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新聞協会賞:毎日新聞の「石綿被害 新たに520カ所」報道に 命の情報、壁崩す

 ◇患者救済拡大に道

大島秀利編集委員
大島秀利編集委員

 今年度の新聞協会賞(ニュース部門)受賞が決まった毎日新聞の「石綿被害 新たに520カ所」のスクープ(昨年12月3日朝刊)など「アスベスト被害の情報公開と被害者救済に向けた一連の報道」は、アスベスト(石綿)被害を巡る厚生労働省の「情報隠し」の壁を突き崩し、労災認定のあった事業所名の早期公表を実現させ、石綿健康被害救済法の改正を促した。大阪本社科学環境部・大島秀利編集委員(46)による長年の取材が、被害者の補償の拡大や被害の発見という「命の救済」につながったといえる。報道の経緯と今後の課題をまとめた。

 ■非公表への怒り

石綿労災があった事業所名が黒塗りになっていた厚生労働省の開示資料
石綿労災があった事業所名が黒塗りになっていた厚生労働省の開示資料

 「いったん公表した情報なのに、厚生労働省は今年は公表する様子がないんだ」。06年夏、大島編集委員は、石綿患者支援団体のメンバーが憤然と話すのを聞いた。

 厚労省が「いったん公表した情報」とは、石綿が原因でがんを発症するなどして労災認定された労働者の数を事業所ごとに示したもの。兵庫県尼崎市で石綿公害が発覚した直後の05年夏に、厚労省は383事業所を公表していた。こうした実態が分かれば、過去に同じ職場に所属していた場合、自分も石綿病に注意でき、発症したら労災認定を申請して、補償を受けやすい。工場周辺の住民が「石綿公害」に気付くきっかけにもなる。

 しかし、最初の公表から1年以上経過しても、厚労省は新たな情報を公表しなかった。05年当時、厚労省は公表の理由について、労働者や周辺住民への周知のほかに「関係省庁や自治体の対策に役立てるため」などと説明していた。ところがその後、05年時の公開が緊急措置だったことなどを強調し、「公表の予定はない」と姿勢を転じていた。石綿対策行政の明らかな後退だった。

 患者団体は、当時の安倍晋三首相や柳沢伯夫厚労相らに対し、情報公開を求めるファクスを送った。

 大島編集委員は、厚労省の姿勢が変わる可能性もあるとみて、患者団体と政府とのやりとりを継続取材した。しかし、姿勢は変わらなかった。06年12月、年内の再公表の可能性がなくなり、大島編集委員は怒りを込めて同29日朝刊で「厚労省 石綿事業所名公表拒む」との見出しの記事を特報した。

 ■資料入手

 翌07年10月下旬、大島編集委員は、パソコンソフトのエクセル4942行分に及ぶ資料を手にした。3478人分の石綿労災データ。元の資料の事業所名はことごとく黒塗りだったが、認定した労働基準監督署名、業種、疾病名などが記されていた。資料は、患者支援団体「中皮腫・じん肺・アスベストセンター」運営委員の片岡明彦さんが全国の労働局への行政文書開示請求で入手したものだった。片岡さんは、長年の石綿報道を通じて信頼関係を深めていた大島編集委員にこの資料を提供したのだった。

 「資料を生かして紙面での情報公開を実現して、石綿被害の全容をあぶり出し、厚労省に全面公開を迫ろう」。資料との格闘が始まった。科学環境部、社会部、地方部の記者ら5人とともに約1カ月、かかりっきりになった。片岡さんとのやりとりも繰り返し、今までに名前を公表されたことがない事業所が少なくとも520カ所あること、長崎市周辺では造船業による石綿被害が突出するなど、地域ごとに特定の業種での被害多発が浮き彫りになった。労災の多発が推定される企業に対しては「御社に関係あるデータではないか」と取材し、40事業所分の認定数などの実態が判明した。

 07年12月3日朝刊での5ページにわたる報道は、1面で「石綿被害 新たに520カ所 厚労省は非公表」などと書いた。地域ごとの認定数の表を2ページにわたり一括掲載。社会面で厚労省の「情報隠し」に怒る被害者の声を伝えた。

 ■情報公開

 毎日新聞が報道した翌12月4日、舛添要一厚生労働相は参院厚生労働委員会の足立信也議員(民主)の質問などに答え「(石綿労災のあった)事業所名について早期公表を指示した」「なんとか来年春までに実施したい」と表明した。

