ゲーム評(第二回)「CLANNAD」 -坂上智代 愚劣にして、素晴らしい、愛。-
「智代たん…もし、私が君の父親なら、決してあんな男は認めないのにな…」
「古き情火は燃え尽きて、若き情熱萌え出でる」
(シェークスピア「ロミオとジュリエット」)
坂上智代シナリオをクリア…。
なんといいますか…。考えこまさせる…。
このシナリオにおいて、主人公の行動が正しかったのか、
誤っていたのか、私には判断が下せない…。
私が主人公の立場だったら、多分、最終的な主人公の
決断と同じような決断を下すけど、そのことに苦悩し続けるだろうね…。
そして、もし、私が主人公ではなく、智代を保護者や友人として
愛する第三者的存在(親や学校の教師や友人)だったら、
きっと主人公の選択は間違っていると思うし、
その選択には反対するだろうね…。
智代シナリオについては、何が正しいのかわからなくて…。
皆さんがどう思ったか興味がありますので、
もしよろしければぜひBBSやメールでご意見を
お聞かせ下さると、とてもありがたく思います。
物語は、実直で清廉で有能で頭が良く、優しい思いやりがあり
物凄く「よくできたひと」であるヒロイン坂上智代と、主人公の恋物語。
もし現実に智代がいたら私でも底惚れ(By尾崎紅葉@金色夜叉)
してしまうな…と思うほど、凄く魅力的な素敵な女性として描かれています。
(一応底惚れの説明。惚れるには三種類あります。見惚れ、気惚れ、底惚れ。
見惚れはその名の通り、見かけ(外見)に惚れること。
気惚れはその人の気質の特質(気風がいいとか、味があるとか)に惚れること。
底惚れはそういった見惚れ、気惚れの段階を通り越して、
その相手自身を心底好きになること)
智代の魅力は、常に自然体、物凄く純粋に真っ直ぐで、
私欲なく自然に何事も接し、誰に対しても誠実なのですね。
だから、行為に嫌味がない。
常に私欲なき真心で物事に接していることがわかる。
こういうのを本当の有徳というのでしょう…。
彼女は洞察力・判断力など、物凄く能力に優れていますが、
なおかつ己と周囲への自然な誠実さが魅力的で、周囲の人々の
嫉妬を買うことなく、みな、彼女を讃美できるのですね。
主人公はそんなと紆余曲折を経て恋人同士になるのですが、
ここで、大きな苦悩が生まれてくる。
それは、彼女の高潔さが生み出す優れた指導力、人々に愛される徳性の魅力、
自身の能力と努力の賜物である世間に大いに評価される才能に比べ、
主人公は能力的に劣等者で、大した才能も人望もなく、明らかに不釣合いな
カップルであり、実際に主人公の存在が彼女の足を引っ張っているのですね。
一応、主人公の名誉の為に述べておきますが、主人公は
人間性は凄く良い奴ですよ。人間として大切な優しさや思いやりを
ちゃんと持った好感の持てる奴です。
ただ…社会的に主人公を見た時は、正直に言って、かなりの負け犬…(^^;
主人公たちの通う学校は全国有数の進学校でして、
主人公はスポーツ推薦で入学したのですが、
肩を怪我してスポーツができなくなってしまったのですね。
その後は敗残者コース。学業成績最悪、落第ギリギリで、遅刻欠勤常習犯、
不良な悪友達とつるむ不良として、周囲から見られている訳です。
対して彼女は…。
周囲の人望篤く生徒会長に就任。
学業は全国的にTOPクラス。
きっぷがよく、純粋で誠実で優しく、知性・運動その他諸々、
あらゆる能力が抜群に優れている。
はっきり云って、誰もが『釣り合わない』と思うでしょう(^^;
学年主任はこう云います。
「春の実力考査では…三科目合計でクラスで一番。
学年でも…4番。本校でその位置ならば、実に優秀だと言わざるえない。
そして、君の人間性に視点を移してみると、
その評価は揺るぎないものとなる。
リーダーシップ性に秀で、担任教師、クラスメイトからの信頼も篤い。(中略)
その男(主人公)がいない状況であれば…
君は生徒会長として相応しい、正しい人間でいることができる。
