 ・「偉大」=免罪符として機能。 【カクレミノ】
(実例は、このトピに無数にあるので適当に探してください)
例1)「みどりは容姿スタイルで不利だった。 【しかし】歴史に残る選手なのは間違いない」
↑「不利ではないよ」と言われても、聞き入れず、 なぜか【伊藤は偉大】を連発する。 このパターン。 まさに【免罪符】。
例2)「手足が長いと、可動域が広がる。表現力が高まり、芸術点に有利」
↑「"art"はワザだよ」「”芸術点”はないよ」と言われても、聞き入れず、 【伊藤は偉大】を連発する。 このパターン。 まさに【免罪符】。 ------------------------------------------------------- したがって、私はこう書けばよかった。
× 「伊藤は偉大だから、デッチアゲは許される」というタイプの 言説が多すぎる。
○ 「伊藤は偉大」を【免罪符】にして、コンプ・デッチアゲを反省しない、という 【免罪符】現象が多発している。
【偉大カクレミノ現象】が多発している。
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Re: 再び心象風景
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2008/ 4/ 7 12:24 [ No.573 / 1768 ] |
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また怒られてしまいましたなぁ(笑)
>・「セカンドマーク」とは何のことですか? 具体的に書いてください。 >・「プレゼンとアテイン」(主観点)(日本での「芸術点」)のことですか?
はい。主観点のことです。
>・理由は?
私の主観では、89年以降の演技よりも素晴らしいと思ったから。
>あなたはこの癖が、べったりとコビリ付いてますね。(それとコンプか)。 >「文盲」って言われてなかったっけ?
頭では理解出来ているいるつもりでも、心の奥底では出来ていないということかと。
>私はこれですね↓ ><みど芸術性ランキング> >1位:87世界SP (←断トツ)
87年のSPは私のいた地域では放送が無かったんだよね。 ビデオも画質の荒いものしか持っていないんだよな。
>「それだけ」ではなく、ジャンプとか、色々やってましたよね。
やっているけど、氷の上で滑らずに踊っている時間が長いなぁ・・・と。
>・だから何?
うーん。 私は彼女の演技が好みじゃないんだよね。 で、長年「主観点」のことを「芸術点」と思っていたし、「芸術点は美人の方が有利」と思っていたので、彼女の点数には疑問を持たなかった。 でも、それが間違いだとなると、「じゃ、彼女の演技はどこが素晴らしかったのかなぁ?」と、別な疑問が生まれて来てしまうという・・・
彼女はスピードも大したことないし、ジャンプも三種類しか飛べない。 しかもサルコウは彼女にとっては大挑戦。 柔軟性が際立っているというわけでも無いし、スピンが多彩だとか、ステップワークが素晴らしいとかってことも無い。 (SPでタップみたいなステップを踏んでるけど、氷削りまくりで、単に奇をてらったとしか思えない)
滑りながらあの振り付けや表情が出来たら素晴らしいけれど、彼女は大抵止まってそれをやってる・・・というのが私の主観。
で、少々混乱している・・・と。
>・つまり【白人】ですね?
スペイン人って言ってたな。
>・コンプの【無自覚前提】の反省は、どうなったんですか?
反省はしてるんだけど、イマイチわからないというかね・・・
>■「見とれる」と「芸術」は、何の関係もありません。
そうなの?
>俗っぽくて、グロテスクですね。野卑。
それはそうかも。 私は俗っぽくて、グロで野卑な方だな、どちらかというと。
>・「チラシの裏」「公共の場」という単語をすでに示した。 >・冒頭に書かなければ【迷惑】になるだけです。
ああ、そういう風に使う言葉なのね。
>■グロテスクな低い文化意識に、ふさわしい粗野な振る舞いです。 ミスマッチではありません。
ゴメ。 ちょっと意味わかんない。
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Re: 【偉大カクレミノ現象】
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2008/ 4/ 7 12:42 [ No.574 / 1768 ] |
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>○ 「伊藤は偉大」を【免罪符】にして、コンプ・デッチアゲを反省しない、という 【免罪符】現象が多発している。
【偉大カクレミノ現象】が多発している。
成る程・・・ しかし、長年染み付いたコンプレックスを払拭するのは至難のワザだよね。
これは日本だけの傾向かどうかわからないんだけれど、日本ではデブや不細工は面と向かって馬鹿にしていいって空気があるじゃない? 私は出産後ゲキ太りしたんだが、痩せていたころとの周囲の態度の差に結構驚いたけれど、すぐ馴れて(笑)気にならなくなってしまった。
少なくとも、1キロ2キロのことで一喜一憂したり、ファッション雑誌に首っ引きになって財布の中身を気にしながら「今年の流行」を追いかけていた頃にくらべると、気楽で幸せだ。
まぁ、しかし、君の言うとおりだと思うから、今後は伊藤みどりを初めとするいかなる著名人や有名人についても、相手が容姿を飯の種にしていない限りは、その容姿について言及してはいけないと、肝に銘じておくとするよ。
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Re: 再び心象風景
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2008/ 4/ 7 13:15 [ No.575 / 1768 ] |
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ありがとうございます。 (引用は、極力、子引用・孫引用までしてほしいです。分かりにくいので)。
「ヨーロッパ人・・・ 美や芸術性を追求しましょう。3Aはもちろん美や芸術に含まれます」 >>>それならカルガリーのセカンドマークは >>>もっと高くても良かったんじゃないだろうか? >>・理由は? >89年以降の演技よりも素晴らしいと思ったから。
次の3つの論理関係を説明してください。 1)欧州3A芸術傾向 2)カルガリ低主観点の意外性 3)カルガリLPは89以降よりも良い まあ、「art誤訳」のせいだろうけど。 >頭では理解出来ているいるつもりでも、 >心の奥底では出来ていないということかと。
■みなさんも、よくご覧ください↓ 面白いですよ。 【女子トイレ】No.425、「art問題」No.336
>>>「それだけ」ではなく、ジャンプとか、色々やってましたよね。 >>>やっているけど、氷の上で滑らずに踊っている時間が長いなぁ・・・と。 >>・だから何?