 これを受け厚労省は08年3月28日、05~06年度に石綿労災が表面化した2167の事業所名について公表した。2年7カ月ぶりの公表だった。

 石綿に詳しい専門家は、事業所名公表について「患者や遺族らにとどまらず、医師、患者の支援者、公害の研究者らにとっても重要な情報になる」と評価している。医師が石綿の事業所の情報を基に、患者の職歴や居住歴を尋ねれば、石綿がんの可能性に注意し診察できる。患者の同僚の間で石綿病が多発していることが分かって、石綿病の認定の決め手になったこともある。また、事業所が放出した石綿の粉じん量の記録が残っていない場合も、労災認定数が分かれば、放出量を推定する指標になるという。

 石綿被害に関連する情報は普段から不足しており、事業所名の公表で、患者や遺族の関心を呼び覚ました。厚労省の公表を契機に患者支援団体が電話相談窓口を開くと、約500件もの相談が寄せられた。

 ■不可解な公表

 ところで、08年3月時点の公表では、厚労省は不可解な基準を採っている。160の事業所について「04年度以前の分を公表した05年7~8月の時に名称が出たことがある」としてその事業所名と、05年度以降の新規認定数を非公表としたのだ。160の事業所は、労災が多発しているところが含まれているにもかかわらず、これが隠される結果となった。

 しかし、毎日新聞など報道各社が強く開示を求め、厚労省は6月12日に全面公表した。これにより、計3198人の従業員が石綿労災で認定された事業所の所在地などが示され、全容が判明した。

 ■法改正へ

新たに判明したアスベスト被害が520カ所以上と伝える昨年12月3日の本紙(大阪本社版)
新たに判明したアスベスト被害が520カ所以上と伝える昨年12月3日の本紙(大阪本社版)

 とはいえ、05年度分のデータの一部などが、2年近くも伏せられる結果となったことは新たな問題を残した。患者や遺族が、石綿関連がんの発症が労災であると気付くのが遅れ、労災補償の請求の時効(死後5年)を過ぎたり、石綿健康被害救済法の時効救済でも救われない人たちが出てきたのだ。

 こんなケースもあった。堺市の女性は、石綿肺で死亡した父が勤務した列車製造会社で労災が多発していることを厚労省の公表で初めて知った。支援団体に相談すると、父は石綿健康被害救済法による時効救済の対象になると分かり、救済を申請した。

 さらに女性の姉の夫の父親も中皮腫で亡くなっていた。労災対象と分かったが、この患者は、石綿救済法が時効救済の対象としない同法施行時(06年3月)以降に時効となったため、救われないケースだった。この患者の場合、厚労省が公表時期を遅らせなければ、遺族が早く気付いて時効にならなかった。一人の女性が公表情報に接したことで、親類2人の石綿労災が表面化したケースだった。

 折しも同法の改正論議が与党と民主党間で交わされており、時効救済の問題は石綿救済法改正論議の焦点になっていた。大島編集委員は08年3月21日と5月12日に「時効救済で救われない例」を記事で伝えた。時効のケースでも例外なく救済されるよう、法改正を促す狙いだった。

 最終的には共同提案した改正案で、この問題の解消が当面図られることになり、6月に成立。事業所名が非公表にされた問題を踏まえ、「石綿を使用していた事業所の調査や公表、救済制度の周知を徹底する」ことが初めて国に義務付けられた。

 ◇「静かな爆弾」追い続け

 ■阪神大震災で

 石綿について大島編集委員が最初に問題意識を持ったのは13年前。未曽有の被害をもたらした95年1月の阪神大震災だった。

 あちこちで続く倒壊建物の解体作業。飛散する石綿に対し、防じんマスクで身を守ろうとする人々の姿があった。神戸市長田区で、大学入試の受験勉強を半年間中断し、防じんマスクをひたすら配るボランティア活動に打ち込む浪人生がいた。大島編集委員はそんな動きがあったことを98年に記事にした。以後、石綿が20~60年もの長い潜伏期間を経て中皮腫などのがんを発症させる「静かなる時限爆弾」であることに問題意識を持ち続けた。

 00年2月16日朝刊では、中皮腫の統計データに注目し、4年間で中皮腫による死者が2243人に達し、増加傾向であると警告する特報「アスベスト死2243人 国内規制立ち遅れ」を書いた。国内で石綿の使用が原則禁止になる4年前のことだ。欧州各国が使用禁止にしている現状と、全面禁止を訴えるNGOの声を紹介した。