つまり、それは…これからの君の未来に期待できるかもしれないということだ」
(クラナド)
生徒会メンバーも…。
「あいつには人望がある。(中略)
あいつには欲というものが全くないからな。
清々しいほど的確に、多くの人間が喜ぶ案を選び取る。
結果、自分が割を食っても、気にしない。
そんな奴、誰の身の回りにもいなかったんだよ、きっと。
それがあいつの魅力だ。
みんな、あいつのことが好きなんだ。(中略)
それにあの娘は努力家だ。
きっと、あいつが望むどんな夢だって、
叶えてしまうに違いない。
そんな気がするんだ。
きっと、凄い高みまでいける。(中略)
あんたが居るおかげで、あの子は足踏みしてる。
目指すべき高みがあるのにな。
わかってるんだろ?」
(クラナド)
これらの言葉は全て真実。
あまりに人間的にかけ離れ過ぎていて、
主人公が彼女の足を引っ張っているのは、
客観的にはまぎれもない真実。
主人公は、自分の矮小なる存在を自覚し、彼女のことを
愛し大切に思っていても、どうしても
己の到らなさが彼女の足を引っ張ってしまうことに悩みます。
ここで、少しでも主人公が彼女に相応しい人間に
なろうと努力するのならば、救いがあるのですが…。
主人公の決断は…彼女に迷惑を掛けない為に別れると決断…。
………お前………救いがたいな………。
ここの展開で主人公にかなり呆れ果てたのですが…。
その後、彼女は国際的な弁論大会で優勝したり、
さらに高みへと昇って行く訳です。
逆に主人公は劣等生として学業を蔑ろにして
遊び歩いていたツケが回ってきて、
勿論大学に進学できる筈なく就職活動にも失敗。
最後はどうしようもなくなり、最終学歴が高卒の
3Kブルーカラーという、人として果てしなく終った
日本経済の最底辺労働者層にまで身を落すのです…。
ここまでどうしようもなく堕落した主人公も珍しいな…(^^;
そんな主人公のところに
まさに前途洋々たる、輝かしき彼女が再び訪れます…。
そして、今も主人公のことが好きだと告白するのです…。
主人公
「俺は、働き始める…。
そうすれば、本当に、別々の道になる。
お前は進学する。この町を離れて…。
そこでは、たくさんの新しい出会いが待っている…。
どんどん、お前は変わっていく。
期待されて、それに応えて…。
自分じゃ気づかないうちに、
とんでもなく遠い場所に辿りついているんだ……。
俺はこの町の片隅で、
毎日油にまみれるような仕事で、
汗をかいて…
いつまでも、同じ場所にいる。居続ける…。
そんな二人が…一緒に居られる筈はない」
智代
「なら…。
私がおまえの居る場所までいく。
もう、何もいらない。
生徒会なんて立場もいらない。
いい成績も、いい内申もいらない。
頭のいい友達もいらない。
私はおまえと一緒の春がいい。
それだけでいい…」
(クラナド)
これって、究極の選択な訳ですよ…。
最高の彼女の運命をダメ人間な主人公が握っている。
主人公が彼女を自分のものにすれば、
彼女の未来は失われるし、その代わり、
己の幸福は手に入る。
そして、彼女を再び諦めれば、
彼女は眩く昇ってゆくだろう…世界に。
そして、主人公は彼女を抱きしめて、
彼女を選び取るんですね…。
この終り方は…。う〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん。
物凄く複雑な気分なんですが……。
もし、私が智代の父親だったら、この主人公を
何らかの方法で二度と智代に近づけないように
抹殺していると思います。
だって…彼女には輝かしい未来がある。
智代は語学力も抜群ですし、
日本の東京大学だけじゃない、
オックスフォードだって、MITだって、
世界のどこの最高学府にでも入れる実力と、
世界のどんな人々も引きつける清廉な人間的魅力がある。
最高の学識と洗練を身に付け、
世界の高みにいる人々と交流し、
日本を、世界を背負って立つ、
本当の高みへと羽ばたいてゆける娘なんですよ!!
