シリーズ・日本の足元

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「命のリレー」限界 救急病院、到着まで1時間以上

 重い病気やけがをすれば、一刻も早く治療してほしい。だれしもの願いだが、地方では1時間かかっても病院に着けないところが多い。一方で都市部でも、救急病院はパンクしかけている。シリーズ「日本の足元」第5回は、救急医療の現状と解決策を探った。【渋江千春、高木昭午】

 ◇福井・常神半島の急患運ぶ住民、救急車と合流目指し

 日本海に伸びる福井県南西部の常神(つねかみ)半島。ラムサール条約登録湿地の三方五湖から北に向かい、トンネルを抜けると半島内には五つの集落が点在する。計約700人が漁業や観光で生計を立てる。

 半島北端の集落、常神(福井県若狭町)で民宿を営む小西真理さん(42)は今年6月下旬、自家用車で南へ走っていた。昼食後に「気分が悪い」と横になった祖父の与太郎さん(85)を病院に連れて行くためだ。

 半島には病院がない。常神から半島の付け根に出る道は1本で、急斜面にしがみつくように曲がりくねる。車2台のすれ違いがやっとの場所も多く、スピードは出せない。

 気がせくうちに、与太郎さんはぐったりしてしまった。小西さんは三方消防署に携帯電話をかけた。家を出て約20キロ、30分ほど走ったところで、駆けつけた救急車と落ち合い、与太郎さんと一緒に乗り込んだ。

 熱中症だった与太郎さんは、自宅から約40キロ離れた敦賀市の病院で点滴を受け、回復した。真理さんは「救急車に移って本当にほっとした。『ちゃんと診てもらえる』とね。もう少し早く病院まで行けたらと思う」と話す。

 半島では、住民が車で救急患者を運ぶことが珍しくない。消防署は、患者の乗る車の車種や色、ナンバーを聞いて救急車を出し、途中で落ち合う。半島では救急車もスピードを出せず、かかる時間は住民の車と変わらないからだ。敦賀美方消防組合の調査によると、半島の先端側の4集落では、03~07年の救急搬送患者の約6割がこうして運ばれた。

 だが病状次第で、素人には患者を動かせないこともある。

 消防が連絡を受けて救急車が出動すると、常神の現場到着まで平均約36分かかる。常神から、約8割の患者が運ばれる敦賀市の病院までは約54分。結局、通報から病院まで計1時間半だ。

 重傷外傷では、けがから1時間以内に手術を受けると救命率が高いとされ、「黄金の1時間」と呼ばれる。心肺停止では、心臓マッサージやAED(自動体外式除細動器)での処置がないと、発症から1分ごとに10%ずつ助かる率が下がる。

 若狭町は、5集落のうち三つの集落に1台ずつAEDを設置した。消防署は「普通救命講習」で旅館関係者などに心肺蘇生などを教えている。今年4月にはバス会社が路線バスにAEDを設置した。

    ◇

 夏休み。半島は観光客でにぎわう。民宿が満室になれば、住民約170人の常神にも1日約500人が泊まる。

 常神の区長、橋本隆一さん(46)は嘆く。「都市部と違って、ここの状況はなかなか変わらない」

 ◇平均59分、地域で大差--東京17分-北海道101分

 国際医療福祉大(栃木県)の河口洋行准教授(医療経済学)は、全国の市町村の中心部から、車で最寄りの救命救急センターに到着するまでの時間を、各種のデータから推計し、06年に発表した。

 河口准教授の親せき宅は山口県の山間部にある。周辺では、住民は救急車を待ちきれず、急病人が出ると自家用車で病院に運ぶことが多い。「厚労省の調査では、全国の救急入院患者の約4割が救急車以外で運ばれている。救急車の恩恵を受けにくい地域は多い」と指摘する。

 推計の結果、全国平均は59分。つまり、現場からセンターに行くだけで「黄金の1時間」がほぼ過ぎてしまっているというわけだ。

 都道府県別では、最長は北海道で101分。和歌山県(96分)、鹿児島県(93分)などが続いた。最短は東京都の17分。次は大阪府で24分。神奈川と愛知、滋賀県は各約31分だった。

 時間の短い地域は人口密度が高くて道路の総延長が長く、住民の所得や貯蓄が多い傾向があった。現在は推計した当時より救命救急センターの数が増えたが、実態は大差ないとみられるという。