 04年ごろからは石綿をめぐって不気味な兆候が続々表れ始めた。中皮腫の発症者が船員、元国鉄職員、運送会社員など今まで知られていなかった職種に広がっていた。この流れを相次いで報道した。

 ■救済法成立

 兵庫県尼崎市のクボタ旧神崎工場周辺で石綿公害が発生していることをつかみ、05年6月29日夕刊で「住民5人も中皮腫 クボタ見舞金検討」「10年で51人死亡 アスベスト関連病で クボタが開示」と特報した。社会で広く「クボタショック」と呼ばれる現象を引き起こしたスクープだった。

 この報道以降、石綿被害情報について企業、省庁などによる情報開示や対策が急激に進行し、やがて石綿健康被害救済法の成立(06年2月3日)へとつながっていった。

 大島編集委員は05年11~12月、夕刊に「アスベストを追う」(19回)を連載。病床での中皮腫患者の苦しみを取り上げた。この連載は07年11月、がん分野での優れた報道を対象にした国際賞「ルミナス賞」(米国の製薬会社主催)の審査員特別賞を受賞した。

 クボタ旧神崎工場の周辺の状況もフォローし続け、05年12月23日朝刊で「クボタ補償へ 責任と謝罪検討」を特報。公害をめぐり周辺住民と企業が訴訟を回避し、異例の早さで補償合意へ向かう動きを伝えた。

 また、06年8月3、4日「アジアのアスベスト 負の遺産」を上下で連載。07年11月20日朝刊では「韓国でも中皮腫多発 ニチアス合弁工場跡」と伝えた。

 ◇補償格差の是正を

 ■残された課題

 石綿被害を巡っては、補償格差が今後の大きな課題だ。

 格差の第一の要因は、労災認定の対象者が場合によって数千万円単位の手厚い補償を受けられるのに対し、その対象外の一般住民や、一人だけで建設業などを営む「一人親方」はこの補償が受けられないことだ。改正された石綿健康被害救済法で、一般住民や一人親方も基本的に300万円の治療費や療養手当が受けられるようになった。しかし、通常はその範囲内にとどまってしまう。

 この格差を縮めることに成功したのが、兵庫県尼崎市のクボタ旧神崎工場周辺の住民で、認定条件がそろえば、同社に対し2500万~4600万円の救済金を請求できる制度を確立した。

 しかし、他の周辺住民の多くは発症原因が不明などのため、救済法以外の支給を受けられないのが現状だ。救済法は11年3月までに本格改正が予定されており、患者や支援団体は「支給額の大幅な底上げが必要」と訴えている。

 疾病別の被害認定では、中皮腫が認められやすいのに対し、その2倍発生するとされる肺がんの認定が少ないと指摘されている。

 危険な吹き付け石綿がある場所についての情報公開や、安全な除去方法の確立も、今後の被害を防止する上で大切な課題だ。

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 ■毎日新聞のアスベスト報道と国などの動き

1995・ 1・17 阪神大震災。建物解体で石綿粉じん飛散

2000・ 2・16 中皮腫死者の増加傾向を特報し、国内規制遅れを指摘

  04・10・ 1 国内でアスベスト使用が原則禁止に

  05・ 6・29 「クボタ旧神崎工場周辺の住民に中皮腫発症」と特報

      7~8月 厚生労働省が04年度以前に労災認定があった383事業所を2回にわたって初公表

  06・ 2・ 3 石綿健康被害救済法が成立。施行は3月27日

     12・29 05年度以降に石綿労災が判明した事業所名の公表を厚労省が拒否と特報

  07・12・ 3 「石綿被害の事業所が新たに520カ所」と特報

     12・ 4 舛添要一厚労相が事業所名の早期公表を表明

  08・ 3・21 時効のため石綿救済法で救われない石綿による肺がん死相次ぐと特報

      3・28 厚労省が05~06年度に認定者がいた事業所2167カ所の名称などを発表。認定者がありながら05年7、8月に名称を公表した事業所については発表せず

      5・12 時効のため石綿救済法でも救われない中皮腫死を特報

      6・11 改正石綿健康被害救済法が成立。事業所の調査と情報公表を国に課す。時効例も当面救う改定も

      6・12 厚労省が3月28日に発表しなかった160事業所を公表

毎日新聞 2008年9月4日 大阪朝刊

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