これほどに素晴らしい輝ける未来持つ娘を…
…高校時代は不良で最終学歴は高卒で、
就職活動に失敗してブルーカラーという、
まさに『ドキュソ』という言葉が完璧に相応しい
社会構造・経済構造における最底辺存在の主人公に奪われるなど…!!
これは…私の智代に対する犯罪だっ!!!
私が智代の父親だったら、こんなことは絶対に許しません。
主人公の人間性が問題なのではありません。
主人公が人格的には凄くイイ奴なことは承知です。
しかし、それでも、高卒の3Kブルーカラーでは…。
いくらなんでも、社会的立場が底辺過ぎますよ。
こんな底辺では、人間的な人の良さをプラスに評価しても、
将来的には智代を経済的不幸にしてしまう可能性が高い。
こんな職業じゃ、年収がせいぜい数百万で、
しかもいつまで働けるか分からない訳でしょう。
智代をとても任せられない。
しかも、智代の羽ばたける可能性まで潰している。
人間は人格だけじゃないんですよ…。
その人間が持つ色んな能力や背景を総合して、人間なんです。
老いたホームレスと前途洋々たる若きエリートを
『同じ価値だ』なんて考える人はひとりもいないでしょう。
人間が平等なんていうのは大嘘だし、
みんな、そのことはちゃんと本音として認識しているのが、
この社会な訳です。
主人公は、あまりに社会的立場が低く、能力が欠け過ぎていますよ。
そんな人間に、智代を渡すことは、私が父親だったら絶対できませんね。
私が智代に婿を選ぶならば、豊かな学識教養を持ち、
美の洗練と現世的権力を併せ持つ、
娘の眩さに相応しい立派な男を選びますよ。
逆に主人公の立場からすれば、美味しい話ですよね。
こんな素晴らしい嫁さんを、このダメダメ主人公が貰う…。
………ああ!!世界は、狂っているね!!
しかし、思います。
この狂気が、恋の本質、
この愚かしさが、愛の本質。
愛の本質、それは、愚かさ――
愛する相手の為に全てを投げ捨ててしまえる貴き愚かさ。
智代は投げ捨ててしまった。
己の持つ、遥か高みへの可能性を…。
私なんかは、智代は愚かだな…と思います。
だけど、そんな愚かさに、…憧れる。
智代は、本当の意味で、『人を愛する』ことが
できる人間で、それが智代の清廉な人柄に通じている…。
果たして、私は智代のように、
人を愛することが出来る人間なのだろうか…。
昔は…出来たかもしれないけれど、
おそらく、今はできないんだろうな…。
熱情の恋、愛の為に全てを投げ捨てられる恋ができるのは、
世界への経験がなくて視野の狭い、子供の日、
智代や主人公のような、少年少女のうちだけです。
だんだん…色々なことを知り、経験するうちに…
人は人を愛せなくなってゆく。人は利口になることで
熱情の愚かさを捨ててゆき、そして、愛する力を失ってゆく。
『頭の良い人は恋ができない。恋は盲目だから』
(寺田寅彦)
でも、これは…物凄く寂しいことなんですよ……。
私は、智代は愚かだと思うけれど、
それでも、その愚かしさが愛しくて、
そして、私自身を振りかえり、寂しさを感じますね…。
大人になるということは、孤独になるということ。
愛の愚かな熱情を知り、いつしか愛することができなくなること。
「オトナになってもっともいやなことは、
自分でごはんを食べねばならぬことと、
あきらめねばならぬことがむやみに多くなることであった。
誰かと恋をしたって、学生の頃ならば午後の授業をサボって
その辺を歩いていてもよかったが、
オトナになるとそうはいかない。
最低自分ひとりは食べさせねばならないから、
つとめ先や、仕事を、
これからちょっと恋人と公園を歩いてきますからと
いってすっぽかすわけにはいかないのである。
まずはだいたい恋というような、
してもしなくても腹の足しにならぬことよりも、
働く事、生きる為に仕事をすることの方がどうしても
大事であるから、やっかいである」
(富岡多恵子「アイスル・アイシナイ」)
智代の恋は、全てを投げ捨てた犠牲の愛だったけれど…
だけどもそれは、少年少女のうちだけにできる、
