大分県の教員採用汚職を受け、文部科学省は都道府県・政令市教育委員会に対し2回目の採用選考法の改善状況調査をした。
アンケートによると、大半の教委が事件後何らかの見直しをし、部外者によるチェック、問題・解答・配点や選考基準の公表、成績の本人への開示などを実施するところが増えている。
その効果を期待したい。しかし、東京の文科省でこれらのアンケート結果をながめているだけでは、実態は見届けようがない。
大分の事件は多額の金券が動かぬ物証となり、刑事事件になった。捜査によって、それが「出来心」や「例外的な不心得者」による不正ではなく、半ば慣行的に広く続いてきたコネと口利き横行の土壌から派生したことが分かってきた。
大分だけではない。こうした疑惑は各地にあり、過去にも散発的に表面化することはあった。だが、文科省は、基本的に採用は教委が行うべきものという考え方から、その実態解明や改善に積極的に関与することはなかった。
確かに教委が地域の教育目標や課題に合わせ教員採用に工夫をし、独自色を出すのは当然で、国が一律のやり方や基準を押しつけるのは物理的にも無理だ。
しかし一方では、採用や昇進人事をめぐる不正不当な操作が、大分の事件のように贈収賄の形をとるまでもなく、学閥や有力者とのコネ、議員介入などで起きる。事前の問題漏えいや対策指導という例もある。
大分では事件表面化後、県議の中にも口利きをしていた例が明らかになり、県議会は県の人事に絡む口利きを一切しないという異例の宣言をした。根は深い。口利きをしてくれる有力者に頼ったり、利用する側の責任も問う必要がある。
また教委の閉鎖的体質や身内意識も事件に表れた。それで、例えば選考過程に部外者をかかわらせる教委が増えるのはいいことだが、そんなに簡単に改まるのか。慣行を破り、受験者が公平をより強く実感、納得できるような選考法導入には、相当の改善努力や試行錯誤がいるはずだ。
だから文科省はあら探しではなく、実例を掘り下げ、どんな方法が理にかなうか、その過程にどんな障害があるかなどを検証し、全国の教委が共有・活用できるようにしてはどうか。
さらに選考試験の内容や基準も見直す必要はないか。例えば、大分の事件で、採用を取り消されながら子供や保護者からとても惜しまれた教員がいる。この現実をどう考えたらいいか。
むろん、不正な選考に厳然たる取り消し措置がとられるのはやむを得ない。
ただ、空前の規模で表面化した大分の事件やさまざまな反応をきちんと検証し、真の改革のために、苦いが貴重な教訓として生かさなければならない。
毎日新聞 2008年9月15日 0時25分