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イラクへ「出稼ぎ」体験取材 4年前拘束の安田さん(1/2ページ)

2008年9月11日17時4分

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写真イラク軍基地内のネパール人警備員。日本大使館の警護を経験した者もいたという。左は安田純平さん=07年6月26日、イラク中部ディワニヤ(安田さん提供)

 イラクで4年前に武装勢力に拘束されたジャーナリスト安田純平さん(34)は、その後も現地を何度も取材している。イラク軍基地内に約10カ月間「就職」し、復興や治安を担う出稼ぎ労働の実態も見た。米同時多発テロから11日で7年、日本政府も戦争を支持し自衛隊が派遣されたイラクの地を見続け、「我々も無縁ではない」と訴えている。

 昨年2月にまずクウェート入りし、イラクで働く就職活動をした。人材派遣の代理店を30社以上回り、2カ月半後にようやく得た仕事は「料理人」。イラク陸軍基地内に住み込み、兵員宿舎などの建設を請け負った米企業の作業員ら約20人のために3食を作る仕事だ。月給は1千ドル。「実態を見るために自ら『安い労働力』になろう、と思った」

 安田さんは03年に地方紙を退社しフリーに。米国の「テロとの戦い」への疑問からアフガニスタンやイラクを取材してきた。外務省から退避勧告の出ている同国で04年4月に拘束された際は、「自己責任」と批判を浴びた。が、「現場を見るのが記者の仕事」と今も取材を続ける。

 赴任地は、バグダッドから南へ約180キロの街ディワニヤ。シーア派同士の抗争が続き、イラクで最も治安が悪い地域の一つだった。

 イラク戦争の大きな特徴は、戦後の治安維持や復興にかかわる多くの部門で民間委託が進んだことと言われる。その末端を支えるのはアジアからの出稼ぎ労働者だ。安田さんも多くのネパール人やインド人と職住を共にした。彼らはブローカーに平均年収の数十倍にもなる数千ドルのあっせん料を払っていたが、それでも危険なイラク入りを望むのは「他の国より稼ぎがいいから」との理由だった。

 1キロほど隣の多国籍軍基地内にはスーパーマーケットがあり、CDやゲーム、ギターまで売られていた。一般社会と変わらない労働、日常風景……。「民営化で軍事色が薄まり、働く者たちの感覚もマヒしていく怖さがあった」

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