 ◇救命救急センター悲鳴

 ◇2次病院減り患者増--大阪

 都市部は地方より救急病院が多く、患者を運ぶ時間も短い。それでも、救急患者の受け入れ状況は厳しい。

 大阪府高槻市の府三島救命救急センターでは06年から、救急隊などからの患者の受け入れ依頼を断った件数が急増した。日本の制度は、救急病院を、担当する患者の重症度別に初期(1次)、2次、3次の3段階に分けている。救命救急センターは救急医療の「最後のとりで」とされ、「3次」にあたる。最重症患者を常に受ける体制を求められ、空きベッド確保のため、生命に危険のない「中等症」患者を、2次病院などで治療できるとして断ることもある。

 三島救命が受け入れを断ったのは、05年には143件だった。それが06年には289件。07年には474件に増えた。一方、入院患者は、05年が1003人、07年は1132人で、こちらも増えている。

 断り増の理由を調べると、「中等症」の患者を3次病院の任務外だと断った例が急増していた。05年は2件だが、06年は86件、07年には189件だ。

 三島救命は断る件数の増加に悩み、院内で、受け入れ増のための検討チームを作った。8床だったICU(集中治療室)を10床まで増やし、受け入れの努力を続けている。

    ◇

 三島救命の秋元寛所長は「2次病院が減り、3次の救命救急センターにそのしわ寄せが来ている」と指摘する。大阪府内では、05年度末に279あった救急告示病院が、06年度末に275、今年8月20日現在で255まで減った。医師不足や、救急医療の不採算などがその背景にある。

 こうした状況は全国に広がっている。2次病院が救急を縮小すると周囲の2次病院の負担が増し、そこがまた縮小するという悪循環に陥るのだ。ひいては救命救急センターに影響が及ぶ。

 今年1月、毎日新聞が全国102カ所の救命救急センターを対象に実施したアンケートでは、本来なら2次病院が担当すべき患者が「かなり増加」「やや増加」したとの回答が7割を超えた。重症患者を断ることが増えたとの回答も約4割に達した。

    ◇

 医師不足・医師の偏在の指摘を受け、厚生労働省も09年度予算の概算要求に対策費用を盛り込んだ。救急担当医師の夜間・休日勤務への財政支援(40億9000万円)▽へき地に派遣される医師への移動費用の支援(1億3600万円)▽診療所の医師が夜間・休日に、救急病院で応援診療した場合の手当(11億円)--などだ。

 ◇東西50キロ広範囲をカバー--徳島

 徳島県立三好病院救命救急センター(三好市)には、東西約50キロ、面積にして約1400平方キロに及ぶ範囲から患者が搬送される。

 今年5月まで同病院の救急専門医だった上山裕二医師(41)は、患者が病院に着くまでの時間を調べた。06年4月からの2年間で、現場から救急車で運ばれた外傷患者は延べ391人で、消防が連絡を受けてから病院到着までは平均約46分。うち79人(約20%)が「黄金の1時間」を超えた。

 三好市は、四国のほぼ中央に位置する。市内では、四国を東西、南北に走る国道が交差し、交通事故は珍しくない。一方で市域の9割近くは山地で、がけなどからの転落も多く、林業の仕事中に山中でけがをする人もいる。

 徳島県は今年8月、徳島空港に常駐する消防防災ヘリが、徳島赤十字病院(小松島市)などに寄って医師を乗せ、救急現場へ向かうシステムを導入した。だが出動要請から離陸まで約15分。救急専用でないため、医師を乗せる時間も含め病院から直接飛び立つドクターヘリより20~30分遅れる。

 現在、県南部の県立海部病院に勤める上山医師は「山中では、担架のつり上げなどに慣れている消防防災ヘリが有効だ。しかし外傷患者にとって、20~30分は大きな時間のロス。救急専用のドクターヘリも導入してほしい」と訴える。

 ◇「地方にドクターヘリを」死亡率減少効果も導入は都市部集中

 病院までが遠い救急患者を助ける方法に、医師を乗せたヘリコプター「ドクターヘリ」がある。厚生労働省は救急専用のドクターヘリを導入する都道府県に補助金を出している。ヘリの維持管理費など年約1億7000万円を国と都道府県が半額ずつ負担する。

 都道府県が費用をまかなうドクターヘリは現在、13道府県に14機ある。他に福岡和白病院(福岡県)、浦添総合病院(沖縄県)などが独自にヘリを飛ばしている。

 同省研究班(分担研究者=益子邦洋・日本医大教授)によると、ヘリは患者の搬送時間を平均26~27分縮め、死亡率を27~39%減らす成果を挙げている。

 しかし、導入しているのは千葉、神奈川、大阪、福岡など都市部が中心だ。NPO法人「救急ヘリ病院ネットワーク」(事務局・東京都)の村田憲亮事務局長は「本来必要とされる(医療機関の少ない)地域には飛んでいない。かえって格差が広がる」と危機感を吐露する。