>私は彼女の演技が好みじゃないんだよね。 >長年「主観点」のことを「芸術点」と思っていたし、 うん。 >「芸術点は美人の方が有利」と思っていたので、 へえー。。。。(トホホ) >彼女の点数には疑問を持たなかった。 コンプだと、「疑い」も持てないですからね。
>でも、それが間違いだとなると、 >「じゃ、彼女の演技はどこが素晴らしかったのかなぁ?」と、 >別な疑問が生まれて来てしまうという・・・ それはいいことですね。
正にその「疑問」が、 ■89年〜08現在まで19年間つづく、【伊藤ルール】時代を生んだんでしょ。 「ハイテクパワーフィギュア時代」を。
>>■「見とれる」と「芸術」は、何の関係もありません。 >そうなの? 「芸術」と「Microsoft Office 2007 エクセル」は、 ”関係”があると言えばある。 「芸術」と、 「JR東海道線川崎駅4番ホームを57分前に通過した列車の5両目の左第3車輪の4番目のネジ」 は、”関係”があると言えばある。 「何の関係も」というより、「条件にならない」等と厳密に言うべきだったろうか。
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カタリナ・ヴィット
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2008/ 4/ 7 13:17 [ No.576 / 1768 ] |
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トピずれですみません。
私も彼女の演技は、正直好みではありませんでした。 その当時、伊藤みどりと対極を為してる感があったせいかもしれませんが…。
>彼女の演技は演劇的で情感たっぷりだが、フィギュアスケートとしては、あっちで止まってひらひら、こっちで止まってうっふん・・・ただそれだけじゃないのかなぁ?
私も同じように思っていました。 よく止まるなあ…って。
ただ、彼女もまたすばらしい選手であったと認識しています。
彼女と伊藤さんがNHK杯に一緒に出場したとき、観戦に行ったことがあるのです。 印象に残ってるのは、演技そのものではなく、演技前の練習のときでした。
スピードとジャンプの高さが、彼女たちはズバ抜けていたんです。 ヴィットが女王であった理由の1つをそこに見た気がしました。 たしかに、跳べる種類のトリプルは少なかったかもしれないけれど、スピードとジャンプの高さは、伊藤みどりとほぼ互角。 跳べるジャンプの種類が少なく、容姿が美しかったせいで、表現力は素晴らしいけど技術的にはそうでもない、と思ってるかたももしかたしたら、いるのかもしれません。 私は、彼女もやはり技術力・表現力兼ね備えた選手だった、と思っています。
彼女も、容姿で誤解された選手の一人かもしれませんね。 伊藤さんとは逆の意味で…。
>彼女はスピードも大したことないし、ジャンプも三種類しか飛べない。
スピードはあったと思います。 ジャンプの種類が少ないのは、伊藤みどりが特別だっただけで、当時のチャンピオンとしては特別少ないわけではなかった、と記憶しています。
>柔軟性が際立っているというわけでも無いし、スピンが多彩だとか、ステップワークが素晴らしいとかってことも無い。
この当時、柔軟性のある選手のほうが特異な存在です。 伊藤さんも柔軟性はないですし、この当時の選手に柔軟性を求めるのは、ちょっと気の毒かも。 スピン・ステップも当時のレベルから考えたらしかたないのでは? カルガリーオリンピックの伊藤さんのフリーをYou Tubeで見てたら、「フライイングシットスピンをプログラムに入れてるのは、彼女だけです!」と言ってて、ちょっとびっくりしました。
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