NOTE.
DATE. 2008 . 9 . 12
人のHPをのぞいちゃあ、随分でかい記事にする。それも遠慮も配慮も全然なくだ。まぁ今さらのことではないにしても、そういうと新聞記者は「いやいや、大物の証拠なんです」なんていうけれど大物はオー(王)さんであって、目下のおれはホシ(干し)物なんじゃあないんか。仕方のない連中だ。
バッシング、バッシングというけれど、人間の本性としてバッシングをする方はともかくされる方はそりゃあかなわん。常に、人ごとでもいつも、少し過剰なんじゃあないかと思ってメディアの人たちにもそういうんだけれど、「いやいや、いい話よりも実際には悪い話、人やなんかをやっつける記事の方が面白いのかどうか、そっちの方が結局売れるんですよ」とまたまたそんなことをいう。これもメディア時代の現代の縮図のひとつということになるんだろう。
でも、これも改めていうことではないかもしれんが、われわれはというか、わたしなんかもそういう世界に生きているということなんだ。学生時代でもみなさんご存知の通り、ワセダに負けた日の夜中、突然島岡のオヤジ(当時の明大監督)に雨のグラウンドに呼び出され、パンツ一枚の姿で1時間も2時間も土下座して、ふるえながらグラウンドの神様に謝罪をさせられた。
プロに入ってからのことも今さらいちいちいうことはないが、選手時代でも監督時代でもいい時は天国だが、負けている時、よくない時というのはみんな地獄だ。ある年は家中、足の踏み場がないほど胡蝶蘭の鉢で埋まるかと思えば、翌年はいやがらせや冷たい視線のなかで鼻もひっかけられなかったりもする、そんな世界で40年も40何年もやってきているわけだから、それなりの「覚悟」というものがあるわけでしょう。自分にも人にも「転んでもすぐ立ちあがれ」「敗北の時ほど闘志を燃やせ」「リベンジは男の勲章だ」っていうようなことを、だからずうっといい続けてきたんだよ。
期待に応えられなければバッシングを受けるのが野球であり、それが勝負の世界の決まりごとだ。そしてそのバッシングに耐えて、またはねのけるのも野球なら、それが男の人生ということになるわけだから、この世界ではやはり「耐えること、すなわち正義なり」という方程式があると思っている。
王さんにしても、長島さんにしても、他の人達にしてもそうだけれど、実際はみなさん監督時代を通してもそうした思い、そうした体験というものを沢山してきているわけでしょう。かつての川上さん(元巨人軍監督)のように勝ちすぎてもまた世間からはぼろくそにいわれるような人もいた。
“あの日”は朝からデンワがパンク状態になって、応対だけで気疲れもし、いろいろな人に心配もかけ、いろいろな言葉もかけてもらったりしたけれど、なにもかもが、それもこれもがまたわたしなりの毎日であり、野球人生のワンシーン、ワンシーンなのだし、少しも変わることのない星野の人生だと、きょうは少し格好をつけさせてもらっておこうか。
© Sen’ich Hoshino’s on-line report.
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