 益子教授によると、飛行時間を15~25分に抑えて全国をカバーするには、国内49カ所の救命救急センターにヘリが必要だという。

 問題は費用だ。

 奈良県と三重県は、和歌山県立医大病院のドクターヘリを共同で利用している。これだと、奈良、三重県が1飛行あたり約32万円を和歌山県に支払うだけでまかなえる。しかし、奈良、三重とも県全体の面積をカバーできるわけではなく、搬送件数は07年度は三重9件、奈良1件にとどまった。

 到着時間が多少遅れるものの、徳島空港常駐の消防防災ヘリが病院に立ち寄って医師を乗せるシステムを導入した徳島県は、「財政が厳しい中、この方式が現実的だと判断した」と説明する。年間予算は300万円余りだ。

 07年6月、ドクターヘリに関する特別措置法が国会で成立した。企業などから集めた寄付を法人が管理して、ヘリを持つ病院に助成金を出す仕組みが盛り込まれた。しかし、寄付が集まる見通しは立たず、担当の法人も未定だ。ただ、同省によると、今年度中に3機のヘリが新たに運航を始める予定だ。

    ◇

 一方、ヨーロッパでは、医師が15~20分で患者の下に到着し、治療を始めることを目指す国が多い。

 救急ヘリネットや益子教授によると、ドイツは各州が州法で、ドクターヘリが現場に到着するまでの時間を定めている。短い州で10分、長い州で17分以内だ。実際に患者の8割以上は、この時間内に医師が治療を始めているという。

 イタリアも地方で20分以内、都市部では8分以内の現場到着を打ち出し、全国48カ所にヘリを配備している。イタリアの面積は日本の約8割で、日本にあてはめると60カ所に配置したのに相当する。

 スイスも、九州よりやや広い程度の国土に、医師が乗る救急ヘリ13機を配置する。どこでも、ほぼ15分以内に現場に着ける体制だ。

 ◇重症患者救う「手順」普及せず

 重いけがの患者に適切な応急処置をするため、日本救急医学会などは「外傷初期診療ガイドライン」(JATEC)を作っている。容体悪化を防ぎ、手術など根本治療までの時間を稼ぐ方法。手術できる病院が遠い地域では特に重要だ。大学医学部ではほとんど教えておらず、JATECを学んだ医師はまだまだ足りないのが現状だ。

 兵庫県立淡路病院(洲本市)整形外科の脇貴洋医師(30)は昨年、JATECを教える「インストラクター」の資格を取った。当直で救急を担当する他の医師に広げたいと、毎月、勉強会を開いている。

 脇医師は05年1~3月、研修で外傷救急に詳しい医師がそろう兵庫県災害医療センター(神戸市中央区)で働いた。驚いた。亡くなりそうに思った重症の患者が次々と助かった。災害医療センターではどの医師も同じ手順で診療をしていた。この手順がJATECだった。ベテランでも経験の浅い研修医でも、同じように患者を助けられる手順だと知った。

 その後、公立村岡病院(兵庫県香美町)に着任し、在職中の05年11月、週末に東京に出かけJATECの講習を受けた。受講料5万円は自費で払った。その年の暮れ、交通事故で内臓が傷ついた患者が来た。手順通りの処置をして、詳しい診断はつけずに救命救急センターに送った。患者は無事に回復した。JATECを知らなければ、診断をつけようと検査を重ね、手遅れになったかもしれないと振り返る。

 実際、関東のある救命救急センターの医師は「交通事故で、助かる見込みが高かった患者が、最初に運ばれた病院でCTなどの検査に時間をとられ、センターに転送されたが途中で心肺停止した。昨年はこうした患者が2人いた」と打ち明ける。

 JATECを受けた医師は現在、全国で約3800人。これに対して、2次救急病院は全国に約4000施設。平均で1施設1人以下にとどまっている。

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 ◆救命救急センターまで車で移動する平均時間(05年4月時点の河口准教授らによる推計)=単位は分

東京  17

大阪  24

神奈川 31

愛知  31

滋賀  31

埼玉  34

茨城  37

千葉  39

岐阜  39

福岡  39

栃木  40

香川  40

富山  41

佐賀  46

山口  47

沖縄  47

岡山  49

京都  50

兵庫  50

鳥取  51

奈良  53

宮城  53

石川  54

福井  56

群馬  56

愛媛  56

静岡  57

広島  60

新潟  60

山梨  61

徳島  64

大分  65

福島  66

岩手  70

長野  70

宮崎  72

山形  80

三重  80

島根  82

熊本  83

青森  85

長崎  86

秋田  87

高知  87

鹿児島 93

和歌山 96

北海道 101

毎日新聞 2008年9月1日 大阪朝刊

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