恋として、本当の恋、最上の恋だった…そう思います。
私が若い人が好きなのは、私が既に失った、
こういった『高貴な愚かさ』というものを若い人達は
魂のうちに抱いているから。
若い人たちは、多かれ、少なかれ、智代的な有徳を持っている。
それは愚かだけど、気高く貴い、人間として大切な愛の純粋。
だけど、年齢を重ね、経験を重ね、生活を重ねるうちに、
いずれは愛は擦り切れてゆく…。
坂口安吾の「恋愛論」を思い出す…。
「恋愛というものは一時の幻影で、必ず亡び、さめるものだ、
ということを知っている大人の心は不幸なものだ。
若い人たちは同じことを知っていても、
情熱の現実の生命力がそれを知らないが、
大人はそうではない、情熱自体が知っている。
恋が幻だということを。(中略)
ほんとうのことは、ほんとうすぎるから、私は嫌いだ。
死ねば白骨になるという。
死んでしまえばそれまでだという。
こういうあたりまえすぎることは、無意味にすぎない。
教訓には二つあって、先人がそのために失敗したからそれをしてはならぬ、
という意味のものと、先人はそのために失敗し、後人も失敗するに決まっているが、
さればといって、だからするなといえない性質のものと、二つある。
恋愛は後者に属するものだ。
所詮は幻であり、永遠の恋など嘘の骨頂だと分かっていても、
それをするな、とはいえない性質のものである。
それをしなければ、人生自体がなくなるようなものだから。
つまりは、人間は死ぬ、どうせ死ぬなら早く死んでしまえということが
成り立たないのと同じだ。(中略)
恋愛は人間永遠の問題だ。
人間ある限り、その人生の恐らく最も主要なるものが
恋愛なのだろうと私は思う。
人間永遠の未来に対して、私が今ここに、恋愛の真相などを
語りうるものではなく、またわれわれが、正しき恋などと
いうものを未来に賭して断じうるはずもないのである。
ただわれわれは、めいめいが、めいめいの人生を、
精一杯に生きること、それをもって自らの真実を悲しく誇り、
いたわらねばならないだけだ。
問題は、ただ一つ、みずからの真実とは何か、
という基本的なことだけだろう。」
(坂口安吾「恋愛論」)
うちのサイトを見に来て下さっている方々(いつも感謝!)
に若い人達、十代の人達は結構いると
思うんですが、どうか、打算を考えずに、若き恋の時は、
熱情の恋を生きて欲しいな…と私は願っています。
智代と主人公のような、
『本当に熱い、身も心も愛し合い、
愛の為に全てを投げ打てるような恋』
ができるのは、若いうちだけですから…。
私は愛し合うパートナーは若くないとダメ(^^;な人なのですが、
若いパートナーと付き合ったりしていても、
どうしても付き合いのなかに、
『パートナーの心理を読んで先読みの打算をしている』
部分が、相手が好きという気持ちの中に入りこんでいて、
ときどき自己嫌悪に陥りますからね。
そういった私心がないパートナーだったりするとなおさら、
自分の汚れてしまった小利口な部分を強く…認識させられる…。
小利口さを捨て、智代のように、己の若き日のように、
人を純粋に愛せたら…いつもそう思って、願っている…。
だから、若い人には、その若さを大切にしてほしい…
心から、そう願っています…。
貴方に、熱き恋の訪れがありますように…。
そして、クラナドの主人公!!
こんな最高の女の子が、社会的に見れば底辺以外の何物でもない
お前の為に貴い全てを投げ捨てて来てくれたんだから、絶対、絶対、幸せにしろよ…。
頼むから死ぬ気で頑張って経済最下層から脱出してくれ…。智代の為に…。
智代…どうか、幸せに…。君の幸せを願っている…。
(そして…主人公…ああ、なぜ貴様のような虫けらの如き主人公に智代が…クッ!!)
「ジュリエット、僕は貴方への愛を誓います。
見渡す限り、木々の梢を白銀に染めている
あの美しい月の光にかけて」
(シェークスピア「ロミオとジュリエット」)
参考ゲーム&図書(amazon)
「CLANNAD‐クラナド‐初回版」
坂口安吾著「日本文化私観(引用した「恋愛論」を収録)」